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春宮愛の場合②ー2

家に帰ってきてから荷解きをすることもなく、私はベランダへ向かった。帰りがてら購入したシュークリームを頬張りながら。甘いものは好き。心のもやもやを晴らしてくれる気がするから。もやもやは言うまでもなく、彼に対してだった。でも誰にだって人に知られたくないことはあるじゃない。なんであんなぶっきらぼうなことしかできないんだろう私は。


だからこんな自分は嫌なんだ。こんな自分は知られたくなかったのに。「君のことを知りたい」と言っておきながら私のことは知られたくないとか、なんて自分勝手なんだろう。私は夜空を眺めながら彼に謝った。ごめんねこんな女で。


ベランダにいたらまた彼がひょこっと現れそうな気がして彼の部屋の窓を見る。今の私を見られたくないというのともう少しだけお話ししたいという気持ちがもやもやを生んでいた。出てきてほしい?出てきてほしくない?


そんなときに彼の部屋からガンッと音がした。次いで「いでぇっ!」という声がした。なにしてるんだろう。興味はあったが、わざわざ部屋へ行くのも失礼だし無事だけ祈って私も戻ろう。


冬休みが終わり、大学が始まった。勉強は嫌いじゃないけど、寝るのが好きな私にとって1限から始まるそれは非常に辛く、眠い眼をこすりながら電車に揺られた。


次の講義まで時間があったため、飲み物でも買おうかと歩いていると中庭で雫ちゃんと彼が話しているのを見た。話しているというか雫ちゃんはスマホを突き付け、彼はそれを見てから回答するという会話としては多少なりとも時間差があるものだったがそれも仕方ない。雫ちゃんは私に対してもスマホを突き付けてくるのだ。もっと仲良くならないと千夏ちゃんのようにはならないだろう。


雫ちゃんは地団太を踏んでいる。かわいいなあの子。今日日、地団太なんて踏む人なんているのだろうか。雫ちゃんは彼に対してお辞儀をしたあと、足早にその場を去ってしまった。そうだ、といつかのことを思い出し、自販機で缶コーヒーをもう一本買ったあと、彼の後ろから近付いた。


「おつかれ」


平然と、いつものように、何も感じさせないように振舞った。まだ私の心は晴れてはいなかったが、それを悟られるのは悔しい。彼曰く、千夏ちゃんと雫ちゃんが喧嘩しているとのことだった。なるほど。バレンタイン絡みだな。今まで私の周りでも似たようなことがいくつもあった。抜け駆け、どちらが先に渡すか、何個あげるか、友チョコなのか、本命なのか。そんな話を耳にタコができるほど聞いてきたものだから恋愛というのは面倒くさいし、女は面倒くさいなと思ったものだ。まぁでも君には言わないけどね。


件のバレンタインデーが近付いてきた2月上旬。私はPCの電源を落として、ヘッドフォンを外した。ふぅ、疲れた疲れた。そろそろ寝ますかね。明日の天気はどうかなぁと雲の量を確認しに窓に近付いたら鼻歌が聞こえてきた。露天風呂で聞こえてきたものと同じものだ。カーテンを開けると寒さに体を震わせながらそれでも鼻歌を歌い続ける男がいた。いったい、なにしてるんだこの人は。


窓を開けて声をかける。「なにやってんのこんな寒い夜に」彼は歯をカタカタとさせながら「奇遇だね」と言った。かろうじて聞き取れたそれは寒さを物語るには十分なほど震えていた。


聞くと夕飯すら食べてないという。そんなのだめだ。ご飯食べないと元気は出ないぞ。一にご飯、二に睡眠、三四無くて五にご飯だぞ。ちょっと待ってて。


私は冷蔵庫を開ける。うーん、夕飯の時にあらかた使ってしまったから何も無いぞ。あるのはうどんくらいか。よし、じゃあ鍋焼きうどんにしよう。あったまるし、簡単だし、美味しいし。でもわざわざ一から作ったって言ったら気を遣わせそうだし、夕飯の残りだっていうことにしよう。


彼の部屋に届けたらすごく喜んでくれた。ちょっと口うるさくなっちゃったけど、大丈夫かな。またなんか思われてないかな。大丈夫、だよね?


翌日、ほぼ空になってしまった冷蔵庫とにらめっこしていたが、終ぞそれが満タンになることは無かったので買い物に出かけることにした。寒いから出たくないという体を叱咤する。家を出ようとした時、男性同士の会話が聞こえた。彼が風邪をひいたらしい。だってあんな寒い所にいるんだもん、当たり前じゃん。しょうがないからついでに何か買ってきてあげようか。


ゼリーやプリンを買ってベランダに置いた。彼は夜空が好きだと言っていたから、カーテンを開けたら気付くだろう。部屋に直接訪問したら寝てた時に悪いし、そのせいで私まで風邪をひいたら余計、気を遣うだろうなと思ったからだ。早くよくなりますように。私は彼の代わりに夜空を見ながら祈った。


ある日、雑貨屋で買い物をする必要ができた私はやはり外に出たくない体を起こした。まだまだ寒い。できれば家にいたい。家を出ようとした寸前でそれは起こった。


「んべっ」


という声と共に扉に衝撃があった。覗き込むと彼が鼻血を出しながらそこにうずくまっていた。ほんとになにしてんのこの人。手には土鍋と白い箱。あぁ治ったから返しに来てくれたんだね。なのにまた鼻血を出しちゃっているけど。


ベランダに置いていた食料にも気付いてくれたらしい。よかった。放置されてるのを見たくなくて意識しないようにしてたから。白い箱はケーキらしい。やったぁ!ケーキだ!私ケーキ好き!でもやっぱり気を遣わせちゃったみたい。悪いなぁ。


テンションが上がっちゃって一緒にケーキ食べる?って提案しちゃったけど、すぐに私とんでもないことを言ってるなって気付いた。若い男女が一緒の部屋にいたらどうなるか否が応でも分かる。家に上げるということはそれだけで了承の合図だ。しかし彼はそれを拒否した。安堵感はあったが、同時に不愉快な気持ちもあった。なに、私の家には上がりたくないっていうこと?


それ以上、彼を引き留めるのも悪かったしそこで別れた。部屋に戻って土鍋を開けるとクッキーが入っていた。可愛い小さな包みのクッキーだ。開けて一枚だけ食べる。バターの甘さが口いっぱいに広がる優しい味だった。美味しい。そこでふと思い出す。そうだ、私は雑貨屋に行かなければいけないんだ。冷蔵庫にケーキの箱を滑り込ませ、トレイに載せたそれも一緒にいれる。よし、行くぞ。彼にあげるチョコの箱を買いに行くんだ。


バレンタイン当日になって私はひどく緊張していた。初めて自分から男の人にチョコをあげるのだ。緊張しない方がおかしい。いつもな感じでさりげなく渡してしまおう。大丈夫、できる。がんばれ私。


でもその勇気は結局、出ることはなかった。人目を気にして、というのもあったが気恥ずかしくて堪らなかったのだ。無情にも時間は過ぎゆくもので、気付いたら私は家に帰ってしまっていた。あーあ、なにやってんだろ私。みっともないな。それもこれもこれのせいだ。もう自分で食べてやる。そうして取り出した箱。でもこれ彼にあげたらやっぱり喜んでくれるのかな。できるだけシンプルに可愛く彩ったその箱を眺めていると勇気が出てきた。渡さなくちゃ。チョコは渡すまでがチョコなんだから。


ベランダに顔を出したら彼の部屋に明かりが灯っていた。よし、家にはいるな。その勢いのまま、窓をノックする。コンコン。反応は無い。電気をつけっぱなしで寝ているのか?もう一度ノックする。それでも反応がない。いないんなら渡せないね。こればかりは仕方ない。彼の郵便受けにでも入れておこう。


部屋を出ようとすると、隣の部屋から物音が聞こえた。やっぱりいるんじゃない。居留守でもしてるのかしら。呼び鈴、鳴らしてみるか。


彼の部屋へ行き、呼び鈴を押す。やはり反応は無かった。ちょっと大げさに声をかけてみる。「あれ、帰ってきてると思ったのになー」これで反応が無かったらもう帰ろう。少し待ってみる。よし、反応なし。帰ろ。そうして自分の部屋の前に行くとドタドタと走ってくる音がした。そして勢いよく開く隣室の扉。「ご、ごめん!お待たせ!」彼は着の身着のままで現れた。寝巻だろうか。糸がところどころほつれている。さっさと渡してしまおう。


彼に箱を手渡す。なるべく冷静に。「それじゃね」とだけ言って部屋に戻る。私は達成感で満ち溢れていた。やった、渡せた!よかった!勇気出してよかった!そうしたら、背中から、


「あ、ゆ、夕飯食べた?よかったらご飯でもいかない?」


と声をかけられた。おっと、それは想像してなかったぞ。どうする私。

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