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第三章(4)

 モンクトン商会の屋敷からシアの住むアパートメントまでは、歩いて十分もかからない。傾きかけた太陽が長い影を落とす。


 ヘリオスはシアの腕の中でうとうととしており、眠くて不機嫌だったのではと思えてしまうほど。


「眠っているようですね。かわりましょうか?」


 フランクがヘリオスの顔をのぞき込む。


「すぐそこですから、大丈夫です」


 歩くたびにずり下がってくるヘリオスを抱き直し、シアは答えた。


「子どもの寝顔っていいですよね。見ているだけで心が和みます」


 フランクの言葉に、シアも同意する。


「私も、この顔に何度騙されたか、わかりません。子どもって悪魔のような天使ですよね。大人を振り回すだけ振り回して、最後はニコッと笑ってごめんなさいなんて言われたら、許すしかありませんよ」

「わかります。シェリーお嬢様は、その辺の使い方上手ですよ。僕たちも、コロッとやられてしまいますから」


 シェリーの愛嬌は両親譲りだろう。ボブにも似ているし、コリンナにも似ている。


 そう考えると、シアはふと虚しくなるのだ。

 ヘリオスの父親は、いったいどのような人物なのだろう。どうして側にいないのか。


 コリンナは『シアは実家に帰るところだったみたい』と、そう教えてくれた。


『だけど、その実家がどこかは聞いていなかったの。せめてご家族にシアが無事であることを、伝えられたら良いのだけれど』


 どこかでシアの家族は暮らしているのだろう。だが、ときどきこの世界にヘリオスと二人きりで取り残されたような気がして、心が乱れることもあった。

 記憶がないというのは、それほど心細いものなのだ。


「あ、今日の授業内容は、日誌に書いておきましたので」


 急に黙り込んだシアを不安に思ったようだ。フランクが明るい声をあげた。


「それから。昨日、騎士の方々からびっちりと剣術を習ったせいか、子どもたちが『身体が痛い』と言っていたんです。だから剣術の時間はなしにして、今日はゆっくりと休むように言いました」


 フランクがあの時間にモンクトンの屋敷にいた理由がわかった。今日はいつもより授業の時間が短かったのだ。


「そうなんですね。昨日は子どもたちもはしゃいでいましたから。無理をしたところで、怪我をしてしまいますからね。休むときは休む。それも必要なことですよね」


 そうやって学校の子どもたちの話をしていると、自宅に着いた。

 ヘリオスはシアの腕の中でぐっすりと眠っている。


「リオを預かりますよ。眠っているみたいですし」


 フランクの言葉に甘えて、ヘリオスを彼に預けた。自由になった手で家の鍵を開ける。


「ありがとうございます、フランク……あ、あの……」


 彼からヘリオスを受け取ろうとしたところで、シアは意を決する。


「よろしければ、その……夕食、食べていきませんか? たいしたものはお出しできないのですが……」

「あっ……え、と……」


 フランクも突然の誘いに驚いたのか、口をぱくぱくさせている。


 シアとしては、送ってくれたり、ヘリオスと遊んでくれたりするフランクへのささやかなお礼のつもりだった。


 断られても仕方ないと思いながら、自分でも大胆なことを口走ったと後悔し始めていた。

 しかしフランクが「あ、はい。ぜひ!」と誘いに応じてくれたので、少しだけ胸が軽くなる。彼の優しさに感謝しつつも、恋愛には踏み出せない自分を感じた。


「どうぞ、中に。リオ、重いですよね。そこのソファに寝かせてもらって大丈夫です。すぐにご飯の準備をしますから」

「はい!」


 フランクを居間に案内したシアは、白い腰エプロンをつけてキッチンに立った。キッチンと居間はつながっており、居間の向こう側の扉が寝室へと続く。


 ヘリオスと二人で暮らすには、過不足ない間取りである。


 シアは慌てて夕食の準備を始めた。ヘリオスが眠っているうちにという気持ちと、この時間に寝ていたら、夜は眠れないのではという思いが交錯する。


「あ、ごめん、シア。リオ、起きたみたい」


 フランクの声につられてヘリオスを見やると、彼はぱっちりと紫の瞳を大きく開けていた。その眼差しになぜかシアの心はかき乱される。


「フラン! おうち、いる。フラン、あそんで」


 やはり先ほどまで機嫌が悪かったのは、眠かったからなのだろう。ぱっと目を覚ましたヘリオスは、今度はフランクにかまってもらいたくて仕方ないらしい。


「フランク。すぐにご飯の準備をするので、ヘリオスをみてもらってもいいですか?」

「もちろん。おいで、リオ。ご飯ができるまで遊んでようか。何して遊ぶ?」


 ヘリオスをあやすフランクの笑顔に、胸が熱くなった。


 それに、食事の用意をしながらヘリオスの様子を気にしなくていいというのは、気持ち的に楽だった。

 今日は、港へ行ったときに、馴染みの商人からベリーのジャムをもらっていた。それから干し肉も。


(パンはまだ残っているし。干し肉はシチューにして……)


 料理のために火を起こすのも、魔石を使う。また食料保存にも魔石を用いれば、長期保存も可能となる。それだけ魔石は生活に根ざしていた。


(魔石……)


 火をつけるために魔石を手にして、シアははっとする。

 ボウッと音を立てて、かまどに火がついた。


(ボブが、魔石が足りないと言っていたから、彼に頼まれて王都の支店へ連絡した。コリンナだって、魔石も香辛料も今日の晩餐会に間に合ってよかったって言っていた……)


 となれば、帰りにすれ違ったギニー国の商人はなんだったのか。


(ギニー国の商人だけど、見たことない人……共通語には訛りがあったけれど……?)


「あっ!」


 思わずシアは声をあげてしまった。


(あの訛りはギニー国ではない。ヘバーリア国の訛りだ)


 つまりあの商人はヘバーリア国の人間だったのだ。


(なんでヘバーリアの人が、モンクトン商会に商品を持ってくるの? そんな取引していたかしら……。いえ、あの商品はモンクトン商会で扱っているものだったわ……って)


「フランク!」


 シアは慌ててエプロンを外した。


「かまどの火が消えたら、ヘリオスに夕食をお願いしてもいいですか?」

「え? シアは?」

「ごめんなさい。私、モンクトンの屋敷に戻らないと」

「忘れ物? それなら僕が取りに行きますよ」


 シアは首を振った。


「ごめんなさい。今は説明している時間も惜しいのです。フランクならリオを安心してまかせられるから……。リオ、ママはちょっとお仕事を思い出したの。だからフランクと一緒にご飯を食べていて。すぐに帰ってくるから。リオはお利口よね?」

「リオ、おりこうよ。フランとごはん、たべるよ」


 ヘリオスも幼いなりに何かを感じ取ったのだろう。フランクの腕をぎゅっと掴んでいた。


「わかりました。シアがいない間、僕が責任をもってリオをみていますので。行ってきてください」

「ありがとうございます」


 フランクにヘリオスを任せておけば安心だ。夕食の指示だけして、シアは家を飛び出した。


 先ほど歩いて帰って来た道を、今度は全力で駆け抜ける。


「くるっぽ」


 いつの間にか、ぽっぽちゃんもシアについてきていた。


「ぽっぽちゃん! 会長のところに行って。ヘバーリアの人間があそこに入り込んでいる」

「くるっぽ」


 返事をしたぽっぽちゃんは、バサバサと羽根を鳴らし、シアの前を飛んでいった。


(香辛料も魔石も、在庫が足りなかったのは、知らないうちに盗まれていたから。盗んだものを使ってギニー国の商人になりすまし、ヘバーリアの人間が晩餐会に潜り込もうよしている)


 ヘバーリア国はユグリ国とは陸続きの隣国である。和親条約も結んでおり、敵対しているわけではない。


(どうしてヘバーリア国の人間が? 国というよりは個人で動いている?)


 呼ばれもしない晩餐会に図々しく出席するような、そんな非常識な国ではないはずだ。となれば、国ではなく個人、もしくは何かの組織。


(フランクは、屋敷の裏口を教えた。入り込むとしたらそこから……)


 モンクトンの屋敷が見えてきて、シアは迷わず裏口に回る。裏口から少し離れた場所に先ほどの荷車が置いてあった。だが、その荷車には荷物が積まれたままだ。


「あ、シアさん? どうされました? 帰ったはずでは?」


 裏口から入るとすぐに使用人たちの控え室があり、そこにいた一人の女性がシアに気がついて声をかけてきた。


「あの……先ほど、ギニー国の商人が、品物を運んできませんでしたか?」

「はい、納品に来ました」

「その人はどこに?」

「それが……品物の確認をしている間に、いなくなってしまって……帰ったのでしょうかね?」


 シアは眉根をぎゅっと寄せて、思案する。


「あ、では探してきます!」


 そう言ってシアはその場を離れた。

 確実にあの商人の狙いは、晩餐会だ。屋敷に入り込み、会場のどこかで息をひそめている。


「シア。ギニー国の商人を見かけなかったか? 納品の品物を会長に確認してもらっている間にいなくなってさ」


 今度は商会で働く男とすれ違った。


「あ、はい。私もその人を探しています。急にいなくなったと聞いたので」

「なんだ。誰かから聞いたんだな? そうなんだよ。俺、この時間に品物が届くって知らなかったからさ。念のため、会長に確認しにいったら、会長も知らないって。だから帰ってもらおうと思ったんだよ」


 これで決定した。


 間違いない。あの品物は、モンクトン商会から盗んだもの。それを利用して納品しにきた商人を装い、屋敷に潜り込んだのだ。


「あの! その人の狙いは晩餐会です。今日は、王太子殿下がいらっしゃっているから」

「え?」

「私、先に大広間へと向かいます」

「え? ちょっと、シア!」


 名前を呼ぶ男を振り切り、シアは晩餐会が行われている広間へと向かった。通路を走るシアを、すれ違う人々はあっけにとられた表情で見てくる。


 だが、なりふりなんてかまっていられなかった。


 狙いはランドルフかボブかわからない。だが、どちらもこの国にとっては、重要な人物だ。今、どちらかが亡くなれば、この国の経済は大きく傾く。


 早く彼らのところへ行かなければ。


 大広間の扉の前には、ランドルフの護衛の騎士が立っていたが、ジェイラスではない。彼は近衛騎士団長といっていたし、もっと王太子に近い場所で護衛についているのだろう。


 今は見張りの騎士に状況を説明する時間すら惜しい。

 シアは、使用人たちが使う裏の出入り口へと回る。


「あら、シア?」


 料理を手にしている給仕の女性は、突然、姿を現したシアに驚きつつもにこやかに声をかけてきた。


「もしかして、手伝いにきてくれたの?」

「シッ! 私のことは気にしないでください」


 唇の前に指を立て、無視するようにと指示を出す。シアの真剣な表情に、彼女もコクコクと頷き、料理を手にしたままそこに立ち尽くす。


 向こうからは見えないように柱の影に立って呼吸を整えたシアは、大広間を見渡した。


 大きなテーブルを囲んでボブとランドルフが歓談に耽っている。コリンナとシェリーの姿も見えた。それからモンクトン商会の幹部たちも、グラス片手に語り合っている。


 吹き抜けの大広間の二階はギャラリーになっている。そこにモンクトン商会で扱っている商品を並べているのは、宣伝も兼ねているため。


 大広間の隅にはランドルフの護衛の姿がちらほらと見えたが、侵入者に気づいている様子はない。


 それよりも先ほどの商人風情の男は本当に侵入者なのか、本当にここに現れるのか、杞憂であったらいいと、シアはそんなことを願う。


 しかし、ギャラリーのカーテンが不自然に動いたのをシアは見逃さなかった。

 その位置から王太子が座る場所まで、遮るものは何もない。


「殿下、伏せてください」


 シアが飛び込むと同時に、二階から矢が放たれた。

 何が起きたのか把握できていないランドルフは驚き、シアを見た。


「殿下!」


 ジェイラスが声を張り上げ、ランドルフの元に駆けつけようとしているが、間に合わない。


「侵入者だ」


 誰かが叫んだ。


「殿下! 危ない!」


 シアは跳躍してランドルフに覆いかぶさり、椅子ごと倒した。


「くっ……!」


 肩に微かな痛みを感じたシアは顔をゆがめたが、すぐに王太子の様子を確認する。


「殿下、お怪我はございませんか?」

「えぇ、問題ありません。あなたが身体を張ってかばってくれたおかげです」


 その事実に安堵しつつも、矢がかすった肩がじんじんと熱を持ち始める。


「殿下、安全なところに」


 騎士の一人がランドルフの手を取り、立たせた。


「殿下、申し訳ございません。別室に案内いたします」


 ボブは落ち着いているように見えるが、その顔は青白い。


 指示が飛び交う中、ランドルフを彼の護衛に預けたシアは、一気に階段を上がってギャラリーへと向かう。


 そこにはすでに何人かの騎士がいたが、それよりもぽっぽちゃんが侵入者をくちばしで攻撃している。

 侵入者はヘバーリア語で、ぽっぽちゃんに向かって悪態をついていた。


 以前にもこんな光景を目にしたような気がする。ぽっぽちゃんが悪党をこらしめる姿だ。


「取り押さえろ!」


 ジェイラスの言葉に、その場にいた騎士たちが侵入者を拘束した。

 それを見送ったとたん、シアの目の前が真っ黒に染まる。


「アリシア!」


 知らない名を叫ぶジェイラスの声に、シアの心は一瞬ざわついたものの、そのまま意識を失った。


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