第二章(4)
モンクトン商会は、単なる商家ではない。世界をまたにかけるその影響力は、国も認めざるを得ない。
商会が保有する魔石鉱山は、ユグリ国にとって軍事や経済の要となる戦略資源である。この鉱山から産出される魔石は、魔法技術やエネルギー供給に不可欠であり、国の存立に直結する。そのため、ユグリ国はモンクトン商会を野放しにはできないのだ。
さらに、商会会長の夫人が隣国ギニー国の貴族令嬢であることも、事態を複雑にしている。ギニー国との歴史的な対立を背景に、ユグリ国はモンクトン商会が他国に魔石を流出させたり、ギニー側に寝返ったりする可能性を常に警戒していた。実際、過去には鉱山の利権を巡る外交摩擦も起きており、商会の一挙手一投足が両国の緊張を高める火種になりかねない。
だからこそ今、ユグリ国はモンクトン商会の手綱を固く握ろうとしているのだ。
これが、シアの考えでもあった。
だが、面倒くさいと思うコリンナの気持ちも共感できる。なによりこれから、王太子がシアの授業を見学に来るというのだ。
そのことを考えると、気が重くなる。学校や仕事に行きたくないという人々の気持ちが、このときばかりは痛いほどよくわかった。
それでも、そばにはコリンナがいるから、幾分か気が楽だ。「シアだけでは不安だわ」とコリンナがボブに言い、夫婦二人で案内役を務めることになった。夫婦揃って協力する様子を見せれば、商会の信頼もぐっとあがるだろうというのがボブの考えでもある。そもそも養護院への出資はモンクトン商会が行っているため、実質的なオーナーなのだ。だから彼ら二人が王太子をもてなすというのは、決して間違ってはいない。
その間、シェリーとヘリオスはモンクトンの屋敷で留守番だ。
留守番といっても、たくさん遊んで美味しいお菓子を食べるだろうから、二人からの苦情は今のところ届いていない。
今だってヘリオスは、シェリーの顔を見るや否や、彼女を追いかけて屋敷の奥へと姿を消した。
「ママ、お仕事いってくるね」
その背中に声をかけてはみたものの、届いたかどうかはわからない。
ボブは今、屋敷を開けている間の仕事を部下に指示している。それが終われば養護院へと向かう予定だ。
「大丈夫? シア」
コリンナが心配そうに顔をのぞきこんできた。急に黙ったシアを不安に思ったのだろう。
「え、ええ。だけど、少し緊張してしまって。何かやらかしてしまうんじゃないかって」
「わかったわ。シアが失敗したら助けてあげる。今日はシア先生も緊張しているようですって、子どもたちに言ってあげるから」
「それは、助けるって言うんですか?」
コリンナと顔を見合わせて笑ったところで、なんとか気持ちも落ち着いてきた。
そこへボブがやってきたため、三人はモンクトン商会の馬車に乗り込んで養護院へと向かう。
歩いて行ける距離だからとシアは言ったが、今日は王太子が見学に来る大切な日。その辺で転んで服をダメにしてしまったらどうするんだ? とボブに詰め寄られ、結局、受け入れた。やはりボブとコリンナはどこか似た者夫婦だ。
馬車が進むたびに、鼓動が速まる気がする。深く息を吐いて、できるだけ冷静になろうと努めた。
養護院は修道院に併設されており、子どもたちの世話は修道女たちがしている。昼間はシアが教師として養護院を訪れる、勉強をする子と修道女と一緒に奉仕活動をする子に別れる。
また、子どもたちの年齢は、生まれたばかりの赤ん坊から成人を迎えようとする者まで幅広い。成人したら養護院を出ていかなければならないが、彼らの仕事先はモンクトン商会が斡旋している。
そんなさまざまな子どもたちに、シアが一人で授業をしている。外部からの生徒が増えたら教師を増やそうという話もあるが、今の人数ならシア一人でなんとか対応できている。ただ、授業時間は年齢別に分けている。
例えば、昼前は十歳以下の子の授業。昼を過ぎてからそれ以上の子に教え、座学が終われば剣術。剣術はすべての年齢を同時に教え、たまにヘリオスもやってくる。
そんななか、ランドルフ王太子は特に剣術の授業に興味があるらしい。
だが、シアが教える内容など、騎士を従える王太子から見ればお遊びのようなものだろう。
だからこそ気が重いのだ。
「おはようございます、今日もよろしくお願いします」
馬車から降りたシアは、出迎えてくれた修道院の院長に頭を下げた。院長はこのサバド修道院に長く従事しており、養護院の院長も兼務する年配の女性だ。
「やぁ、院長。久しぶりだね。なかなか顔を出せずに申し訳ない」
「こうして足を運んでくださったことに感謝申し上げます。子どもたちも喜びます」
「今日は、王太子殿下の授業見学があるからね」
ボブが笑顔で答える。
シアも院長には見学の件を事前に話をしていたが、子どもたちにはまだ伝えていない。
「その……子どもたちは、そういった見学があっても大丈夫でしょうか」
シアがおずおずと尋ねた。しかしその心配とは裏腹に、院長は満面の笑みを浮かべてゆっくりと頷く。
「はい。子どもたちは心配ありません。ああ見えても、状況を理解できる子たちですから。シア先生がわざわざ養護院で勉強を教えている意味も、よくわかっています。だからその間、自分ができることを精一杯やろうとする子どもたちなのです」
院長のあたたかな言葉に、シアの緊張も解けていく。
「シア先生、子どもたちよりも緊張しているみたいです」
コリンナの言葉にも、院長はやわらかな眼差しを向けてきた。
「シア先生なら大丈夫ですよ。自信をもってください」
「ほらね、シア。院長先生もこうおっしゃってることだし、あなたに足りないのは自信よ」
院長の言葉にコリンナもかぶせてきたものだから、シアは曖昧に微笑みながらも、時間を気にした。そろそろ子どもたちが集まってくる時間だ。
「では、私は子どもたちの授業に向かいます」
「今日の件は、子どもたちには私のほうから伝えます」
王太子が授業見学にくることを院長のほうから伝えてくれるようだ。
「はい、わかりました。では、私はいつもと同じように」
一礼して、シアは子どもたちが集まる教室へと向かう。これもモンクトン商会がお金を出して作った部屋だ。子どもたちが勉強できるようにと、専用の部屋を用意したのだ。
四十人ほど机を並べることができる教室。前方にはシアの授業を受ける子どもたちが座り、後方では各自が本を読んだり、計算問題を解いたりしている。授業の合間に、シアは後ろの子たちの勉強も確認する。
「おはようございます」
「おはようございます!!」
子どもたちは朝から元気がよい。
「では、今日は教科書の五十一ページから始めます」
そうやって授業を進めて三十分後、ちょうど休憩時間に入ろうとしたときに、院長と共にボブとコリンナが教室に入ってきた。
「あ~、会長だ~」
ボブの姿を見た子が声を上げると、次から次へと「会長~」「会長さん」と声が上がる。それを制するのもシアの役目。
「はい、みなさん、静かに。会長さんにきちんとご挨拶をしましょう」
すると一人の子が「起立」と号令をかけ「おはようございます」と挨拶をする。
「おはようございます」
子どもたちが一斉に声をそろえ、ボブに頭を下げた
「おはよう。みんな、元気に勉強に励んでいるようで嬉しいよ」
「着席」
ガタガタと椅子が鳴り、子どもたちはすとんと腰を下ろす。
「今日は院長先生から大事な話があります」
シアの言葉に子どもたちもしんと静まり返る。シアが院長に向かって目配せをすると、彼女はこれから王太子がやってきて授業を見学するということを伝えた。
「みなさんは緊張することなく、いつもと同じように勉強に励んでください。無理して、かっこいいところを見せようとしなくていいですよ」
院長の言葉に、どっと笑い声が起こった。






