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朝露のテラローザ

俺はろくに眠ることもできないまま、ホワイトデー当日の朝を迎えた。今日は日曜日。平日だったら大学内でばったり出くわした時に「あ、これホワイトデーのお返し」と言って簡単に渡せるはずだったが、日曜日なのだ。つまるところ、今日渡すのであれば各人を呼び出さなければいけない。その順番と、人を呼び出すというその行為にもう前日の夜から緊張してしまっていたわけだ。


時刻は朝6時。3時間ほどは眠れただろうか。二度寝を決め込もうと寝返りを打つが、また不安が襲ってきたせいで眠れない。こんなのセンター試験以来だ。


不安は募るばかりで、俺は何度目か分からないプレゼントの最終確認をしに、テーブルの前に座った。色とりどりなリボンで色づけられた大小さまざまな箱。まぁもう梱包されているから確認も何もないんですけどね。そこでまた不安が俺を襲う。


「好みのものじゃなかったらどうしよう」


そこでふと思う。彼女たちも同じ気持ちだったのだろうか。渡す瞬間まで緊張して眠れない夜があったのだろうか。渡すときには渡せたこと自体が嬉しくて、受け取ってもらえたのが嬉しくて、飛び跳ねるぐらい嬉しかったのだろうか。


その気持ちに勝手に共感して立ち上がる。立ち上がると窓の外から太陽に光が差し込んできたのが目に入った。「がんばれ」って言ってくれている気がして俺はたまらなく嬉しくなった。コーヒーを飲んでシャワーを浴びよう。男は度胸。やってやるぞ。


コーヒーを淹れている間にメッセージを送った。「午前10時。駅前で待つ」ともすればその文面は果たし状のようなものだったが、俺にとっては決闘みたいなものだ。使い方は間違っていないはず。日曜日ということもあり、おそらくまだ寝ているだろう。シャワーを浴びながら返事を待ちますか。


バスタオルで頭を拭きながらスマホを確認すると、すでに返信が来ていた。起きてたのか。そう返信すると、ニチアサは見逃せないからとのことだった。なるほど、あいつらしいな。少し早いが、呼び出した方が遅れるのは言語道断だ。早すぎても、駅前近辺にはゲームセンターもあるから時間は潰せる。先に到着しておこう。


彼女用に購入したプレゼントを手に取り、家を出る。さぁ、戦いの始まりだ。


駅前のベンチで待っているその顔からは緊張が隠せていなかった。そもそも人を呼び出すなんて小学生以来ではなかろうか。家を出るときにはあんなに勇ましかったのにほんとに同一人物なのかと自分でも疑った。まぁ家を出た瞬間から戦いは始まったんだ。もう戻るに戻れない所まで来ている。腹を括れ柚季。


時刻が10時になろうとした時に遠くからこちらに向かってくる姿を捉えた。一層、心臓の鼓動が早くなる。なんて言おう。なんて切り出せば。


彼女もこちらに気付いたようだ。徒歩が小走りに変わる。俺はそれに気付いていないふりをしながら必死に言葉を探していた。どちらが先か。勝負の一瞬だ。


「藤宮先輩、早くないですか」


彼女、秋野雫は俺の正面に立ってそう言った。


「君を待たせたくなかっかた」


噛んだ。すごくダサい。


「噛みました?」


「かみまみた」


「可愛くねぇです」


「すみません」


俺は彼女を連れて近くの喫茶店に入った。このまま渡してすぐに帰るというのも何か違う気がしたからだ。


「で、なんの用です?」


席に着くや否や、彼女はそう言った。やはり今日もつかみどころがない。


「あ、あー、えっと、げ、元気かなって思って。ほら、最近会ってなかったし」


「一昨日会ったじゃないですか」


言葉を見つけるための時間稼ぎはしかし、失敗に終わった。


「とりあえず何か注文しようぜ。なににする?」


「じゃあコーヒーを」


「あれ、コーヒーでいいんだ。てっきり飲めないのかと」


「私を千夏ちゃんと同じだと思ってます?あんなに馬鹿みたいに食べるのはあの子ぐらいですよ」


なんか今日機嫌悪いな。どうしたんだろう。


「私、これから用事あるのでお昼前には帰りたいんですけど」


「あ、そこまではかからないから大丈夫」


「そうですか」


「お待たせしました」と店員が二つのコーヒーカップを持って現れた。それにミルクだけ入れて飲む。うん、初めて入ったがここのコーヒー美味いな。


「えー、ミルク入れるんですか?」


「いいだろ別に、ブラックは飲めないんだよ」


「だっさー」


なんだこいつ。初期設定からかけ離れすぎじゃないか?


「そういえばちゃんと返事をしていなかったと思ってさ」


俺はコーヒーで潤した喉を振り絞りながらそう切り出した。


「なんです?」


「秋野から提案されたクリスマスまでに誰か一人に決めるってやつ」


「あー、ありましたね」


忘れてたのかよ。


「あれ、ちゃんと守る。それまでにはちゃんと決める。一人の人間には、」


「一人しか守れない?」


「そう。秋野の言葉だ。俺も男だし、ちゃんとする。もうふらふらなんてしない」


「そっ。まぁいいんじゃない」


「ありがとう。そういうことでもなければ俺はずっとふらふらしてたかもしれない」


「うん。そうだね」


「そんなわけで、これ」


俺は持参したリュックから紙で包まれた袋を取り出す。


「あんまり高価なものじゃないけど、バレンタインのお返し」


「え、いや別にいいのに」


「いやお返しだから。受け取ってほしい」


「そう、ありがと。開けてもいい?」


「え、目の前で!?」


「嫌なの?」


「いえ、別に」


秋野はびりびりと包装紙を破き始めた。なんかこう、もうちょっと開け方ってのがあるんじゃないかな。たまに雑なんだよなこの子。


「おー、いいね、これ」


秋野の為に選んだそれは茶色のベレー帽だった。なぜかこれを見た時に秋野っぽいと思ったからだ。要らなければ被らなくてもいいし、ベレー帽ってなんか部屋にあったらおしゃれじゃない?


「私の好きな色だ。ありがとう。けっこう、嬉しいかも」


秋野はそれをすぐさま被り、見せつけてきた。


「どう?」


「うん、似合ってる。よかった、秋野はなんとなく帽子が似合うと思ったんだ」


「ほんとにありがとね。プレゼントなんてずいぶん久しぶりだよ」


あんなに媚びることなんてありませんよなんて顔をしていた秋野もずいぶん顔が柔らかくなった。本当に喜んでるみたいだ。


「用事ってこれ?」


「そう。今日中にどうしても渡したくて」


「律儀だね。そんなところも好きだよ」


「な、なんだよ」


「んーん、別に。言いたくなっただけ」


「なにそれ」


「じゃあ私、ほんとに用事あるから帰られせてもらうね。プレゼント貰ってすぐ帰るとかなんかいやらしい感じになっちゃうけど」


「呼び出したのはこっちだし、全然大丈夫。むしろ当日の朝なんかに連絡してごめん」


「ほんとだよね。今度からもうちょっと早めに連絡よこしなさいよ」


「はい、すみません」


「それじゃあ」


彼女の背中を目で追う。喫茶店を出る瞬間に「あ、そうそう」と言いながら踵を返し、こちらを向いた。


「いい顔になったね。惚れ直した。近いうちに埋め合わせさせて。じゃね」


そう言って秋野は喫茶店から出ていった。喜んでもらえてよかった。まずは一戦終了だ。

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