03,美男の鬱陶しい自己陶酔
惨禍の密輸船からゴーストシップへ跳び移ると、メリアメリーは「こっちよ」と真っ直ぐに船室の方へと降りて行った。
ダンとその頭に乗ったパミュも続く。
外から見ればもはや城のような巨大船舶ではあったが……。
そこらを飛び交う青白い提灯鬼火たちによって照らし出されたその船内空間は、何の冗談か、さながら都会の集合住宅のようだった。
中央の吹き抜けを囲うように数十階層に分かれており、それぞれの階層に一〇や二〇ではきかない数の扉が確認できる。
「ぱみゅう……?」
提灯鬼火の数が不足しているのもあるだろうが、降りても降りても一向に底が見えない吹き抜けに「いや、確かに大きな船だったけど……この広さは構造的におかしくない?」とパミュが疑問を口にする。
それを受けてダンは「ふむ」と少しだけ考え、
「まぁ、あレだけ雑多な怪物が乗り込んでいる船ダ。例えば……人智を越えタ呪術を扱う怪物がいテ、空間をイジッていタとしても驚きはしナい」
「あら。本当に察しが良いわね、我が愛しの眷属」
「当タりか」
「ええ。【大幹部】の一体にトビきり腕の良い術師がいるわ」
「大幹部?」
キャプテン・ヴォーンは「まさしく無法地帯」だと言っていたが、一応の組織図はあるのだろうか?
「と言っても、皆で面白がってただの古参船員をそう呼んでいるだけよ」
「成程。そう言う感じカ」
組織ごっことか、そう言うノリの単なるおふざけであると。
「でもまぁ、大幹部と言われるだけの大物揃いなのは事実ね。アナタも呪術で造られた物みたいだし、そのうち何か改造でも頼んでみようかしら? 拳が火を噴いて飛んでいくとか、眼から光線が出るとか、口から竜巻が出るとか! 素敵じゃない? 眷属をより素敵な高みへ導いてあげるのも主の役目よね!」
「……お手柔ラかに」
今後どんな魔改造を施されるのやら。
不安だが、主の御心には逆らえないのがキョンシーの性。
「ぱみゅ、ぱみゅみゅ?」
「あら、何かしら? カワイイ御饅頭さん。申し訳無いのだけれど……アナタが何を言っているのか、私には理解ができないわ」
メリアメリー御嬢様、パンダ語は未履修らしい。
主のため、ダンがパミュの質問を翻訳する。
「御嬢様はその大幹部だったりすルのか? と言っていル」
一般的認識として、飛縁魔と言えば「怪物」と呼ばれる連中の中でも頭ひとつ抜けた存在だ。
不老に加え、無限の生命力を持つ【不死者】の代表格。
殺す術はこの世には無く、封印して浄化する以外に退ける手段は無い。
だが怪力や超能力、果ては魔術や呪術の知識まで持つとされ、そもそも封印がままならない。
人間からすれば「どう戦えと言うのか」と頭を抱えたくなる正真正銘の大怪物である。
「クフフ、そう思ってしまうくらい高潔かつ素敵である事は自負する所だけれど、残念。大幹部の御歴々は揃いも揃って何百・何千年も前から世を騒がせて、討伐報酬金が億を超えているような規格外の怪物ばかりよ」
「億超え……カ。とんでもナいな」
ダンの知識によれば、世界怪物討伐協会が定める討伐報酬金において【億】はかなり分厚い境界線だ。
もはや災害に等しいと判断された異次元の怪物だけが、手配書に九桁以上の数字を刻まれる。
基準となる代表例としては、天を焼く大竜種や、山を割るような獣王類。
怪物と言うより、怪獣と呼ぶべき領域にいる存在だ。
つまり、ゴーストシップの大幹部は「天災級の怪獣に匹敵するほど危険な連中」であると。
「さすがの私も、あの面々に並べられるほどブッ飛んでいないわ」
「……そのブッ飛んダ呪術師に、オレを改造させル気か」
「ええ、きっとすごい事になるわね!」
「わぁ屈託無ぁい」
と、そんなこんな話している内に、メリアメリーの目的地へ着いたらしい。
ある部屋の前で空中停止し、コンコンと戸を叩く。
すると中から戸が開き、現れたのは顔の良い青年。
きっちりと整髪された青色の髪に、大胆に前をはだけさせた軍服調の衣服が印象的。
加えて顔立ちも端正なのだから、妖艶な美男ッと力強く断言して差し支えない。
「こんばんわ、気取り屋のハンサム・ブルー。今日も容姿は素敵ね」
「これはこれは、可憐なプリンセス・メリー。珍しい来客だ。何の御用かな? おっと、少女どころか下手すれば幼女まである外見のキミと同衾するのは少々抵抗があるよ? ロリババァってアダ名が付くくらいだから年齢的には問題無いんだろうけど――」
言葉の途中で、ブルーと呼ばれた美男はメリアメリーの鋭い目潰しを喰らって沈没。
顔を覆って「ッ~~~ッ~~~!!」と声も出せずに悶絶する。
「いきなりどうしたんダ、御嬢様」
「良い機会だから覚えておきなさい、我が愛しの眷属。私は『ロリババァ』と言う形容がこの世で最も許せないの」
「ぱ、ぱみゅ……!」
メリアメリーの表情を見たパミュが戦慄の声を上げる。
ダンも少し後ずさりそうになった。
彼女の幼い顔には微笑みが浮かんでいるが……紅い瞳の奥に明らかな攻撃色が見える。
殺気と言う概念を身近に感じる。可愛くたって怪物。
「確かに、長生きしているのは事実よ? ええ、誕生祝いに歳の数だけロウソクを灯せば一面が火の海になるわ。でも、ねぇ、私の顔見て。特にお肌を見て。若いどころか幼いでしょ!? 実際、飛縁魔的にはまだ幼年期なの!」
口から火でも吐くんじゃないか。そんな勢いでメリアメリーが叫ぶ。
飛縁魔は不老だが、生殖が可能となる体格までは成長するとされている。
つまりメリアメリーのように幼い姿の飛縁魔は、他種から見れば見た目詐欺の年寄りでも、実際には歳相応なのだろう。
「それだのに、言うにこと欠いてロリババァァァァ!? あの真ロリババァ……今夜こそギャフンと言わせてやるのだから……!」
「何やラ、根が深そうだナ」
「ぱみゅう……」
プンプン猫の如く「ふしゃー!」と吠える御嬢様の姿から察するに、他の船員に「ロリババァ」と茶化されて、非常に腹立たしい思いをした事があるのだろう。
深入りしても藪の中で蛇を踏むだけだ。
ダンは曖昧な相づちで有耶無耶に済ませようと決める。
と、ここでブルーが目を庇いつつ呻きながら、よろよろと立ち上がった。
涙を流しながら震えて立ち上がる様も美男だとそれなりに絵になるものだ。
「飛縁魔の爪って鋭くて素敵でしょう? ところで確認なのだけれど。さっき、何か囀ったかしら?」
「な、んでもないさ。僕の配慮不足だった……おかげで目が覚めたよ。今夜、一緒にどうだい?」
「お誘いは嬉しいのだけれど、遠慮しておくわ。何せ私は純正の幼女なのだから」
「それは安心……じゃなくて残念。で、改めて用件は何だい? キミから僕を訪ねるだなんて、初めてじゃあないか?」
ブルーの問いかけに、メリアメリーは「不躾なのだけれど」と前置きして、その小さなお手々を差し出した。
前置きの割に何の憚りも感じない、図々しく何かを要求するような手つきだ。
「アナタの蒐集品から、男性物の服を分けて頂戴」
「男装でも始めるのかい? でも生憎、子供服は集めていないよ?」
「私じゃなくて、この子に着せたいの。ほら、アナタと体格が近いでしょう?」
「この子?」
ようやく眼が回復したらしく、ブルーが開眼。
ダンと目が合う。その瞬間、ダンは不思議な胸の高鳴りを覚えた。
キョンシーには性別云々の前に、そもそも生殖機能およびそれに付随する一切の衝動が無いはずなのだが……。
「…………不整的脈動?」
「ああ、ごめん。トキメかせてしまったかな? 僕は【桂男】なんだ。それも結構、上位のね。老若男女を問わずに【催淫】が発動してしまうのさ。無差別級の魅力ですまない」
「インキュバス……」
ダンの知識によれば、夜な夜な女性を誑かし性的な悦びを与える変態美男系怪物の名。「特異体質を持って生まれただけの極めて容姿端麗な人間である」とする説もあるようだが、真偽不明瞭。
上位になると、女性に限らず誑かす能力を持つようだ。
「まぁ、キミやメリーを含め、怪物の類には余り効かない。せいぜいちょっとトキメくくらいさ。怪物と言っても素敵な女性は多いから、少し残念だけれど。助かっている部分もある」
ブルーは苦笑と共に、首を手で庇うような動きを見せた。
「苦労話は趣味じゃあないが、この催淫能力のせいで色々と酷い目に遭ってきたからね。一番ヤバかったのは、某国の王妃さまと知らずに致しちゃった時かな。斬首台の階段前までいったからね……前夜に処刑人をオトせてなかったら今頃は……死んでも付喪屍だけはゴメンだ。お肌は命と同価値だよ」
どうやら、制御不能なほどに強烈な催淫能力で人間関係が拗れ、その末に陸での居場所を失い、幽霊船に辿り着いた的な境遇らしい。
「っと……決めつけてしまったが、キミも怪物で良いんだよね?」
「アあ、キョンシー……大天華帝国製の死ねずの骸だ。御嬢様の眷属にナった。名前はダン」
「へぇ、眷属。見た感じ付喪屍っぽいけど、これがウワサの帝国式かぁ。初めて見るね」
キミみたいに清潔そうな付喪屍なら、なってみるのも悪くないね。等と茶化しつつ、ブルーは片目だけパチンと短い瞬き。いわゆるウインク。茶目っ気と色気ッ、そうやってこの男は処刑台に追い込まれるほどの火遊びをしてきたと言う事だ。
それはさておき。ブルーが握手を求めて手を差し出して来たのを見て、ダンはそれに応える。
「僕はブルー。髪の色からそう呼ばれているよ」
「本名じゃあないのカ?」
「フフ……僕はね、共に素敵な夜を過ごした女性にしか、本名を教えない主義なのさ」
メリアメリーが開口一番に「気取り屋」呼ばわりしていた理由がよく分かる物言いだ。
そんな発言と共に目を細め、額に手を当てて謎に天を仰ぐ「自分の美男発言に酔ってます」と言わんばかりの妖艶な立ち姿まで披露しているから手に負えない。
「ねーねー」「道をあけておくれよう」「おくれよう」「通りたいよう」
「む?」
ふと声をかけられ、ダンが振り返る。
そこには血まみれの木箱を担いで浮遊する白い大福の群れ――ではない。
霊魂型幽霊の群れが。運搬されている木箱には見覚えがあった。
ダンとパミュと共に密輸船に積まれていたものだ。
このまま大福めいた幽霊たちが進むと、木箱の角っこダンに当たってしまう。
「おっと、すまナい」
ダンが端に寄って道を空けると、大福めいた幽霊たちは順に「ありがとぉ」「通れるよう」「やったよう」「キャルメラさまの所に行けるよう」と礼を述べてふよふよと前進開始。
「あら、ウワサをすれば真ロリババァの子分たち。ついでだから伝えておいて頂戴。今夜こそぎゃふんと言わせて――」
「うっせーろりばばー」「うっせー」「ろりー」「ばばー」
「ふしゃーーーーー!!」
メリアメリーが自慢の牙を剥き、翼を大きく広げて威嚇する。
大福めいた幽霊たちは「わー」「きゃー」「怒ったぞー」「逃っげろ~」と楽しそうにきゃっきゃしながら素早く逃げ去っていった。
「うぎゅぅぅぅ……あれもこれも全部キャルメラの教育が悪い!!」
逃げる幽霊たち、それを悔しそうに唸りながら睨むメリアメリー。
一方、ブルーは幽霊たちを見送りつつ「よし」と頷いた。
「キャルメラの子分たちが戻って来たって事は、大方の殺戮は終わって本格的に略奪品の物色が始まった頃合いだね。僕も参加するとしよう」
「そう言えバ、さっきも向こうの船では見ナかったナ?」
密輸船甲板で繰り広げられていた大殺戮。
あの場でブルーを見た覚えが無い。
「僕は暴力とか殺しとか嫌いなんだ。返り血で汚れちゃうじゃあないか。それに羊肉は好物でも食人習性は無い……違う意味では食べちゃう事もあるけど。まぁ、そう言う訳だから。夜の海賊業は略奪と宴だけ参加するのさ」
獲物の船へ我先に乗り込むのは、略奪だけでなく殺しや人肉も目当てにしている連中であると。
確かに、甲板での殺戮が終わった途端にゴーストシップへ帰っていく者も少なくはなかった。
「しかし、それダとろくナものが残っていないんじゃあないカ?」
略奪せずに引き上げる者もそれなりにいたとは言え、やはり過半数は略奪へと向かっていた印象だ。
あの怪物どもの雰囲気、仲間の取り分とか配慮するとは思えないのだが……。
「僕が欲しいのは男物の服や装飾品。この船の男性陣で見てくれに気を使うのは僕くらいだから、遅れて行っても問題無い……どころか、むしろ僕のお目当て以外が持ち出されて探し易い。あの子たちの帰還は、その遅れて行く頃合いの目安に丁度良いって訳」
「なルほど」
「さて、ダン。メリーに頼まれたキミの服についてだけど」
そう言って、ブルーは戸を大きく開け、招き入れるように手を広げながら後退。
紅い絨毯が敷かれた室内は、眠るようにぼんやりと揺蕩う提灯鬼火たちに照らされていた。
家具は略奪品らしい血染みのついた大きなベッド、それから大きな衣装棚が壁に沿って三つ並んでいる。
机や椅子もあるが……派手な衣類や煌めく装飾品が引っかけられたり積まれたりで、活用されている感じはしない。
それにしても……家具は少ないのに、服や装飾品の類が多い。
散乱と言うほどではないが、絨毯の上で放置されているものまである。
「そこらに転がっているものなら、好きに持っていってくれて構わないよ」
「良いのカ? わざわざ集めていルんダろう?」
「メリーは蒐集品と言ったけど、僕が服飾品を集めているのは部屋に飾るためじゃない。僕を飾るために集めているのさ。そして服飾品には鮮度がある。同じ服は着れて三度だよ」
服に使用回数期限があるなどと言う知識はダンの中に存在しない。
未知の概念に、ダンは少し呆気に取られた。
ブルーは机の方へ歩いて行き、小山を築いていた衣類の山から燕尾の上着や蝶々形の襟締を引っ張り上げる。
しっかりした造りで貴族が着こなしても問題無さそうな逸品に見えるが……。
「この辺とか、身長のある男性なら誰でも無難に似合うと思うよ」
ブルーがその服を取った手つきも、見る目も、語る口調も、まるで子供が遊び飽きた玩具に対するような冷めたものだった。
「本当に、何度か着た服にはモう興味が無いんだナ」
「まぁ、例外で定期的に何度でも着たくなるお気にもあるけど……それはきちんと衣装棚にしまって管理しているからね」
つまり「しまわれず放り出されている服は、まだ処分していないだけの不用品である」……と。
「じゃ、僕は略奪に行くから。あとは御自由に」
良い夜を☆などと気障なウインクと共に言い残して、ブルーは部屋を後にした。
「それでは御言葉に甘えて。さぁ、愛しの眷属。好きな服を選びなさい」
「……好きな服、と言われてもナ」
「心配しなくても、とやかく言わないわよ。最低限『服』と呼べるものなら何でも良いの。だってアナタは私の眷属。私ほど高潔で素敵な存在の側にいれば、褞袍姿だって立派に見えるのだから。ほら。さっさと選びなさいな」
「むゥ……」
キョンシーに趣味嗜好を問うなど、無理難題も良い所。
しかし「選びなさい」ときた。命令形。こう言われるとキョンシーは逆らえない。
さて困ったゾ、とダンが服飾品の山を前に腕を組んで唸っていると。
「ぱみゅっとい」
ダンの頭に乗っていたパミュが、掛け声と共にぴょいと跳んで服の山へと飛び込んだ。
服の山の中を潜り進んでいるのだろう、しばらく「ぱみゅ、ぱみゅ」と言う鳴き声と共に山がもぞもぞ動き、「ぱみゅぱお!!」と威勢の良い声と共に、山が内から崩れた。
顔を出したパミュが咥え上げていたのは、詰襟に足元まで届きそうな長裾の黒衣。いわゆる上衣下裳。
足の可動域を確保するためか、長裾は左右に大胆な切れ目が入っている。
ダンはその服をよく知っていた。
「おお、長袍カ」
長袍。キョンシーとパンダの名産地・大天華帝国では極一般的な衣装だ。
少し探せば黒い長袍と合わせるのに誂え向きな黒袴や黒靴まで出てきた。
「でカしたゾ。感謝すル」
「ぱみゅ!!」
キョンシーに取ってこれ以上にしっくり来る服もあるまい。
ダンは纏っていた大布を脱ぎ捨て、パミュから受け取った長袍に袖を通す。
袴と靴を履いて、襟と袖口の布釦を留めれば――長袍姿の顔面御札マン。
まさにキョンシーの出で立ちと言った具合だろう。
ダンは不思議な落ち着きすら覚えた。「しっくり」と言う感覚が今ここに在る。
「うム。特に拘りがアった訳じゃあナいが、何だかキョンシーらシくなったゾ」
「ぱみゅう!」
「クフフ、似合っているわよ。黒で統一しているのも、主である私を際立たせる影で在ろうと言う心意気が感じられて素敵ね!」
そんな意図はまったく無かったのだが……。
メリアメリー御嬢様が何だかゴキゲン良さげなので、ダンは何も言わない事にした。
「さて、身だしなみは解決。じゃあ、次ね」
「次? 眷属の業務でも指導してくれルのカ?」
ダンの知識記憶は「主への奉仕」に関するバッチリ完備だが、それはあくまで主が人間である前提のものだ。
飛縁魔の御世話の彼是など知らない。「身だしナみの次に優先すルのなラその辺りの教育ダろうか?」と言う当て推量だったのだが、メリアメリーの返答は「違うわよ。案外、常識が無いのね」と言う言葉と呆れ顔。
「眷属を従えたら、まずは――予防接種でしょ?」