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†ジェイラスの苦悩

 王太子ランドルフの結婚パーティーで羽目を外した者も幾人かいたようだが、こういうときだからこそ、気を引き締めねばならない。

 それでもジェイラスの心はふわふわと浮いていた。それは、アリシアが結婚を受け入れてくれたのが理由だ。


 今日は、昼過ぎから夜間にかけての仕事であるため、アリシアに会えるのは明日の夜。そのときに、もう一度きちんと結婚の申し込みをしようと考えていた。


 昨日は気持ちの昂ぶりもあって、つい、先走ってしまったが、雰囲気のよいレストランで結婚の約束を交わした証の指輪を贈る予定だった。


 それを今から妄想していたら、気もそぞろになっていたようだ。だから、伝令のために騎士を呼び、アリシアじゃない者がやってきたときに「アリシア・ガネルはどうした?」と聞いていた。聞いてから思い出した。アリシアは、休みだったはず。


「あっ……申し訳ありません……」


 伝令係の男性騎士は深く腰を折る。


「アリシアは本日付けで休職となりましたため、今後は私が主に担当いたします」


 彼は顔を上げずにそう言った。


 しかし、ジェイラスの頭の中は、男の言葉を反芻していた。

 きゅうしょく、キュウショク、休職……。


「アリシア・ガネルが休職だと? 長期の休みをとったのか?」

「あ、は、はい……。今朝方、団長には退団したいと言ったようですが、それを団長がなんとか引き留めて休職という形に……」


 ジェイラスの勢いに負けて、男性騎士はしどろもどろになりながら答えた。


「ま、まぁ。いきなり退団と言われたら、誰だって驚くだろう」


 引き留めた第二騎士団の団長、ブルーノはいい働きをした。と思いつつも、いきなりアリシアが退団を言い出した理由がわからない。


 ジェイラスの頭の中には、なぜ? どうして? と疑問符でいっぱいだった。しかし、今は仕事中だし、ジェイラスとアリシアの関係を知っている者は少ない。アリシアが二人の交際を公にするのを躊躇っていたからだ。彼女が嫌がることはジェイラスだってしたくはなかった。


「では、これを東と西の詰め所に届けてくれ。まだ、昨日の余韻もあり、皆、気もそぞろになっているところだから、引き締めるように」

「は、はい」


 一礼した男が部屋を出ていくのを見届けてから、ジェイラスはうなだれた。


 気がゆるんでいるのはジェイラスのほうだ。

 アリシアが騎士団を休職したというのは、いったいどういうことか。今朝方まで一緒にいたというのに。


 昨夜、彼女は何かを言っていただろうか。それを必死に思い出そうとしてみるが、さっぱりわからない。求婚を受け入れてくれたようにしか見えなかった。


 それとも、あのような場で結婚を申し込んでしまったジェイラスにあきれたのだろうか。


 なぜ。どうして。


 先ほどからそればかりが浮かんでくるものの、明確な答えにはたどりつけない。


 ランドルフはクラリッサとの蜜月に入った。だから、ジェイラスが護衛として彼につく仕事は減る。

 ジェイラスは主にランドルフが王城から離れ、視察などに行くときに護衛としてつく。彼が王城内、まして離れの王太子宮に閉じこもっているなら、なおのこと。そういったときは、他の騎士らに護衛を任せるが、今日の昼過ぎからはランドルフの護衛担当になっている。


 だからジェイラスは、ランドルフたちの蜜月の間、たまりにたまった書類仕事を片づけ、シフト表や訓練内容の見直しなどを行う予定だった。まして、普段よりもたっぷりとアリシアと一緒にいる時間を作る。

 そのつもりでいたというのに。


 考えても考えても答えは出てこない。


 ジェイラスはいてもたってもいられず、席を立った。

 向かう先は一カ所しかない。アリシアの上官、第二騎士団長のブルーノのところだ。


 だが、ブルーノはジェイラスとアリシアの関係を知らない。恥ずかしがり屋のアリシアは二人の関係を不特定多数の人間に知られるのを嫌がっていた。それでも昨日は、妖精のような姿でジェイラスの隣に立ってくれた。それだってしつこいくらいにお願いしたのだ。


 彼女としては交際を知られるのが恥ずかしいようだったが、ジェイラスはこの世の人間すべてに自慢したかった。

 彼女と交際を始めた当初から結婚を意識していたため、そろそろ二人の関係を周知させてもいい頃だろうという思惑もあった。


 ブルーノの執務室にノックをしてから入室すると、彼は驚いたように顔を向けてきた。その表情はどこか憂いを帯びている。


「貴殿がここに来るとは、珍しいこともあるのだな」


 近衛騎士団と第二騎士団、仲が悪いわけではないが接点は少ない。むしろ伝令で繋がっているくらいだ。


「いや、伝令係が変わったようだからな、確認しに来ただけだ。アリシア・ガネルが休職したと聞いたのだが」

「……あぁ。彼女は近衛騎士団の担当でもあったな」


 そう答えるブルーノの声に覇気がない。


「彼女に何かあったのか?」

「それは、私が知りたい。今朝、突然、辞めると言い出してな。なんとか説得して、休職という形をとってもらった。今までそういった前兆もなかったから驚いている」

「そもそも辞めるのであれば、最低でも十日前には届けるべきだが?」


 それが騎士団での規則となっている。辞めるときには十日前に届け出をすること。届け出から辞めるまでの十日間で仕事の引き継ぎをするからだ。


「そうだ、それもあったから、休職という形にした。彼女の体調面を慮ってのこと」

「どこか具合が悪いのか?」

「いや、彼女は何も言わなかった。私たちを心配させないようにという配慮だろう。とにかく、しばらく休みを取らせ、心身共に回復するのを待つしかない」


 ブルーノの言い分は間違ってはいない。だが、ジェイラスとしては納得できないのだ。


「そうか……彼女は優秀な騎士だからな。戻ってくる日を待つことにする」

「貴殿からも気にかけてもらえるとはな。そういった意味でも優秀だな」


 ブルーノもどこか寂しそうに口元を緩めた。


 彼の部屋を出たジェイラスは、彼女が今、どこにいるのかを確認しようと思った。

 なによりも今朝まで一緒にいたのだ。目覚めたらすでにアリシアの姿はなかったが、隣で休んだぬくもりはあった。


 アリシアは騎士棟に併設されている宿舎に住んでいる。宿舎は騎士棟を挟んで男女で別れていた。

 彼女は部屋にいるだろうかと不安になりながらも、ジェイラスは女性用の宿舎に足を向けた。宿舎の入り口にあるカウンターには、ここの警備を兼ねて女性騎士が常駐している。


「アリシア・ガネルは部屋にいるか?」


 いくら団長という立場であっても、むやみに女性の部屋に立ち入ってはならない。入り口で相手の在室を確認し、必要であれば呼び出してもらう。


「アリシア・ガネルからは休職届が出ております。彼女は実家に帰ったようですので、部屋にはおりません」


 女性騎士は、手元の帳簿を見ながら答えた。


 いつ、誰が誰に会いに来たのかというのは、警備担当の女性騎士らによって記録されている。長期間、部屋を空ける場合も同様に帳簿に記載される。


「なるほど。実家に帰ったのだな?」

「はい。本人からはそのような届がありました」

「わかった、ありがとう。彼女は伝令係として優秀だからな。休みにはいったと聞いて、驚いていた。もし、話を聞ければと思ったのだが……実家に戻ったのであれば仕方ないな」


 女性騎士が深く頷いたのは、ジェイラスの言葉に共感できる何かがあったからだろう。


 宿舎を後にし、執務室に戻ったジェイラスは、すぐさまアリシアの両親宛に手紙を書いた。彼女がガネル家の家族にジェイラスのことをどう伝えているかはわからない。


 だがジェイラスは、彼女との結婚を考えており求婚した。しかしその後、彼女は騎士団を休職し実家に帰ってしまったと正直に書いた。自分に至らぬ点があったのだろうか、と。


 それからまた、ジェイラスは彼女の足取りが掴めないものかと考えた。まだ王都にいるのであれば、すぐに見つかるだろう。それだけ王都内では騎士が目を光らせている。


 王都から出たと仮定した場合、乗り合い馬車を使うのが一般的だ。アリシアが実家に戻るとしたら、経由地点のサバドに向かうはず。


 自ら調べたいジェイラスであったが、これから新婚の王太子夫妻の護衛につかねばならない。蜜月と言える甘い二人の護衛につくのは、この状態ではかなり辛い。しかし仕事は仕事。

 そう割り切りながらも割り切れない自分がいる。


 部下の一人に、今日のサバドに向かう馬車の名簿を調べておくようにだけ伝えた。


「おやおや、ジェイラス。暗い顔をしてどうしたのかな? 私たちが結婚をしたら、愛しの恋人に求婚するとかなんとか言っていなかったか?」


 引き継ぎの挨拶をしようと顔を出した瞬間、ランドルフからそう声をかけられた。まだジェイラスは何も言っていない。扉を叩いて返事があったから、その扉を開けただけ。

 蜜月中の二人だからそうだろうとは思っていたが、傷心のジェイラスにしてみればなかなか心がえぐられるものがある。


 はだけたガウン姿のランドルフの膝の上には、同じようにガウンを羽織ったクラリッサが座っており、王太子手ずから彼女に食事を「あ~ん」と与えているところだった。

 時間が止まったかのように立ち尽くすジェイラスに、ランドルフもクラリッサも、何か察するものがあったらしい。


「おいおい、ちょっと待て、ジェイラス。クラリッサ、悪い。そちらで着替えを」

「あ、はい」


 クラリッサも慌てて立ち上がり、ガウンの合わせ目を押さえるかのようにして隣の部屋に姿を消す。


「どうした? 何があった?」

「何もございませんが?」

「いや、何もないという顔をしていない……もしかして、振られたのか?」


 ランドルフにとっては冗談のつもりだったのだろう。しかし笑えない冗談だ。


「……ま、まさか本当に振られたのか?」

「振られてはおりません……ただ、彼女が……騎士団を辞めて……実家に帰ったようでして……」

「お、おい……リシィ、リシィ」


 ランドルフは混乱したように、クラリッサの愛称を呼び続けた。


 着替えを終えたクラリッサが姿を現したのはそれから五分後のこと。乱れた髪も結い上げ、ドレスは簡素でありながらも人前に出ても恥ずかしくないもの。先ほどのガウン姿であれば、いくら護衛のためとはいえ、目のやり場に困ってしまう。


 王太子夫妻の甘い蜜月のひとときが、ジェイラスの恋の相談室へと変わった。しかし、ジェイラスの話を聞いた二人も、なぜ彼女が騎士団を辞めて実家に帰ったのか、さっぱりわからないと言う。


「よっぽど……ジェイラスと結婚したくなかった……とかかしら?」


 そのようなことをクラリッサから言われ、この世の終わりのような絶望的な表情を浮かべるジェイラスを、ランドルフが慌てて宥めた。


「とにかく、早く彼女の足取りを追え。私たちのことは他の者に任せればいい。どうせ私たちはこの部屋から出るつもりはないからな」


 主の言葉をありがたく受け取ったジェイラスは、馬車の名簿を探らせていた部下と合流する。しかし、サバド地区に向かった馬車利用者の中に、アリシアの名は見つからなかった。となればまだ彼女は王都内にいるのだろう。


 ジェイラスも彼女を探すために走り回ったが、この日は暴漢の情報が入っただけで、アリシアの行方は掴めなかった。


 それから数日、ジェイラスは時間さえあれば王都内に彼女がいないか、探し回った。


 そうこうしているうちにアリシアの実家、ガネル子爵家から返事が届く。それにはジェイラスへのお礼が書かれていた。娘を慕ってくれてありがとうと、そういった内容だ。しかし、肝心のアリシアは実家に戻っておらず、騎士団を休むという話も初めて知ったとのことだった。


 しばらくジェイラスはアリシアの両親と手紙のやりとりをしつつ、王都内で情報を探るものの、アリシアが行方不明だと結論づけるまで、そう時間がかからなかった。


 だがジェイラスは、アリシアを決してあきらめはしなかった。


 休日のたびに王都内をくまなく歩いて彼女の痕跡を捜し、ランドルフの護衛として地方へと足を伸ばしたときも、そこに愛する者の姿がないかを確認する。


 ただ、彼女が所属する第二騎士団の諜報担当の話によれば、アリシアが姿を消した日に、伝書鳩も一羽いなくなったとのこと。その伝書鳩はアリシアが特にかわいがっていた鳩だったらしい。


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