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第二章(5)

 ボブによると、王太子はひと通りの授業を見学するため、昼前に養護院に来るらしい。それから昼食時は、他の場所を視察にいき、午後の授業の後半から剣術の授業を見学するという流れになっている。


 しかも子どもたちにはいつも通りでいてほしいということから、恐らく授業の途中に後ろの扉からこっそりと入ってくるのだろう。子どもたちは背中を向けているから、偉い人たちが教室に入ってきても気づかないかもしれないが、教室全体を見渡せるシアからしてみれば、丸見えである。


 だから後ろの扉がそろりと開いて、見知らぬ者たちが教室に入ってきた様子を目にしたとき、大きく心臓が音を立てた。


 遠目から見ても、彼が王太子ランドルフであるとわかった。月光のようにきらめく銀糸の髪に、澄んだ空のような青い目。ただその場に立っているだけでも気配が異なり、ふわっとあたたかな風が花を揺らしたかのように、教室内の雰囲気が変わった。


 それに彼の両隣に立つ近衛騎士。そのうち左隣に立つ騎士と目が合った、ような気がした。濃紺の髪に紫色の瞳とは珍しい。そんなふうに思って、つい視線を向けてしまったのだ。


「……先生?」


 子どもたちの一人に声をかけられ、シアも我に返る。だが、シアが教室の後方に気を取られたことに気がついた子どもが、くるりと後ろを向く。


「あ~」


 一人が声を上げれば、次から次へと振り返り、王太子の姿を確認する。


「みなさん、静かに。院長先生もおっしゃっておりましたよね。今日はいつもと変わりません。無理してかっこいいところを見せないように、と」

「授業を中断させてしまい、申し訳ない」


 ランドルフが手をあげて、発言する。


「い、いえ……」


 まさか高貴な方が言葉を発するとは思ってもいなかった。制御できないシアの鼓動は、少しだけ速い。


「では、授業を再開します。これから問題を書きますので、それぞれ解いてください。わからないときは、手をあげて先生に教えてね」


 シアが黒板に問題を書くと、子どもたちは手元の石盤に石筆を用いて問題を写し、それを解いていく。シアは一人一人の席を見てまわり、石盤に書かれた文字を確認しては、声をかけるのだ。


「私も子どもたちの勉強をみてもいいかな?」


 穏やかな声の主はランドルフであった。どうやら彼も子どもたちが問題を解く様子を身近で見たいようだ。


 だが、そのように言われては、もちろんシアは断れない。


 それに今は二十人ほどいる子どもたちだが、シアが一人でみるよりは、二人でみたほうがもっと親身になって教えることができる。


「は、はい。是非とも」


 シアは反射的にそう答えていた。

 頷いたランドルフは、シアと同じように子どもたちのそばまでやってきて、石盤をのぞき込む。


「ここ、もう一度よく計算してみて」


 やさしく諭すような口調で、子どもに声をかける様子は王太子というよりは教師そのもの。

 身体に変に力が入るくらい緊張していたシアだが、彼のその姿をみて安堵した。


「先生。ここがわかりません」


 手を上げた男の子の元に向かおうとすると、ランドルフが目配せをしてそれを制す。どうやら彼がその子に教えてあげるつもりらしい。


 子どもと接する姿も自然とさまになっている。そういえば、二歳になった王子がいたことを思い出す。

 ふと視線を感じたシアが顔をあげると、王太子の護衛についている一人の騎士が真っすぐにこちらを見ていた。


 視線が合う。


 しかしすぐに視線を逸らしたのは彼のほうだった。突き刺すような紫眼は、なぜか幼い息子を思い出させる。


「シア先生。これで合ってますか?」


 女の子に声をかけられ、すぐに顔をそちらに向けた。


「ええ。よくできているわ。次はこちらの問題を解いてみましょう」


 いつものようにと思いつつも、そうかけた声は少し震えていたかもしれない。

 ひととおり子どもたちの様子を確認したところで「はい、そこまで」と声を上げる。そろそろ授業も終わりの時間だ。


「それでは答え合わせをしていきます」


 シアが問題の答えを読み上げていくと「やった~」「当たった」と子どもたちの喜びが響く。すべてを読み終えたところで今日の授業は終わり。


「では、今日の授業はこれでおしまいです。いつもの時間に剣術の授業もあるので、来られる人は来てください」

「はい!」

「では、号令」


 シアの言葉に合わせ、生徒の代表が「起立、礼」と声をかけたところで、授業は終わった。子どもたちが片づけをして教室を出ていくところまで、王太子たちは黙って見ている。そして最後の一人が「先生、さようなら」と声をかけて帰っていく。


「シア先生」


 黒板の内容を消し、授業で使った教科書を片づけていたときに、声をかけられ顔を向ける。


「……王太子殿下」


 シアに声をかけたのは王太子ランドルフ、その人だった。


「少しお話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」


 尊い身分の人に話しかけられ、シアは一瞬、怯んだ。


「あ、はい……で、ですが、私はモンクトン商会に雇われているので、そちらに確認しないと……」


 王太子相手に失礼なことを口にした自覚はある。しかし、モンクトン商会の一員として子どもたちに勉強を教えている以上、勝手な発言はできない。


「あなたならそう言うだろうと、会長も言っておりましたからね。先に許可は取ってあります」


 凪いだような声色は、人を魅了する何かがあるにちがいない。


「そういうことであれば……場所はここでもよろしいですか? この時間は、ちょうど子どもたちの休憩時間なので。家に帰る子は帰りますし、養護院の子は休憩が終わればここに戻ってくる子もいるのですが……」

「なるほど。つまりこの部屋は子どもたちのために解放しているのですね?」

「はい。ここは子どもたちの勉強部屋です。話を聞きたい子は前の席に座り、自分のペースで学習したい子は後ろの席に」

「だから、あそこの子たちは違う問題を解いていたのですね」


 謎が解けてすっきりしたような、そんな笑みをランドルフが浮かべた。


「ここにはさまざまな年齢の子どもたちがいますから……」

「他にも勉強ができる部屋はあるのですか?」

「はい。そこでは子どもたちが自由に作業をしています。勉強する子もいれば、本を読む子、刺繍や編み物をしている子など、いろいろですが」

「なるほど。子どもたちが学ぶための環境はだいぶ整っているようですね。ただ、子どもたちに教えることのできる教師が足りないと、そう思っていますか?」


 ランドルフの言葉に、シアは即答できなかった。王太子のことだから、足りないと言ってしまえば人員を確保してくれるだろう。


「いえ……必要なのは、子どもたちとの信頼関係です。この学校……と言えるほどのことはしておりませんが、養護院の子と近所の子と、さまざまな境遇の子がいます。私もまだ、彼らの心を掴めていないところがありまして……。彼らが信頼できる相手と出会えたとき、今以上の力を発揮できるんじゃないかと、そんな期待をしています」

「素晴らしい考えですね。それは、シア先生……あなたの経験上から?」

「あっ、いえ……あ、はい……」


 まさか話が自分のことに飛び火するとは思っていなかった。


「あなたは子どもに寄り添って、勉強を教えているように見えますが……。以前にも教師の経験がおありなのですか?」

「いえ……ここで教えるのが初めてだと思います……多分」


 最後の「多分」という呟きはシアの口の中に吸い込まれていく。だが、その言葉はしっかりとランドルフの耳に届いていたようだ。


「多分……? それは、どういう意味でしょうか?」


 背中に刺すような視線を感じたシアは、ランドルフとの話の途中だというのに振り返った。


「どうかされました?」


 そんなシアに、ランドルフは穏やかに声をかけてくる。


「い、いえ……なんでもありません……」


 気のせいだったろうか。シアの後ろにいるのは、ランドルフの護衛の騎士たちだけ。


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