06,海幽霊のプルプルボディ
「却下!!」
キャルメラが勝負の内容を明かした途端、メリアメリーが怒鳴り声をあげた。
「のじゃあ?」
「のじゃあ? じゃない! そんな勝負、却下に決まっているでしょう!?」
メリアメリーはダンの首を抱き寄せていた手に力を込める。
さすがは飛縁魔、怪力で締められる形になり、ダンは思わず「くぇっ」と変な声が出てしまう。
「ふむ……眷闘で勝負する事に異議あり、と?」
「当然! 何を言い出すかと思えば……こんな娯楽の延長めいた勝負で眷属同士を戦わせるなんて、主のする事ではないわ!!」
「貴様こそ何を言っておる?」
キャルメラはメリアメリーとの会話を続けながら、傍らにいた白ワンピース姿の長身女性型幽霊に向けて手を差し出した。
言葉も無しにその意図を汲み取った長身女性型幽霊は、先ほど放り捨てられたカボチャ盃を拾い上げると、キャルメラが差し出した手に乗せ、脇に置いてあった木箱から取り出した酒を注ぎ始める。
「眷闘は言い方を変えれば奴隷決闘。ン千年も前からある歴史的な娯楽じゃろて」
「それは囚人奴隷を使う刑罰の執行を兼ねた興行でしょう!? 普通の奴隷や眷属を使うなんて有り得ないのだけど!!」
「人間の規格ならな。怪物が人間の娯楽を真似るならば、それは人間がやるよりも遥かに理不尽であるのが自然ではないか?」
「ああ言えばこう言う!!」
「異議を唱えられれば反論を提示する、それが議論じゃもの」
カボチャ盃に酒がなみなみ満たされたのを確認し、キャルメラがそれを一気に呷る。
ほんの数秒で盃を空にして、キャルメラは「ぷはぁ」と酒気にまみれた息を吐いた。
「まぁ、眷闘が嫌じゃと言うのならワシは一向に構わぬよ? しかしメリー。貴様は確かに今宵の勝負の内容を変更する事を承諾し、どんな勝負じゃろうとそれを受けると宣言したはずじゃよなぁ?」
「うきゅっ……!」
しまった、とメリアメリーが青ざめた。
だから勝負の内容を確認してから受けろと……と、ダンとパミュは呆れる。
「じゃのに、やはりやらぬと言うのであれば――それは棄権。戦わずして負けを認めるのじゃな?」
「ぐぬぬ……」
「のじゃふふふ、さて……勝者の特権として今宵は何をしてもらおうかのう?」
キャルメラは楽し気に顎へ手をやると、ニマァァァ……っと下卑た笑みを浮かべた。
「そう言えば、ジャパランティスには女体の一部を盃代わりにして酒を飲む遊びがあるらしいのぉ……のじゃぐふふ、それを貴様の体でやらせてもらうとしよう」
「…………」
キャルメラの言葉に、ぴくりとダンが反応する。
……体の一部を、盃にする。
ダンの脳裏を過ぎったのは、先ほど絡新婦のお姉さんが使っていた髑髏の盃。
不死者なら、頭をもぎ取られた所で生えてくるだけ……だが、次に脳裏を過ぎったのはネネの言葉――「病も怪我も治ればそれで良いと?」。
「何だかとても寒気がするのだけれど……ここは、仕方無いわね。良いでしょう。今宵の勝負は私の負――」
「……良くないナ」
「ぱみゅ?」
「オレはこの勝負、やルゾ」
メリアメリーの言葉を遮って、ダンが堂々と宣言した。
「……何を言っているのかしら? いくらアナタが乗り気だとしても、主として許可しないわよ。絶対に」
「ドクター・ネネの所で言ったダろう。主の命令より、主の身の安全が優先ダ」
メリアメリーが「この勝負は受けるな」と命じようと、それでメリアメリーの身体に危害が及ぶならば、ダンはその命令を受理しない。
「この勝負に負けレば主の身に危険が及ぶ――ダったら、キョンシーは退けナい」
「だとしてもダメなものはダメなのだから。主の命令で眷属が命を張るだなんて、許される事ではないの」
「つまり、御嬢様の命令を無視してオレが勝手に勝負を受けル……と言う形なラ問題は無いナ?」
「アナタねぇ!?」
「のじゃはははは! 好い眷属ではないか。メリーよ、眷属がここまで言っておるのじゃ。それに水を差すのは主としてあるまじき無粋じゃとは思わぬか?」
「キャルメラ、アナタは黙っていて」
メリアメリーが目つきを鋭くしてダンを睨む。
可愛い見た目でも上位の怪物。怒りの滲む眼力は相当なものだ。
しかしダンは動じない。
逆に真っ直ぐ見つめ返してみせる。
「………………」
「………………」
睨み合い、見つめ合う数秒。
やがて、メリアメリーの目元から力が抜け、怒りの細目から呆れのジト目へと変わった。
「……良い度胸をしているわ。まったく」
拗ねたようにへの字に曲がったお口から、はぁ、と溜息が零れる。
「そレは、許可と捉えて良いのカ?」
「ふざけないで。でも、いくらダメと言っても無視するのでしょう?」
「応」
「本っっっ当に良い度胸ね……いい? 私は何があっても許可は出さない。でも、これだけは言っておくわ」
メリアメリーはダンの胸を突き飛ばし、抱っこから離脱。
翼をパタパタさせて宙へと浮かんだ。
そしてダンの顔面御札をビシッと指差し、命令する。
「やるのなら絶対に勝ちなさい。我が愛しき眷属。できるでしょう?」
「ああ、承知シタ」
「ぱみゅう!」
パミュは「がんばれ!」と一言吠えて、ダンの頭からメリアメリーの胸へと跳び移る。
「のじゃはっはっは!! 好い、好いぞ。さすがは我が同盟友・メリーが見初めた眷属じゃ。力づくで組み敷き寝取ってしまいたいほどに好い。こうも誰ぞの物が欲しくなったのは久しぶりじゃよ」
「悪いが、組み敷かレた程度でキョンシーは寝返らナい」
「それもまたそそるなぁ、この幼女たらしめ!」
興奮の余りか、キャルメラはその手に持っていたカボチャ盃を握り潰して粉砕してしまう。
「決めたぞ。勝者の権利を使って、貴様もメリーと一緒にたんと可愛がってやるのじゃ」
「それも無理な話ダナ」
「なに?」
怪訝そうな顔をしたキャルメラ。
ダンはその目を真っ直ぐに見据え、不敵な微笑のオマケ付きで言い放つ。
「主に勝てと言わレて、負けるキョンシーはいナい」
「…………のじゃふふ、ふふははははははははははははははははははははははははは!!」
座布団塔の上で、キャルメラが勢い良く立ち上がった。
さすがにその勢いで座布団塔は倒壊してしまうが、キャルメラの体は虚空に固定されている。浮遊魔法と言う奴だろう。
「このワシを、百猟御前を前にして……堂々と、真っ直ぐに、当然の如く――勝利宣言ときた!! 好き過ぎるわ!! 若造にトキメキを覚えたのなぞ何百年ぶりか……たまらぬ……たまらぬぞ貴様ァ!!」
獲物を見据える圧倒的捕食者の眼……今更、そんなものに臆するダンではない。
ダンの中で、キャルメラは主の安全のために打倒すべき敵として設定された。臆してなどいられるか。
「こちらからは好い勝負になりそうな眷属を選ぶつもりじゃったが……気が変わった。変わってしまったではないか。一方的に蹂躙したくなったぞ――ゼリーライム!」
「はぁい」
キャルメラに呼ばれ応えたのは、傍らに立っていた白ワンピの長身女性型幽霊。
長い前髪の隙間からはやたら白い肌と碧い四白眼が覗く。口は常に下弦の月。ゆらりゆらりと前へ歩み出る動きに加え、足裏が濡れているのか、一歩ごとにぺたんぺたんと鳴るのが実に不気味。
「その子は確か……」
「おっとメリー。無粋は無しじゃぞ。こちらも貴様の眷属の仔細は訊かぬ。互いの手の内は戦いの中で明かされてこそ愉しかろ?」
「……まぁ、愉しいとは思わないけれど。わかったわ」
メリアメリーは不機嫌そうにむすっとしながらダンを一瞥。
「どんな相手だろうと、勝ってくれるでしょうから」
「応」
相変わらず不機嫌ながらもダンの返答には満足したらしく、メリアメリーはパミュを抱えて後ろへ下がった。
キャルメラの子分たちも下がり、ダンと女性型幽霊――ゼリーライムを中心にそれなりのスペースが確保される。
「ふふふ……」
ゼリーライムはぺたんぺたんと前進を続け、ダンの目の前で立ち止まった。
体格が良い部類であるダンですら見上げるほどに長身。
真上から見下ろされると、彼女の四白眼が尚のこと不気味に見える。
「あらぁ……御札のせいで分かり辛いけどぉ、近くで見ると良い男ぉ……溺死めたくなってしまったわぁ」
「ドーモ。オマエが、眷闘とやラの相手で良いンだナ?」
「そうみたいねぇ」
ゼリーライムが握手を求めるようにゆったりと右手を差し出してきた。
相手は幽霊、十中八九霊体だろうが、死ねず骸は霊体に触れられる。
ダンが握手に応じようとした、その時――
「よろしくぅ……ねぇ!!」
ゼリーライムは差し出した手を勢い良く振り抜いた。
完全な不意打ちである!!
だがしかし、ダンの表情に焦りは無い!!
「予測の範囲内だナ」
ダンは既に、キャルメラとその一派を主の敵対勢力として認識している。
不意打ちを許すほど信用する訳が無い。
ゼリーライムの間合いを即座に計算し、後方へと跳び退る。
「――、っ!」
しかし、ここでダンは目を剥いた。
確かに今、ダンはゼリーライムの手が届く範囲外、間合いの外へと出たはず――だのに!
ゼリーライムの色白な掌が、ダンの側頭部を今まさにワシ掴みにしようとしている!!
「ちっ」
早々に回避手段の手札を見せていくのは気が進まないが……。
相手は詳細不明の幽霊、捕まれば一手で詰む可能性もある。
ダンはふっと息を吐き、膝関節のみ一気に脱力状態へ。
膝の力を抜いてガクンと体勢を崩す事で、頭狙いの攻撃を下方向へと回避!
そこから即座、床に突いた平手を軸に、風車の如く体を回転させながら跳ね起きる。
「あらあらぁ……逃げられちゃったぁ……死ねずの骸の癖にぃ、大道芸みたいな動きをするのねぇ……」
くすくすと笑うゼリーライム。
既に引き戻されお上品に口元を隠すその右手に、異変は見受けられない。ダンが最初に見切った長さのまま。
「……いちいち気に掛ケる事でもナいか」
相手は幽霊だ。腕が伸び縮みしたり、下手すれば引き千切って投擲してきたって別段おかしな事ではない。 この程度で動じていてはとても勝負になどならないぞ、とダンは自身に軽く喝を入れながら、腰を沈めて構える。
「……ン?」
ダンはふと後方がザワつき始めた事に気付く。「お? こっちでも喧嘩か?」「ありゃ新顔だな。良い博打の種だ」「相手は……おいおいおい、ゼラ子かよ」「死んだわあの顔面御札」などとわいわい騒ぎながら、見物に来た怪物どもが立ち待ち垣になった。
「のじゃははは、本当、この船の連中は騒ぎが好きよな」
さて、と呟いたキャルメラが仕切り直すように手を叩く。
「メリーの眷属よ。互いに挨拶も済んだようじゃし、勝敗の決め方について話そうか。『死んだら負け』が一番わかりやすくて好いが、しかして貴様もゼリーライムも殺した所で死ねぬ怪物であろう。ならばここは『先に立ち上がれなくなった方の負け』と言うのは――」
「承知シタ」
キャルメラが言い切る前に「今度はこちらの番だ」とダンは床を蹴り飛ばした。キョンシーの怪力的健脚を以て疾風の如き高速突進。
主の話が終わるのをゆらゆら揺れて待っていたゼリーライムの懐へ、飛び込む!!
「あらぁ?」
「隙ダらけだナ」
話の途中に卑怯? 否、不意打ちをしておいて意趣返しに備えぬ方が愚ッ!!
放つは健康道式の後ろ回し蹴り、旋斧脚。斧の刃に見立てた踵で、素早く相手の腹を抉る一撃!!
ダンの右踵はゼリーライムのどてっ腹に見事に直撃――そして、ずぶりと沈む。
「――は?」
泥の塊を蹴りつけたような手応えに続いて、右足全体がひんやりとした感触に包まれる。
ゼリーライムの全身にだぷんだぷんと重い波紋が広がっていくが……それだけ。
ダンが放った後ろ回し蹴りは、ゼリーライムの横腹に食い込んで、完全に停止した。
――やばい。
直感が吠えたのと同時、ダンは軸足にしていた左足を全力で跳ねさせ全速後退。
ゼリーライムの腹に沈み込んでいた右足を引き抜いて距離を取る。
「あらぁん……残念……あと一瞬、抜くのを我慢してくれてたらぁ……お姉さんのナカで逝かせてあげたのにぃ……」
くすくすと笑い続けるゼリーライムの腹……ダンが足を引き抜いた空洞が、どぷんと音を立てて塞がった。
「液状の体……!?」
その時、ダンの知識の中からある怪物の情報がヒットした。
「蛞蝓の怪的幽霊――【海幽霊】か!」
「ええ、その通りぃ……アタシは海幽霊のゼリーラァァイム……霊体の九割九分九厘が水の性質を持つ全身水幽霊……ふふふ……どぉ? アタシに包まれたらぁ……最高に気持ち良く、逝けるわよぉ!!」
ゼリーライムが四白眼を更に開いて叫ぶと、その身体がドパァッと音を立てて薄く広がった。
人型を捨て、変幻自在・液状の巨大怪物として四方八方からダンへと襲い掛かる!!
「厄介ダナ!」
ダンの武器は健康道……しかない。
そして健康道は健康体操的側面が強く、ついでに護身もできる程度の武術。
液状の体を持つ相手に通用する技など、片手の指を折って数えられるくらいしかないのだ!
プルプルの波と化して迫りくるゼリーライムに、ダンは早速その技のひとつを繰り出す。
まず両手を床について開脚倒立、からの大回転!!
急な通り雨に襲われた時、体を濡らしては風邪を引いて健康を害してしまうかも知れない。
ならば対策は単純明快――開脚倒立から広げた脚を超・高速回転させる事で、自身の周囲に風の渦を発生させ、天然の傘を造り通り雨が去るまで雨粒を弾き尽くす!!
これぞ健康道がひとつ【傘風脚】!!
ダンはこの技で、襲い来るプルプル波・ゼリーライムの猛攻を受ける!!
「あらあらあらあらあらぁぁ~~~……必死に暴れてぇ、恥ずかしがらずにほらぁ……おとなしくアタシに溺れてしまいなさいなぁ」
「断固として辞退すル! ぬおおおおおおおおおおおお!!」
超・高速回転により風の渦を纏ったダン!
そんなダンに伸し掛かる巨大なプルプル!
風の渦はゼリーライムを通さない。
ゼリーライムのプルプルボディは風の渦に阻まれ、激しくプルプルプルプルと揺れに揺れている……これは、膠着!!
ゼリーライムはひたすら風の渦に貼り付いて、待つ――ダンの体力が尽きるのを!!
「ぱ、ぱみゅ……!」
戦況を見て焦りの声を上げるパミュ。
しかし、パミュを抱いて事を見守るメリアメリーは相変わらず不機嫌そうではあるものの、ダンの身を案じている様子は無い。
「ぱみゅみゅ? ぱみゅう!」
「アナタの言葉は相変わらず分からないけれど、慌てる必要は無いわよ」
「ぱみゅ……?」
「…………」
不意に、メリアメリーの眉が静かに寄った。
頭痛か何かを覚えたような反応。
「……どこか面影があるとは思っていたのだけれど、まさか言う事までそっくりだなんて」
語気は、心の底から忌々しそうに。
しかし、その瞳はどこか懐かしいものを見ているよう。
「安心しなさい。ああいう男は、やると言ったらやり遂げるわよ……例え、死んででも」