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具材の準備が終わるのと同時にいつの間にか炭に火をつけてくれていた坂口からBBQの準備ができたと伝えられた。各々、紙皿を手に取りウッドデッキへ。焼肉奉行と化した秋野の指示のもと、もはやどこかロボットのような動きで肉を頬張る面々だったが、食事中は静かに!という焼肉奉行の一喝によりそれはもはや食事と言うより作業というほかなかった。食事は楽しいもののはずなのに。
一連の作業が終わり、皆で片づけをした。さすがに食事後まで焼肉奉行は現れなかったようで秋野はやり遂げたという風な顔で誰よりも達成感を得ていた。秋野とは絶対に焼肉には行くまいと心から誓った。
少しの休憩の後、みんなで温泉へ向かうことになった。千夏ちゃんは誰にも聞かれていないのに「温泉は何回入ってもいいもんですからね!」と連呼していた。ふと、美冬の様子が気になり、後ろを振り返ると春宮を呼び止めていたようだった。その会話はもちろん知る由もないが、これで関係は良くなるだろう。・・・良くなるかなぁ。他のメンバーを先導して、その二人から離れさせる。なんか上手くいってくれ。
赤坂と坂口と共に男風呂へ。すでに日帰り温泉の入浴時間は終わっているため、人は少なかったがまだ数人の入浴者がいた。迷惑にならないように入浴を済ませる。坂口と赤坂は「サウナは絶対入るぞ!」と意気込んでいたので誘われるがまま、人生初のサウナに入ることになった。
感想を率直に伝えると何が楽しいんだコレといった感じだった。整う、とか色々と言われているが俺には苦痛でしかなかった。息を吸うと熱風が来て苦しいし、さっき体を洗ったはずなのに汗はとめどなく出てくるし、水で濡らしておいたタオルは生温かくなるし、散々だった。なのに、赤坂と坂口はここが天国かと言わんばかりに恍惚な表情を浮かべていた。なんならそれが一番腹が立った。
そんなわけで俺は二人で別れてさっさと上がることにした。俺にサウナはまだ早い。
コテージへの道を歩いていると、人が少なくなったから川のせせらぎがよく聞こえた。誘われるようにそちらへ向かう。湯冷ましにもちょうどいい。
夜の川は昼とは違い、すごく静かな波を立てていた。そこで目をつぶってみると、思ったよりも心地よかった。アパートの近くにも川は流れているが、やはり山の中の川というものもすごくいい。
周りに人がいないことを確認してから俺はそこで小さく「愛」と呟いてみた。昼間の春宮からの申し出だ。練習が必要だった。千夏ちゃんはむしろ妹のようなところがあったから特に違和感なく、すっと呼べたが春宮は違う。そこでふと思った。俺はすでに選んでいるのかもしれない。
もう一度、「愛」と呟いてみた。いざその場になるときっと緊張してしまうから。今のうちに。
「何か言った?」
そう声をかけられて驚き、振り向く。そこには春宮が立っていた。ラフな格好に着替えているのを見ると、春宮も湯上りなのだろう。
「は、早かったんだね」
俺はしどろもどろになりながらそう返す。
「昼にも入ってたからね、千夏ちゃんたちは整ってくる!って言ってたけど」
あいつらもサウナ狂だったのか。流行り?流行りなの?
「気持ちいいね」
俺の隣に立ちながら髪をなびかせる春宮。それはなにか見てはいけないもののような気がして咄嗟に目を逸らした。
「暑いからちょっと入っちゃおうかな」
「え?」
俺の返事を待たず、春宮はサンダルを脱いで川に向かっていった。
「夜は危ないよ」
「少しだけだからー」
まぁ春宮も大人だ。そこまでふざけることはしないと思うが。
「きゃっ、冷たーい!藤宮もおいでよ、気持ちいいよ」
そう手を伸ばす春宮。途端、足が滑り体勢が崩れる。
「愛!!」
俺は咄嗟にその手を取る。なんとかぎりぎり間に合って川に落ちることにならずに済んだ。春宮が体勢を整えながら、俺に言う。
「・・・練習、してたでしょ」
「え?なにが?」
「聞いてたよ、全部」
「なんのことかさっぱり」
「やっと、呼んでくれたね」
湯上りで紅く染まった頬に春宮の唇が静かに触れた。
「これからもそれでよろしくね」
俺の手を優しく振りほどいた春宮はそう言って鼻歌を歌いながら一人でコテージへ戻っていった。呆然とする俺を残して。