バラと少女と霧の村
ジョルジアーノは、自分の人生を決めることの出来ない貴族の子供でした。自部の人生に嫌気がさした時たまたま隣に越してきたサーシャと出会います。ジョルジアーノは、サーシャと青春を謳歌できるはずでしたが、サーシャは忽然と姿を消し、20年後、彼の前に姿を現したのは、サーシャに瓜2つの少女でした。ジョルジアーノは、少女がサーシャであると確信しながら歳を取らない彼女に翻弄されます。不思議な村に連れてこられたジョルジアーノは、そこで生き血を吸うバンパイアを見てしまいます。どうにか家に帰ることの出来たジョルジアーノを待っていたのは・・。
イギリスのヨークシャー州に住むジョルジアーノは、15歳の空想好きな少年。今日も庭に出て空き家になっている隣の家の方を見ながら、誰か引っ越してこないかなー。と、考えている。
「可愛い女の子ならいいなあ・・・」
男爵家に生まれたジョルジアーノは、この春から寄宿舎に入ることになっている。同じ階級の子息たちと顔なじみになることが目的と、両親は言っているが、ジョルジアーノにとっては、どうでもいい理由だった。
この堅苦しい屋敷から出られるのなら、例え、一生、お菓子をもらえなくても構わないとさえ思っていた。あと、3か月の我慢だ・・・。
ジョルジアーノは今日も、気難しい、家庭教師の目を盗んで外を見降ろした。教師はいつもの大きな声で、大英帝国の如何に素晴らしいかを熱弁している。耳にタコができそうだ。
ああ、今日も曇り空か。しかしジョルジアーノの心はいつもと違い、ウキウキしていた。
とうとう、隣に誰かが越してきたらしいのだ。それも子供もいるらしい。メイドたちが噂話をしているのを、盗み聞きしたジョルジアーノは、いつその子供達と会えるかなあ。と、心躍らせていた。
メイドの話では、越してきたのは良い身なりをした家族で、真夜中に家財道具もなく、大きなトランクだけを持って館に入っていくところを、見たというのだ。
噂話が好きなメイドたちが言うには、夫婦と2人の子どもらしい姿を確認したと。前に住んでいた男爵一家の知り合いで、ここを譲り受けたとか、そんな噂だった。
(2人の子ども。僕と同じくらいかな)
ジョルジアーノは、早く会ってみたい、と考えた。なんせ、ここは暇ですることがないのだ。
ある日、いつもの曇り空の中、ジョルジアーノは庭園にでて、口笛を吹きながら、母親の好きなバラを棘に気をつけながら切っていた。
(出てくるかもしれない、そうしたら挨拶をして知り合いになろう。すぐに友達になれるさ)
「イタっ」
考えに気をとられ、ジョルジアーノは、バラの棘を指に刺してしまった。指先からは赤い血がツーと流れる。ジョルジアーノはしかめ面をして指を舐めた。
「大丈夫?」
突然、声がした。ジョルジアーノは周りを見渡した。声の主はジョルジアーノと、隣の家を隔てている方から聞こえる。ジョルジアーノが黙っていると、
まだ血が出ているわね」
ジョルジアーノは、隣の垣根からこちらを見ている声の主を見つけた。女の子だ。
ジョルジアーノは少女を見た。歳は自分と同じくらいだろうか。ドレスは、ジョルジアーノの母親が、いつも身につけている、腰を締め上げた物ではなく、風が吹くたびにフワリと裾がなびいて、風と遊んでいるような。そして、黄金の髪はほどけたままで、ドレスと同じように、風に揺れながらジョルジアーノをみて微笑んでいた。ジョルジアーノはドキッとした。
すると悪戯な風が強く吹いて、少女の髪をバラの枝に引っかけた。
「あっ」
少女は、声を上げた。ジョルジアーノは慌てて
「待って、取ってあげる」
ジョルジアーノは、少女の髪を枝から外すと
「君、お隣に越してきた人だね。僕はジョルジアーノ」
「私はサーシャ。取ってくれてありがとう。昨日ここへ来たのよ」
少女は、同時に13歳だと教えてくれた。「僕は15歳」
「サーシャ、君に兄弟がいる?」
「ええ、いるわよ。兄さんが」
髪をまとめながら、サーシャはバラの花に手を伸ばしてきた。
「これ?上げるよ。まだ一杯あるから」
サーシャは嬉しそうに、1本バラを手に持ちながら
「じゃあね、お隣さん。また今度」
「今度っていつ?」
「陽のない午後に」
サーシャはそう言うと、バラの匂いを嗅ぐようにしながら、屋敷の中に入って行った。
ジョルジアーノは、しばらくその場を離れられなかった。
「隣に越してきたのは、前の男爵の知り合いというではないか。前の住民は姿を見せない夫婦だったが、今回もそうなのか」
夕食の時、ジョルジアーノの父親は肉を切り分けながら、鼻に付く言い方をして、ジョルジアーノはカッチーンときた。
「あなた、今回の方は、御家族のようですわ。でも、夜も灯りも付けない御一家のようで、変わったドレスを身につけて出て行くところを、メイドが見たそうですわ」
男爵の妻が代わりに答えた。
「フン、同じ輩か。ジョルジアーノ、そんな奴らにかまけていないで、ちゃんと勉強しているのか」
「ええ、まあ」
(とても、フワフワとした奇麗なドレスだった)
ジョルジアーノは、両親の噂話は聞き飽きていた。特に父親は、上流貴族の御機嫌取りばかりで、何とか階級の高いクラスの人間と知り合いになれるか、そればかり考えている人間だった。社交場に行っても、伯爵、侯爵にこびへつらう輩に混ざっているのだろう。ジョルジアーノは容易に想像できた。それに比べ、母親は、父親よりもジョルジアーノに理解を示してくれた。寄宿舎学校に行くのも、母親はあまり、乗る気ではない様子だったが、父親に意見するほどの度胸もなかった。いつも、男爵の影になり、意見しない母親。それにも、ジョルジアーノは幻滅をしていたのだ。だが、昔ほど、絶望はなかった。今や、ジョルジアーノの心を占めていたのは、あの少女のことばかり・・・。
(あの子と会えるのは陰った日だけ。なんて、待ちどうしいのだろう)
ジョルジアーノは、パンがポロポロ落ちているのにも気づかない様子で、宙を見つめていた。
3日後、外は、曇り空だ。ジョルジアーノは、はやる気持ちを抑えることができず、出会った場所へ行ってみた。そこには、木陰に身をもたらすような格好で、サーシャが座っていた。
「こんにちは。・・・気分でも悪いの?」
サーシャの顔色が優れないことに気づいたジョルジアーノがそう言うと、
「いいえ、少し眠りが足りないだけよ」
サーシャは、少し青白い顔をしながら微笑んだ。
「そう?なら、いいけど・・・」
「ジョルジアーノ、今日もバラをくださる?」
「バラ?いいよ。いくらでも」
ジョルジアーノはバラを5、6本切って、サーシャに渡した。バラを持ったサーシャは一瞬、顔に血の気が出てきたようにニコリと笑うと、不意に歌いだした。
【バラの乙女がいました。乙女は幾度も、夜を超えて時を超えて・・・。時が乙女を止めました。乙女は今も時を超え旅を続けています】
「なあに、その歌?」
「昔、私が小さなころに大祖母から聞いた歌よ」
「へー。面白い歌だね。でも、少し寂しい気な歌だ」
ジョルジアーノは、何だか気味悪くて、腕をさするようにしながら、周りを見渡した。
すると、隣の屋敷の玄関先に誰かの姿が見えた。自分よりも背格好が高く、でも、なんだか威圧的なものを感じた。
「サーシャ。あそこにいるのは?」
「ああ、モーリス兄さんよ」
(あれが・・・。ぼくと同い年の?)
ジョルジアーノには、サーシャのいう兄という人物が、自分よりもとても年上に見えた。
ストレートな髪をして、無遠慮にジョルジアーノ達を見つめるモーリスに、ジョルジアーノは少し嫌な感じを受けた。風が一段と強く吹いた。
「サーシャ、風が出てきた。中にお入り」
「ええ、兄さん」
サーシャは立ち上がって、ジョルジアーノに
「サヨナラ」
立ち去ろうとするサーシャに、ジョルジアーノは慌てて
「次に会えるのはいつ?」
「曇り空の日に・・・」
そう言うと、兄のいる玄関先に向かいながら、ジョルジアーノに手を振った。
しかし、ジョルジアーノはサーシャに会うことは出来なかった。
翌日、事件が起こったのだ。ジョルジアーノ宅のバラの花が、1本残らず花のみなくなっていた。「まあ、私のバラが・・・」
母親は嘆き、男爵は苦々しい表情で
「我が家を愚弄する者がいるのは確かなことだ。大方、隣の奴らの仕業ではないのか。姿を見せない怪しげな輩だからな。その証拠に昨夜、大きな荷物を持って出るのを見たと、
メイドたちが騒いでいる」
(え!どこかに行った?サーシャが?)
ジョルジアーノは慌てて、庭園に出てみた。垣根に顔を突っ込んでサーシャの家の方を見ると、カーテンは閉まり、人の気配がない。
(どうして急に・・・。何かあったのか、サーシャに・・・)
ジョルジアーノは呆然としながら、垣根から首を抜いて
「サーシャ。もう会えない」
夏の日差しが強いこの日、ジョルジアーノの淡い恋は終わった。それから・・・。
20年後、かつての幼いジョルジアーノは30歳を過ぎ、結婚をしていた。口ひげをはやし、片手にはステッキ・・・。バラの花束。あの初恋もどこか遠くの記憶だ。
(今日は、妻との結婚記念日だ。何か良い贈り物があればいいが・・・)
ジョルジアーノは、考え事をしながら、眼の前で馬車から降りる少女をボーと見ていた。
風が、ジュルジアーノの記憶を20年前に連れ戻した。
(・・・サーシャそっくりだ。20年前、急に姿を消した彼女に・・・)
ジョルジアーノは、無意識にその少女に声をかけていた。
「失礼ですが、私はあなたにそっくりな人を知っています。サーシャという名の少女でしたが・・・」
「あら、私もサーシャよ」
「えっ。それならば、お母さまは同じ名前を貴方に付けられたわけですね」
「それは分かりませんわ。私の両親は早くに亡くなったので・・・」
屈託なく笑うこの少女を見ながら、ジョルジアーノは、20年前の、あの短い時をすごした時間に戻ったかのような錯覚を覚えた。ジョルジアーノは、言葉なく立ち尽くしていると、馬車からもう一人降りてきた。何気なく見たジョルジアーノは、危うく声を出すところだった。
彼だ!あの日、サーシャと私を見張るような目つきで見ていた彼だ!間違いない、同じ髪、同じ顔・・・時がとまった、かのようにあの日の彼だった。
「あ、貴方の兄上?」
「ええ、そうよ。モーリス兄さん」
ジョルジアーノは愕然とした。モーリス・・・そうだ。彼の名もモーリス・・・。
時が・・・2人を私に会わせるかのように再び、動き出した。彼の後から、彼らの両親らしき人物が現れた。
「サーシャ、おいで」
「ええ、兄さん。では、ごきげんよう」
少女が兄の元に行こうとしている。ジョルジアーノは咄嗟に、彼女の髪から装飾品を取ると
「あれ、さっきまでしていた髪飾りがないね。どこかに落としたのかい?」
少女は髪を触りながら
「あら、大事な形見なのに・・・。どこにいってのかしら」
辺りを探している。ジョルジアーノは、ポケットから、さも今見つけたかのように
「あっ、そこに落ちていましたよ。これですか」
「まあ、良かった。とても大事な物でしたの」
「サーシャ、どうしたのかね」
両親が近づいてきました。少女が今あったことを告げると
「それは、ありがとうございます。先祖代々受け継がれた物で、失くすと困る所でした。何かお礼を・・・」
「それには及びません。・・ここへは初めてですか?」
「ロンドンへは久しぶりです。別荘は離れた所にありますが・・・」
ジョルジアーノはどうやったらこの少女を引き留められるかと考えた。
「父様。この方をお誘いしたらどうでしょう。美しい村に来ていただければ、先ほどのお礼も出来ます」
「お前がそう言うなら・・・。どうでしょう?今度、我が家にいらしてください。今日のお礼もしたいですし、町の話も聞きたいですから」
(上手くいった。これで家族と繋がりができた)
「それは私もいろいろな国の話に興味があります。ぜひ伺いたい」
「それでは、2日後のこの場所に、午後迎えをやります。私たちの別荘まで時間がかかりますから、お泊りになってください。ゆっくり話もできましょう」
「それは楽しみです。では、また2日後に・・・」
ジョルジアーノは彼の視線を感じながら、会釈をすると、その場を離れた。
家に着くと、妻のグロリアが食事の準備をして待っていた。
「グロリア、急なことだが、仕事の関係で、明後日から泊まりで出かけるからね。すまないが支度を頼むよ」
結婚記念日のバラを渡すと、
「あら、今回はいつもよりも急なことですわね。どちらに?」
「ああ、ロンドンから少し遠い所だから、留守の間、任せる」
そう言うと、ジョルジアーノは自分の書斎に入り、デスクの鍵のかかる引き出しから、1枚の絵を取り出した。絵は、大分黄ばんではいるが、ジョルジアーノは懐かしそうにスケッチされた絵のモデルを見て
「やはり似ている、サーシャに・・・。どういうことなのだ」
20年前、サーシャと別れた後、彼女の面影を思い出しながらスケッチしたこの絵。
それに、兄さまとよばれていた、あの少年は、どう見ても、あのモーリスだ。ベッドに入りながら、ジョルジアーノは無意識に胸で十字を切った。
2日後、言われた場所には、約束通り馬車が停まっていた。ジョルジアーノを見た御者は
「ジョルジアーノ・ロナウド様ですね。御主人さまの言いつけにより、お迎えに上がりました」
御者は、馬車のドアを開けながら、ジョルジアーに伝えた。
「そうですか」
ジョルジアーノは、馬車の座席に座ると窓を開け、馬車が進む方向に注意した。馬車はムチを打たれた馬が、ゆっくりと街中を北の方角に進んでいく。
「北・・・」
ジョルジアーノは、暫く走る馬車の方向を眺めていたが、街灯があまりなくなり、小道に入ると、あきらめて、座席に座った。馬車は、刻刻と町から離れてゆき、次第に、木々の匂いと、霧がたち込める、誰も通らない道へと進み始めた。ジョルジアーノは、少し不安になり
「君、後、どれくらいかかるのかね」
と、前の御者に確認した。
「・・・。ロナウド様、霧が立ち込めておりますので、予定より少し遅れておりますが、もう少しのところまで来ております」
ジョルジアーノは、懐から懐中時計を取りだすと
「町から3時間くらいか・・・」
外は霧で前が見えないくらいだった。
御者の言うことに間違いはなかった。30分後には、馬車は大きな音を立てて、橋を渡り、集落に入った。決して、眩しいとはお世辞にも言えないが、所々に灯りが灯っている。
馬車は、そこからさらに進み、人里離れた1軒の屋敷の前に停まった。
「ロナウド様、こちらがお館様の屋敷になります」
ジョルジアーノは、霧の中に立つ屋敷を見上げた。春だというのにとてもひんやりとした気分だ。
すると、ジョルジアーノが来たのが分かっていたのか、屋敷の中から執事の身なりをした年配の男が出てきて
「ようこそ、ロナウド様、どうぞ、こちらに・・・」
男はジョルジアーノの鞄を持つと、先に歩き出した。
「ロナウド様がお着きです。お館様」
急に明るい部屋に入り、ジョルジアーノは、目の前が一瞬暗くなった。明るさになれると、暖炉の前で微笑みを浮かべている男爵と、その奥方と目があった。
「ロナウド様、ようこそ我が館に・・・。紹介いたします。妻のクレオです。こちらへ
どうぞ。遠いところまで申し訳ありません。お体が冷えているでしょうから、温かいワインを準備させています。それとも紅茶がよろしいかな」
暖炉の方へ、誘うように、男爵は、笑顔を絶やさずにジョルジアーノを見ている。
奥方のクレオは、何か紅茶に数滴落として、口にしているが、その度に頬がパアーと赤く染まっている。ジョルジアーノが、それに見とれていると
「ああ、妻は、お茶に数滴の香料を入れて飲むのが好みなのです。ジョルジアーノ様もそうされますか?」
「いえ、私は温かいワインをいただきます」
ジョルジアーノがそう言うと、執事は黙ってジョルジアーノのグラスに、湯気の立つ、ワインを注いだ。1口飲むとジョルジアーノはホッとため息をついた。冷え切っていた体の芯がポカポカしてきた。
暖炉の前で男爵と、ジョルジアーノはグラスを持ちながら、ロンドンの話に花を咲かせた。と、いっても、ゴシップではなく、政治やジョルジアーノの家庭の話だ。男爵は興味深げに相槌を打ってくる。奥方は、先に休まれたのか、いつの間にか姿が消えていた。
しばらくすると、執事が遅めの夜食を運んできた。男爵家には合わないくらい質素な、
スープとパン、それからチーズ。呆然とするジョルジアーノの様子を見て、男爵は
「ロナウド様、我が一族は変わった食習慣があり、食事は簡食なのです。寝付けないようなら、寝室にお茶でも運ばせますが」
「・・・いいえ、大丈夫です。朝には霧も晴れるでしょうから、村の中を歩こうと思います」「それはいいですね。私もご一緒したいのですが、朝は弱くて・・」
男爵はジョルジアーノのカップにワインを注ぎながら申し訳なさそうに言った。
「いいえ、男爵、お気遣い無用です。私なりに歩いてみますから」
そう言うと、ジョルジアーノは、ワインをクイっと飲んだ。
「ロナウド様を寝室へ」
「はい、お館様」
「それでは、男爵。お先に失礼します」
「ゆっくりとお休み下さい」
先導する執事がドアを閉める直前、暗闇の中で何かが光った気がした・・・。
「変わった村だな。まあいい。明日は彼女に会えるといいのだが・・・」
ジョルジアーノは、ベッドに潜りこむと、すぐに深い眠りにはいっていった。
「コトッ」
何かの音で、ジョルジアーノは暗闇の中で目を開けた。薄暗い部屋の寒さにジョルジアーノは身震いしながら、音のした方を見た。ドアから薄漏れてくる灯りと声。私は気になり、
ガウンを羽織ると、ドアをソーと開けて、廊下の様子を窺った。そこには、あのモーリスと呼ばれた少女の兄が、ランプを持ちながら、誰かに指示をしていた。小さな声で聞こえにくかったが、ところどころ聞こえてくる会話には
「ブ・・・を・・・。いや、僕が行く。お前たちはサーシャの側に」
ジョルジアーノはあの少女に何かあったのかと思い
「何かサーシャにあったのかい?私に出来ることがあれば手伝うが・・・」
ランプ越しに振り向いたモーリスの口からは、一瞬驚く言葉が出てきた。
「ああ、貴方にも助けてもらうことがあるかもしれませんが、今のところは必要がありませんから、どうぞお休みください」
モーリスは冷たい目でそう言うと、外套を着て出て行った。ジョルジアーノは、彼が医者を連れてくるのだろうと思い、ベッドに入ることにした。
1時間くらいしただろうか。廊下が、ランプの灯りで照らされて、再び、ジョルジアーノは目を覚ました。今度は、ベッドの中で様子を窺った。なんの音も聞こえない。ジョルジアーノは眠気に襲われ、再び眠りについた。
翌朝、カーテン越しから日ざしが入ってきて、ジョルジアーノは目を覚ました。服を着替え、昨日案内された部屋に入ると、男爵夫妻は昨日と変わらぬ態度で接してくれた。
食卓に並べられているのは、昨夜と同じようなスープとパン、そして村特有の紅茶だった。
ジョルジアーノの表情を見たのか、男爵は
「ロナウド様、私どもは菜食主義で、肉は滅多に口にしないのです」
「なるほど、私も皆さんと同じもので結構です。日ごろが不摂生なので、健康的で丁度
いいです」
「まあ、そうですか」
丁度そこに、モーリスが降りてきた。彼はジョルジアーノを一瞥すると、夫人の頬にキスをし、男爵の耳に何か伝えると、椅子に座り紅茶を飲んだ。男爵はなにか考えているようだったが
「ロナウド様、申し訳ないが、娘のサーシャは昨夜から体調がすぐれないため、この場に出てくることが出来ません、失礼をお許しください」
(サーシャが!しかし、モーリスが医者を連れてきたはず・・・)
ジョルジアーノの表情をみて男爵は付け足すように
「サーシャには軽い貧血がありまして、私どもは、空気のよい場所で静養するために訪れたのです。少し休めば、じきに良くなりますからご心配にならないでください」
男爵はそういうと、紅茶を1口、口に含んだ。それをモーリスが睨んでみている。なんだ。この緊張した空気は・・・。ジョルジアーノはいたたまれなくなり
「そうですか。それは心配ですね」
そそくさと、食事を済ませると、客室部屋に向かおうと、階段へ向かった。
階段の壁には、たくさんの肖像画が飾ってあった。先祖代々の肖像画が、時代順に並べられていた。ジョルジアーノは、その1つに目を奪われた。
(この肖像画は、まるでサーシャだ)
画の中の少女は、20年前に出会ったサーシャそのものだった。同じ巻き毛の金髪に青い瞳。そしてなによりあの笑顔。ジョルジアーノはこの肖像画の少女がサーシャだと確信し、ここは、サーシャの子孫に当てる家系なのだろうと、今まで抱いていた疑問に、答えを見出すことが出来、ホッとした。そして今は休んでいるもう一人のサーシャを思い出して
「本当によく似ている。サーシャの生き写しだ」
ジョルジアーノは、しばらくその場から離れることが出来ず、20年前のあの時代に、
記憶を飛ばしていた。
「あら、私の肖像に興味がありまして?ジョルジアーノ様」
不意に上から声がした。あの少女サーシャが、肖像画と同じ笑顔でこちらを見ていた。
ジョルジアーノは一瞬彼女を見て、ゾッとした。
昨夜、医者まで呼ばれていた彼女が、今や、生気のある顔で私の前に立っている。それが奇妙な感じだった。
(貧血は一晩で落ち着くものなのか?)
そんなジョルジアーノの考えを、彼女は知る由もなく階段を降りてきた。そして前に立つと、少女の肖像画を懐かしそうに見つめた。
「君?これはサー・・・シャ、貴方の?」
「そうですわ。何かおかしな点でも?」
サーシャは、当たり前だと言わんばかりの笑顔で、その肖像画を一撫ですると
「ジョルジアーノ様、午後から、バラの小道をご案内しますわ」
少女は、いや、サーシャはジョルジアーノの手を取り、さっきまでジョルジアーノが居た、暖炉の間のドアを開けた。
一瞬、するどい視線を感じたジョルジアーノだったが、入ってきた2人を見ても、夫妻の表情は変わりなかったが、モーリスは椅子から立ち上がり、サーシャを迎えに近づいてきた。
「サーシャ、気分はどうだい」
「ええ、兄さま、もう大丈夫」
モーリスは優しいまなざしで、サーシャに席を譲り、香しい香りの飲み物を注いだ。昨夜に嗅いだ独特の香料の匂いだ。サーシャはそれを飲むと、顔色に、更に生気が増したように見えた。
「サーシャ、私は部屋にいるから」
ジョルジアーノは、この場の雰囲気呑まれて、早くこの場から離れたかった。
「ではジョルジアーノ様、後で・・・」
モーリスの痛い視線が突き刺さるのを、ジョルジアーノは感じながら、階段から客室に入ると、すぐさま、持ってきたノートを取り出した。そうだ!ここに来た目的は・・・。
そして1ページ目を開くと
(1852年、私はある村に着いた。村の名は分からない。滞在する屋敷の中で、ある
肖像画を見つけた。20年前のあの少女にあまりにもよく似た画。これはどういうことだろうか)
そう記すとノートを閉じた。
約束の午後になっても、サーシャが来ないため、ジョルジアーノは庭園に出てみることにした。好き放題に伸びているバラの大輪。確かにサーシャが案内しようと思うわけだ。
ジョルジアーノは苦笑しながら、しばらくそのバラの間を歩いた。しばらく歩くと、橋が見えてきた。
(昨夜通った橋か)
ジョルジアーノは、その橋を渡り小道を進んだ。村の集落の様だ。
そこでは子供たちが走り回っていて、近くで子守をする老婆の姿が見える。ジョルジアーノは、その老婆に近づき、ハットを取りながら
「おはようございます。今日は良い天気のようですね」
「・・・。ああ、お屋敷に来られたお客人ですな。少し日が強いようですから、サーシャ様には堪えるでしょう」
老婆は、あまり日の出ていない空を見上げながら答えた。
(サーシャに?あの少女に何が堪えるだって?)
老婆は表情を変えずに、編み物を続けている。ジョルジアーノは
「この村は何という村ですか。」
何かの糸口になると考え、聞いてみた。老婆はジョルジアーノの顔を下から覗き見るようにしてから
「バラの村と呼ばれています」
「バラの・・・」
「はい。ここで生まれてきた者は、いずれここに帰ってきます。時が儂らをここに留めます。いい村です」
「あの子供たちも、ですか?」
ジョルジアーノは、近くで声を出しながら遊んでいる子供に目をやった。
「ああ、あの子たちは・・・」
ジョルジアーノは、老婆のはっきりしない物言いを不思議に感じながら
「・・・確かにいい村ですね。だが、少しばかり食事に味気ない気が・・・」
「ここは、他の村と離れていますから。この村で採れた物しか口にすることが出来ません」
(なるほど・・・。だから食事が物足りないのか)
「お婆さん、ありがとう。とても興味深い話が聞けたよ。では、失礼する」
「良い日をお過ごしください。お客人、いい日を・・・」
老婆はそう言うと、手元の編み物に目をやり、黙った。ジョルジアーノは、少し疑問に思ったが、サーシャが待っていると思い、急いで館に帰ることにした。
館に帰ると、ジョルジアーノは、サーシャがいるはずのバラの庭園に行ってみた。
日が大分高く昇り、日差しが出てきた。ジョルジアーノは木の根元にもたれて、目を閉じているサーシャを見つけると
「サーシャ、お待たせしたかな」
ジョルジアーノの声に、サーシャはうっすらと目を開けて
「ああ、ジョルジアーノ様・・・」
そう言うと、ドサッと倒れた。ジョルジアーノは一瞬のことで、すぐに動けなかった。しかし、我にかえり、サーシャの手をとった。冷たい・・・。
慌てて、館にとって帰った。
「誰かすぐに来てくれ。サーシャが・・・」
すぐに反応したのがモーリスと執事だった。
「どこだ!」
モーリスは命令口調で、ジョルジアーノから居場所をきくと、飛び出していった。執事は毛布のようなものをもって
「ジョルジアーノ様はお部屋に。私とモーリス様で十分でございますから」
ジョルジアーノは、モーリスの剣幕に押されながら、執事の言葉に救われた気持ちで客間に戻った。しかし、サーシャのことも気にかかり、カーテン越しから彼らが来るのを待ち続けた。5分ほどで、サーシャを抱いた執事が戻ってきた。体には体を覆う毛布と、後からモーリスが、バラと先ほど村で遊んでいた子供を1人供なって屋敷に入っていった。
(子供?医者を呼ぶための遣いに出すのか?まあ、一安心だな)
ジョルジアーノは、ノートを出すと、先ほどの、村の老婆の言葉を思い出すように、
ノートに記録した。
(バラの村・・・。孤立した独特の印象のある村。あの子供たちは?)
ノートを見直しながら、ジョルジアーノの疑問は、いつも同じところをグルグルと回っている。
一旦、落ち着くと、ジョルジアーノは、サーシャの様子を聞こう下に降りる階段を下りた。
(貧血だからか?なぜ、病院で治療を受けない?)
サーシャの体を気遣うなら病院へ行くべきなのに・・・)
暖炉の間に入ろうと、ドアに手をかけた直前、中から声が聞こえてきた。
「いつも迷惑かけてごめんなさい、兄さま。私の体がもっと強ければ、里にくることはなかったのに・・・」
「サーシャ、そんなこと考えなくていい。それよりも元気になることを優先に考えておくれ。必要ならあいつを・・・」
「いいえ、兄さま。あの方は帰してあげて。あの方には家族がいるわ」
「しかし、父様はそのために、この村に連れてきたのだよ。お前の為に・・・」
「・・・私、知っていたわ。兄さまが珍しく、あの方が来ることを拒まなかった理由を。そして、今、村にいる子供たちは何のためにいるのか」
一瞬、沈黙があった。
「サーシャ、君は分かっていて、それでも、いいと?」
「・・・。兄さまが、薬と言って持ってきてくれる物が何なのか、私、知っているの。でも、あの方は、どうか無事に返してあげて。あの方は、20年前、私に親切にしてくれたのよ」
(20年前?)
ジョルジアーノは、驚愕した。
)何故、20年前の事がでてくる?サーシャは、生まれていないはず。何かある。この村には・・・。何か秘密が・・・}
ジョルジアーノは、ドアを持った手をソーと離すと、音を立てないように2階に上がった。
その晩は、なんだか寝苦しかった。窓は開いていたが、なぜか空気が重苦しく、ジョルジアーノは、何度もベッドの上で寝返りをうった。しかし、とうとう寝ることをあきらめ、開いている窓に近づき、外を眺めた。暗闇の中、1つも灯りのついていない村。
ふと、ジョルジアーノは、遠くに1つだけ、暗闇の中で朧げに見える灯りに気づいた。
それは館から、大分離れた、村の方角で
(確か、あの辺りは昼間の老婆の家の方角では・・・)
ジョルジアーノは、眠れないことと、好奇心から、ガウンを羽織ると、寝静まった館から抜け出し、灯りを頼りにそこに向かった。
静かな夜道は不気味なくらい静まり返り、ジョルジアーノは自分の出す息使いが響き、何か悪いことをしているような気にさえなった。
どうにか、館から見えた場所につくと、そこは廃墟だった。昔は誰かの持ち物だった、館らしき形を保った、この建物は、今は崩れ落ちそうなレンガと草が一面に茂っていて、とても人がいるようには見えなかった。
「確かに、灯りはここからだと思ったのだが・・・」
ジョルジアーノは、暗闇の建物を見上げ、自分が見間違えをしたのだと感じ、引き返そうとした。
「クラウン卿、こちらです。そこに寝かせてください」
聞き覚えのある声が聞こえた。ジョルジアーノは、館に近づいてみた。廃墟の館には地下があり、地面から1階下の地下の様子がよく見える。声はどうやら、そこから聞こえてくるようだ。もう1人の声の主はいった。
「サーモス男爵、例の娘はロンドンから?」
「そうです。最近は人の目が厳しくて、なかなか困難でしたが、どうにか娘の血になる人間を連れてきました」
「ち?血?」
ジョルジアーノは、自分の耳を疑った。
(今、血と言ったのか?あれは男爵ではないか。それにモーリスも居る。こんな真夜中に何をしているのだ?)
ジョルジアーノは、これから行われることに、好奇心と恐怖とで、身を乗り出した。
「さあ、夜が明ける。モーリス、続けて」
見ると、モーリスは胸に枯れたバラを抱えていた。そして、父親であるサーモス卿の言葉に、無言で、少女に近づくと、バラで少女の体全体を覆った。そして、少女の耳元で、何か呟いた。すると、少女はうっすらと目をあけた。その目を見た時、ジョルジアーノは、何かおかしいと感じた。少女に恐怖の感情がないのだ。少女は、モーリスをうっとりと見ると、頷き、目を閉じた。モーリスは何の感情も見せず、少女の首筋に手を添えると、それをバラの方へ這わせた。少女は一瞬、体をビクンとさせたが、目は閉じたままで横たわっている。時が何の変化もなく、過ぎてしまうように感じた。ジョルジアーノは、一刻も目が離せない。
すると、小さな変化が起こった。バラが・・・、あの枯れていたバラの大輪が再び咲き乱れるように、真っ赤に花びらを赤く染めた。変化があったのは、バラだけではなかった。少女の体から、水分がなくなるように干からびていったのだ。それでも、少女は何の苦痛やうめき声もなく、穏やかで幸せな表情で目を閉じたままだ。
今や、完全にバラと少女の様子は逆転した。ミイラのようになった少女と少女の血を吸ったかのような、鮮やかな真紅のバラ。3人は、無言でこの様子を眺めている。そのあまりの不気味さに、ジョルジアーノは、声も出せず、口を押さえたままで見ているしかなかった。
「モーリス、おわったか?」
モーリスはバラを取り上げると、無言でその場から去ろうとしている。サーモス男爵は 「チィ、相変わらず愛想のない、考えの分からない奴だ」
「まあ、男爵。彼は、この村の正当な一族の生き残り。大事に扱わねば」
「・・・そうでしたな。彼のエナジーだけが、尽きぬことのない、我らの生命の源・・・。ああ、これの後始末を頼む」
今までどこにいたのか、暗闇から男が出てきていった。
「・・・」
無言のまま、男は少女の体を持ち上げた。乱暴に・・・。だから取れたのだ、右手が音を立てて、床に乾いた音を響かせた。
「パキッ」
(いけない!音が・・・)
ジョルジアーノは、取れた右手に驚いて、後ずさりを始めた際に、小枝を踏んでしまった。
「誰だ!」
サーモス男爵の声が響く。ジョルジアーノは、慌てて身を翻すと、一目散にその場を離れた。
「村の子供か?」
「好奇心が旺盛ですからな。まあ、朝になればわかることでしょう」
クラウン卿はいたって冷静に下男にミイラ化した少女の始末を急かした。
ジョルジアーノは、頭が混乱していた。
{何がどうなっている?あの少女の姿は、モーリスはバラをどうする気だ。それよりの私の姿は見られていないだろうな}
混乱した頭と、震える体で、ジョルジアーノは、どこをどう走ったのか、後で考えても分からないほど、一生懸命走り続けた。そして、先に見覚えのある橋を見つけると、足を止め、呼吸を整えた。
{まずい!モーリスに追いついてしまったか?・・・いや、彼は私よりのずいぶん早く、あの場を離れたから、もう屋敷に着いているはずだ}
屋敷に戻ると、居間の方から声が聞こえてきた。モーリスとサーシャの声だ。帰す帰さないといった言葉が飛んでいる。時折私に名前も・・・。私は思わず、ノックもせずにドアを開けた。
「うっ」
部屋の中は血の、や、バラの匂いでむせ返っていた。床に大量のバラが落ちている。サーシャは驚いた表情で私を見、モーリスは無反応な表情で
「おや、ジョルジアーノ卿、どうかされましたか?」
「君たちの声が聞こえて・・・。どうやら私を帰すかどうかという話らしいが」
「ああ、そのことですか。なに、妹が貴方をお気に召したようで、ずーとこの村に居ていただこうかと」
ゾーとする笑いだ。
「ずーっと?しかし、私には妻もあり家もある。そういうわけにはいかない」
「だろ、サーシャ、ジョルジアーノ卿は我々とは違う世界の住人、帰してあげないと」
「・・・そうよね、兄さま、私ったら、わがままを言ってごめんなさい、ジョルジアーノ卿」
(おかしなことを言う、さっき私を帰すと言った声はサーシャだったのに・・・)
「明日にもお帰り下さい」モーリスは冷たくいう。(明日?まだサーシャとあの少女のことがわかっていないのに・・。あの絵の事だって)
私は慌てて
「モーリス君、実は私もこの村がいたく気にいってね、もう少し滞在しようと考えていたんだよ」
「いけませんわ、卿、早くこの村からお出になって」
サーシャは懇願するように手を組んで私を見た。(なにかあるのか?残ってはいけない何かが?)
「サーシャ、卿もこういっていることだし、もう少し村の風景を楽しんでもらってはどうかな」
「・・・兄さま・・・。」
サーシャは血の気の引いた顔で私を見ると無理に笑顔を作った。
部屋から出た私は、階段を上がりながら(バラの花、少女の遺体、あのバラはなぜあそこにあった)階段の踊り場で少女の絵が目に入り私は足を止めた。サーシャに瓜二つだ。巻き毛に青い瞳、これが彼女でなくて誰なんだ。
「この絵は100年前のひいお婆様の肖像画です。」
不意にモーリスの声が後ろからした。彼は驚いている私に目もくれず
「この村で生まれ、この村で生き続けた我らの祖先、妹によく似ている」
モーリスはまるで私の考えが分かるかのように、覗き込むようにしてきた。私は一応
[なるほど、それでそっくりなんですね]
一旦、理解してように笑みを浮かべモーリスの側から立ち去った。後ろから鋭い視線を感じながらーーーーー
ベッドに入ってから目を閉じ、私は昔、祖母がお伽話のように話してくれた話を思い出した。
昔々,歳を取らない人が居ました。それを人と呼ぶかはわかりませんが、周りの人は時を超えた住人と呼んでいました。住人は歳を取らず口にするのは甘い蜜のハーブのみ。一族は隠された村に住んでおり、人前に出ることはありませんでした。もし、見ることがある時は人間をエサにするとき。人間のエナジーを彼らは好み、何百年も生き続けています。彼らに出会ったら最期、逃れる術はありません。
そう、祖母から夜のお伽話のように聞いていた物語。実際これがそうなのだろうか?
私は思案し、物思いにふけった。考えがまとまらず、夜明け近くまで眠れなかった私はとうとう眠ることをあきらめ、ベッドから出た。窓を開けると一面の霧。窓は朝露で濡れている。
私はウーン。と大きな伸びをすると再び外を見た。街灯はついているが人影はなく静かだ。不気味なほどの静けさだ。
ふと、目を通りの向こうにやると、ランプの灯りが見えた。誰かが歩いているのだ。
(こんな早朝に・・・どこに行くんだろう)私は興味を惹かれ慌ててガウンを着こむと、その人影を追っていった。息を切らしながら早歩きをしてもなかなか、追いつくことが出来ないランプの灯りを見失わないように注意しながら私はその光が何かの建物に入っていくのを確認した。人影はランプを机に置き暖炉に火をつけた。その顔をみて、私はハッとした。
昼間にあった、あの老婆だ。半開きになったドアを音を立てないようにしながら、私は老婆のすることを凝視した。そこは温室だった。バラが一面に咲いている。(なんだ、朝のお茶のバラを取りに来ただけ)私は期待外れだと言わんばかりにため息をついた。そう思った瞬間、私は驚愕した。老婆が持っているバラの花が一瞬青白くなったと思うと枯れてしまったのだ。まるで生気を吸われたかのように・・。(ドウイウコトダ!)老婆は私には気づかず、次々とバラの花を彼して言った。と、同時に老婆の体周囲がボワーと白く光ったと思うと、老婆の体を包み込んだ。つぎの瞬間、私は自分の目を疑った。曲がっていた老婆の腰は伸びて、白髪頭は黒色に、顔中の皺は20代を思わせる女性に変わっていった。それはほんの一瞬で、老婆は元の腰の曲がった白髪に戻った。だが顔の血色はよく、10歳くれい若返ったように見えた。(まるでバラの命を吸ったようだ)私はもっと真近で見ようとして足元にあった小枝を踏んでしまった。
「パキ」(しまった)
しかし、老婆はそれに気づかないように自分の姿に満足げにしていた。そして枯れたバラをそのままにして温室を後にした。私は今、見たことが信じられなかった。足もとには枯れたバラの花。バラの匂いに埋もれながら私は自分の考えをまとめようとしたが
「・・・分からない、何がどうなっているのか。今の時代に祖母から聞いた時を超える人?まさか、あれはお伽話のはず」
私は頭を振ると屋敷に帰ろうと振り替えギョッとした。モーリスだ、彼が通りの向こうを歩いている。前を歩いている老婆に追いつくと何か話している。老婆は怯え助けを求めたが、モーリスは無言で老婆に手を当てた。老婆は若かった姿が段々と衰え老婆にあなり、チリと消えた。
「フン、面倒を起こすからだ」
暗闇の中に消えた。
私は草むらの中で一部始終を見ていたが、モーリスが言ったことが気になっていた。
「よそ者が居る時に事を起こすな。と、行った。あれは私のことか?よそ者?確かに村の者ではないが・・・。そんな言い方をするのか?」
私は憤慨しながら屋敷の方へ歩き始めた。日が昇り始め段々と朝もやも消えていった。だが不思議なことに、この村は太陽の陽が当たらず、絶えず陰気な雰囲気なのだ。まるで太陽が避けているように雲が覆い隠している。だから花はバラのみで温室で育てられているのだ。
屋敷に着いた。モーリスは先に帰っているようで、居間でお茶を飲んでいるサーシャのそばで微笑んでいた。そして私の顔を見ると、父親に何か小声で話しているのだ。父親は一瞬、モーリスの言葉に顔色は変えたが、すぐに平静に戻り
「いかがですかな?卿、この村は?」
私は一瞬、あのことたちがばれたのかと思いドキッとしたが
「男爵、この村は世間一般では味わえないことばかりです。しかし私も細君が待っていますので、そろそろお暇しなければなりません」
「そうですか。それは残念ですなー。子供たちもあなたになついていたのに・・・」
(懐いていた?モーリスはどちらかというと監視していたようだが・・・)
「私も残念です。それでお暇する前に教えていただきたいのですが」
「何でしょう?」
「階段の踊り場にある少女の肖像画ですが、あれは?」
「ああ、あれはサーシャの肖像を描いたものです。2年前でしたかな。それが何か?」
(サーシャの?モーリスは先祖のものだと・・・)
「ちぃ」
小声でモーリスの声がする。確信がとれた。私は何食わぬ顔で
「そうですか。素晴らしい出来ですね。見とれてしまいました。20年前に会った少女にソックリだったものですから興味を惹かれました。では明日、お暇させていただきます」
男爵は一瞬、顔色を変えモーリスの方を見たがモーリスはそしらぬ顔で
「卿、それでは今夜は晩さん会を行いましょう。いいですよね、父様」
「・・・ああ・・そうしてください、卿」
「・・それは楽しみです。ではまたのちほど」
私は胸が高鳴るのをどうにか押さえながら居間を後にした。
客間に戻った私は机に置いてあったノートに今まであったことを走り書きした。崩れた屋敷で行われていたこと、老婆の話やバラの事、老婆が塵になった事。私はそれを学会に発表しようと考えていた。大学で教えている講義は考古学だが、何の問題もなかろう。昔から伝わるお伽話が延長したようなものだ。学者はだれも信用すまい、だがここでのことは事実で私しか知らない。センセーショナルになるぞ。私はノートを閉じて旅行トランクに入れてから夜になるのをまった。
夜になった。屋敷には村人ではない服装をした男女が大勢集まった。老若男女で大体が貴族のようないでたちだった。
(まるで時代錯誤な世界に来たようだ)ダンスやバラ茶を飲んでいる風でも、時折何だか視線を感じた。それも多数の視線を・・・。(よそ者が珍しいのか。それとも・・・)
私はこの晩餐会に出席する際に注意しておこう考えていたことを頭の中で繰り返した。
もし彼らが私の考えている者ならこれはきっと役に立つだろう。懐の十字架を上着の上からギュッと握りしめて、私は彼らの好奇な視線に笑顔で答えた。
「御集りの皆さま。今宵、客人を招いております。エバンス卿は娘の恩人であり、我ら一家の客人です。どうかくれぐれの失礼のないように願いたい」
男爵はそう言うと、私の方に向けてカップを上げた。それを見た集まった人たちは、ため息や感嘆な声で
「卿、我らと共に」
カップを上げて口々に言うとダンスに戻って行った。私は、壁にもたれながら周りを見渡した。夜は遅い、きっと子供たちは寝ているだろう。明日にはここを去る。その前にもう一度、サーシャと話がしたかった。結局、あの日を境にサーシャとは話が出来ぬままになっていたのだ。
一瞬、誰かと視線があった。気のせいかと思うとまた・・。なんだ?男爵は夫人と他の夫婦らしき人と談笑をしている。集中していると、いろんなところから声が漏れてきているのが聞こえてきた。
「男爵は何を考えているのだろう。村によそ者を入れるばかりか自重しろ、なんて。我らに餌を前にぶら下げているのに」
「そうですわ。あの人間のエナジーは素晴らしい物がありますわ。さすがモーリス様は見る目がおありで・・」
(モーリス?なんでここで彼の名が出てくる?男爵がホストなのに)
「でも奥様。聞きまして?モーリス様はあの人間を明日、帰すそうですわ、勿体ない」
「そうらしいですわね、わたくしなら一生、放しませんのに・・。サーシャにとっては大事な餌なのに」
(餌!?餌だって?私が?)
耳を疑った私の側で大きなドラムが鳴り、一同ダンスを始めた。相手のいない私は壁の花になり対して味にないバラ茶を口にしながら
(かえったら、ワインにチーズとスープだな。どうもここの食事だけでは空腹を満たすことは出来ないからな)幸い、私の旅行トランクには細君が入れておいてくれたチーズと焼いてくれたクロワッサンが数個入っていた。空腹になるとそれをかじりながらここに滞在していたが、それも限界だ。明日には町に帰ってどこかのバーに入ろう)
明日の事を考えると少し元気が出てきたが、サーシャのことを考えると、未練もあった。
(あの少女とサーシャは繋がるのか。20年前にあった少女はサーシャはなのか?結局聞けずじまいだったな。)
晩さん会も大方、終わりが近づき私は、そろそろ床につこうと男爵を探した。壁の向こうで誰かと話している、私は近づき
「男爵、私はそろそろ休もうと思うのですが・・・。モーリス」
驚いた。男爵と一緒に居たのはモーリスだ。こんな夜更けにどうしたのだろう?私の驚きに対して関心がないようにモーリスは
「ああ、卿。おやすみなさいますか。それでは最後の夜を」
そう言うと、身を翻しドアの向こうに消えていった。
「ああ、モーリス様が行ってしまわれた。私にエナジーを与えて欲しかったのに・・・」
所々で声が聞こえる。私は聞こえないふりをして
「それでは男爵、お暇を」
言いながら、ドアに向かった。
突然、蝋燭の火が消え辺りは真っ暗になった。私は慌てて周りを見たが、驚き叫ぶ声はない。シーンとした広間にポツンと一人置かれた気分だった。
「男爵?皆さま、大丈夫ですか?」
誰かが私の手に触った、冷たい手だ、私はその瞬間、無数の手の気配を感じた。それが暗闇の中でも分かるように私に伸びてきている。私は無意識にポケットの中にある十字架を手にしていた。それを出すと闇の中に掲げた。すると、方々から悲鳴が聞こえる。それと同時に足音、それはドアに向かっている。次の瞬間、私は恐ろしい言葉を聞いた。
「こざかしい人間よ、去れ。お前たちの住む世界へ」
パッと灯りが着いた。もぬけの殻だ。誰もいない、一人残された私は十字架に感謝した。
やはり彼らは・・。
私は急いで客間に戻った。旅行トランクをベッドの下から出すと、トランクは中が荒らされ中に入れてあったノートがなくなっていた。私は部屋中を探したがどうしても見つからなかった。(誰かが取っての蚊。何故?何kあマズイ事が書かれていたのか。ノートに書いてあったのは、老婆の話と祖母に聞いたお伽話・・・それが本当のことだとしたら辻褄が合う)
私はこの村に来てからの不思議な事が全て一つにまとまった気がした。ノートはあきらめ隠し持っていた手帳にまとめて記載した。今度はトランクの奥方にしまった。
ベッドに入り目を瞑ると、いろんな景色が見えてくる。バラ一面緒温室、老婆の話、生き血を抜けれた女性、そしてサーシャ。サーシャはこの村の事の時を超えた人なのだろうか20年前に会ったあの少女はサーシャ本人。絵あたしは20年前から変わらぬサーシャの姿をおもいうかべては、何故、彼らがこの世に存在するのか、神は何故、彼らを創造したのか分からなかつた。人間による何十年の生涯を終え、地に還るりたもう魂は彼らには存在しないのか。私は彼らが悲しい存在のように感じた。死ぬことも出来ず何百ねんと時を繰り返し、もしかしたら愛した人との別れも経験したかもしれないのだ。
私は眠むたい目をこすりながら思いにふけった。だが睡魔には勝てずドンドン私は、まどろみの中に落ちていった。
「カタッ」
何かが音を立てた。部屋の何に誰かが居る。私はランプの光を元スト、部屋中を見渡した。そこには驚くことにサーシャがいた。血の気がなく沈んだ表情でランプの光が眩しいのか手で顔を覆っている。私は慌ててランプに光を小さくすると
「サーシャ、どうしたんだい。こんな夜更けに」
サーシャはしばらく立ち尽くしていたが
「ジョルジアーノ様、どうか私たちのことは黙っていて。私たちはひっそりと暮していて、決してこの村から出ないわ。もうすぐ、違う場所へ移るの、だから・・」
「まさか・・私のノートを取ったのは君かい?何故?」
「貴方がこの村のことを誰かに話したら村が・・・」
「人間に襲われる。と?」
「・・・」
サーシャは否定も肯定もしなかった。それが私を余計に真実に向かわせた。
「サーシャ、真実を教えてくれ。ここはバ・・バンパイアの村か?血を吸って生き続ける」
「わ、私たちはそう呼ばれているときもあるわ。でも私たち一族は必要なエナジーしか取らない。バラがあるから」
「バラ?そうだ。あれはどんな意味があるんだ?」
「バラは・・私たちの中にあるエナジーを増長させてくれるもの」
(ああ、だからバラのエナジーを吸うと、老婆がああなったのか)
「ジョルジアーノ様、お願い、何も言わないで早朝にこの村を出て行って」
「それで君は村に残る?」
「私は・・・・ここでしか生きられない。兄さまのエナジーが私を助けてくれるから」
「モーリスが?」
「ああ、これ以上は言えないわ。さあ、早く荷造りを、皆が貴方に気づかないうちに」
これ以上の事は聞けそうにない。私はサーシャの言うように、慌てて荷造りを始めた。
早朝、私はトランクを持って村の入口に立っていた。側にはサーシャがいる。
「ジョルジアーノ様、くれぐれも内緒にしてくださいね。さ、行ってください」
「サーシャ、君とはもう会えないのか?」
「ジョルジアーノ様、私たちは時を超えて生きている者、住む世界が違います。何十年後にどこかですれ違っても、決して混じあえない者同士、忘れてください」
「サーシャ・・・」
「さあ、早く気づかれる前に」
サーシャに背中を押されるように私は村の唯一の入口から追い出されるように飛び出した。振り返ると、サーシャが
「ジョルジアーノ様、ありがとう、さようなら、どうかお幸せな人生を」
涙を流しながら風に吹かれて乱れる髪を押さえている
「サーシャ!」
みるみる垣根が塞がっていく。私は垣根を叩いてサーシャを呼んだ。答えはない。私はトランクを持ち帰ると後ろを振り帰りながら間に進んだ。
1時間歩くと、急に靄が晴れて急に、私は町の路地に立っていた。太陽を浴びたのは数日ぶりだ。私は馬車をつかまえると家路に急いだ。何日ぶりで妻はきっと心配しているだろう。あの村に行ってから1週間は立っている。心配のあまり、ヤードに連絡したかもしれない。私は自分の家にちかづくとホッとした。なにも変わっていない。私はドアの呼び鈴を鳴らした。ドアが開く。
「遅くなったね、すまない」
「・・・どちら様でしょうか?」
私は顔を上げて驚愕した。妻が妻ではなかったのだ。面影はあるのだが何十年も老けて見える。
「あ、あの、ここはジョルジアーノ卿のお宅ではないのではないのですか?」
「そうです。でもあの人は何十年も前に失踪してしまいました。旅行に行くといったきり帰ってこなかったのです。」
「何十年?まさか・・それであなたは」
「ヤードに届けましたが、見つかりませんでした。私は夫の帰りを何十年待ちましたが、私も歳をとりました。貴方様のお顔も良くは見えないんですよ。でも声に聴き覚えがあるような・・・」
「!いや、私は昔、卿にお世話になった者でお礼に向かわせていただきました。そうですか。卿が失踪を・・・。それでは奥様、おひとりで大変だってでしょう。」
「そうですわね。でも近くに両親が住んでいましたのでどうにか、でも、もうここも住む者がいなくなりますわ」
妻はそう寂しそうに笑うと
「貴方様のお名前は?大学の生徒さんですか」
「・・そうです。そうです。近くを通ったものですから卿に挨拶をと、思いまして・・・」
「それはご丁寧に、ごめんなさいね、何のおもてなしも出来せんで」
「いいえ、それでは失礼します、奥様、どうかお元気で」
私は涙をこらえながら踵を返すとステッキを突いて歩き出した。
「貴方様もお元気で・・?あら?あのステッキの付き方はあの人ソックリ・・まさか・・・」
ドアを閉めながらもう一度、去っていく後ろ姿を見た。
私は狼狽えながらもどうにか正気を保とうと必死になった。アンナが・・・。私は近くで新聞を手に入れると日付をみた。私が村に行ってから50年経っている。(ドウイウコトダ。あの村に居たのはせいぜい1週間なのに・・)ここで私は恐ろしい思い付きをした。時を超えて生きる一族・・
私が過ごしたあの村では1週間がこの世界では半世紀たとうとするのか!私は妻を・・寡婦にしてしまった。私は現実を受け入れることが出来ないまま通りを歩き出した。この時代は私の世界であってそうではない。私は歳を取らない、しかし彼らと同じバンパイアでもない。ただ時に忘れ置き去りにされた。
30年後、私は歳をとった、妻は再婚し、数年前に亡くなったと聞いた。私は本当のひとりになった。あれからどうにか生計を立て作家になった私は、処女作にあの村でのことを架空の物語として出版した。
それが世間の関心を買い、私は第2作目として自分のことを書こうと思い立った。題名は
(サーシャ、君に寄せて、ジョルジアーノの思い出)
という名で。
執筆中、私は気晴らしに通りのカフェに入った。そこから通りがよく見える、町並みは全くと言っていいほど変わってしまった。私はコーヒーを口にしながらボーと外を眺めていたが、ある馬車から降りてきた一家をみて私は愕然とした。サーシャだ。馬車が壊れてしまったのか、外に出て降りてくる両親をみている。前に私が会った人ではない。しかし、後から出てきた人物をみて私は確信した。モーリス・・・。彼は変わらずにそこにいた。20年たった今でも同じ姿で・・・。サーシャの側により何か言っている。そして中から見ている私に気づくと、側に寄ってきて
「やあ、卿、貴方はあれからどう過ごしたのかい?20年経ったのかな。この時代では。少しは僕たちの気持ちが分ったかい、自分の知っているものたちに先立てれる気持ちが。フン、さあ、あなたは自分の短い生命を終えるがいい」
「兄さま、だれとお話されているの?」
サーシャが覗き込んできた。私は慌てて顔を隠した。私を逃してくれたサーシャが今の私の姿を見て自分の責任にしてしまうのが怖かった。モーリスも同じ考えのようで
「なんでもないんでよ。サーシャ。この方がね、君に花を上げたいと言われていてね」
そう言うと私の胸ポケットからバラの花をとるとサーシャに渡した。
「まあ、私、この花が一番好きなの、ありがとう」
私の顔を覗き込むようにするサーシャにモーリスは
「さあ、父さまたちが待ってる、行こう」
「ええ、ありがとう本当に」
顔を隠す私に笑顔を向けると馬車の方へ」歩き出した。
「お嬢さん、永遠に」
「えっ?」
振り向くサーシャに背を向けると私は席を立ち歩き出した。頬に流れる涙を拭こうともせず・・・・。
私は結局、2作目の本を出すことを辞めた。出版社からは懇願はされたがどうしてもその後の自分とサーシャたちの事を本にすることははばかれた。私はそれを日記として後世残すことにした。身寄りのない私はこの日記をどうしようかと思案したが、結局博物に寄贈した。こうして私の人生は終わった。
10年後、博物館を訪れる一人の女性がいた。女性の手には日記らしきものがある。女性は博物館のスタッフに何か言うと、スタッフと、ジョルジアーノの日記が置かれているブースにやってきた。そして自分が持っている物を見せるとスタッフは慌てて、展覧してあるジョルジアーノの日記を取りだすと、女性に渡した。茶色の髪をした長身の女性はジョルジアーノの日記をパラパラとめくりながら、最後に書かれている実筆のサインを見て
「これは先祖の日記に間違いありませんわ。ほら、ここに同じ先祖のアンナお婆様の日記があります。これに書いてあるのは、おじい様、つまりジョルジアーノが私のおじい様でアンナおばあさまの旦那様で100年前に失踪したと書いてあります。私はこれを代々受け継いできました。もしかしたらジョルジアーノおじい様は生きていて何かの理由で家にかえれなかったのではないと考えたんです」
「なるほど、それであなたはこれをどうしたいと?」
「このジョルジアーノおじい様の日記を本にしたいと思ってますわ。博物館にあるのも素敵ですが、世間一般にもっと読んでほしい、アンナお婆様の書かれたことが本当なのか判断してほしい。あの日に現れたのがジョルジアーノおじい様だったのか私は知りたい。アンナお婆様は、結局、おじい様を待つことなく私のおじいさまと再婚された。亡くなってから私はお婆さまの机からこの日記を見つけて思ったんです。」
「これを世に出すと・・・」
「ええ、これを皆に見てもらっておじさまの処女作のバンパイアが本当に居たのかを検証したいんです」
「フーン、待っていた甲斐があったよ」
「そうなんです。私も待ってい・・えっ?」
女性は前を向いた、何だがさっきのスタッフを話し方が違うような・・・。
間に立って居たのはスタッフの帽子を脱いだ若い男性・・。いえ、男性というよりも少年?巻き毛の金色の髪が夕暮れの光に映えて奇麗な少年、女性は一瞬ドキリとした。あまりにもジョルジアーノの本に書かれたいた人物像に合っていたからだ。女性、アンヌは
「びっくりしましたわ。貴方がおじさまの書かれていた少年のイメージにソックリだったものだから」
「ジョルジアーノ?ああ、彼はいい人間でしたよ。村のことをこんな風に書くなんてね」
少年は話し方をごまかすことをやめたように、日記を見つめながら続けていった
「彼はね、僕の妹の恩人でね。村に招待したわけだが、こんな本を書くとは人間とは愚かなものだ」
「貴方は・・一体誰?」
「彼はね、我らの誘いを断って人間の愚かな短い生命を選んだ」
ここまでくると、アンヌにも眼の前に居るのが誰だかわかった。日は段々と落ちて暗闇が支配してくる彼らの時間だ。アンヌは身構えた。
「・心配しなくても僕らの目的は君ではない。その日記さ。さあ、およこし、そして忘れるんだ。そうすれば危害は加えない」
アンヌは無意識に胸の十字架に手をやった。きらりと暗闇でも光る十字架。今はもう素性を隠すことをやめたモーリスが日記に手を伸ばそうとしている。アンヌは口を開いた。
「神は真におぼしき存在ののち我えらをつくりたもう、そして愛の形によって我らを導かん。神は・・」
そこにモーリスの存在はなかった。アンヌは腰が抜けようにそこに座り込んだ。だがみ言葉は途切れぬことなく口ずさんだ。
「神は我らを導かん。もろもろの誘惑から我らを救い出すために神は・・神は・・・」
そこでアンヌの意識は途切れた。
馬車からだれか覗き込んでいる。金色の髪をした少女だ。少女は走ってくる兄の姿を見ると
「兄さまここよ」
「サーシャ、出てはだめだって」
「だって兄さま、遅いんだもの」
「どうだったのだ」
同じ馬車に乗る大人の男性がモーリスに聞いてくる。
「駄目だった。あの日記を取りに来るって情報があったから待ち伏せていたけど、神の言葉で・・・」
「駄目だったのか!」
「あなた方もそうだろう。人間の信仰する力が怖い」
「・・・フン、まあいい。違う土地に行けば信仰は薄れ人間は、バンパイアなんてものを信じなくなる。」
「ではあなた、早くここから離れましょう」
馬車の上を小突くと御者が無言で走り出す、いつの間にか雨が降っている。サーシャはモーリスにもたれると
「兄さま、次はどこに行くの?」
「そうだね。サーシャの体に合う所に行こう、さあ、少しお休み」
「ええ」
サーシャはモーリスにもたれると体をうずめた。馬車は暗闇の中をどこかに向かって走って行く。それが永遠に続き旅と知って尚、彼らは生き続ける、時を超えた人たち・・
このストーリーはごく最近、読んだ本が参考となりインスピレーションで書いたものです。可憐な少女と不愛想な兄。そして不思議な村。私なりの新しいストーリーとしてどうしても外せないのがバラと少女でした。永遠の時を生きる彼らにとって生とは何か、我々人間の短い一生を、彼らはどう感じているのか。彼らを通じて、今の人たちに問いかけたい質問でもありました。このストーリーを書くにあたってインスピレーションを与えてくださった某作者様に失礼のないことをねがっております。