コミュ障は混乱している
諸君、私は夜の散歩というのが大好きだ。
いつもは誰かしら歩いている道が、ただ暗闇に落ちるというだけで誰もいなくなるその瞬間が好きだ、店の煌々と輝いているウィンドウがすべて明かりを消し、街灯のわずかな明かりだけがあるその瞬間が好きだ、しんと静まり返ったその道を自分の足音だけが響く、そんな瞬間が好きだ、夜勤のコンビニ店員がすごくけだるそうに仕事をしているその瞬間が好きだ、いつもよりよく見える星をだらだらと数えながら歩くのが好きだ。
それも、好きな人と一緒ならばどれだけ楽しいのか。
春宮は結局、女湯から出てくることはなかった。
俺の想像以上に出るのが早かったのか、想像以上に出るのに時間がかかったのか、はたまた外で俺が待っているのが分かって、いなくなるのを見計らっていたのか。
最後のが合っていた場合、俺は避けられている、というのが分かり切ってしまうのでもうそこで考えるのは辞めた。確信要素がない以上、考えるのは仕方のないことだし傷つきたくないと思ったからだ。現実逃避である。
そんなわけで俺は秋野との約束を果たすため、エントランスへとやってきていた。特に待ち合わせ場所を決めていたわけではないが、部屋で待つのもなんだか違う気がして一足早くやってきたのだ。ここならばすれ違うということもあるまい。
わずかに照明を落とされ、薄暗くなっているそこには、たまに現れる夜の温泉目当ての宿泊客が通る以外には基本的に人はおらず静まり返っていた。従業員も休憩中だろうか、フロントにはその姿はない。
「おまたせ、しました」
振り返ると、秋野が立っていた。「お、う、うん」と返事のような相槌のような曖昧な返事をして立ち上がる。
「いきま、しょうか」
秋野の小さい声はその静まり返ったフロントではよく聞こえた。俺を先頭にホテルを出る。すぐさま寒気が身体に当たり、身震いをする。
「寒くない?大丈夫?」
「着こんで、きましたので」
「そっか」
当たり前だが、この辺の地理には詳しくない。とりあえず近くの公園みたいなところに行ってみるか。
俺の後を秋野が追ってくる。秋野から誘われたので何か話でもあるのかと思っていたが、全然そんなことはなくただ歩いていただけだった。前述のとおり、俺は夜の散歩が好きなので苦にはならないが。
自販機を見つけたので何か飲もうと立ち止まる。
「何飲む?」
「え、いや、別に、大丈夫、ですよ?」
「いいからいいから」
「じゃ、じゃあ、これを」
秋野が指さしたのはホットココアだった。何か縁を感じるなと思いながら小銭を入れる。ちなみに俺はホットコーヒー。ブラックは飲めないのでカフェオレ。
「こんな、時間に、コーヒー?」
「眠れなくなるのを心配してくれてるの?それなら大丈夫だよ。コーヒー飲んでも寝れるから」
「そう」
目線の先にあずまや付きの公園を見つけた。風はなく、ベンチには雪は積もっていない。ここで飲み物を飲んで後は帰ってしまおう。俺は平気だが、秋野が風邪をひいては元も子もない。
「少し休もうか」
「は、はい」
二人並んでベンチに座る。空は雲も無く星がよく見える。星を見るのは好きだが、星座とかは全く知らないので北極星を探しながら暇をつぶすことにした。コミュ障は沈黙に弱いのだ。
星を探していると、秋野は急に話し出した。
「藤宮さんは、今、好きな人って、いますか?」
飲みかけたコーヒーはしかし、その喉を通ることはなかった。盛大に吹き出した俺は積もった雪に茶色い染みを残しながら咳き込んだ。いかん、まずい所に入った。
「だ、大丈夫?」
「いや、うん、ごめん、大丈夫」
「そう、ですか」
秋野からそんなことを聞かれるとは思わなかったので、まさに不意をつかれた感じになってしまった。いや、びっくりした。
「私、好きな人が、いたんです」
俺の呼吸が正常に戻るのを待って、秋野は続きを話した。
「でも、その人は、別に、好きな人が、いたんです」
恋愛相談だろうか。続きを促す。
「すごく、優しくて、ずっと、一緒にいて、その人と、いるのが、当たり前に、なって」
「私は、それが、すごく、うれしくて、これが、好きなんだって、気付きました」
「ある時、気付いたんです。その人が、ある人を、ずっと、目で追ってること」
「すごく、悲しかった。好きなのは、私だけなんだなって、分かっちゃったから」
「それからその子は、その人と、よく遊ぶように、なって」
「私もどんな人か、知りたくなって、ゲームに誘ったりしました」
「その人は私の、こんな性格も受け入れてくれました」
「この人だったらあの子を任せられる、そう思いました」
「あの子と、千夏ちゃんと付き合ってくれませんか」
「千夏ちゃんの幸せが私の全てだから」
あのたどたどしい口調は、話すうちに流暢なものへと変わっていった。それだけ、真剣な思いで伝えてくれたのだろう。
「おかしいと思ってます。女の子を好きになるなんて普通じゃないです。千夏ちゃんもちゃんと男の人が好きなんだって分かった。私は千夏ちゃんの邪魔になりたくない、重荷になりたくない。だから、千夏ちゃんと付き合ってください。それで、私のこの気持ちは終わりにします」
秋野は一息でそう言った。力強い目でこちらを見ている。その目に光るものを見つけて、勇気を振り絞ってるんだなと分かった。その気持ちには正直に向き合わねばなるまい。
「俺も、好きな人がいるんだ」
「その子はぶっきらぼうでガサツで、でも可愛くて、女の子らしくて、俺はまだまだその子のことを知らないけど、その子は俺のことをもっと知りたいって言ってくれた。だからまだ東さんの気持ちには応えられない」
「それに、実らなかったとしても東さんの気持ちにすぐ応えられるかって言われたらそれも難しいと思う。そんなの両方に失礼だから。だから、ほんとは、はっきり断った方がいいとも思ってる」
秋野は嬉しいと悲しいが混ざり合った顔でこちらを見つめている。
「東さんにはいつかきちんと話そうと思ってる。秋野さんにも迷惑かけるけどもう少し見守っててほしい」
俺は真剣な顔でそう告げた。
「分かってるんですか?それキープってことですよ」
「分かってる。でも正直、揺らいでるんだ。ずっとあの子が好きだって思ってたけど東さんもすごく魅力的だから」
「それは私もそう思います」
秋野に言った通り、俺は今迷っていた。一人を追う、それが誠実なことかもしれない。それが正しいことだろう。でも、でも。
「じゃあ、私も参戦しちゃおっかな」
「・・・え?」
「さっき言いましたよね?こんな私を受け入れてくれたって。あれ、ほんとはすごく嬉しかったんです。それこそ、好きになるほどには」
「・・・ん?」
「確かに言いました。あの子の幸せが私の全てだって。あれはあなたの反応を見るためについた小さな可愛い嘘です。確かに私はあの子のことが好きだけど、恋愛感情ではありません。幸せになってほしいなっては思うけど、全てではありません」
話が見えない。
「私も、私の幸せを願うことにしました。祈ることにしました。叶えることにしました。私を、あなたの三人目の候補にしてくれませんか?」
どういうこと?
「ちなみにあの二人とはちゅーしたんですか?」
「いや、し、してないけど」
「じゃあこれで私が一歩リードですね」
秋野の顔が近づいてきたと思ったら、頬に柔らかい感触があった。
「それじゃ、藤宮さん。私は先に戻ります。また明日!」
スキップ混じりで秋野はその場から去っていった。
俺はわずかに温もりが残る頬から手が離せなくて、ただ茫然とそこにいた。




