第六章(3)
「忘却の呪詛には呪具が必要で、その呪具が私の中にあると。フランクはそう言っているのですか?」
「ええ、そういうことです」
そしてその呪具を取り返すために、シアをヘバーリアへ連れていきたいようだ。
「だったら、私をここまで連れてきたように、気を失わせて、無理やりヘバーリアに連れていけばいいのでは?」
それが疑問だった。わざわざ王都内の宿を中継点にする理由がわからない。シアの中に呪具があるというのであれば、命を奪ってでも、何をしてでも取り出せばいいものを。
「僕もそうしたいとは思ったのですが。シアは呪具に守られているんです。三年前、コリンナにかけようとした忘却の呪詛が、たまたま近くにいたシアにかかってしまった……」
またコリンナだ。フランクはコリンナに忘却の呪詛をかけようとしていた。だが、なんのために? その理由がわからない。
「呪具は繊細なんですよ。あなたを殺して呪具を奪い返すことも考えたけれど、宿主が死ねば呪具も消滅する。呪具は貴重なものだから、そのために呪詛を解除して呪具を回収する方法しかないんです」
「だったら、三年前に何も知らなかった私を、そのままヘバーリアへ連れて行ったほうがよかったのではありませんか?」
「呪具の回収方法がまだ確立されていなかったのです。それがわかったのが三か月ほど前」
それはフランクが二人の関係をぐっと縮めてこようとし始めた、その時期と重なる。
「宿主を殺してはならない。宿主に魔法は効かない。そして宿主を弱らせてはならない」
だからシアが呪具に守られていると、フランクは言ったのだろう。
「あのときは焦りましたよ? まさか王太子をかばって、シアが毒矢をうけるとは……」
まさかあれにもフランクが関係していたとは。
だが、怪しい商人に裏口を教えたのはフランクで、ボブのサインが本物だと口にしたのもフランクだ。
シアはフランクの言葉を頭の中でかみ砕き、状況を整理する。
「私を王城から、誰にも気づかれずにここまで連れてきましたよね? 王城内では私にも人がつけられていたはずです。よく彼らに気づかれずに……」
ヘリオスと外に出ると視線を感じた。その視線の主をはっきりと確認はしなかったが、恐らくジェイラスがつけた護衛なのだろうと、勝手に思っていた。
「だから、呪具には呪具で対抗します。王城にいた人間が、シアを認識しないよう呪具を使いました」
「今もその呪具を?」
呪具の効果でシアの存在が認識されないのであれば、誰かが助けに来たとしても気づかれない。
「呪具だからって万能ではありません。特に、認識阻害の呪具は、効果時間と回数に制限がありますから」
シアが逃げることはないと確信しているのか、フランクはべらべらと教えてくれる。
だがシアはこういう人間を知っている。自分の知識をひけらかしたい人物。もっと注目を浴びたいという人間。
モンクトン商会では目立たず控えめなフランクだが、本来の彼の性格はこちらではないのだろうか。
となれば、彼の機嫌の良いうちに、いろいろ情報を聞き出してしまえばいい。
「もしかして、忘却の呪具も?」
「恐らくそうだろうとは言われています。ただ、シアに使ったのが初めてなので、詳しくは向こうに戻って調べないと」
「フランクは、魔法師ではないのですね?」
その質問に答えないところをみれば、彼は魔法師ではない。彼自身は魔法が使えない。
「ヘバーリアには魔法師だけでなく呪具師もいるのです」
そこでフランクがにたりと笑った。
おそらくフランクは呪具師だ。しかし、シアが記憶している限り、今ではヘバーリアでも呪具師は存在しない。呪具が禁忌に指定されてから、呪具師という呼び名も禁止されているはず。
それでも彼が呪具に精通しているのは確かである。むしろ、呪具を使っていた民族の一人ではないだろうか。
魔法師でもないシアが、呪具を扱うフランクに対抗できるわけがない。シアだって、彼がどんな呪具を持っているのかわからない。
ただ呪具の貴重性と制限を考えれば、やたらめったら使わず、ここぞというときに使う。だから、逆に脅しの材料になるのだ。
「状況は……理解しました。ただ、わからないことがあります」
「なんですか?」
「三年前、フランクが狙ったのはコリンナだということ」
あぁ、とフランクは大きく頷いた。
「理由は簡単です。コリンナはギニー国の出身ですから。これ以上、モンクトン商会とギニー国の結びつきを強くしたくなかった。だからコリンナに忘却の呪詛を使い、商会を忘れてもらうつもりだったのに……どうしてあのとき、呪具がシアに反応したのか……」
つまり、コリンナにボブを忘れさせ、離婚でもさせるつもりだったのか。
「もう一つ教えてください」
「なんでしょう?」
拒絶されなかったことに安堵したシアは、気づかれぬよう小さく息を吐いた。
「ヘバーリアで、私がこの呪詛を解いてもらった後、私をどうするつもりですか? 今のフランクの話を聞いていたら、呪具を取り出すためだけに私を生かしているようにも聞こえたので……」
むしろそうとしか聞こえない。
だが、ここで呪詛を解除した後に殺す、だなんて言われたらたまったものではない。そうであれば絶対にヘバーリアへは行かない。むしろ、そうであったとしても言葉を濁して答えるはず。
フランクは、視線を宙にさまよわせてから答えた。
「あぁ、特に考えていませんでした。そうですね、僕と結婚しますか? 本当はこちらでシアと結婚して、そのままヘバーリアに連れていく予定だったのですが。まぁ、順番がかわっても何も問題ありません」
フランクがシアに近づいたのは、ヘバーリアに連れていきたいためで、結婚はその手段だったのだろう。今の彼からは、なんの恋情も感じない。
だというのに、この場で結婚すると口にする彼の心理は理解できない。
フランクの無機質な笑みに、得体の知れない寒気が走る。
「きっと僕とシアの子なら、かわいいと思うんです。ヘリオスはちょっと生意気になってきて、手にあまるんですよね。だからヘリオスはここに置いていきます。ヘリオスがいなくてもいいでしょう? シアも若いし、すぐに子を授かりますよ?」
頭をがつんと殴られたような感覚だった。この感情が怒りなのか悲しみなのかむなしさなのか、それすらわからない。
「もし、私がヘバーリアに行かないと言ったら?」
「この期に及んで、そのようなことを言うんですか? そうですね……シアには魔法が効かないから、呪具を使うしかない。あぁ、そうだ。あの呪具なんかどうかな。男が欲しくてたまらなくなる呪具があるんですよ。馬車で移動中、ずっと僕が慰めてあげます。こう見えても僕、シアのことは気に入ってるんです」
「結構です」
シアは冷たく言い放った。
「なるほど。では、ヘバーリアまでは時間がありますから、この後のことはゆっくり考えましょう」
そこでフランクは、エスコートするかのようにシアに手を差し出した。
しかしシアは、その手をパシンと叩きつける。
「……シア?」
ひゅっとフランクの顔色が変わった。目が鋭く細くなり、危険な光を帯びる。
「あまり僕を怒らせないほうがいいのでは? 魔法がなくても僕には呪具がありますから」
「ヘリオスと引き離され、あなたに好きなようにされるくらいなら、死んだほうがマシです」
シアはフランクの背後の窓際に駆け寄り、すぐに窓を大きく解放した。明るい光が部屋に差し込み、遠くの喧騒が耳に届く。
「さようなら、フランク」
「なっ……シア! 君が死んだら呪具が……」
落ちていくシアの身体を掴もうとするフランクの手は、むなしく宙をかすめた。
シアの身体は窓の外へと傾き、陽光の中に溶けていく。