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第六章(5)

 エイミとホーガンは、逃げようとするフランクを捕まえたらしい。


 呪具を用いて彼らの拘束から逃れようとしたらしいが、それより先にエイミの魔法がその呪具を封じた。

 呪具を使えない彼は、魔法師の敵ではなかった。抵抗をあきらめ、おとなしくなったようだ。


 だからてっきりエイミも忙しいのかと思い、シアにかけられている忘却の呪詛の解除も遅れるものだと考えていた。


 しかしエイミは予定どおり行うと言う。


 ヘリオスは今日もアンドリュー王子と過ごすことになっており、朝食を終えた頃、迎えがやってきた。ヘリオスは慣れたもので、顔なじみの侍女の姿を見るや否や、手をつないで「まま、またね」と手を振っていくのだから、現金なものだ。


「シアに使われている呪具を早く手に入れたいらしい」


 二人きりになった室内で、ジェイラスが今まで仕入れた情報をシアに語り始めた。


「それは、エイミさんが? フランクが?」

「もちろん、エイミだ。フランクの身柄については、ヘバーリアに送ることになった」


 ユグリ国で罪を犯した者は、国外の人間であってもユグリ国の法に則って裁かれる。


「どうやら彼は、ヘバーリア国内でも追っている過激派組織の一員らしい。例のサバドの暗殺者をヘバーリアに返したのだが、そこも組織につながりがあったようだ。殿下がヘバーリアとやりとりをしているから、フランクのことも報告してある。だからフランクのユグリ国内の罪は、組織活動の一部とみなされ、ヘバーリア国の罪に置き換えるらしい。ヘバーリアもその組織には頭を悩ませていたみたいだから、正当に裁かれるはずだ。そこは安心していい」


 そう言われても、シアの心の中は複雑だった。


 三年間、モンクトン商会で時間を共にした仲間だった。彼はシアを利用していただけだろうが、それでも日常の些細な出来事が思い出され、胸が痛んだ。


「ジェイラスさん……」


 隣にジェイラスに、シアは身体を預けた。彼女のほうからこうやって寄り添うのは、珍しいかもしれない。


「私が記憶を取り戻したとしても、ジェイラスさんは変わらず近くにいてくれますか?」

「ああ。俺は絶対にシアから離れない。これからもずっと、君の側にいる」


 力強く彼に抱き寄せられ、シアは緊張に高まる心を落ち着ける。互いに体温と鼓動を感じ、静かな余韻に浸っていたところ、乱暴に扉が開け放たれた。


「はいはいはい、イチャイチャしている時間はないわよ」

「おい、ノックしてから入ってこい」

「あたしは、ノックしましたぁ。イチャコラに夢中で聞こえなかっただけではないんですかぁ?」


 いつもと変わらぬ様子で、今日も豊満な胸元(偽物)を強調しているのはエイミだ。


「ほんと聞いてよ、恋人ちゃん」


 エイミはシアのことを「恋人ちゃん」と呼んでいる。


「っていうか、本当に相手がジェイでいいの? 後悔しない? この男から逃げるなら、このあたしが手を貸してあげるわ」

「とか言いながら、俺とシアの仲を引き裂きたいだけだろ?」

「あら、ばれちゃった? だって、ジェイにはもったいないんだもん。こんな男と別れて、あたしのところにこない?」

「どさくさに紛れてナンパするな!」

「いやぁねぇ? 冗談よ、冗談。心の狭い男は嫌われるわ、ね?」


 二人のやりとりの勢いに押され、シアはぽかんと眺めていた。


「よぅし! 良い感じに緊張も解れたみたいね」

「え?」


 今までのくだらないやりとりは、シアの緊張を和らげるためのものだったのか。


「はい、恋人ちゃん。あたしの指を見てね」


 真っ赤に塗られた爪から目が離せない。その赤い爪をゆらゆらと揺らしながら五角形を描き、さらに対角線を結んで星形を作る。そして星形はシアの額に吸い込まれていった。


「……あっ」


 記憶の波が押し寄せてきた。頭の中に降り注ぐ光が、記憶の蓋をこじ開ける。


「あぁ……」

「アリシア」


 そのまま崩れそうになるアリシアの身体を、ジェイラスが抱きとめた。

 額が熱くて、頭が割れるように痛い。


「よし、ゲット!」


 エイミがパシンっと何かを奪い取った。


「恋人ちゃんの記憶を封じていた呪具、これよこれ」


 エイミの手の中には、真っ黒い腕輪があった。


「それが呪具なのか?」


 ジェイラスが目を細くして、興味深そうに尋ねた。


「そうそう。本来はこうやって腕につけて取り外しできるみたい。だけど、今回は条件にマッチして、恋人ちゃんの身体に吸い込まれてしまったのよね」

「その条件とは?」

「それは、これから解析しないとわからないわ」


 エイミは、腕輪を人差し指に引っかけて、くるくるまわしながら部屋を出ていこうとする。


「とりあえず一時間後、ルフィを連れてくるから。それまでにヤることがあるなら、終わらせておいてね。じゃ」


 慌ただしさから解放され、一気に静けさが戻ってきた。


「……シア、大丈夫か? どこか痛いところは?」

「あ、うん。大丈夫」


 先ほどまでの頭痛も、今では嘘のように引いている。


「ラス、ごめんね」

「シア? 思い出した?」


 アリシアはコクリと頷く。


 ランドルフとクラリッサの結婚パーティーがあった三年前。彼から求婚されたあの日。そして逃げ出した翌日のことがまざまざと思い出される。


 だからといって、シアとして過ごした三年間の記憶が消えるわけでもなかった。

 アリシアは、三年前にコリンナたちと出会い、記憶を失う直前までの記憶を口にした。


「……なるほどな。モンクトン夫人が襲われたのも、馬が暴れたのも、フランクの仕業だろう。不自然すぎる。まあ、これも今後調べていけばはっきりするだろうな。それよりもシア、あのとき、どうして俺から逃げた?


 鋭い紫眼がアリシアを射貫く。


「そ、それは……ごめんなさい……」


 それしか言えない。


 三年前のアリシアは弱かった。着飾ってジェイラスの隣に立ってみたものの、彼と釣り合っているとは思えなかった。


 それにジェイラスは、他の令嬢からも声をかけられ談笑を楽しんでいるというのに、アリシアに声をかけようとする男性はいなかった。

 それもあり、自信が消失していたところにジェイラスからの言葉。


 ――俺たちの子が殿下の子を護衛する。それに憧れがあるんだ。


 だから子を産んでくれる女性であれば、誰でもいいのだと思ったこと。

 さらにジェイラスは、アリシアに対して決して好きだとか愛しているとか、言ってくれなかったこと。


「え? 俺、シアに言ってない? 好きだって」

「三年前は……」

「すまない……心の中では何千回も叫んでいた」


 今になってしれっとそのようなことを言われ、アリシアもどう答えたら良いかがわからない。


「それに、誤解を与えたならすまない。俺の子がランドルフの子の護衛……まぁ、今であればヘリオスがアンドリュー王子の護衛につくのが夢だというのは、俺にとってランドルフの存在が生きる意味だったからだ」

「それは……ラスの両親の話と関係する?」

「する。ランドルフがいなければ、俺は今、生きてはいなかっただろう。だから自分の子にも、心の支えになれるような人と出会ってほしい。だが、その相手はランドルフの子だろう。そういった願いだ。あのときは昂ぶっていたから、いろいろと言葉が足りなかったかもしれない」


 今なら彼の言葉を信じることができる。それはシアだったときの記憶によるもの。彼女は、彼の隣に立つにふさわしい女性になろうと、そう決めたから。


「三年前、気持ちばかりが先走って、何も考えずに求婚したことを後悔した」


 ジェイラスが立ち上がり、机の引き出しから小さな箱を取り出した。


「君と会う約束をしたあの日。本当はこれを渡したかった」


 小さな箱に入っていたのは、紫色の宝石がはめ込まれた指輪。


「アリシア・ガネル。どうか私、ジェイラス・ケンジットと結婚していいただけませんか?」


 真剣な眼差しに訴えられ、目の奥がツンと熱くなる。唇が震え、このまま何か言葉を紡げば、涙も一緒にこぼれてきそうだった。それでもなんとか気持ちを整え「はい」と答えた。


「この指輪を、シアの指にはめてもいいか?」

「もちろん」


 箱から取り出した指輪を、ジェイラスがアリシアの左手の薬指にはめた。だが、アリシアはすぐに気づいた。


「あっ。ご、ごめんなさい。三年経って、サイズが変わったみたいで……」


 指輪はすかすかで、これではすぐに指から抜けてしまう。


「すぐにサイズを直す。十日……十日後にやり直す! それまで俺から逃げるなよ?」

「逃げません」


 にっこりと笑って顔を合わせた二人は、軽くキスを交わした。




 ガラン、ガラン――。


 聖堂の鐘が、晴れ渡った青空に響きわたった。白い鳩の群れが輝く羽を広げ、空を舞う。

 聖堂のステンドグラスが陽光によって煌めき、祝福の光が二人を包んだ。


 ジェイラスがアリシアに結婚を申し込んで一年、いや四年が経ち、ようやく二人は結婚式を挙げた。


 その間、アリシアはケンジット公爵邸の別邸で、ヘリオスとジェイラスと共に暮らしていたが、領地に隠居したはずの公爵まで戻ってきたときには、ジェイラスもムッとしたものだ。


 それを宥めたのはアリシアで、仕事柄、家を空けることの多いジェイラスとアリシアに代わって、ヘリオスの世話を頼んでいる。いや、頼むまでもなく、公爵自らが引き受けてくれた。


 それもあってか、ヘリオスは公爵を「じいじ」と呼び、そのたびに公爵の顔がデレデレに崩れた。


「今日もヘリオスは、父にべったりだった……」


 ジェイラスが呟く声には、愛らしい嫉妬がにじむ。


「ですが……今日くらいはヘリオスのことを忘れても、罰は当たりませんよね?」


 結婚式の後は、別邸の大広間でパーティーが開かれた。今もまだ祝宴は続いているが、主役の二人は先に下がってきた。


 ヘリオスはさらに早く、公爵に抱かれて退席している。今頃二人は、仲良く夢の中だろう。


「そうだな。今日くらいは父に感謝しておくか」


 何よりも初夜と呼べるような記念すべき日なのだ。


 広間の喧騒から戻ってきた後、アリシアは侍女たちの手によって湯浴みをし、薔薇の香油で肌を磨き上げられ、透けるような薄絹の寝衣をまとった。そして寝台の柔らかなシーツに座り、ジェイラスを待っていたのだ。


「我が家の侍女たちは、腕がいいな」


 ジェイラスの視線が、アリシアの全身をゆっくりと愛でる。その目に宿る欲望に、アリシアの頬が熱くなった。


「シア……俺がこの日をどれだけ待ち望んでいたか……」


 ジェイラスの声は低く、抑えきれない情熱を帯びていた。まるで繊細なガラス細工に触れるように、彼の指がアリシアの頬をなぞる。その熱に、アリシアの身体が小さく震える。


 記憶が戻ってからというもの、毎日がめまぐるしく過ぎていった。それはもちろん二人の結婚式のためでもあるし、騎士団の仕事もあったからだ。


 ボブやコリンナには手紙を定期的に書いており、近況を伝えるのも忘れていない。

 コリンナは、アリシアの記憶が戻り、ジェイラスと結婚が決まったことを心から喜んでくれ、結婚式にも参列してくれた。


 それに今日のドレスだって、モンクトン商会が手がけたものだ。


「ラス……私も……」


 ヘリオスの母親として三年間、無我夢中で奔走していた。だけどジェイラスの前では、母ではなく女になれる。


「先に謝っておく。乱暴にするかもしれない」

「はい……」 


 彼はアリシアを求めている。劣情あふれる紫眼を見たら、アリシアの雌の部分がうずき出す。


「シア……」


 そのまま寝台に押し倒され、息もできぬほどの深い口づけに呑まれた。


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