涙の理由
「ちょっと待てぃ!!」
思わず、最近ずっと視聴しているナイトinナイトの番組の代表的である名ゼリフが飛び出してしまった。明らかに番組を見すぎている影響だが、使い方は正しかった。いやほんとにちょっと待てよ。
「なによ」
美冬は不機嫌そうな顔でこちらを向く。ちらっと東と秋野を見ると、そちらも同じような顔をしている。このままだと誤解を招かねん。先にこちらに弁明をしておこう。
「こいつは橘美冬。俺が世話になっている親戚の子で、全然付き合ってるとかじゃないから!!」
大声で否定すればするほど、真実味が帯びてくる気がしてくる。しかしこれは本当のことなのだ。沈黙は是、ならば大声で否定するのみ。
「なんでそんな他人行儀なの?一緒に布団で寝たし、お風呂だって一緒に入ったことあるでしょ」
「あ、あぁ!小さい頃の話な!?そんな可愛い時もあったよなぁ!」
大げさに笑って見せる。でもそれはどこかぎこちなく、誤魔化してるようさえ見える。誰かこいつを止めてくれ。
「それに春からは私も同じ大学に進むんだから、もうそういうことじゃん?」
「お前、からかってるんだよな!?俺をからかってそう言ってるんだよな!?」
確かに小学生くらいの時は俺と美冬は仲が良かった。それこそ美冬の言う通り、一緒に風呂に入るぐらいには。でもそんなものは過去の遺産。美冬が中学校に上がってからというもの、俺は完全に美冬の目の上のたんこぶと化していた。無視やパシリは当たり前、たまに飛んでくる怒号にはひどく恐れていたものだ。
でも、あんなに嫌われていたはずなのになぜ今になって冗談でもこんなことを言い出すんだ。そうか、分かった。こいつは俺を困らせたいんだ。女友達の前で俺に恥をかかせてやろうという魂胆なんだ。
それに気付くと怒りがふつふつと湧いてきた。過去の態度もそうだ、俺は長い間ないがしろにされてきた。せっかく家を出たというのに、周りにこいつがいるとなればそれも危ぶまれる。でもここは人の目がある。俺は拳をぎゅっと握って怒りに耐えた。
「でもちゅーもしたじゃん。あんたあの時すっごい顔赤くしちゃってさー。なに、今も童貞なの?」
けらけらと手を振りながら笑う美冬。それを見た俺はプツンと何かが切れる音を聞いた。
「お前なぁ!!なんなんだよこんなとこまで来てさぁ!!!俺はお前と離れたかったのに、お前がこっちに来たら意味ないだろ!!大学だって同じにして、なんのつもりなんだよ!!!」
それほど生徒も少なくない大学だ。どこかで会ったところでわざわざ立ち止まって話すこともないだろうと高を括っていたが、こんな所にまで押しかけてくるのは別問題だ。俺のプライベートまで脅かさないでくれ。
普段、大声を出すことも大きな声を出すこともない俺だ。感情に任せて口から発せられた怒りの感情は目を潤ませた。ぼやけた視界で美冬を見下ろす。それでも美冬が少し怯えてることが分かった。
周りの客もこちらを心配そうに見つめている。そりゃそうだ、根暗そうなやつが急に立ち上がって叫ぶんだ。恐怖以外の何物でもない。店員でさえ、こちらに歩み寄ろうとしている。
東と秋野の前で童貞だと言い当てられ、恥ずかしくて怒るその姿はなんと滑稽なものだろう。熱も冷めてしまうには十分だ。
顔を伏せていた美冬が、
「・・・悪かったよ」
と小さく言った。俺も、悪かったよ、大きな声出して、と口に出そうとした瞬間に美冬は立ち上がり、店を出ていった。
その背中を目で追っていた東がこちらを向く。
「追いかけないの?」
その目はいつもの元気なはつらつとしたものではなく、俺を責めるようなそんな目だった。
東のその問いに、「いいよ、あんなやつ」とぶっきらぼうに答えると、
「家族なんでしょ」
と東は続けた。東と目を合わせるのが怖くて、コーヒーに視線を落とした。水面にぼんやりと自分の顔が浮かぶ。
「家族は大事にしないといけないんだよ」
東は振り絞るような声を出した。
「いつでも会える、が会いたくても会えない、になっちゃうかもしれないんだよ」
そうだ、いつか言っていた。東の家族は。
「あの子、泣いてたよ」
東の声は次第に涙声へ変わっていった。
「追いかけてあげて」
東はわずかながらに潤うその目をこちらに向けて言う。
「私の知ってる藤宮さんは、ここでへそを曲げて黙って座ってる人じゃないよ。あとで後悔するんだよ、あの時追いかけていればって。だから、走って。私たちのことはいいから。あの子を、救ってあげて」
秋野に目線を移す。秋野もこくんと頷く。
「ごめん、あとで埋め合わせするね」
俺はそう言って上着を羽織り、店を飛び出した。




