†ジェイラスの友
ランドルフが初めてジェイラスを見たとき、彼を危うい人間だと感じた。生に執着がない、まるで魂が抜けたような少年。
彼はケンジット公爵の息子で、ランドルフと同い年だった。
「死にたいのか?」
初めて出会い、顔合わせのような場で、ランドルフは思わず彼に問いかけた。
「いえ。生きる価値を見つけられないだけです」
生気のない瞳で、にこりともせず淡々と答える彼に、ランドルフは興味をそそられた。
この少年の虚無を、己の力で埋めてやりたい。
「だったら、私のために生きるがいい。ただ犬死にするよりは、私を守って死んだほうが体面を保てるだろう?」
そこから彼との付き合いが始まった。
その後、ジェイラスは父親と同じように騎士の道を選び、ランドルフの近衛にまで昇りつめた。むしろ、彼でなければランドルフの手綱を握れない。さらに、現近衛騎士団長の息子で、次期ケンジット公爵という肩書きは、ランドルフの近衛としてふさわしいもの。
しかし、公爵夫人が亡くなったことで状況は一変する。
ケンジット公爵が騎士団長を退任し、領地に戻ると言う。もちろん父王はそれを引き留めたが、公爵の決意は固かった。
次の団長として、順当にいけば副団長のチェスターが指名されるはず。
しかし、チェスターも含め、次の団長にジェイラスをと望んだのは、やはり彼の危うさが原因である。
いや、チェスターはこうも言ったのだ。
「私では、殿下をお止めすることができません」
民には冷静沈着、頭脳明晰、眉目秀麗として知られているランドルフだが、騎士団の評判は「破天荒」の一言に尽きる。
台風の夜に城を抜け出し、逃げ遅れた者がいないかと見て回ったり、祭りの日に城を抜け出し、狼藉者がいないかと見て回ったり。
部下たちに任せておけばいいもの、自分の目で確かめないと気が済まない。そして自身のイメージも大事だからと、変装までする始末。それに振り回されていたのがジェイラスだった。ジェイラスがランドルフを追い、危険から守っていたのだ。
「おまえが死ぬことは許さない。おまえが死んだら、誰が私を守るのだ?」
ランドルフは何度もジェイラスにそう言った。
そしてチェスターは、ランドルフが城を抜け出したと報告を受けるたびに、毛髪も抜けていくようで「絶対に団長は嫌だ」と言い張った。だから彼は今でも副団長で、父王の近衛を務めている。
団長となったジェイラスは多忙を極めた。慣れない執務に、ランドルフの気まぐれな行動。さらに年上部下からは罵詈雑言を浴びせられ、ジェイラスが言い返さないのをいいことに、それが増長していく。
だがある日、ジェイラスが問題の部下たちを淡々と解雇したとき、ランドルフは思わず笑ってしまった。命令違反、規則違反、虚偽申告の証拠が山のように出てきたのだ。
ジェイラスは気づいていながら、証拠が揃うまで泳がせていたらしい。そんな部下たちが、彼を侮り貶めようとした結果だった。
ジェイラスに転機が訪れたのは、第二騎士団伝令係のアリシア・ガネルとの出会いだった。
騎士となって二年目、やっと一人で伝令を任せられるようになった彼女は、近衛騎士団と第一騎士団の伝令を務めていた。
彼女が伝令係としてジェイラスの前に現れたとき、日ごろの不摂生がたたって彼は倒れた。それを介抱したのがアリシアだった。
そこから面白いくらいにジェイラスは彼女に落ちた。
「この気持ちをどうしたらいいか、わからない」
人の部屋にやってきては、アリシアへの気持ちを吐露する。
嫌われるのが怖いからと、彼女の前で本音を隠し、そのかわりランドルフの前ではその想いを包み隠さず言葉にする。
あまりにも鬱陶しいので「彼女にそのまま伝えればいいだろう」と適当にあしらったら、「いや、だが……今の関係が壊れたら、俺はやっていけない。死ぬ」とまで言い出した。
「おまえのような男から告白されれば、百人中九十九人の女はコロッといく。とりあえず、告白してこい」
そう言って送り出したのに、一回目の告白は玉砕したらしい。
理由を聞けば、それは決してジェイラスが嫌いだからというわけでなく、彼の肩書きに臆しているようだった。
だからランドルフは得意の変装で、ジェイラスとアリシアが二人でいるところをこっそりと盗み見した。
その結果、アリシアもジェイラスに敬愛を寄せていることがわかった。彼女が障壁と感じているのは、二人の身分だろう。だが、そんなものはどうとでもなる。
ランドルフは何度もジェイラスの背を押した。その結果、五回目の告白で、やっと彼女が気持ちを受け入れたのだ。
そこからジェイラスの見た目も雰囲気もガラリと変わった。
ランドルフ自身の結婚が控える中、ジェイラスもアリシアに求婚するつもりだと、嬉しそうに語った。ランドルフは、自身の役目が終わると感じていた。
彼女がその姿を消すまでは――。
「おめでとう、ジェイ。よかったな」
ジェイラスはアリシアと結婚式を挙げた。晴れた空に鳩の羽音が響く。
聖堂の扉が開け放たれ、純白のドレスに身を包むアリシアと、騎士の礼服に身を正したジェイラスが、大階段の上に現れた。
ランドルフはクラリッサとアンドリューを連れ、階段の上で二人を待っていた。後方では、生後半年の娘が乳母に抱かれ、愛らしい寝息を立てている。
「ありがとうございます、殿下」
ジェイラスの瞳には、かつての虚無はなく深い喜びが見える。彼にこのような顔をさせる人間が存在していることが奇跡なのだ。
アリシアも優雅に頭を下げ、微笑んだ。
「ここでは友人として扱ってくれ、ジェイ」
「おめでとう、アリシア。わたくしも友人として心から祝福いたします」
いつの間にか、クラリッサもアリシアとの仲を深めていた。クラリッサは自分の護衛にとアリシアをと望んだようだが、それに反対したのはもちろんジェイラスだ。
アリシアは第二騎士団の伝令係のままだが、鳩の担当となった。それはアリシアが鳩小屋に行くと、鳩たちがおとなしくなるというのが理由らしい。必要であれば鳩を飛ばし、鳩の世話をする毎日。
「ところで、ヘリオスはどうしている?」
このような厳かな式典で、おとなしくできるような年でもないだろう。
「あぁ……父が……」
ジェイラスが白目になりながら顔を向けた先には、ヘリオスを抱いてニコニコとしている公爵の姿があった。
「なるほどな」
「アリシア、また後でお会いしましょう」
クラリッサが手を振り、ランドルフたちは先に人混みから離れた。
ケンジット公爵は、突然の孫に戸惑いつつも、わりと素直にその存在を受け入れたようだ。
その後は、あのようにヘリオスを離さないらしい。「じいじ」と呼ばれるたびに、目尻を下げているのだとか。
近衛騎士団長時代の威厳はどこにいったものかとジェイラスは笑っていたが、彼だって似たようなものだろう。
こうやって二人が、無事に結婚式を挙げられたのも、一年前の事件があらかた片づいたためである。
ヘバーリア国の呪具による騒動は、すべてヘバーリア国が秘密裏に処理をすすめた。
呪具を扱っていた民族の末裔たちが引き起こした内乱みたいなもの。そんな位置づけにされている。
魔法具の普及と共に隅に追いやられた呪具だが、価値を見直せと、そういった思いがあったらしい。
その力を見せつけるため、彼らが目をつけたのがユグリ国のモンクトン商会だった。ここはギニー国とつながっているから、呪具の力でそのつながりを断ち切りたかった。そしてモンクトン商会とヘバーリア国をつなげ、呪具師の力を見せつけようとしたのだ。
コリンナが王都セレを訪れた日、フランクが呪具を使って彼女の記憶を奪おうとした。しかし、彼女が臨時の護衛として雇ったアリシアが、呪具による呪詛を受けてしまい、自身に関する記憶をすべて失った。
その後三年間、アリシアは行方不明者として扱われた。
だが紆余曲折の末、ジェイラスはアリシアと再会でき、なんとか彼女にかけられた呪詛を解除できたわけだが、その呪具をエイミが嬉々として解析していたのは言うまでもない。
どうやら忘却の呪詛は「愛する者を疑ったとき」に発動するものだった。これは、エイミが呪具を解析した際にわかった事実。
モンクトン夫妻は、離れていても確かな絆で結ばれていた。
しかしあのときのアリシアは、ジェイラスの愛を疑っていた。だからアリシアが呪詛を受けたのだ。
またその原因が、舞い上がり過ぎたジェイラスと、見目紛らわしいエイミのせいだとわかれば、ランドルフも頭を抱えたくなる。
あのパーティーで、ジェイラスはいやいやエイミと一緒に踊っていたのを思い出した。もちろん、エイミが脅して無理やり踊ったのだ。
後日、アリシアがジェイラスの元を去った理由を聞いたエイミは「ごめんね~」とアリシアに謝っていた。
とにかく、すべてが丸くおさまった。
これでジェイラスも死に急ぐようなことはしないはず。
そろそろランドルフも「破天荒な王太子」の汚名を返上したい。
むしろこれ以上、ジェイラスをこれ以上振り回すのは、気の毒だ。
バササササ――。
突然の羽音に、ランドルフは顔を上げた。
頭上を一羽の白い鳩が、左足に手紙をつけて飛んでいった。