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第六章(1)

 ヘリオスの小さな身体が震え、泣きじゃくる声を抑えるのに、ジェイラスは心を痛めた。それでもなんとか彼をなだめ、侍女に託す。

 今頃、アンドリューと一緒に遊んで、おやつを食べているだろう。


 窓から穏やかに午後の光が差し込むものの、ランドルフの執務室内には重々しい空気が漂う。

 ジェイラスはランドルフの前でうなだれた。


「大変、申し訳ございません……」

「ジェイラス。私はあれほどおまえに言っただろう? アリシア嬢の記憶は機密事項だ。狙われる可能性が高いと」


 その声はいつもと異なり、腹の底から響く低く重いものだった。抑えた怒りに、ジェイラスの背筋も冷たくなる。


 だが、大げさに息を吐いたランドルフは肩をすくめ、話にならないとでも言わんばかりに首を振った。


「まさか、王城内で堂々と彼女をさらうような人間がいるとは、誰も思わないだろう? まして、このことは一部の人間しか知らない」


 それゆえ、ここに集められたのは、エイミ、ホーガン、そしてブルーノと、アリシアに近しい者ばかり。テーブルを囲んで座る彼らの表情は、緊張に満ちている。


「私のほうでも見張りをつけていたが、それすらかいくぐってアリシア嬢がいなくなったわけだ。認識阻害の魔法でも使われたかもしれないな」


 ランドルフの言葉に、ジェイラスは静かに拳を握りしめる。


 そもそも王城内に出入りできる人間は限られている。だから庭を解放しているし、そこに出ることをアリシアに許可した。


「あれじゃない? やっぱりジェイのことが嫌になって逃げだしたとか?」


 エイミの明るい声が響き、ジェイラスは彼を睨みつける。


「まぁ、三年前もジェイラスのところから逃げている前科があるからな」


 ランドルフの言葉を聞いたジェイラスは、奥歯を噛みしめた。


「なるほど。三年前のあれはそういうことか……」


 ブルーノが腕を組み、当時を思い出すように目を細くする。


「いや、だが。三年前の彼女は追いつめられたような、切羽つまった様子で騎士団を辞めると言っていた。今の彼女からは、そんな様子は伝わってこなかった。それに息子がいるだろう? 息子を置いてまで、彼女が逃げるとは考えにくい」


 ブルーノの冷静な分析に、ジェイラスはわずかに安堵した。だが、エイミが再び茶々を入れる。


「息子を置いて逃げるほど、ジェイが嫌になったとか?」

「師匠はお口チャックでお願いします」


 ホーガンがやんわりとエイミを注意すると「あっ?」と濁った太い声で睨み返す。まとまるはずの話が、どんどん脱線していく。


「まあ、いい。とにかく、アリシア嬢がいなくなった。それが問題だ」


 ランドルフが話を締め、他の四人は姿勢を正した。


「殿下。本日、王城に出入りした人間の名簿を確認させてください」


 ジェイラスが言えば「それが無難だな」とランドルフも呟く。


「今のアリシア嬢は、我が国にとっての重要人物だ。歩く機密だと思っていいだろう。しかも無自覚だ。無自覚ほど、恐ろしいものはないのだよ。ジェイラスは何がなんでもアリシア嬢を探し出せ。だが他の者に知られてはならない。わかっているな?」


 騎士団の人間がいなくなったこと。第二騎士団が諜報を担っていること。そしてアリシアが記憶を失っていること。

 どれも公にできない情報だ。だからジェイラスは単独で動く必要がある。


「御意」


 答えたものの、ブルーノが遠くを見るような目をした。


「何か、気になることが?」


 ジェイラスが尋ねると「いや」とブルーノは首を横に振る。


「今は、アリシア・ガネルの身を一番に考えよう。貴殿が動くとなれば、近衛のほうが心配だが。まぁ、チェスターがいるから問題はないのだが……」


 ブルーノの語尾が沈んでいき、ちらちらとランドルフを横目で見やる。


 ジェイラスの役目はランドルフの護衛という名の監視だ。そのジェイラスが抜ければ、ランドルフの破天荒な行動を抑える者がいなくなる。そうなったとき、副団長のチェスターがその穴を埋める。


「ブル、心配しないで。今、髪の毛が元気になる魔法をね、開発している途中なの。だから、うまくいったらチェスターに使ってあ・げ・る」


 ランドルフの命令によりジェイラスがアリシアを探すことで、チェスターの髪が危ぶまれている。

 だが、エイミの魔法がそれのとどめを刺しそうで怖かった。


「ホーガン。エイミを頼んだ……」


 ジェイラスが切実な声で訴えるが、ホーガンもふるふると首を横に振った。先ほどのやりとりを見ても、彼がエイミにかなわないのはわかっている。


 だがジェイラスとしてはチェスターの髪よりもアリシアのほうが重要だ。これでアリシアを探す許可が下りたから、堂々と動けるはず。


「では、俺はアリシアを探しに動きます」


 ジェイラスは静かに席を立つ。


 向かう先は正門。ここで城内に出入りした者の名簿を確認する。

 国王との謁見を求める貴族、王城勤めの夫に会いに来た妻、など。だが、この名簿にアリシアとつながりそうな名前は記載されていない。


 となれば、次に確認すべき場所は裏門。ここは王城への出入り業者が使うところだ。木箱や麻袋が積まれた荷馬車が行き交う。

 ジェイラスが名簿を確認したいと言えば、門番も疑うことなくそれを差し出した。


「いつもと変わりはないか?」


 出入り業者は許可制であり、一定の周期で許可の見直しが入る。


「はい。特に変わったことは……」


 門番が言うように、ここに記載があるのはジェイラスも知っている業者ばかり。


「あ、少しだけ気になったことがあるのですが……」

「どんな些細なことでもいい。おまえが気になったというのであれば、言ってみろ」

「あ、はい」


 ジェイラスに促された門番は、記憶を探るようにして言葉を紡ぎ出す。


「三日前にもモンクトン商会が魔石を納めに来たのですが」


 話を聞きながら名簿を確認すれば、彼の言う通り、三日前にモンクトン商会が来ていた。


「今日も来ています。ただ、来られた方が三日前の方と違っておりまして。それが気になりました」


 王城に出入りしているモンクトン商会の人間は、王都支店の者だろう。


「いつもの者と今日の者の身体的特徴を聞いてもいいか?」

「はい」


 門番がつらつらと特徴を口にし、ジェイラスはそれを頭に叩き込む。

 念のため、ボブに連絡をとったほうがいい。となれば、騎士団の鳩を使うのが無難だ。


「ありがとう、助かった」


 門番に軽く礼を告げたジェイラスは、次に鳩小屋に足を向ける。

 だが、ピーチクパーチクと鳩が騒がしく、うるさい。


「何があった? 鳩を借りたいのだが。サバドに手紙を送りたい」

「ケンジット団長」


 伝書鳩は第二騎士団の管轄だ。管理する騎士が困った顔で答えた。


「いつもの脱走癖のあるアリシアの鳩ですよ。ふらっといなくなったと思ったら、戻ってきて……。ほら、あそこに手紙があるんです」


 アリシアの鳩といえば、ぽっぽちゃんだ。ジェイラスの心がざわつく。


「手紙を取ろうとしたのに、ああやって暴れまくっていて……」

「どうした? 手紙を寄越せ」


 ジェイラスが腕を出すと、ぽっぽちゃんはそこに降りてきた。右足に結ばれた通信筒。これに手紙が入っているのだが、右足は王都へ手紙を送りたいときだと、以前、アリシアが言っていた。


 となれば、これは王都に届いた手紙。いや、相手がぽっぽちゃんと考えれば――。


 やはりアリシアからの手紙だった。


 さらわれたから助けを求めているのかもしれない。

 そんな気持ちのまま、手紙を開けるが、そこに書かれていた内容は、ジェイラスの期待を裏切るものだった。


【今までありがとうございました。

 私のことは、忘れてください――シア】


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