vtuberの生放送を見ていたら何もかも失いました
藤宮柚季。20歳、大学2年生。夏。
俺は今日もバイトを終え、愛する我が家の玄関を開けた。手洗いうがいを簡単に済ませ、PCの電源をつける。起動が少しだけ遅いPCを待ちながら手早くSNSをチェック。帰りがてら買ってきた麦茶を机上へスタンバイ。時刻は22時になろうとしている。焦る気持ちを抑えながら、静かにPCが立ち上がるのを待つ。慣れ親しんだ起動音が鳴るのと同時にマウスは一直線にブラウザを開き、動画サイトへと飛ぶ。『生放送』とタグつけられたその動画を素早くクリック。画面では親の顔よりも見たこのサイト特有のカウントダウンが表記されている。まだ開始までには1分程、余裕があったようだ。その1分の間に遅い夕食用のお湯を沸かす。麦茶と一緒に買ってきたカップ焼きそばの封を開け、かやくを入れる。と、いうところでディスプレイに表示されたカウントダウンは10秒を切った。こんなことをしている場合ではない、とカップ焼きそばをその辺に放り投げ、ヘッドフォンを装着する。高鳴る鼓動、流れる汗、震える右手。くそ、全画面にできねぇ。右手をなんとか抑えつけ全画面表示にできたところで、画面には狐耳に巫女服という装いの二次元女子が現れた。ヘッドフォンからこれまた親の声よりも聴いた、明るくそれでいて澄んでいて、しかし少しだけあどけた俺の大好きな声が耳に届いた。
「・・・はじまったかな?やっほー、こんばんわー、みんな元気だったー?小鳥遊ミユだよー!今日もよろしくねー!!」
バーチャルユーチューバーとは。2016年冬に突如降り立った偉大なる先駆者が自身をそう呼称したことにより広まった配信者のこと。モーションキャプチャで人間の動きを捉えることで、画面上の2DCGや3DCGで描画されたキャラクターをリアルタイムで自分と同じ動きをさせる、というもの。今やそれは普及に普及を告げ、動画や生放送にも用いられている。俺はその中の一人、それこそ今生放送をしている、小鳥遊ミユという大人気vtuberに俺は、恋をしている。
「ミユちゃん、今日もかわいいなぁ」
そりゃあもちろん、これが叶わぬ恋だというのは分かる。批判的な意見が多いだろうということも。そんな奴らに俺は言いたい。じゃあ、お前らは。幼いころにプリキュアや仮面ライダーに恋をしたことはなかったのか、と。いいやもう作品なんてどうでもいい、画面の中の異性に恋をしたことはなかったのか。その一挙手一投足に心を躍らせたことはなかったのか、と。なに?それは恋じゃなかった?憧れだって?ようし、お前がそこまで言うなら俺だって黙っちゃいないぞ、その好きだったキャラクターを前に同じことをもう一度言ってみろ。言えないならもう二度とふざけたことを言えないようにその顔ぶん殴ってやる。いや、もし言ったとしても、お前の愛はそんなものだったのかと言いながらやっぱりぶん殴ってやる。分かったか、覚悟しとけ。
ミユちゃんの雑談に対して、顔がニヤつくのをこらえながら今日も今日とて、赤く塗りつぶされたコメントを送信する。すると、それに気づいたミユちゃんがわっと声を弾ませながら、
「とんがりさん、いつも赤スパありがとうございますー!あっ、でもでも、こんな高額なお金、私に使うよりも、とんがりさんの大切な方に使ってあげてくださいねー!今回は有難くいただきますっ」
ちゃんと大切な人に使ってるよ!と画面につっこみを入れながら、でも喜んでくれたことにほっとする。そして、なんて優しい子なんだ、と涙が出る。
この動画サイトには無料でその動画にコメントをするチャット機能の他にスーパーチャットという有料のチャット機能がある。人気な配信者ほど、同時に視聴できる人数が増えるため、もしそこでコメントをしても配信者の目に留まらない可能性がある。しかし、そこでスーパーチャットの出番である。通常のコメントは背景が白なのに対して、スーパーチャットはその金額に応じて背景に色がつくため、配信者の目に留まりやすく、コメントを読んでもらえる可能性が飛躍的に上昇、というかほぼ読んでもらえる。その金額は100%ではないが、配信者の懐にも入るため、生活応援にもなるし配信者のモチベ交渉にも繋がる一石三鳥ほどの代物なのだ。ちなみに赤スパと呼ばれるものがその中でも最高ランクとなっており、金額は諭吉以上となる。
生放送は佳境である歌パートとなり、その美声に酔いしれる。この子は歌も上手いのだ。
3曲の歌の披露が終わり、生放送は締めへと入る。
「今日も見てくれてありがとー!すっごく楽しかった!また遊ぼうねー!またねー!」
生放送が終わり、ふぅと一息つく。
今日も面白かった、最高に可愛かった、結婚してほしい、そう思いながらブラウザを閉じようとした瞬間、ある違和感に気付く。おかしい、いつもは生放送が終わったときには画面には『終了しました』と表示が出るはずだ。しかし、さっきまで可愛い動きをしていたキャラクターは微動だにしないものの、画面は切り替わることはない。コメント欄も異常を感じたらしく「放送切り忘れてるよー」などであふれている。俺もコメントをしようとしたとき、ヘッドフォンから、
「生放送終わったの?」
という男の声が聞こえた。
聞き間違いかと思い、耳を澄ますと、
「終わったー、マジ疲れた」
という女の声も聞こえた。
聞き覚えがあるようでないような、そんな声。
俺は、ますます耳を澄ました。
「たーくん、今日のご飯何ー?」
「パスタだけど」
「えー、またー?まぁいいけどー」
配信前に出た汗とは明らかに違うものが頭から噴き出しているのがわかる。
コメント欄も荒れているようだ。それをスクロールしながらある言葉が目の入ってきて、俺は目が眩んだ。
『彼氏か?』
目の焦点が定まらず、ひどい頭痛がして、勢いよく背もたれに体を預ける。こめかみを抑えると少し頭痛が止んだ気がして、しばらくそのままにする。そして、なんとか知恵を絞る。いや待て、まだ分からん、友達かもしれないし、兄弟かもしれない、そうだよたーくんだぜ、弟がたまたま来ててパスタ作ってくれただけかもしれないじゃん、大丈夫だ、ミユちゃんがそんなことするわけないじゃん、あー、びっくりした。
「ねぇ、婚姻届けは来週のたーくんの誕生日に提出しよっか」
なんとか正気を取り戻し、画面に目を向けた瞬間にヘッドフォンからそんな声が聞こえてくるものだから、勢い余って俺の頭は机と激突をすることになった。ヘドバンしてるんじゃないんだから。
「あれ、ていうかそれPCどうなってるの?」
「え、やだ!うそ!やばい!」
そして表示される『生放送は終了しました』の文字。
そこからの記憶が俺には無かった。気付いたら俺は外に立っていて、自分の住んでいた木造アパート2階建てが火の海に飲み込まれていくのをただただ呆然と眺めているしかなかった。