04,主従のぶすりとイかれる予防接種
ブルーの部屋を出て、メリアメリーの先導の元、ダンたちは更に下層へと向かって降りていく。
メリアメリーの話によると、下層に行けば行くほど古参船員の住処になっているらしい。
その構造が関係しているのか、降りれば降りるほど体感気温が下がり、奇妙な圧のようなものが増していくのをダンは感じていた。
決して気のせいではない証拠に、上層ではうじゃうじゃしていた提灯鬼火が、中層と呼べる部分より下に入ってからはまったく姿を見せない。
下級霊が本能的に忌避する領域、と言う事だ。
提灯鬼火に代わるように、穏やかな緑光を放つ呪符が点々と壁に貼り付けられており、それだけが闇を払う頼りになっている。
先ほど話題に挙がった大幹部の呪術師が用意したものだろう。
「ぱ、ぱみゅう……」
仄暗さも相まって、パミュは完全に怯えてしまっている。震える御饅頭。
「あらあら、そんなに震えて……血肉がよく温まって美味しそうね。誘っているのかしら?」
「ぱみゅ!?」
「クフフ、冗談よ。弱い子に下層の霊気濃度は辛いわよね。まぁ、この辺りまで降りる用事なんて今後ほとんど無いでしょうし、少しの辛抱だと我慢して頂戴」
やがて、階段が無くなった。つまり――最下層。
キョンシーであるダンですら身震いする寒さ……否、気温的な問題ではない。
メリアメリーが言うように、霊気……常世の理から逸脱した者たちの気配が濃すぎて、それに対する忌避反応が寒気と言う形で表れているのだろう。
死を忌避する事はあっても恐怖心など抱くはずのない死ねずの骸ですら、このザマ。「死すら生温いと思えるような結末を用意できる怪物の存在」を本能が感じ取っている。
パミュに至っては、もうダンの頭にしがみついて「ぼくはおいしくないまんじゅうです」と死んだふりに徹する事を決めたらしい。
「下層に棲ム者ほど古参と言う話ダったが……最下層と言ウ事は、こレから尋ねルノは大幹部か」
「ええ。キャプテンを蘇生して死ねずの骸にした――古参どころか、このゴーストシップの始まりに携わった大幹部ね」
「蘇生……つまり、さっき言っていタ呪術師ナんだナ。いきナりか」
「違うわよ? 大幹部の呪術師は今、留守だもの」
「留守……?」
「旅好き……と言うより、放浪癖があるのよ。色んな国を旅しているわ。時々帰って来て、船内設備の各術式を整備したり、色んな国のお土産をくれるの。前回……三年くらい前だったかしら。帰って来た時は、とっても大きなベッドをもらったわ」
「御土産にベッド……」
「とても寝心地が良いのよ? 後で試させてあげる」
何はともあれ、件の呪術師殿は留守。
それも当然のように数年単位で放浪するような人物――いや、おそらく人ではないだろうが――らしい。
魔改造されるのは当分先になりそうだ、とダンは少し安堵する。
「それに、予防接種をしに行くと先に伝えたでしょう? なら行先は【ドクター】の所に決まっているじゃない」
「一般的にはそうダろうが……こんな船に、まともナ医者がいルとは想像できなかっタものでナ」
「それはまぁ、その通りね」
「……ナに?」
「ドクターだけど、船医や医者ではないの。彼女もそこは強めに否定してくるわ」
「そうだとも」
気の強そうな声と共に、メリアメリーが真っ直ぐ向かっていた扉がバンッと開け放たれた。
「今まさに否定しよう。当方は医者ではない」
現れたのは、白衣に身を包んだ緑髪の女性。
緑フレームの眼鏡が実に叡智。
全体的な印象として、ゴーストシップに乗っている事に違和感を覚えるほどに普通の人間に見える……しかし唯一、頭に被っていると言うか乗せている緑色の醤油皿の意図だけがいまいち理解できない。
「どうしても当方をドクターと呼びたいのなら、医者ではなく医術博士として呼べ」
医学を修め研鑽に努めてはいるが、医者で在るつもりはない……と言う事だろうか。
ダンとしてはその細かな差が微妙に理解し難い。
少し首を傾げるダンを放って、メリアメリーが話を続ける。
「ではお望み通りに呼びましょう。ごきげんよう、医者嫌いのドクター・ネネ。どこかへお出かけかしら?」
「否。出迎えてやったのだよ、ふてぶてしくも愛らしいプリンセス・メリー。何度でも言うが【禍破】の万能視を侮るな。当方に用がある事はとっくに把握している」
「禍破……?」
ダンの知識によれば……それは、伝説上の存在。
【空統纏義】や【虹皇丹】と並べて語られる【三大妖】の一角。
今は昔、かの三大妖は人間たちと協力し、月の国から侵攻してきた獣人部族【月彌兎】どもの宙舟を見事に撃墜したのだとか。この緑髪の眼鏡女医が、その伝説の……?
「昔話だな。父のやった伝説だ、それは。当方は禍破一族の末裔・ネネ。雰囲気がらしくないのは、キミたちが当方を見ただけで卒倒してしまわないように霊気を抑えているからだ。配慮だぞ。そして医者ではないと否定したはずだが? 話はちゃんと聞いておけ、アンデッド・ダン」
「……当然のように思考を読まれタ上に、まだ名乗っていないはずナんダが」
「当方は禍破だからな。この眼は観測した万事万象を看破する程度の力を持つのだ。誰ぞの心の内は無論、過去も未来も見抜く。それを端的に万能視と呼称している訳だ。疑うのなら、明日の天気でも当ててみせようか?」
生まれてこの方、てるてる坊主に祈った事は無いぞ。
そう言って、ネネと名乗った禍破は不敵に微笑んでみせた。
「そして次に貴様は、『いくラ三大妖とは言え、何デもアリか……』と言う」
「いくラ三大妖とは言え、何デもア…………リ、だナ……本当に」
特有の不規則カタコト部分までピタリ正確に当てて来た。ダンは軽く引く。
「それから、細かい事だが訂正はしておく。何でも見える訳ではない。当方の万能視はあくまでも万能。全能に非ず」
「どう違うんダ、そレ……」
「先に言った通りの制限がある。透視も読心視も未来視も過去視も、『当方の視点で観測できるもの』にしか作用しない」
つまり、ネネの目の前にいない誰かの心は読めないし、ネネの眼が届かない所で起きた・起きている・起きる事は分からない……と。
「まぁ、それが後々当方に報される事であれば、その報せを受け取る未来を視て間接的に把握する事は可能だがな。よって正確には『この眼に映る範囲においては何でもあり』だ」
ここまでまるで用意していた原稿を読み上げるような、滔々淡々とした回答だった。
実際、用意していたのだろう。ダンにこの質問をされる未来を視て。
成程、とダンは納得。この禍破なら「禍破だから」と言う理屈で災害くらい起こせてもおかしくない雰囲気がある。「大幹部は天災級の怪獣に匹敵する」と言う話も頷ける。
「大幹部、か。まぁ、医者以外であれば肩書には拘らない。好きに呼べば良い。医者以外でなら」
「……何でそんナに、医者と呼ばれルのが嫌ナんダ?」
白衣まで着ているのに、とダンは疑問に思う。
そんなダンの質問もお見通し。
ネネは考える素振りも無く大きく口を開けて「はっ!」と笑い、回答を始める。
「決まっている。医者とは仕事として儚き命を救う生き物だ、が、当方はそれに飽きた。無為だと感じたのだよ。儚く散る常世の者ども……『儚い』、とは良く言ったもの。『呆気なく死ぬ』と言うだけの事じゃあないかッ。そんな連中を救う事に、意義を感じられなくなった。積み木を積んだ側から槌で叩き崩されるだけの作業を、誇れるものか!」
ネネは眉を顰め、「馬鹿げている」と大きく舌打ち。
仄暗いゴーストシップの最下層に、湿った破裂音がこだまする。
「そのくせ『医者や薬屋はもちろん葬儀屋の食い扶持まで無くなるから、蘇生・不老不死の秘薬は造らないのが暗黙の了解だ』等とぬかす。あんなもの簡単に造れると言うのに。ほとほと馬鹿げている。『医者かくあるべき』を求められる事に、もはや苦痛すら覚えるぞ。医術は仕事にするものじゃあないと痛感した」
だから、医者と呼ばれる事に強い拒否感があると……死ねずの骸や不死者のような怪物が乗るこの船には、なんともお似合いな元医者さまだと思える。
「ああ、まさしく。この船は最高に好い。死とは無縁どころか、死を否定した者や、そもそも死と言う概念を持ち得ない連中までもが集う……ゴーストシップ、此処はこの上無い楽園だ」
ちなみに白衣は、医者ごっこをしていた頃に着慣れたものを惰性で着ている。
最後にそう補足すると、ネネは惰性の白衣を大きく翻しながら踵を返した。
「さて、新入りへの自己紹介を兼ねた雑談はこの辺りにしておこう。最初に述べたが貴様らの用件は把握している。当然、用意はできているよプリンセス・メリー」
背中越しに「入れ」と言われたので、ダンはネネの後に続いて彼女の部屋へと入る。
室内は簡素な診察室となっていた。
それなりの広さは確保されているが、本棚と薬品棚の占有する割合が大きい。
本棚に並ぶ背表紙には様々な文化圏の文字が躍っている。
中には何時の時代の代物か粘土版まで。
薬品棚に並ぶ瓶に詰められているものは粉薬や錠剤に始まり、謎のケミカルカラーな液体群、他には見た事の無い怪物のホルマリン漬けにキュウリの漬け物、現役で使えそうな色味の臓器的なものまで色々混沌。
「適当に座れ」
提示されたのは、壁に向けて設置されたデスク前に二席が対面する形で置かれた回転椅子か、部屋の中心に設置された診察台。
ネネがデスク前の奥側席に座ったので、ダンは彼女に向かい合う形で手前側の席に腰を下ろす。
メリアメリーはパタパタと飛んでいき、診察台の上にちょこんと腰かけた。
「さて、アンデッド・ダン。ざっくりとだが用件はキミも聞かされているな」
「あア。予防接種、とダけ」
「そうだ。眷属を保有するのならば当然の義務だ」
「ぱみゅみゅう」
ここで、ダンの頭の上で死んだふりに徹していたパミュが安全を確信したのか話に入ってきた。
禍破は当然のようにパンダ語も理解できるらしく、ネネがパミュの言葉に失笑する。
「『まるでペットみたい』? 違うな。本来あらゆる存在が受けるべきものなのだよ。予防接種と言うものは。主・眷属・飼い主・ペット・家畜・奴隷……関係無いな。病魔から見れば、等しくただの破壊対象だ」
「死ねずの骸でも病気にナるのカ?」
「恥ずべき無知だ、が、それを今ここで口にしたおかげで、貴様は賢くなる機会を得た。無知を隠そうとせず晒け出せるのは賢明だ。高く評価する」
「そレはドーモ」
ダンの素直な態度に気を良くしたらしい。
ネネは上機嫌に「よろしい。では教えてやろう」と続ける。
「死ねずの骸だろうと病気になる。貴様のように肉体を保持するタイプだと、腐肉炎などが代表的だな」
「腐肉炎?」
「どれだけ状態の良い死体から蘇生しようと、多少の壊死細胞は発生する。そして蘇生から数年ほどは、その壊死細胞に拒否反応が出やすい。腐肉炎の苦しみは強烈だぞ。死ぬほど苦しいが、当然、死ぬ事は無い……治るまで、死ぬほどの苦しみを死ねない体で味わい続ける」
「ぱみゅうぅ……」
「ああ、ぞっとしないだろう。死を否定してなお、病は脅威だ」
ネネが不愉快の極致だと言いたげに顔を顰めた……のは一瞬。「だが」とすぐに口角を上げる。
「常世の連中の儚い(笑)命と違って、怪物は治し甲斐がある! しっかり病気にはなるくせに、基本、死なないのだから! 治療すれば治療した分だけ健康的に生き永らえてくれる……あの骨の言葉を借りるならば『サイコーだ』! 医者などやっていられないが、当方ほど優れた医学・薬学の知識や技術を腐らせるのも釈然としない……そんな苦悩を解消するための場所がこの船だ!! 常世に見切りを付けた怪物どもの楽園!!」
そう言えば、メリアメリーの話だと……ネネはキャプテン・ヴォーンを蘇生し、このゴーストシップの立ち上げに関わった大幹部だったか。
その目的が、今ゴキゲンにぶちまけた楽園の創造であったと。
「よっぽど助ケた患者に死なれるのが嫌ダったんダナ……」
「当然すぎるだろう。それは」
「確カに――ン? でも待テよ……?」
ふと、ダンの脳裏をハンサム・ブルーのキメ顔が過ぎる。
彼の種族・柱男は、どちらかと言うと怪物と言うより超人の部類。
美貌を保つためか長命ではあると聞くが、不死ではないはずだ。
思い返せば他にも、密輸船の甲板で暴れていた連中には死ねずの骸や不死者に該当しない者がチラホラいた。
ダンの思考を見抜き、ネネは「その通りだ」と頷く。
「『乗るも降りるも当然自由』なこの船の性質上、時に不死でない者も混ざる。しかし、問題無い。何故ならこの船は異常な怪物密度のおかげで霊気が濃いからだ。生者が立ち入れば、すぐさまその肉体や魂に多大な影響を受ける濃度だよ。一種の結界と言っても過言じゃあない次元にある」
「と言ウ事は……」
「この船の上で数時間も過ごせば、ただの生者ではいられなくなる。死後はほぼ確実に、付喪屍か幽霊になるぞ。素養が皆無でも提灯鬼火だ」
「なルほど」
船員は皆、遅かれ早かれ死ねなくなる……この船の上では、死などただの変態行為でしかないと。
ブルーが「付喪屍になるのは嫌だ」と言及していたのはそう言う事か。
つくづくこの元医者に取っては最高の居場所と言う訳だ。
「さて、話を戻そう。キョンシーは、世界最大の国土とそれに見合う力を誇る帝国が国を挙げて研究・生産を執り仕切っている代物だ。故に完成度がかなり高い。世界中を探しても、これほど生前に近い状態で細胞を保存できる人造死ねずの骸は類を見ない――が、完成度が高くとも完璧とは言い難い。先に挙げた腐肉炎のリスクもゼロでは無いし、無論、死ねずの骸を襲う病魔は他にもある」
そこでだ、とネネが取り出したのは――極太針の注射器。内部は緑色の液体で満たされている。
「ぶすりとイくぞ」
「ちょっと待っタ」
「これの中身は当方の禍破体液をブレンドし造り出した万能抗体だ。効果は御墨付。向こう一年、あらゆる病魔から貴様を護る事を約束しよう。それから、ああ、痛いぞ。この注射は。それもとびきりな。以上。ぶすりとイくぞ。襟をはだけるか袖をまくって肩を出せ」
ダンが質問で時間稼ぎをしようとした事などネネはお見通し。
早口でさっさと回答して処理してしまう。
「ぐぬ……いや、まだダ。再度、待っタを要求すル」
「飛縁魔の無痛針を使っても無駄だ。あれは皮膚のすぐ下に在る皮静脈に極細の針を刺入する事で成立する。この予防接種は免疫発生率を高めつつ副反応リスクを抑えるために筋肉注射で行うのが絶対だ。どう足掻いても痛みは生じる。ご熱望とあればメリアメリーから器具を借りても構わないが……刺入時の痛みは大差が無いし、注入口である針が細い分、薬液を注入し終える時間……つまり徐々に筋肉内部へ薬液が浸透していく異物感に耐える時間が増えるだけだぞ」
「最悪じゃアないカ」
「当方は初手から最善を尽くしていると言う事だ」
医者の鑑である。
「医者ではない」
「ぐぅ……観念すルしかナいのか……」
痛みから逃げる自衛本能はキョンシーにもあるが……主の命令が絡んでくるとそうもいかない。
この予防接種は主・メリアメリーの意思だ。
彼女が主の鑑のような精神を持っている事は密輸船でのやり取りで把握している。
眷属の健康維持に妥協はしないだろう。つまりダンがいくらイヤイヤしても絶対に中止の判断はしない。
加えて、どうにもメリアメリー御嬢様には怪物らしい少々サディスティックな一面もあるらしく。
診察台に腰かけている御嬢様は「クフフ、自分が打つとなると絶望しかないのだけれど、他者事として見学している分には愉快なものね。さっさと打たれて健康体になってしまいなさいな」とかニヤニヤしている。
致し方無し。ダンは前をはだけ、右肩をネネへと差し出す。
「素直な患者は素晴らしい」
「あぅ」
前置き一切無し、ネネはダンの肩に注射針を刺入っ!! ぶすりと刺すような、いや、まさしく刺された痛みにダンは眉を跳ねさせるが、針が変に動いてはまずいと体の震えは最低限に抑えた。
ネネは数秒かけて抗体液をダンの肩へと流し込み、注入完了と同時、速やかに針を抜く。
「偉いぞ。よく耐えた。あとで特製のキュウリ漬けを分けてやる。余りの美味に頬肉が落ちてもちゃんと縫合してやるから安心しろ」
「うぅ……それはドーモ……って、ン?」
不意に、ダンは掌……と言うより指の付け根に違和感を覚え、右手を見る。
視線を落とした丁度その時――もきゃっと言う謎の効果音と共に、ダンの指と指の間に薄い皮膚膜が生えた。
「……何か、生えタんダが?」
「水掻き膜だ。当方にもあるぞ」
ほれ、とネネがダンに掌を突き出して、その指の間にある皮膚膜を見せつける。確かにおそろいだ。
ダンが呆然としていると、足の指にも同様のむずむず違和感を覚え、靴の中からもきゃっと言う音が聞こえた。
おそらく足にも水掻き膜が生えた音だ。
「純粋な疑問ナんダが……何故?」
「先の投与薬には、当方の体液を混ぜてあると言っただろう」
「言っていたナ」
「その膜は、貴様の体が禍破細胞の浸蝕を受けている証拠だ。副反応、だな」
「さラっとトンデモ無い事を言うこの禍破」
「皿っとな。喜べ。これで貴様の手足は『水を自在に掴む』能力を得た。使いこなせば水の上を走れるようになるぞ」
「健康道で走れルから意味無いんダが」
大河の氾濫でいつものランニングコースが水没しても大丈夫。
非常時もあなたの健康習慣を護る強い味方。それが健康道が技のひとつ、【水蓮走】。
閑話休題。
「まぁ、そう邪険にするな」
「邪険と言ウか……」
別にあって困るものではないのだろうが、自身の肉体に今まで無かったものが生える違和感は余り気持ちの良いものではない。
「当方とて医学を嗜む者。副反応を軽減するための手も尽くしてある。注入した体液はほんの僅かだ。一晩で貴様の体は禍破細胞と馴染み、共生を果たすだろう。貴様が不要と断じれば、禍破細胞はそれに応え、その水掻き膜も無くなる」
「一晩で無くなル、か」
「ああ、今夜一晩で充分。この船を沈められては、たまらないからな」
「船を沈められ……?」
「今現在はこちらの話だ。頭の隅にでも留めておけ」
「はぁ……?」
ダンにはよく分からなかったので詳しく問い質そうとしたが、ここでネネがパンと手を叩く。
「そんな事より、ダン。協力を要請する。当方はこれからメリーに予防接種を行いたい」
「ぎゅっ」
ネネの言葉を聞くや否や、メリアメリーは御嬢様らしくない声を上げ、ビクッと翼を広げた。
「先に言ったな。主も眷属も関係無く、予防接種は受けるべきだ、と。しかし困った事に……メリアメリー御嬢様はどうも注射がお嫌いらしい」
ネネは演技臭い大袈裟な動きで「やれやれだぁ」と首を振る。
「どんな選択で未来を予見しても、必ず一心不乱に凄まじい抵抗する姿が見える。その際、メリーに怪我をさせずに予防接種を遂行できる選択分岐がどうしても見えなかった。予防接種のために健康を害しては本末転倒も甚だしい」
「ダが、不死者なら怪我ナんてすぐ治ルだろう?」
「病も怪我も治ればそれで良いと? なら予防接種などこの世に要らないだろうが」
ごもっとも。病気も怪我も治る治らない以前に罹患・負傷しないのが最善だろう。
「まったく……禍破を相手にしてもタダでは屈しない、どれだけ入念かつ執拗に先手先手を打って追い詰めた未来でも、死に物狂いで足掻いて足掻いて必ず何かしら怪我をしやがる……この眼を以てしてもお手上げとは、飛縁魔おそるべしだよ」
まぁ、飛縁魔と言えば怪物の上位種。
三大妖には及ばないまでも、善戦くらいはできる存在だろう。
「と言う訳で、メリーの予防接種は渋々保留していた――昨日までは」
ネネは突然、ダンの手を取った。シェイクハンド。
「ありがとう、アンデッド・ダン。貴様と言う存在に当方は感謝している」
「……つマり、どう言う事ダ?」
「眷属が見ている前で、気高く素敵な飛縁魔がみっともなく『注射なんて嫌よ! 絶対にいーーーーやーーーー!!』等と喚き散らしながら拳で抵抗するなんて無様を晒す……そんな事が、有り得ると思うか?」
「っっっ……!!」
ネネの言葉に、メリアメリーが青ざめた。
対照的に、ネネはものすごく良い笑顔。
顔の周りにキラキラと何かが散っているように見えるほどだ。
大願成就……予防接種したくてもできなかった問題児を、ようやく処理できると心の底から喜んでいるらしい。
「さぁ、気高く素敵なプリンセス・メリー。眷属にそのエレガントな姿を見せつける時だぞぉ?」
「ひっ……く、来るな! この名医!!」
「医者ではない。そして……おいおい、おいおいおいおい……そんなに震えて、逃げ腰とは情けない。眷属が見ているのに、それで良いのか?」
「うきゅ……み、見るなぁ!! お願い見ないでぇ!!」
随分と余裕が無いらしい。
メリアメリーは半泣きで、普段の御淑やかさの欠片も無い必死の叫び声を上げる。
「ダン。今となってはキョンシーである貴様に確認する。『主の身の安全を護るための行為』と『主の命令』、どちらの優先順位が上だ?」
「前者だナ」
「我が愛しの眷属ゥ!?」
キョンシーが主の自傷や自殺の幇助に使われるのを防ぐための優先順位設定だ。
つまり……「メリアメリーの『見るな』と言う命令を聞くと、メリアメリーが予防接種から逃げ出し、諸々の病気への罹患リスクを背負う可能性がある」とネネによって提示されてしまった現状、ダンはメリアメリーの命令を棄却し、彼女の健康、ひいては身の安全を護る最善の行動を取らざるを得ない――即ち、凝視!!
「そ、そんな――は、図ったわね、ドクター・ネネ!!」
「残念ながら、図らずもだ。勿怪の僥倖、棚から予防接種」
「絶対に嘘だわ! 私はハメられた! この展開はノーカウント! ノーカンであるべきよ!!」
「マジで当方の仕込みは一切無い。強いて文句を言うのならあの放浪呪術娘に言え。そしてそんなゴネ得は有り得ない。さぁ、腹を決めろ。気高く素敵な御嬢様」
「うぎゅ……いや、その……えっと……く、くぴぃ……」
何と反論すれば良いのか分からなくなったのだろう。
絶望一色に染まった御顔のメリアメリー、そのお口から零れたのは首を絞められたコウモリのような声だった。