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温泉の効能にコミュ力アップはありませんか

寒気に身を震わせるような、ホラー映画のびっくりポイントにまんまとハマるような、そんな驚きで身体は飛び跳ねた。誰もいないと思っていたのに名前を呼ばれたものだから、それはもうひどく驚いた。鼻歌とか歌っちゃったよ、どうすんのこれ。


「あれ、藤宮じゃないですか?」


声がもう一度聞こえる。春宮のそれだった。


「ご、ごめん、びっくりしちゃって」


「よかった藤宮で。別の人だったらどうしようかと思った」


「なんで俺だと分かったの?」


「お風呂に行くって言ってたし、露天風呂にいたら藤宮の鼻歌が聞こえたから」


ばっちり聞かれてんじゃねぇか。


というかなんだこの状況。壁を隔てているとはいえ、これはもう一緒に風呂に入っていると言っても過言ではないのではなかろうか。なんか水音とか聞こえるし、否が応でも想像してしまう。


「好き?」


「え!?!?!?!?!?」


なにが!?!?!?!?私のことをってこと!?!?!?!?


「なにそれ、聞いてなかったの?」


「う、うん、ごめん」


「温泉、好き?って」


「あ、あー、お、温泉ね」


びっくりしたー!!!温泉ね!温泉!いいよね温泉!!!


「そうそう」


「温泉、好きだよ!めちゃくちゃ好き!」


「なんか調子悪くない?大丈夫?」


「え、なにが!?!?!?全然大丈夫ですけど!?!?!?」


狼狽がバレた。


「ならいいんだけど」


落ち着け、大丈夫だ俺。さすがに妄想した内容まではバレないはずだ。なんとか落ち着いて適当に話題を変えるんだ。そうだ柚季。がんばれ。今のお前ならそれができる。自分を信じろ。負けるな柚季。がんばれ柚季。深呼吸だ柚季。


「なんかこうしてると一緒にお風呂入ってるみたいだよね」


「ブフオウッ!!!」


「え!?なに!?ほんとに大丈夫!?」


まさか春宮の方からそんなこと言われるとは思っていなくて盛大に吹き出してしまった。なんなの、心が読めるの?やめてくださいお願いします。


「見て、すごい星がきれいだよ」


人里離れたこのホテルだ。街灯も少なく、雲もそんなに無いおかげで星も月もよく見える。今日は三日月だ。


ふと、夏目漱石のある言葉が頭に浮かぶ。ロマンティックでもあり、文学的でもあり、神秘的でもある。いつか言いたい言葉の一つにそれは含まれているが、それを使うときは果たしていつになることだろうか。雰囲気的には、今この時がもしかしたら使い時かもしれないが、今までの失敗を顧みることができる俺は口をつぐむことができた。人は成長する生き物なんでね。


「月が、綺麗ですね」


何言ってんの俺ー!!!人は成長する生き物なんでね(キリッ)とか言ってなかった!?顧みることができる(キリッ)とか言ってなかった!?!?何も成長してないよただのアホだよ!!!なんなんだこの頭に浮かんだ瞬間に喋っちまうこの口は!!!縫い付けてやろうか!!!


「月?星じゃなくて?」


セーーーーーーフ!!!!!!あぶねー!!!!!春宮がこの言葉知らなくてよかったー!!!!!


「うそうそ、知ってるよそれ。夏目漱石だっけ」


アウトーーーー!!!!!知ってましたー!!!!ざんねーん!!!!!藤宮柚季は執行猶予無しの懲役二十年と処す!!!!!!!


「意味は忘れちゃったけど」


せ、セーフ?いやアウト・・・?ど、どっちだ・・・?


「部屋戻ったら調べてみるね」


セウトー!!!!!実刑!!!!!


「い、いやいや大丈夫!ほんと!全然!知らなくていいことが世の中にはあるよ!うん!ほんとに!!!」


「必死過ぎない」


ふふっと春宮が笑った。


「あ、あぁ、そうそう身体の方は大丈夫!?」


いやおい待て柚季。この状態でのその質問はやばくないか、それこそ今さっき一緒に風呂に入るのを想像したばかりなんだぞ、話題を変えることを念頭に置きすぎて変なことを聞いたんじゃないか、大丈夫かこれ。


「身体?筋肉痛のこと?うん、大丈夫だよ。ここの温泉はよく効くらしいし」


ようし柚季よくやった。正解だったっぽいぞ。上手く話を逸らせた。


「温泉だけど、地元にいたころはよく行ってたよ。いやこっちの銭湯って値段高いね。地元で何回温泉に行けるか分かんないぐらい」


「そうなの?」


「そうそう、この間もさ、足を伸ばしてお風呂に入りたくて近くの銭湯に行ったんだけどさ、そこの・・・」


何とか話と気持ちと罪悪感を紛らわすことができた俺はそのまま春宮と世間話をした。春宮はどんな話でも耳を傾けてくれて、俺も言葉を選ばずに話すことができた。坂口に対しても言葉を選んで会話するような俺だ。この会話が非常に心地よくて。やっぱり好きなんだなぁと再認識した。


そこで春宮の言葉も頭に浮かぶ。「藤宮のことをもっと知りたいと思った」知ったあと、どうなるのか誰も分からない。知ったから付き合ってくれるのか、知ったからさらに距離を置くのか、神のみぞ知るといったところだが、なんと言っても春宮の気持ちだ。踏みにじりたくない。


「のぼせてきちゃった、先に上がるね」


「お、う、うん」


正直、話し足りない所もあったが引き留める理由がないのでそのまま見送った。いやまて、今同じタイミングで出たら湯上りの春宮を見れるのでは。そうだ、偶然を装ってばったり出くわそう。


そこから髪を乾かす時間とかを考慮して出入り口前で待機する。しかし、待てど暮らせど女湯から春宮が出てくることなど無かった。

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