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第二章(2)

「シェリー、お母様たちはお話しがあるから、ヘリオスと遊んでいてくれる?」


 コリンナが目線を合わせて娘にそう言うと、シェリーは「まかせて」と小さな胸をトンとたたいた。

 子どもたちを侍女に預けたコリンナは、シアをボブの執務室へと案内する。


 モンクトン家の屋敷は、商会の事務所と兼用になっている。建物の西側部分が居住用で、東側が商会の事務所だ。忙しいボブだが、できるだけ家族の側にいたいという思いから、屋敷を増築して事務所を作った。そのため、彼の執務室は両者の中央に位置している。


「旦那様。シアをお連れしました」

「ああ、入ってきなさい」


 コリンナがノックをして扉越しに声をかけると、すぐに快い返事が返ってきた。


 黒壇の執務机の向こうには、ボブの屈強な姿があった。その堂々たる体躯は、商人というより、国を守る騎士や街を護る傭兵を思わせる。彼の前には二人の男が立ち、書類を手にああだこうだと議論を交わしていた。


 だがシアの姿を見つけると、ボブはひょいと顔を上げ、軽やかな笑みを浮かべた。


「やあ、シア。久しぶりだな」

「ご無沙汰しております、会長」


 シアが丁寧に挨拶を返すと、ボブは手のひらを見せるようにして胸の前にかざした。それは、堅苦しいのはやめてくれ、という合図だ。


「そういうのは、なしだ」


 ボブは、二人の男性に下がるようにと、指示した。彼らは頭を下げ部屋を出ていく。


 シアからしてみれば、ボブは商会の会長でかつ雇い主。目上の人には失礼がないように丁寧に接するというのは、記憶がなくとも理解しているのだが、コリンナもボブも、シアとは家族同様の付き合いを許している。そのため逆に変に気を遣うと、今のように嫌がられる。むしろ、嫌がらせだと捉えられてしまう。


「そこに」


 ボブは使用人を呼ぶためベルを鳴らし、シアを臙脂色のソファに促した。シアが腰を下ろすと、隣にコリンナが座り、テーブルを挟んだ向かい側にはボブが座った。


「お仕事中だったのではありませんか?」


 シアは部屋を出ていった二人の男性が気になっていた。


「ああ。だが、定刻は過ぎている。決められた時間内に決められた仕事をこなせないのは、無能だと自ら認めるようなものだ」


 そう言って肩をすくめるボブだが、机の上の書類の束を横目で見ている。


「あなたは仕事の量が多すぎるのよ。もっと部下を信頼して、仕事を割り振りなさいな」


 コリンナが呆れたようなその口調には、夫への信頼と愛情がにじむ。

 シアはそんな二人の関係を少し羨ましく思う。


「そうなんだが……いや、別に彼らを信頼していないわけじゃない。どうしても、気になってしまってなぁ」


 根っからの仕事人間なのだろう。ボブは食事の時間はできるだけ家族で過ごそうとしてくれるようだが、夕食後は再び執務室に戻ることも多いらしい。


 働き過ぎなのよ、とコリンナの愚痴を聞いたのも一度や二度ではないし、彼女が心配する気持ちもよくわかる。


 使用人が静かにワゴンを押して部屋に入り、三人の前に丁寧にお茶を並べる。


「お菓子はいらないわ」


 焼き菓子をテーブルの上に並べようとした使用人を、コリンナが手で制す。


「そろそろ夕食の時間だもの。それはあなたたちで食べてちょうだい」


 その言葉にも、コリンナの気遣いが感じられる。

 使用人がいなくなるのを見届けてから、ボブが話を切り出した。


「どうやら、ランドルフ王太子殿下が視察に来られるらしい」


 サバドは王家直轄領。王族が視察に来るのは何も珍しいことではない。国王自ら足を運ぶという話もあるくらいだ。


 だからそれをわざわざシアに言う理由がわからない。不思議に思い、小首を傾げる。

 その反応を見たボブが、さらに言葉を続ける。


「ランドルフ王太子殿下は、養護院での授業の様子を見学されたいとのことだ」


 驚いたシアは目を大きく見開いた。


「授業を見学される?」

「そうだ」


 ボブはゆっくりと頷き、動揺するシアを励ますように言葉を続ける。


「あの養護院は身よりのない子どもを養育する施設だが、同時に学校に通えない子どもたちに学ぶ場を提供している」


 この国では、学校に通えるのは貴族や裕福な家の子弟が中心だ。入学金や授業料を払えば誰でも通えるとはいえ、貧しい平民の子にはその機会がない。


 それを変えたのが、モンクトン商会が始めた養護院での授業だ。学びたいという意志があれば、誰でも通える学校。


「そのかいがあってか、このサバドでは犯罪に手を染める子どもの数が大きく減ってきた。サバドで学んだ子が王都や他の街で活躍しているという話も聞くし、モンクトン商会でも立派な働きをしてくれている。そんな話が王太子の耳に届いたらしく、ぜひ授業の様子を見たいとのことだ」


 意気揚々と話をするボブに対し、シアは自信なさげに背中を丸める。

 そもそも王太子だなんて、雲の上の存在だ。今までの人生、これからの人生も含めて、絶対に交わらない世界線で生きている人だと思っていた。


「シアは立派な先生よ。自信を持ちなさい」


 コリンナがぽんぽんとシアの肩を叩いて励ますが、過去の記憶がないというのはその自信を根こそぎ奪う。


「モンクトン商会の人たちは、よくしてくれますが……。私は自分の名前すらもわからない……」


 シアが言葉に詰まると、コリンナが濁りない澄んだ青い目で真っすぐに見つめてきた。


「それでもあなたはシアで、ここに三年近くいる。その三年分の記憶はあるわけでしょう?」

「そうだけど……」

 と、シアは口ごもる。


「モンクトン商会のシア。そしてヘリオスの母親。それでいいじゃないか。少なくとも俺たちはそう思っている」


 ボブの言葉に、コリンナもうんうんと頷く。


「そうよ、シアはシア。それに……もし、シアが望めばなんだけれども……」


 コリンナが急にもじもじと身をくねらせた。何か言いにくいことでもあるのだろうか。


「何かありました?」

「あ、うん。ちょっと頼まれたんだけれど……シアの好みの男性っていうか。まぁ、どんな男の人が好きなのかなって。シアのことが好きでヘリオスの父親にもなりたいっていう男性がいるんだけど」


 確かに、好意の視線を向けられることはあった。シアもそれなりの年齢だ。さらに、モンクトン商会の会長夫妻も仲が良いから、シアを通して彼らとお近づきになりたいという下心を感じるときもある。


「そうですね。コリンナを利用せずに、自分の気持ちをきちんと伝えてくれる男性ですかね?」

「はははははは……そりゃ、そうだ。コリンナも誰に頼まれたのかわからないが……まぁ、うちの従業員だろう? 深くは追求しないでおくよ」


 ボブが盛大に笑ったため、コリンナはバツが悪そうに頬を膨らませ、すぐにぷっと萎ませた。


「そうね。シアの言うとおりだわ。ま、私もその人だったら信用できるから、シアとヘリオスを任せたいっていう気持ちもあるのよね……とにかく、本人には、今の言葉を伝えておく。シアが好きなら自分で伝えなさいって」


 あまりに直球で迫られても、慣れていないシアはついその気持ちを疑ってしまうかもしれない。


(あれ……? 以前にも……?)


 誰かに好意を向けられ、それを信じられないと思う気持ちに、どこか引っかかりを覚えた。どうしてそう感じたのかは、さっぱりわからない。胸の奥に、わけのわからぬモヤモヤがたまっていく。


 とにかく、王太子は十日後にサバドを訪れる。養護院の見学は他の場所を回った後になるため、恐らく後半だろう。


 普段と変わらぬ様子でいいとボブは言うが、子どもたちにも心構えは必要である。だからといって、早すぎてもよくない。結局、当日の朝に伝えるのが無難だろうと、結論づけた。


 それから、シアはモンクトン一家と夕食を共にした。シェリーがかいがいしくヘリオスの食事の世話をする様子は、とても微笑ましかった。


 一日、一日、視察の日が近づくにつれ、シアの緊張も高まっていく。


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