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第三章(5)

 ボーン、ボーン、ボーン……。


 時を打つ柱時計の重厚な音が、遠くから響いてきた。


 はっと目を開けたシアは、ここはどこだと思案する。部屋は明るい。それに見たことのある部屋だ。

 どうやら自分は寝台で横になっていたようだ。身体を起こそうとしたとき、ズキリと肩が痛み、身体は鉛のように重い。


「うっ……」


 予想外の痛みに、シアは息を呑んだ。


「お目覚めですか? シアさん」

「あ……サマンサさん……」


 サマンサはモンクトン家で働く年配の侍女だ。コリンナがギニー国から連れてきたと聞いている。コリンナが嫁いだばかりの頃は、ボブに対して不満を隠さなかったサマンサだったが、彼の誠実さとコリンナへの深い愛情を目にするうちに、この屋敷での生活を受け入れるようになったらしい。


「あっ……」


 シアの足元にしがみつくようにして、ヘリオスが眠っていた。幼い寝息が、部屋の静けさに溶け込んでいる。


「フランクさんがヘリオス坊ちゃんを連れてきたのですが……シアさんから離れなくて。仕方なく、そのままにしておきましたら、眠ってしまわれたようです」


 ここはモンクトンの屋敷にある客室だ。シアが今のアパートメントに移り住む前に使っていた部屋。


「今は、何時でしょう?」

「えぇ、夜の十時です。シアさんは三時間ほど、眠っておられました。着替えは私のほうでさせていただきました。その……服がやぶけておりましたので……」


 サマンサが言うように、シアはガウンを羽織っていた。肩の傷を覆う包帯が、ガウンの下でかすかに感じられる。


「何から何まで申し訳ありません。ありがとうございます」


 シアが礼を口にすると「とんでもございません」とサマンサは笑顔で返す。


「今、人を呼んできます。起きたら、薬を飲ませたいとおっしゃっていたものですから」


 サマンサの話を聞いて、シアも記憶を探った。


 フランクにヘリオスを預け、モンクトン商会の屋敷にやってきた。そこで晩餐会が行われている大広間に行き、刺客に狙われた王太子をかばい、肩に矢がかすった。かすっただけだから、大した怪我ではないと思っていたのだ。


 犯人を捕まえるべく二階のギャラリーへ向かったところまでは覚えているが、そこからパタリと記憶がない。


(やはり、毒……)


 ランドルフに向かって放たれた矢には、毒が塗られていたのだ。傷が浅かったからと油断していたところ、毒が身体に回ってしまい、気を失ったと考えるのが無難だろう。


 遠慮がちに扉を叩く音がした。


「はい」


 扉がゆっくりと開き、廊下の薄明かりが室内に入り込む。逆光の中に立つ人影が、魔石ランプによって照らされた。


「ジェイラス……さん?」


 部屋に現れたのは、なぜかジェイラスだった。王太子の側では冷静沈着な表情をしている彼だが、今はその顔には焦りが浮かんでいた。


「目が覚めたようでよかった。傷はどうだ? 痛まないか?」


 その声には、どこか安堵の色もにじむ。


「あ、はい。大丈夫です。ご迷惑をおかけしたようで……申し訳ありません……」

「いや……こちらも、侵入者に気がつかなかった。君がすぐに動いてくれたから、殿下はかすり傷一つ負わなかった」


 そこまで言ったジェイラスの視線は、真っすぐにヘリオスを捉えている。彼は、子どもが好きなのだろうか。昨日の子どもたちへの指導からも、そんな様子が感じられた。


「息子です。そこで眠ってしまったみたいで」

「なるほど。君の側を離れたくなかったのだな? このままでは風邪を引く。隣に寝かせよう。だが、先にこれを飲んでくれ。解毒剤だ」


 ジェイラスの手にはどろりとした緑色の液体が入ったカップが握られている。見るからに不快な色で、思わず顔をしかめてしまう。


「そんな顔をしないで、飲んでくれ」


 どうやら嫌悪感が顔に出てしまったらしい。ジェイラスが困ったように眉をハの形にしつつも、口元には微かな笑みを浮かべている。


「あ、はい……いただきます。本音を言えば、ものすごく飲みたくないのですが。これ、苦いですよね?」


 そう口にして、シアは既視感を覚えた。だが、記憶のあるかぎり、このような解毒剤を飲んだことはない。飲むような事態に陥ったのは、今回が初めてだから。


 だというのに、この薬は苦いと頭の中で誰かがささやいている。


「まぁ、美味いものではないな。薬が美味かったら、飲み過ぎてしまうだろう? だから適量を飲むように、わざと不味く作られている」

「なるほど。薬の飲み過ぎもよくないですよね。では、いただきます」


 シアは少しだけ躊躇ってから、一気にカップの中身を飲み干した。息を止めて、できるだけにおいも嗅がないように、ゴクリゴクリと喉を鳴らして飲む。


「うっ……やっぱり、不味いです……」


 涙目になって訴えるシアに、ジェイラスはあたたかな眼差しを向ける。そして空になったカップをひょいと奪って、テーブルの上に置いた。


「この子の名前を聞いてもいいか?」


 シアにしがみついているヘリオスを、ジェイラスは抱き上げようとした。


「ヘリオスといいます」

「ヘリオス……」


 ジェイラスがその名前を小さく呟く。その声には、どこか切なさが混じるような響きがあった。

 彼はヘリオスの小さな身体を軽々と持ち上げたが、その動きでヘリオスが握っていた掛布が一緒に持ち上がってしまう。


「あっ」


 ガウンの裾がはだけ、シアの白い足が露わになった。


「す、すまない……」


 ジェイラスは慌ててヘリオスをシアの隣に戻し、赤くなった顔を隠すように視線を逸らした。ヘリオスの小さな手がしっかりと握る掛布をそっと解き、シアの足の上にふわりとかけるものの、その仕草には気遣いと緊張感が漂っていた。


 ジェイラスはヘリオスを見つめ、慈しむような視線を注ぐ。


(あれ……?)


 そんなジェイラスを見て、シアの胸がドクンと大きく跳ねた。


(ジェイラスさんの目の色……やっぱり、ヘリオスと同じよね……)


 あまりにもジェイラスを見つめてしまったようで、彼もシアの視線に気づき、目が合った。

 吸い込まれそうな深い紫色の瞳が、シアすら知らないシアを見ているかのよう。


「ジェイラスさん……?」


 これ以上彼に見られたら、本心をすべて暴かれそうで怖い。


「す、すまない……あ、その……昨日のことだが……」


 ジェイラスの顔がみるみる赤くなり、彼の声はどこかうわずっている。まるで、伝えたい言葉が喉に詰まり、出口を見つけられないかのよう。


 だが、彼はコホンとわざとらしい咳払いをして、表情を立て直した。


「いや、怪我をしている君に言うことではないな。まずは、ゆっくりと休んでくれ。使われた毒の種類は、こちらで把握している。傷口にも解毒薬を塗ったが、今晩は熱が出るかもしれない。苦しいときは遠慮せずに、そのベルを鳴らしてくれ」


 彼が示したのは、使用人を呼ぶための小さな銀のベルだった。


「え、と。ジェイラスさんが?」

「ああ、俺が控えている。だから安心して眠ってくれ。お腹は空いていないか?」


 そう言われると、夕食も食べずにここにやってきたのだ。だが、不思議と空腹を感じなかった。


「はい」

「そうか。だったらもう寝なさい。灯りは俺が消しておく」


 子どもをあやすような言い方だが、シアはその言葉に素直に従うことにした。

 頭の奥がズキズキと痛み、瞼も重くなっていた。


「はい。ありがとうございます。おやすみなさい」


 シアは身体を横にして、目を閉じた。


 室内はシンと静まり、時を刻む音がどこからか聞こえてくる。その音が、シアを夢の世界へと誘うかのよう。


 人が動く気配がし、カチリと魔石ランプの明かりも消えた。闇が部屋を包み込み、静かに扉が閉ざされる音が響く。ジェイラスの足音が遠ざかり、シアは深い眠りに落ちていった。


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