エピローグ
西の空に大きく傾き、燃えるような太陽が庭園の花を橙色に染め上げる。このような夕日を見ると、サバドでジェイラスと再会したあの日を思い出す。
「シア! リオ!」
暑苦しい声で名を呼ばれ、アリシアは振り返った。
「おかえりなさい」
「パパ、おかえり」
夕日を背に、ジェイラスが全速力で駆けてくる。
「外に出て大丈夫なのか? リオ、じいじはどうした?」
それぞれアリシアとヘリオスに尋ねるジェイラスの表情は、心配と困惑に満ちている。いつでもヘリオスの側にはケンジット公爵の姿があるのに、今日はその姿が見当たらないからだろう。
「えぇ。今日は気分がよくて。それに、そろそろあなたが帰ってくるだろうと思って」
はにかんで答えれば、感極まったジェイラスがアリシアを抱きしめようとして、ふとためらう。
さわわと二人の間を柔らかな風が抜け、その先の花を揺らした。
「じいじね、いたいいたいしたよ? こしがバキってしたよ?」
アリシアを抱きしめる代わりに、ヘリオスを抱き上げた。三歳になった彼は、言葉も巧みになってずっしりと体重も増えた。
「いたいいたい? こし? バキ? じいじに何があった?」
「それがね?」
微笑んだアリシアがジェイラスの腕を取り、身体を寄せる。
「リオと遊んでいて、腰をやってしまったみたいなの。えぇと……魔女の一撃?」
「ん?」とジェイラスは顔をしかめる。
「リオ、最近は重くなってきたし、力も強くなってきたでしょう? それでリオとはしゃいで遊んでいたら、こう、ぐきっと……」
「わが父ながら、肝心なところで役に立たないな」
呆れと同情が入り混じる声色だが、ジェイラスだって父親のことを心配しているのだ。
「医師には診てもらったのか?」
「ええ、すぐに。今は薬を塗って、安静にして休んでいるところ。だからリオと一緒に、あなたを迎えにきたの」
「なるほどな。だったら父には領地に戻ってゆっくり休んでもらうか」
片手で軽々とヘリオスを抱き、空いた手でアリシアの手を握るジェイラスだが、その言葉が彼の本音でないことくらい、アリシアだってわかっている。
「シアだって大事な時期だろう?」
「でも、体調はだいぶよくなったし。リオと一緒に外を歩いたほうが気晴らしになるし」
「ね」とアリシアが声をかければ、ヘリオスも同じように「ね」と言う。
一か月ほど前、アリシアは大きく体調を崩した。胃がムカムカして何も食べられず、食べ物を見ただけで吐き気に襲われる。急いで医師の診察を受けたところ、妊娠三か月とわかったのだ。
しかし悪阻が酷い。水を飲んでも戻してしまうような状況で、薬湯と安静でなんとか動けるようになったのは、ほんの数日前だった。
その間、ジェイラスは「仕事に行かない」と駄々をこねそうになったが、そうなる前にアリシアが諭した。
アリシアが寝込んでいる間は、公爵がヘリオスと一緒にいてくれたが、今度はその公爵が寝込んでいるというわけだ。
「やはり、殿下に頼んで、俺も一か月くらい休みをもらおう」
「ダメよ。チェスターさんの頭が……」
チェスターがランドルフに振り回され、頭髪を気にしているというのは周知の事実となっている。
「最近の殿下はおとなしいから大丈夫だろう」
ジェイラスが言うには、ジェイラスがアリシアと結婚した後から、ランドルフの破天荒ぶりも落ち着いたとか。
「なんだ? シアは俺と一緒にいたくないのか?」
「いたいけど……でも……」
「でも、なんだ?」
ニヤニヤしながら尋ねてくるジェイラスは意地悪だ。
「やっぱり、ラスとの間には適切な距離が必要だと思います!」
そう言ってジェイラスの手を振りほどき、アリシアは足早に屋敷へと向かう。
それは恥ずかしさをごまかすため。そして、幸せすぎて怖いから。
「あ。ま、待て!」
抑えきれない熱を帯びた低い声が、アリシアを引き止める。
ジェイラスは慌ててアリシアの背を追うが、それに気づいて立ち止まる彼女の影を、夕日が長く伸ばした。
【完】