道行く人の知らぬこと
「くそう、せっかく隠してたのになー」
鉛筆を上唇と鼻の間に挟み、話の構成に迷う文豪のように、千夏ちゃんは腕組みをしながら難しい顔をした。
「先輩ってやつ?」
「そですそです」
もはや隠す気はないと言わんばかりに俺の質問にすぐに返してくれる。
「でも先輩って学校の先輩ってことでしょ?別に何も隠すことなんてなくない?」
自分で言いながらきっとそれだけじゃないということを俺は知っている。ただの、先輩であるならばもちろん心配はしよう、しかし、強引に外に連れ出すようなそんなことはするだろうか。まぁ俺の人間関係からそんな奴は人生に一人もいなかったのでそう考えてしまうだけかもしれないが。
「まぁそれもそうなんですけど」
千夏ちゃんは少し逡巡したあと、意を決したように俺に向き直った。
「先輩って、vtuberって知ってます・・・?」
知ってるも何も今の俺を支えてくれているのは間違いなくそれだ。今までも、そしてこれからも人生の友として寄り添ってもらうつもりでいる。それぐらい俺にとってはかけがえのない存在だ。でも、
「あぁ、名前ぐらいは知ってるかな」
少し知らないふりをした。
「所属している事務所の先輩なんですよ。春宮さん」
「え!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
まだ新年を空けてから4か月しか経っていないが、おそらく今年一番の驚きだっただろう。
「そんなに驚くことです?」
「いや、ごめん、大丈夫。続けて」
「はぁ。まぁここに引っ越してからそれを知ったんですけどね。ほら、あのスノボしに行った時に」
なるほど。女部屋のことなど全く描写がなかったから知らなかった。そんな会話がされていたのか。
「それで意気投合じゃないですけど、けっこう先輩後輩同士でもネット上で会ったりするので実際に会うのはそんなにないんですよ。こちら側の愚痴とかもありますし、それを話せるというのはすごく嬉しいものだったんです」
急に仲良くなった気がしてたのはそんなことがあったからなのか。ただ単に千夏ちゃんが人懐こいだけかと思ってた。
「ただ、この間ちょっと配信でトラブっちゃって。そこからどういうアプローチをしても答えてくれないんです」
「そうなんだ」
vtuberにとって顔バレは一番してはいけないことだ。この先の活動にも左右される。落ち込むのも当然だろう。まぁ春宮は可愛いからこのまま顔出しで活動を行ってもさして問題は無いと思うが、これを言ったら各方面から多大なるバッシングを受けそうだからやめておこう。そもそもそれvtuberじゃないし。
「事務所からも色々連絡が来ていると思うんですけど、それにも無反応らしくって」
「それは心配だね」
「そうなんですよ」
近くの喫茶店で昼食のサンドイッチを二人で挟みながらそんな話をした。春宮の件も驚いたが、千夏ちゃんもvtuberだったとは。そういえば夜はあまりこちらに来なかった気がする。配信をしていたからだったのか。
「こういう界隈って浮き沈み激しいんですよ。初めて出た時はあんなにちやほやされたのに何か炎上でもしたらすぐに人気無くなっちゃいますし。中にはすごい炎上もして事務所をクビになったのに個人vtuberになって活動を続けるイカれた人間もいますけ」
「それ以上はいけない」
おいまた敵を作るぞ。それは触れちゃいけないやつだ。
「これからも一緒に配信していたかったな・・・」
一口齧ったサンドイッチを手に、千夏ちゃんは悲しそうな顔をした。それにかけるべき言葉を見つけられないまま、俺は窓の外の景色を見た。人がたくさん歩いている。そんな一人の不幸など知る由もなく。そして俺はそんな一人の、女の子のことも救ってやれないまま、時間がそれを解決してくれることを願うことしかできなかった。