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第二章(6)

「シア先生」


 教室の入り口に、一人の女の子がひょこっと顔をのぞかせた。


「ちょっとわからないところがあって、教えてほしいのですが……」


 女の子はシアとランドルフを交互に見つめている。シアに声をかけてみたものの、ランドルフまでいるとは思っていなかったと、そんな仕草にもみてとれる。どうしよう、と困っているようだ。彼女はまだ幼いが、それでもランドルフがこの国の偉い人という認識はあるのだ。


「話は終わりましたから。シア先生をお返しします。では、また後ほど」


 優雅に微笑むランドルフは、護衛を引き連れて教室を出ていった。最後の一人が部屋を出るまで、シアは視線でその姿を追う。


「シア先生?」


 声をかけられ、現実に引き戻された。


「あ、ごめんなさい。それでわからないところってどこかしら?」


 それからシアは、彼女が納得するまで丁寧に付き合った。


 昼休憩を挟んで次の授業に入る。この間、王太子一行は他の場所を見学し、剣術の授業に合わせてこちらに戻ってくるらしい。


 そういった緊張感もあったせいか、昼食時に食べたパンの味がシアにはよくわからなかった。


 十歳以上の子の授業はいつもと同じように過ぎる。しかしその授業が終わりにさしかかろうとしたとき、ざわざわと教室の外が騒がしい感じがした。


 子どもたちもそれに気がつき、どこかそわそわとしている。王太子が剣術の授業を見学に来るというのは、この授業が始まる前に伝えた。だから、いいところを見せようと意気込む子もいるが、逆に緊張してしまう子は、剣術の授業は受けずに帰ってもらう。


「では、今日の授業はここまでです。先ほども言いましたが、今日は剣術の授業に王太子殿下がいらっしゃいます。見学されるとのことですので、準備ができた人から外に出てください。剣術の授業を休んで帰る人は、先生に教えてね」

「起立、礼、ありがとうございました」


 やはり数人の子は、剣術の授業を受けないと言う。


「見学でもいいのよ?」


 シアがそう提案すれば、見学はしたいらしい。もしかしたら間近で王太子を見たいのかもしれない。


 今は自分に自信のない子も、少しずつ自信が持てるようになってくれるといい。それがシアのささやかな願いでもある。それは、シア自身にとっても思うところなのだ。


 剣術の授業は、養護院の裏側に広がる庭で行う。木刀を上下に振るところから始め、わら人形を敵に見立て木刀を向ける。最後に、一対一で剣を交わらせる。


「せっかくですから、彼らも指導に加わってもいいだろうか?」


 子どもたちがいっせいに木刀を振り始めたとき、ランドルフがそう言い出した。彼らとはランドルフに仕えている騎士たち。つまり騎士らが子どもたちに指導すると。そんな機会は滅多にないだろう。


「あ、はい。お願いします。子どもたちも喜ぶと思います」


 子どもたちからすれば騎士は憧れの対象。そんな彼らから直接指導してもらえるなど、光栄なことだ。

 ランドルフが騎士らに目配せすれば、彼らも子どもたちのそばへと足を向ける。


「君は小柄だから、足はこのほうがいいだろう」

「脇をしっかりとしめなさい」


 わら人形に木刀を向けたときも、彼らは子どもたち一人一人に適切な言葉をかけてくれる。そのためか、子どもたちの顔も輝いて見えた。


 一対一の模擬戦では、騎士が子どもたちの相手をしてくれた。もちろん、騎士らは子どもたちの実力を把握して手加減をしてくれる。


「是非とも、騎士団に入ってほしい」


 そんな言葉をかけられたら、子どもたちだってまんざらではない。


「やっぱり、本物の騎士様は先生とは違うよな」


 額に汗を光らせながら、誰かが言う。


「先生って、騎士様より強いのか?」


 肩で息をしつつ、誰かが答える。


「だって、先生って女じゃん。騎士様のほうが強いに決まってる」


 一人が口にすれば、それに同調する者が現れ、やいのやいのと言い合い始める。


「先生も騎士様と模擬戦してみてよ」

「そうそう。僕たちばっかりじゃなくて」


 それは決してシアを陥れようとしているわけではなく、純粋に興味本位からだ。

 やれやれ困ったな。それがシアの本音だ。


「シア先生。子どもたちもこう言っていることですし、是非ともお手並みを拝見させていただけないでしょうか?」


 まさかランドルフからそのようなことを言われるとは思ってもいなかった。しかし、王太子から言われてしまえば断れないだろう。


「殿下っ!」


 騎士の一人が止めに入るが、ランドルフは首を横に振ってそれを制す。


「おまえがいけ、ジェイラス」

「殿下」

「これは王太子命令だ」


 ランドルフと彼の騎士の間にも不穏な空気が漂うものの、シアはただそのときを待つしかない。


「承知しました……」


 うなだれたように言葉を発する騎士は、ちらちらとシアを見つめてくる。


「シア先生。彼は近衛騎士団長。シア先生の相手として不足はないと思います」

「そ、そんなご立派な方……」


 むしろ恐縮してしまう。


「ですが、子どもたちは期待していますからね。その期待に応えましょう。それも指導する者の役目ですよ」


 からりと明るく王太子は言ってのけたが、当事者となるのはシアだ。


「よろしくお願いします」


 相手の騎士に向かってシアは深々と頭を下げる。


「あ、あぁ……よろしく……」


 彼が手を差し出してきたので、シアも握手を返す。ぎゅっと力強く握りしめられ、彼はなかなかその手を放そうとしない。


「あの……?」


 見上げれば、深い紫色の瞳と視線が合った。

 先ほどから執拗にシアを追っていたのはこの視線だ。


「す、すまない」


 なぜか慌てたように彼はぱっと手を放した。

 シアは両手で剣を構えて、ジェイラスと対峙する。上背もあり肩幅もがっちりとした彼と向かい合えば、シアの小柄さがより目立つ。力でぶつかり合ったら負ける。


「では、始め」


 号令をかけてきたのもランドルフだ。どうやら彼は、この試合の判定員を行うつもりらしい。


 シアは重心を低く落とし、鋭い眼光でジェイラスの動きを捉える。頭の中で瞬時に戦略を組み立てる。力では敵わない。ならば、速さで隙を突くしかない。


 ジェイラスもまた、木刀を構え、シアの出方をうかがっている

 子どもたちは息を殺し、固唾を飲んで見守る。


 ひゅぅっと風が二人の間を切り裂いた瞬間、シアが動いた。地面を蹴り、一気に間合いを詰める。


 バシッ!


 木刀が激しくぶつかり合い、鈍い音が庭に響く。


(重い……!)


 シアの腕に衝撃が走り、木刀がわずかに震える。

 だが、シアは冷静だった。相手が力を込めて押し込もうとした瞬間、木刀を滑らせ、横に流す。


「……くっ」


 少しだけバランスを崩したジェイラスだったが、すぐに踏みとどまる。


(やっぱり……読まれていた……)


「どうした? もう、終わりか?」


 シアを挑発するような言葉だ。


「もっと打ってこい。子どもたちへの模範でもある」


 頭に血が昇りつつあったが、その言葉で冷静になった。これは模擬戦でありながらも、子どもたちへの指導の一つなのだ。


 軽やかに一歩踏み出し、バシッと木刀をぶつける。それも続けざまに。


 バシッ、バシッ、バシッ――。


 どこに打ち込んでも、ジェイラスは止めてくる。


「では、こちらからも攻める」


 彼が大きく振りかぶったところ、シアは両手で木刀を支えた。


 バシンッ――!


 今までで一番の衝撃がくわわり、足を引いた。


(強いっ)


 やっぱり力では敵わない。もう一発攻め込まれたときに、その打撃に負けてシアは後ろに倒れ、手から木刀が離れた。


「そこまで」


 ランドルフの声で、模擬戦は終わる。

 一瞬、庭は静寂に包まれた。だが、すぐに子どもたちの歓声と拍手が爆発する。


「すげー」

「先生、かっこいい」


 負けたのに、子どもたちからそのような声をかけられるとは思ってもいなかった。

 気配を感じて顔を上げると、ジェイラスが手を差し出している。


「すまない……手加減ができなかった。いや、力を抜けば負けると思ったから……」


 大人げなかったとでも言いたげなその口調に、シアも口元をほころばす。


「いえ……騎士様が本気を出してくださったからこそ、子どもたちにも思うところがあったようです」


 そう言ってから彼の手を取った。


 剣術の授業が終わり、子どもたちはそれぞれ帰って行く。王太子がボブや院長と話をしている間、養護院の子どもたちは、そのまま騎士たちを囲んでいた。


 鍛えられた身体をベタベタと触っている様子を目にしたときは、シアもヒヤヒヤしたものだが、騎士、自ら腕まくりして筋肉自慢していたので、問題ないだろう。


 子ども好きな人たちでよかったと、そんな気持ちで満たされていた。


「シア!」


 いつもであればシアも帰る時間だからだろう。

 ヘリオスを抱いたフランクがシェリーを連れて迎えに来ていた。


「ヘリオスが、ぐずってしまって……」


 だからママのところにいこうと、フランクが連れ出してくれたらしい。フランクに抱っこされているヘリオスは「あ~あ~」と不機嫌な声をあげている。


「リオ、泣いてばかりなの」


 シェリーも今にも泣きそうな顔をしている。


「ありがとう、二人とも。シェリー、パパとママは、今、院長先生たちとお話をしているみたい。もう少しで終わると思うから」

「シェリーはお姉さんよ? そのくらい、待っていられるわ」

「シェリーと一緒に僕がいるから。シアはリオを連れて早く帰ったほうがいいよ。会長たちには僕からも伝えておくし。それに、いつもなら帰る時間だよね?」


 フランクからシアの腕にうつったヘリオスだが、泣いていたのは一目瞭然で、頬に乾いた涙の跡があった。


「もう、リオ。どうしたの?」


 鼓動を感じるようにヘリオスを抱き寄せると、少しは落ち着いたのか、声色が変わった。


「どうやら、ママがいなくて寂しかったみたいだね」


 フランクの言葉も間違いではないようだ。ヘリオスはシアの服をぎゅっと握って、離れまいとしている。


「フランク、いろいろとありがとう。では、私、先に帰りますね」

「うん、では、また」


 フランクとシェリーが手を振って見送ってくれた。

 シアはヘリオスを抱き直して、自宅へと向かう。夕暮れの街に、子どもたちの笑い声が響いてくる。養護院の子どもたちの声だ。


「シア……」


 養護院の敷地を出たところで、いきなり名前を呼ばれた。振り返れば、先ほど手合わせをした騎士、ジェイラスが立っている。


「まま~、かえるよ~」


 シアが立ち止まったのをヘリオスも敏感に感じ取ったようだ。


「本日はご足労いただき、ありがとうございました。息子がぐずっておりますので……これで失礼いたします」


 ヘリオスは先ほどから不機嫌だ。ここ数日、街の様子がいつもと異なっていたこともあり、落ち着かないのだろう。


「待て……!」

「はい……?」


 まさか、ここで彼から呼び止められるとは思ってもいなかった。


 とにかくシアは、早く帰りたい。だけど、相手は王太子付きの近衛騎士。あからさまに、失礼な態度は取れない。


「俺はジェイラス……ジェイラス・ケンジット。俺と……結婚を前提に、付き合ってほしい」


 シアの頭の中は真っ白になった。


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