07,一夜限りの水掻き舞踏
「ぬおおおおおおおおおおおおお!!」
「うふふ……いつまで回り続けて、いられるかしらねぇ……うふふ……うふふふふぅ……」
開脚倒立から高速回転する事で風の渦を形成する技、傘風脚。
風の防壁の向こうで、ねっとりとしたゼリーライムの笑い声が響く!!
傘風脚はそもそもが通り雨対策。
数十秒で止む雨や、技を発動しながら近場の木陰なり建物の陰に隠れる急場しのぎと言うのが前提。
要は、長時間の使用は考慮されていない。
キョンシーと言えど、使い続ければごりごりと体力を削られていく――持って数分!
故にダン、脚と共に頭も全力で回す!!
水の体を持つ海幽霊に物理的破壊攻撃は一切無効。
対抗手段は、傘風脚のように風の力を使って水を吹き飛ばす系の技。
健康道でそれに該当する技は大方が防御・回避のための技だが……ひとつだけ、攻撃手段に成り得る技もある。
その名は【飛龍雲穿・昇嵐脚】!!
太陽の光――健康維持にはとても重要!!
何日も何日も天に蓋をする鉛雲が現れたなら、健康のために穿たねばならない!!
傘風脚から派生し、強烈な竜巻を起こす事で天高く鎮座する雲を薙ぎ払い霧散させる……それが飛龍雲穿・昇嵐脚……健康のためならば天気も変えるのが健康道!!
これなら海幽霊にも通用するだろう。
そして「立つ」と言う概念が存在しない空の彼方・星の海まで打ち上げてしまえば、勝利条件である『相手を立てない状態にする』を達成可能!!
……だが、この技には大きな問題がある!
個人の裁量で天気を変えてしまう事で自然に与える悪影響は勿論……上空の雲を吹き飛ばすほどの竜巻、地上に無害であるはずが無い。
使う者が使えば普通に山がひとつかふたつ消えてしまう大技なのだ。
ただの健康体操も数千年の歴史を積み重ねれば兵器となってしまう実例。
帝国政府が禁忌と定めている技でもある。
そんな技を……船の上で?
いくら城塞の如き規格外の巨大船でも、キョンシーの脚力で生成される竜巻に耐え得るか?
ダンは、普通に無理だと思う!
しかしそれでも、ダンは傘風脚の回転数を上げていく――飛龍雲穿・昇嵐脚を放つべく!!
例えゴーストシップを沈める事になろうとも、主の安全を守るために!!
「――待テ。船を……沈めル?」
ふと、ダンの脳裏を過ぎったのは……予防接種の時、ネネが「頭の隅にでも留めておけ」と言った言葉。
――「この船を沈められては、たまらないからな」
ダンは目を見開く。
今までずっと視線を落としていた場所。
倒立の軸とすべく甲板の床に突いた、己の手、その広げた指と指の間。
ずっと見ていたのに、見えていなかったもの。
どうでも良くて、意識から外れてしまっていた。
「そウ言う……事かァ!!」
ネネ曰く、禍破は明日の天気もお見通し……であれば、今宵のこの勝負もとっくに御存知であったと。
そして本来、ダンはゼリーライムに勝つために禁忌の大技を放ち、ゴーストシップを沈める未来が待っていた。
あの発言は……それを阻止するための!!
――だとすれば、勝機はまさしくこの手にあった!!
ダンは意を決し――手で床を打って、跳んだ。
当然、傘風脚は解除され、風の防壁は消え失せる。
「あらあらあらぁ、もう足腰が砕けてしまったかしらぁ……? 焦らしてくれた代償はぁ……高くつくわよぉ~?」
待っていました、と下品な笑みが想像できる声色と共に激しくうねり出したプルプルの包囲網!
四方八方からゼリーライムのプルプルボディが、ダンへと覆いかぶさろうとした――が、ダンの着地の方が速い。
ダンは細く短く息を吸って、小さく腕を振りかぶる。
振りは小さくとも、腰の捻りで威力は補えので問題無し。
動的ストレッチと速度重視の正拳突き的攻撃の両立――健康道、【小拳伸ばし】。 本来は拳で放つべきそれを、ダンは平手で放つ。
「シッッッ!!」
「あらぁ、無駄よぉ、無駄無駄……打撃技なんて効かな――へべぁ!?」
響く無様な悲鳴っ。
ダンのクイックショット的・平手突きが、ゼリーライムのプルプルボディ中枢を捉え――後方へと大きく吹っ飛ばした!!
「のじゃ……!?」
だぽんびたんべったんと音を立てながら甲板を転がるゼリーライムを見て、キャルメラが大きく目を剥く。
キャルメラだけではない、すべてのギャラリーが驚きの光景にどよめく……ただ一体、メリアメリーを除いて!
「が、はぁ……!? な、い、一体、何が……今、アタシは……殴られたぁ……!?」
動揺し、狼狽しながら元の女性型へと戻って立ち上がるゼリーライム。
「殴ってないゾ」
対照的に、ダンは実に冷静な口調で応える。
「掌底打ち……いや、掌底は当てテいナいから、たダの平手か」
「どちらにせよでしょぉ……!? どうして、アタシの体を――っ」
ダンが突き出したままの掌を見て、ゼリーライムが目を剥いた。
その表情に開戦直後のお姉さん的余裕は皆無!
「その手……指の間に生えている膜ぅ――まるでカエルの手やアヒルの足にあるような、水掻き膜……!?」
「その通りダ。オレのこレは、禍破由来だが」
ドクター・ネネによる予防接種……そこで投与された禍破エキスの万能ワクチンが引き起こした副反応。
ダンの手足には――今宵限定の立派な水掻き膜が生えている!!
「水は、水掻きで掴めル。道理ダナ」
水掻きを前にすれば、あらゆる水は自由を失い、ただ掻かれるのみ。
つまり水掻きで触れている間は、ゼリーライムのプルプルボディが水である強み――不定形であるが故の物理耐性を完全に失う。
即ち、普通にブッ飛ばす事ができる!!
これで……ゴーストシップを沈めるような大技を使わずとも、ゼリーライムに勝てる!!
「……ふふ……なるほどぉ……少し、驚かされてしまったわぁ……でもねぇ……」
ゼリーライムが不気味な笑みを作り直し、再び体をプルプル液状化させた。
また単純に体積を広げて包み込もうなんて事はしない。
あれは相手の攻撃が効かない前提のゴリ押し戦術。
ダンが水の体に対抗できる手を持っていると判明した以上、ゼリーライムも相応の戦術を取る。
「お互いに攻撃が通せるようになったぁ……ただ互角になっただけなのよねぇ……!!」
ゼリーライムのプルプルボディが、無数の極太触手を生やした巨大クラゲへと変貌を遂げた!!
大きさはパワー……しなやかに空を切る無数の極太プルプル触手は単純明快な凶器ッ!!
「あなたがアタシに負けると言う未来はぁぁぁ……依然、変わっていなぁい!!」
巨大クラゲと化したゼリーライムが吠え猛り、触手を振り上げてダンへと飛び掛かる!!
「条件が五分にナった事と、未来は変わっていない、と言うのには同意すル」
対するダンは「フン」と一笑に伏しながら、ブルーの部屋でもらった靴を乱暴に脱ぎ捨てた。
靴を脱いだ事で、足の水掻き膜も使える……つまり、蹴り技が通る。
「手段が変わっタだけダ。オレが勝つ未来は、最初から決まっていタ」
鋭い眼光の尾を引いて、ダンが疾る。
飛び掛かって来るゼリーライムへ、逆に吶喊!
ゼリーライムは当然の迎撃。
無数の巨大触手を振り落とし、ダンを狙う!
だが、当たるはずがない!
何故か!?
ゼリーライムは知らないからだ、健康道の極致を!!
ここで突然だが問おう、健康道とは何か!?
それは、健康になるための武術!
すべての技に健康促進・または維持の効果がある!!
それらを日々使い続けた先には何があるか――決まっている、健康だ!!
健康道の使い手は皆、当然、超・健康体!!
その健康さたるや、常人の数倍……キョンシーになろうとそれは健在である。
真の健康とは、死んだ程度で損なわれるものではないのだ!!
であれば、その死をも跳び超える健康的フットワーク。
そう易々と捉えられはしないッ!!
アァッ!? と言う間に、ダンはゼリーライムの股下――触手下?――をスライディングですり抜け、背後へ!
変幻自在のプルプルボディに前後も何もないだろうが、ゼリーライムの背後、船首側には何があるか……先ほどまでキャルメラが酒の肴にしていた眩い大満月だ!!
……まぁ、だから何だと言う話だが!!
薄霧を貫いてギンギンに差し込む月光を背に、ダンが高く跳ぶ!!
「ふふ、何のつもりかしらぁ、空に逃げるだなんてぇ……空中じゃあ、アタシの触手を避けられないでしょぉ!!」
勝ったっ、アタシに抱かれて死ねぇ!!
ゴキゲンに吠えて、ゼリーライムが触手を一斉に空へと伸ばす――そこにいるダンが、虚像であるとも知らずに。
「……は?」
触手たちがダンの体をすり抜けていく様を見て、ゼリーライムの思考が一瞬止まった。
――ここで突然だが、今一度だけ問おう!!
健康とは……一体、何だろうか?
健康とは即ち「生命力で満ちている状態である」と定義できる。
そして健康道の使い手は、常人の数倍健康……つまり――ちょっと生命力に満ち溢れ過ぎている感が否めない!
人はよく言う……過ぎたるは、及ばざるが如しと!!
実際的問題、膨らみ過ぎた風船は果たしてどうなってしまうか……パァンッ、だ。
ただひたすらに健康になり続け、生命力を貯め込み過ぎてしまったら……その五体、爆裂四散するのが必定!!
……まぁ、極稀な例外として無限に健康を貯め込める体質を持つ者もおり、その者は事実上無尽蔵の健康を獲得し【尸乖仙】と呼ばれる不死者に変貌してしまう事もあるらしいが……あくまで極稀な例外っ!!
大半の使い手は加減を誤れば五体爆散コースに乗る!
であれば備えろ、健康道で!!
あらゆる脅威から健康を守る術がそこにある!!
その術の名は【影独歩】、またの名を【健康分身の術】!!
生命力が満ち溢れているのならば、消費すれば良いのだ。「一人分の健康に必要な生命力を、分身として体外に放出する」と言う形で!!
そしてこの分身をただ放出するのではなく、囮として活用したならば!?
自身に潜在している内的脅威を低減しつつ、外的脅威を逸らす事もできる!!
一挙、二健康!!
「もらったゾ」
実はゼリーライムの股下をくぐる直前で停止していたダンの本体が、跳ぶ。天高く、星を掴みに行くように。
健康道を知らぬが故に、健康分身の術にびっくりし過ぎてしまい隙だらけになったゼリーライムの頭上で、ギュルルルルルルルと言う激しい回転音が鳴るほどの超・高速回転!!
「っ!!」
ダンの回転音に気付き、ゼリーライムが振り返ったが……遅い!!
「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
超・高速回転するダンの体が、落下する。
真っ直ぐゼリーライムの脳天を目掛けて!!
――ここで突然だが、最後にもう一度だけ問おう。
自然災害、とても怖いものだと思わないか?
いつ何時、襲いかかるかわからない上に、その脅威は軽々と命に届く。
そんな時はやはり健康道!!
地震が起きたとしよう。なら止めれば良いじゃあないか。
健康道が技のひとつに、激しく地面を踏みつける事で地震を相殺する【震脚】と言うものがある。
ダンが今から放つのは、その発展奥義。
重力の導きと超・高速回転による遠心力を纏った脚で放つ、強烈無比な超・強化震脚――歴史の中でとある達人が放ったそれは、国が滅びかねないほどの大地震ですら止めてみせたと言う記録がある。
そんな一撃を、ただ一体の怪物の脳天へ――全力で、叩き込む!!
「大・震・脚っ!!」
「が、あっ!?!!??!?」
端的に言えば、水掻きが生えた足による超強烈な踏撃!!
ゼリーライムのプルプルボディは水掻きに触れた瞬間に流動性を失い、その強烈過ぎる衝撃を一身に受け切る事となった!!
ゼリーライムの巨体を甲板に叩きつけ、なおも衝撃は貫く。
その衝撃、城めいた巨大船であるゴーストシップが船首側へ大きく傾きながら船脚を深く沈め、直後に浮力による反動で夜空へと跳ねるほど!!
数秒の浮遊の後、ザッッッツッパァァン!! と言う轟音を伴って、ゴーストシップは無事着水。
その船首付近には、ぴくりとも動かなくなった巨大プルプルクラゲと、それを踏みしめて立つ一体のキョンシーの姿があった。
「……ゼリーライムとか言ったナ。まだ立てるカ?」
ダンの問いかけに、応える声は無い。
静かな波音。微かな船の揺れに合わせて、ゼリーライムの体がぷる……ぷる……と揺れるだけ。
ダンは爪先で何度かゼリーライムをつつき、なおも反応が無い事を確認。「ふぅ……」と大きく息を吐いて顔面御札をピラピラさせながら、視線をギャラリーへと向けた。
目を剥いて唖然としている怪物どもに混ざって、万歳で悦びを露わにしている子パンダとそれを抱いた御嬢様と目が合う。勝負開始前から変わらず、メリアメリー御嬢様はぶすっとした呆れ顔で、ダンをじっとりと睨んでいた。
いちいち報告する事でもないかとは思いつつ、ダンは口を開く。
「勝ったゾ。我が麗しき御嬢様」