第一章(4)
「え、と……港町のサバドに向かいたいのです。実家に戻るところなのですが、実家はそこからさらに北にあるので乗り換える必要がありまして……」
「まぁ、サバドですか?」
コリンナの顔がより一層明るくなった。
「モンクトン商会はサバドにあります。私たちは王都での用を終え、サバドに戻るところだったのですが……その前に買い物をと思っていたら先ほどの男たちが……」
身なりのよい母子だったため、狙われたのだろう。しかも昨日は王太子の結婚パーティー。普段よりも、身なりのよい者たちが王都に集まっているから、金目の物を狙うには絶好の機会だ。
「他にお付きの人とかはいないのですか?」
「え、と……いたのですが……はぐれてしまって……」
なるほど、とアリシアは心の中で手を打った。隙を突かれて彼女たちは狙われたのだ。そういった隙を突くのがうまいのが、暴漢でもある。人の目のつかないところで、身なりの良さそうな人たちを襲い、金品を奪う。場合によっては、その身体すら。
「あの……ですから、馬車まで一緒に来ていただけないでしょうか。むしろサバドまで一緒に……」
コリンナは怯えていた。それはサマンサからも伝わってくる。見知らぬ男らに襲われたのだから仕方あるまい。
となれば、アリシアの親切心がむくむくと湧き起こって、コリンナを助けたいと思い始めた。これはむしろ庇護欲。それをかき立てる何かが、この女性にはある。きっと老若男女問わず惹きつける何かをもっている女性に違いない。
「とりしゃんもいっしょよ」
「ぽっぽ」
このぽっぽちゃんの反応は「引き受けなさい」だ。むしろぽっぽちゃんが、シェリーに誘われて行きたいと言っている。今の鳴き声はそれを訴えている。
「……では、サバドまで奥様とお嬢様をお守りします」
アリシアは深く頭を下げた。
騎士団の仕事を途中で放り出してきた罪滅ぼしの気持ちがどこかにあったのかもしれない。誰かを守ることで、それを穴埋めするかのように。
だが、護衛として雇われるのであれば、そこはきっちりと線引きすべきだ。先ほどまでは命を救われた者と命を救った者の関係であったが、雇用主と使用人の関係になるのだから。
「ありがとうございます。そうなると、やはり名前をお聞きしておかないと」
コリンナが美しい笑みを浮かべる。まるでアリシアの名前を聞く口実を得たことに満足するように微笑む。
「シアと申します。王都には仕事で来ていたのですが、辞めて田舎に帰るところです」
やはり、本当の名前を教えるのに抵抗があった。ここを離れるにあたって、アリシアとしての足跡を残したくなかった。だが、シアだってアリシアの名前の一部だし、親しい者はそう呼んでいる。
「わかりました。シアさんもいろいろと訳ありのようですね。これ以上、深くは追求いたしませんが、先ほど私たちを助けてくださったこと、そして鳥にも好かれている様子から判断して、信用に値する人間だと思っております」
「ありがとうございます」
「ですが、もし……気が変わったときには、もう少しあなたのことを教えてくださいね」
片目をつむって笑顔を向けるコリンナには敵わない。
「とりしゃん、いっしょ?」
「はい。この鳥さんの名前は、ぽっぽちゃんといいます。そう呼んであげると喜びますので、是非」
それを聞いたシェリーは「ぽっぽちゃん、ぽっぽちゃん」と嬉しそうに口にする。
「シアさん。いくら護衛といっても、護衛らしくない形でお願いします。そうですね、周囲からは友人のように見えるように振る舞えば、より自然かもしれません。ですから、私や娘のことも名前で呼んでください」
やはり、コリンナには敵わない。
そのとき、バサササ……と広場に白い鳥が下り立った。先ほど、応戦してくれた鳥たちだろう。
アリシアはコリンナとシェリーと共に、モンクトン商会が所有する馬車へと乗り込んだ。御者はなかなかやってこないコリンナたちにやきもきしていたらしい。これ以上遅くなるようであれば、捜索願を出すところだったと半泣き状態だった。
それから、コリンナが言っていたお付きの者ことフランクも合流した。コリンナたちとはぐれてしまった後、血眼になって捜していたようだ。
コリンナがアリシアを紹介するとフランクは「ありがとうございます、ありがとうございます。奥様とお嬢様に何かあれば、僕が旦那様に殺されてしまうところでした。あなたは命の恩人です」と手を握られながらわけのわからぬ感謝のされ方をした。だが、彼の手に触れてわかった。彼もかなりの剣の使い手のようだ。
モンクトン商会の馬車は、しっかりとした造りで立派なものだった。これならば長時間座っていてもお尻が痛くならないのでは、とアリシアは少しだけウキウキしていた。なにしろ、ここからサバドまで馬車で三日かかるのだ。夜間は中継点で休むが、コリンナが言うにはきちんとした宿を用意してあるとのこと。さすが、モンクトン商会だ。きっとその関係の宿に違いない。
乗り合い馬車なら、納屋のような場所で雑魚寝しなければならなかっただろう。
それを思えば、コリンナの要求を受け入れてよかったのだ。
馬が二頭立ての馬車には、コリンナとシェリーの親子、侍女のサマンサ。そしてアリシアとフランク。御者兼護衛の男性が二人。
「シアさんは、どのような仕事をされていたの?」
コリンナはもてあます時間を埋めるかのように、アリシアに質問してくる。
「あ、えと……人に教える仕事です」
騎士団に所属しているとは言えない。伝令とは人に伝えることだが、それを教えると言い換える。
「まぁ。先生だったのね?」
その言葉には曖昧に微笑む。嘘はつきたくないが、本当のことは言えない。
「シア。ぽっぽちゃんは?」
シェリーは今年で四歳になるところだという。よほどぽっぽちゃんが気に入ったようだ。
「ぽっぽちゃんは、シェリーを守るために、馬車の周りを飛び回っています」
さすがに鳩まで馬車に乗せることはできない。シェリーはそれを残念がっていたが、アリシアが説得した。
それにぽっぽちゃんは賢い。異変があればすぐに教えてくれる。だから馬車より先に進んで、怪しいところがないかを確認しているのだ。多分。
馬車の旅はそれなりに快適だった。
この馬車に乗っているのがこの国の王女であったら、護衛が何十人もついての大移動となったであろう。だが、安全性に配慮して派手に移動すれば、逆に狙われる可能性も高くなる。守らなければならないものだからこそ護衛が多いと、悪巧みする者たちは考える。
だから彼らは、一般民が乗るような乗り合いの馬車は襲わない。襲ったところで盗れるものなど限られているため、体力の無駄である。
モンクトン商会はそれをわかっているのか、馬車の内装は素晴らしいのに、外装はいたって普通だった。乗り合い馬車と同じような、そんな簡素のものに見える。
金持ちが街と街を移動するような長旅をするときの、野盗避けの常套手段だ。
だが、そんな彼らだって、街中を移動するときは家紋の入った豪華な馬車で見せびらかすようにして移動する。
そうやって状況に応じて使い分け、自分たちの価値をどこでどう見せるかも戦略の一つとも言われている。
その日、太陽がだいぶ傾き空が橙色に染まる時間帯、そろそろ今日の宿場町に入ろうとしていた頃。
コツコツコツと馬車の窓を叩かれる。
「ぽっぽちゃん、ぽっぽちゃん」
最初に気づいたのはシェリーだった。
「どうしたのかしら?」
アリシアは首を傾げる。ぽっぽちゃんは馬車の周辺を飛び回っていたはずだが、もしかして中に入りたいのだろうか。
そのとき、馬車がガタガタッと大きく傾いた。
「え? 何?」
馬のいななく声が聞こえ、アリシアが窓から外の様子を確認すれば、馬が暴れている。御者は宥めようとしているが、完全に馬は我を失っている。
「フランクさん、このままでは馬車が……」
アリシアの言葉にフランクも外の状況を確認し、大きく頷く。
「奥様、お嬢様。このまま馬車に乗り続けるのは危険です。すぐにでも馬車から下ります」
「シェリー」
アリシアは小さなシェリーを抱き寄せる。
扉を開け、フランクとサマンサはコリンナを守るようにして馬車から飛び降り、アリシアは全身でシェリーを守りながら馬車から転げ落ちた。