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16,雷霆穿つキョンシーの蹴り


 ――何の悪夢だこれは。


 回る赤色灯の光と甲高い警告音で満たされたジンライ艦橋にて。

 フロントガラスに映し出された艦内中継映像に、ディンガーレオを含めその場にいた全員が絶句した。


 伝説の峩者髑髏(ノーライフキング)が実在し、しかも目の前の現れた。

 これだけでも理解が追い付いていなかったのに。


 峩者髑髏(ノーライフキング)はジンライを掴んで海面に叩きつけた挙句、呪術で衝角を生やした幽霊船をまるで槍か銛のように持ち上げて……ジンライに突き刺して来たのだ。

 常人が理解できるスケールを軽々と超えた暴挙である。


 そして追い打ちをかけるように、幽霊船からジンライへ雪崩れ込んできた行列。

 陽気に笑い狂う魔女っ子コスの幼女を先頭に、悍ましい幽霊(ゴースト)の群れがジンライを浸蝕していく。


 大福のようなもちっとした霊魂たちは目についた装飾や配管を片っ端から弄り壊す。

 獣霊(ガンド)の類は道中の部屋や横道に駆け込み中にいた船員を補足、一瞬でミンチになるほどに喰い散らかす。

 亡霊(ファントム)系はぎゃあぎゃあ喚きながら無造作に箒や鉄棍棒を振り回して壁や床を破壊していく。

 武装した船員が勇敢にも行列の正面、魔女っ子の前に立ち機関銃を乱射したが、傍らに控えていた白ワンピースの巨女が腕をぶよぶよのスライム状に変化させ、すべての弾丸を防ぎつつ、そのスライム状の腕を伸ばして勇敢な船員を捕獲。抱き寄せ、取り込み、溺死させてしまった。


「どれ、ワシも少しはしゃぐかのう」


 魔女っ子は言うが早いか、何の前動作も無しに前方へ巨大な魔法陣を展開。そして即発射。

 御手軽起動のクイック魔法――だのに、その魔法陣から放たれた赤黒い極太光線はまるで大竜種が物憂げに吐く息の如く強烈。

 ジンライ全体が大地震に見舞われたかの如く震え、跳ねるほどの破壊衝撃を伴って船体を貫通。

 水平線の果てへと消えて行く。


 魔女っ子の一撃で生じた揺れで転倒しかけ、ディンガーレオはハッと我に返る。


「総員各区画セーフゾーンまで退避! 一〇秒後に艦内自動防衛システムを起動する! 侵入者を蜂の巣に――」


 言葉の途中で、ディンガーレオは止まる。


 フロントガラスに映像が……いや、映像ではない。

 フロントガラスの向こうで、ぴょーんと何かが跳び上がって――


「っ、お前は――」


 砲弾の直撃にも耐える強化ガラスをあっさりと蹴破り、艦橋へ侵入した影は二つ。

 その影のひとつは強化ガラスを蹴破った勢いのまま、ディンガーレオへ真っ直ぐ飛来。


 飛び蹴りを叩き込む!!


「っ!?」


 ディンガーレオは咄嗟に両腕を交差して盾にしたが――まるで竜巻に薙ぎ払われるがごとく凄まじい力で吹き飛ばされ、艦橋の扉を背で叩き壊し勢い良く退室!!


「……やはり、咄嗟の攻撃は受けルか」


 ディンガーレオを吹き飛ばしたのは……顔面に御札を貼り付けた長袍(チャンパオ)姿の男。

 男は着地するのと同時に、吹っ飛んで行ったディンガーレオを追いかけ走り出した。


「なっ……レオ兄様……!」

「待て」


 ディンガーレオと謎の顔面御札マンを追いかけようとしたアルルミィズを呼び止めたのは、顔面御札マンと共に飛び込んできたもうひとつの影。

 それは白衣を着た緑髪緑眼鏡の女。


「っ……貴方は……それにさっきの御札の男も、昨日の!」


 アルルミィズはタロットカードを引く。未来を占う。


 彼女は月彌兎(ツキビト)の血を飲み、『あらゆる占いがすごく当たるようになる能力』を獲得した受血能力者(ルナティックブレンド)、全身占い人間である。


 今、アルルミィズが引いたカードは満月を背景に笑いながら踊るロバのカード。

 狂ったロバは【混沌】を暗示する!


 要約すると「何がどうなるか分からない」!!


「そ、そんな……!」

「なるほど……そう言う能力か。ようやく詳細を得られた」


 まるでアルルミィズの全てを見透かしたかのように、白衣の女が少しだけ口角を上げる。


「未来観測の手段としては非常に拙い。だが、精度はどうあれ『大雑把にでも未来を観測し、それを変えるための行動を起こせる』と言うのは、当方に取って不都合極まりない不安分子だ。ほんの僅かな、それこそ蝶の羽ばたきひとつの誤差で未来は大きく変わってしまうのだから……現にここに来るまで、貴様がその拙い未来観測を元に何をしでかすか、それを当方がどう覆すか、更にその覆された未来を観測する事で貴様の行動も変わり――と言った具合で未来が目まぐるしく千変していて、未来観測がまるで意味をなさなかった」

「……何を訳の分からない事を滔々と!」


 アルルミィズは役に立たない占い道具を地面に叩き付け、腰の剣を抜いた。

 周囲の船員たちも剣や銃を抜いて、白衣の女を取り囲む。


「未来の書き換え合戦になる以上、未来を視て動いても無駄……その考えは間違っていないが、そんなにも思い切りよく放棄するのは愚策にも程がある。ここから当方は遠慮無く、未来を視て動くぞ」

「未来を視る前に現状をしっかり見ては如何です? この戦力差で勝てるとでも?」

「まぁ、普通に勝てると思うが……前提が間違っている。当方は勝ち負けなどどうでも良い」

「……は?」


 白衣の女はやれやれだと呆れたように溜息を吐きながら首を横に振る。


「そも、当方にはポリシーがある。当方の手は治すためのもの。この手は何も傷付けない。誰も死なせはしない」


 アルルミィズが「戦うつもりは無いと?」と問おうとすると、白衣の女は先回りするように「当方が戦闘行為など行う訳が無いだろう」と答え――懐から油紙を取り出す。油紙に包まれていたのは、大振りのメスだった。


「だが、貴様らを野放しにする訳にもいかない。よって、これより改造手術を行う。ここにいる全員、最低限生存に必要な機能のみを残して最大効率化する――まぁ、要するに『医療行為として、生命維持に直接関与しないパーツをすべて切除する』と言う話だ。まずは四肢から」

「は、はぁ……!?」

「安心しろ。術式は全員込みで三分以内に済ませる。そして喜べ、ついでに不老不死にしてやるぞ。当方の治療を受けて死ぬなど許さん」

「な、何ですの貴方、理解できない……頭のおかしな事をつらつらと! 治療だのなんだの、それにその白衣、医者のつもりですか? だとしたらとんだヤブ医者もいたものですわね!!」

「……あ?」


 大きなメスを振るってひゅんと空を切り裂き、白衣の女は不愉快そうに舌打ちした。

 ……アルルミィズは知る由も無いが、目の前にいる白衣の女は「医者」と呼ばれるのが嫌いだ。

 そして、ヤブ医者と呼ばれるのは更に更に更に嫌いだ。


「当方は医者ではない。その口……二度とふざけた言葉が吐けないよう、きっちり治療し尽くしてやろう」



   ◆



 海軍の空飛ぶ戦艦――まぁ、いきなり海に飛び込んだと思ったら何やら超・巨大化して出て来たヴォーンによって海面に叩き落とされたが……――の艦橋に突入したダンは、即座に目標の人物を補足。

 とりあえず突入した勢いのまま一発、蹴りを入れてみた。


「が、は……この、なんて、威力の蹴りだ……!」


 艦橋の扉をぶち抜き、通路の途中で膝を突く銀髪の軍人――ディンガーレオ・ヴィッツ。

 ダンの主であるメリアメリーを狙う、敵だ。


 月彌兎(ツキビト)の血とやらをのみ、全身を電気に変えられる能力を有しているようだが……ダンはいくつかの要素から「問題無い」と判断し、先ほど蹴りを入れた。

 その判断は間違っていなかったようで、ディンガーレオは苦しそうに喘ぎながら右腕を庇っている。ダンの蹴りを防いだ際に骨折でもしたのだろう。

 キョンシー的自動手加減で多少は威力が減衰していたとは言え、一般人なら腕が千切れる程度の威力はあったはずだが、骨折だけで済んでいる辺り、ディンガーレオがどれほど鍛え抜かれた軍人かが伺える。

 きっと弱い怪物なら素手で倒せてしまえる事だろう。


 手を出シた相手が悪かったナ、とダンは少しだけ同情する。


「おのれ……アンデッド・ダン! また会う事になるとは知っていたが!!」


 痛みと、怒りもあるか。

 ディンガーレオは目を血走らせながら吠え、勢い良く立ち上がる。

 それと同時に、彼の右腕がバヂッと音を立てて発光した。

 どうやら骨折箇所をほんの一瞬だけ電気に変え、繋ぎ直した形で復元したらしい。事実上の超速再生能力だ。


「能力の使い方、随分と不慣れな様子ダが……そレくらいの操作は利くノか」

「!」


 ダンの言葉に、ディンガーレオは目を剥いて驚愕する。


 ――ダンは主の敵であるディンガーレオを排除するため、その情報を整理、打倒する術を模索していた。

 と言っても、ダンが持っている情報など先日の一戦で得られたもののみ。

 しかし、その一戦の中でのいくつかの行動に違和感があった。


 体を電気に変えられるなら……どうして、ダンの反撃をわざわざ躱したのか。

 それも、素早い連撃に繋げられないように切先を向けて牽制しながら。


 ダンと交渉の余地があると踏んで早々に感電させるのを避けた……。

 いや、感電させて簡単に取り押さえられるのに、わざわざ交渉に持ち込む必要性がどこにある?

 と言うかそもそも、電気を武器にすれば良いだろう。

 普通の物理武器よりよっぽど強烈で、防ぐ手段も限られる特殊攻撃……とても有用なはずだ。

 超火力の拳銃はともかく、どうして電気を武器にせず剣なんて使っていた?


 ディンガーレオの体を電気に変える能力には、何かしら使用制限がある。

 でなければ、あの一連の違和感は説明が付かない。


 そこで脳裏を過ぎったのは、ディンガーレオがアルルミィズにかけていた言葉。


 ――「お前も俺と同じく能力を発現したのはつい先日。習熟不足は仕方が無い」


「オマエはまダ、能力を得てかラ日が浅い。ダから攻撃には転用できないし、防御面でも咄嗟に身体を電気化シて物理ダメージを無効化すルなんて事はできナい……違うカ?」

「…………ああ、そうだが? それが一体、どうした?」


 図星を突かれて動揺……する様子は無く。

 むしろ、ディンガーレオは目を細め、ダンを嘲笑する。


「その自慢げな御高説の間に、準備完了だ」


 ディンガーレオの全身がほんのりと光を帯び、パチッ……パチッ……と小さく鳴る。

 全身(オール)電化状態!!


「どこからでもくれば良い。すぐに感電させてやる」

「そうカ。じゃあ、まタナ」

「は?」


 ダンは勢い良く脚を振り上げ――全力で床を踏みつけた。


 震脚である。

 地震と相殺するほどの衝撃、当然、床が耐えられるはずもなく、ズガンッと大きな音を立てて抜ける。

 自動的に、ダンも床の破片と共に階下へと落ちて行った。


「っ……どこかに潜み、再び奇襲を仕掛けるつもりか!」


 何事にも限度はあるものだ。

 月彌兎(ツキビト)由来の能力も例外ではなく、いつまでも身体を電気状態にはしていられない。

 限界が来て電気化を解いた所で、また仕掛ける算段……そうに違いないとディンガーレオは断定した。


「吸血姫の眷属、お似合いの卑劣さ……そして考えの浅さだ!」


 させる訳が無いだろう、そんな事。

 ディンガーレオは急ぎ、ダンが空けた床穴に飛び込む。


 すると、階下でダンは既に脚を振り上げた体勢で――再び、震脚。

 これまた再び、階下へと落ちて行く!!


「必死だな。どこまで下りて行くつもりか知らないが、逃がさないぞ、アンデッド・ダン!」


 ディンガーレオは落下しながら拳銃を取り出す。

 例の戦艦副砲級の火力がある拳銃だ。

 少しでも隙を見せれば頭に撃ち込んで脳漿花火にしてやると言った所。


 ダンは顔面御札の奥で「はいはい」と呆れたような半目をして、空中で身をよじり高速回転。

 強烈な回転エネルギーを加え体内に蓄積していた健康エネルギーも脚に乗せ、着地と同時に震脚!!


 繰り返し繰り返し、ダンとディンガーレオは共に落ちて行く。


「とコろで、ディンガーレオ・ヴィッツ」

「何だ、アンデッド・ダン! 命乞いなら吸血姫の情報を枕に添えて言え!!」

「何でわざわざ、ゴーストシップをこノ船に突き刺してもらっタと思う?」


 まったく想定していなかった質問にディンガーレオは一瞬だけ思考が止まったが、元が優秀なだけあり思考の再回転が速かった。

 すぐさま考えつく「フライトユニットを破壊し、戦線離脱を防ぐためだろう」。


 ……だが、ダンの口ぶり……本当に、そんな単純な事か?


 幽霊船が突き刺さった事で、フライトユニットの破損以外に何が起きた?

 魔女っ子と幽霊(ゴースト)集団の侵入経路確保……は、わざわざ船を突き刺すまでも無い。


 幽霊船が突き刺さらなければ生じ得なかった、他の手段では不可能か。

 かなり手間のかかる何か――


「ま、さか――」


 気付き、ディンガーレオは手を伸ばした。自分が今まさに通貨してしまった穴へ。

 上階の床を掴もうとした。

 自身の落下を止めようとした。

 だが、とっくの昔に遅い。

 ダンが質問した時点でもう間に合わなかった。


 ダンがまたしても、落下と同時に震脚で床を破壊する。

 今度は今までよりも強めに、大きな大きな穴を空ける。

 少しもがいた程度では逃げられない程度の大穴を。


 ディンガーレオはその大穴に吸い込まれるように落ちて行き――ついに到達する。

 この艦(ジンライ)の最下層――ゴーストシップの呪術衝角が船体を斜め方向に貫いた事で船底に大穴が空き、海水によって浸水しきったその区画へ。


「ま、ずい――!」


 どっぽぉんと音を立て、ディンガーレオが着水。

 すぐに水を掻き、ぷはぁと水面に顔を出す。


「……おや、身体を戻すノが間に合ったのカ」


 ダンは足が水面に触れた瞬間、超・高速足踏み。

 足が水に沈む前に上げれば沈まない、水の上を踏みしめて行ける――本来は河川の氾濫でいつものジョギングコースが水没しても健康習慣を実施できるようにするための技、健康道(ジェンクンドー)水蓮走(すいれんそう)】である!


「電気の身体のまま落ちてくレれば楽ダったが……まぁ、充分か」

「貴様……貴様貴様貴様ァ!!」


 悔しそうに吠えるディンガーレオの身体からは淡い発光が消えている。

 着水の直前、ギリギリどうにか身体を電気から肉へと戻したのだ。


 何故、焦って戻す必要があったのか。

 それは海水に電解質(イオン)がたっぷりと含まれているからだ。

 そのため海に落ちた雷は一瞬の内に四方千里へ拡散してしまうと言う。


 もし全身電気状態で海水に落ちていたら、どうなっていたか?


 先日ディンガーレオにしてやられた時、ダンはネネに運ばれながら見ていた。

 ディンガーレオが水路に飛び込むのを妙に躊躇っていた所を。


 飛び込まないまでも、手を水路に付けて電流を流す追撃くらいはしても良いだろうに……。

 ディンガーレオはそれをしなかった。

 いや、できなかったのだ。


 ディンガーレオは電気の操作に不慣れ。

 電気状態で大量の海水に触れて、もし電気(からだ)が広範囲に拡散しまったら。

 そして操作の拙さ故に『元に戻れなかったら』。


 その可能性を、恐れたのだろう。


 スライム系の怪物は身体が大量の水に溶けきると自我も薄まり、事実上消滅してしまうそうだ。

 ゼリーライムもその辺りはかなり気を使っていると言っていた。

 ディンガーレオの身体でもきっと、同じような現象が起きる。


「さテ……ディンガーレオ。今この状態で、オマエは身体を電気に変えられルか?」

「っ――」

「できナいよな。だって人間は、死ぬノを恐れるかラ」


 このままでは殺されるだけ。

 だが死を覚悟して踏み込めば万が一程度の確率で活路はある――そう言う状況でも、人間はそう簡単に自ら死の危険へ飛び込む事ができない。


 死ぬのが何よりも恐いから。


「アンデッド・ダァァン!!」


 怒りに任せて吠えながら、ディンガーレオが拳銃を構えた。


 無論、照準を合わせる時間など与えない。


 ダンは即座に「相手が手に持っている武器を蹴り飛ばす」事を目的とした蹴り技、弐起脚(にききゃく)を放つ。

 その一撃は能書き通り、ディンガーレオの手首をボギッ! とへし折りながら、その手に握っていた拳銃を弾き飛ばた。


「ぐああぁぁぁああ!?」

「終わりダ、ディンガーレオ・ヴィッツ」


 ダンが水面を蹴って、跳ぶ。

 空中にて回し過ぎた独楽のようにギュルルルルルと超・高速回転。


 ちょっと血圧低めな朝に、血の流れを加速させるために行う健康道(ジェンクンドー)の術がひとつ【送血円舞(そうけつえんぶ)】。

 血流促進のついでに回転エネルギーを蓄積する事で、続けて放つ技の威力を引き上げる繋ぎ技でもある。


 ダンは高めに高めた回転エネルギーに、健康エネルギーも添え――超強化した回転蹴りで、水上に出ていたディンガーレオの顔面を蹴り飛ばす!!


 その蹴りは――健康道(ジェンクンドー)ではない。

 どう健康になるかどうかなど度外視、ただただ敵を排除してやろうと言う堅い意志を込めて放たれた破壊的攻撃!!


 ディンガーレオは悲鳴を上げる事もできずに吹っ飛び、水切り石の如く何度も何度も水面を跳ねて壁にべたんと衝突!!


「ばぁ……ぁ……」


 歯がほとんど砕け散った大口を開け、顔中からダラダラと血を噴き流しながら……ディンガーレオは静かに沈んで行った。

 まぁ、死んではいないだろう。

 残念ながら、キョンシーには相手の命を奪わないよう自動で発動する手加減機能がある。


「よっ、と」


 ダンは水面を蹴って上階の床に着地し、ふぅ、と溜息。

 ピラピラと顔面御札が揺れる。


「……後は、誰かを呼んデきてトドメを刺してもらうダけだナ」


 自らの手で始末を付けられないのは少々歯がゆいが、まぁキョンシーの宿命だ。仕方無い。


 なんにせよ……これで、御嬢様に迫る敵の排除が完了した。


 今頃、当の御嬢様はゴーストシップの御部屋でぐっすりおねむだろう。


 船房区画は呪術的異空間なので船が大きく跳ねようが銛のように振り回されようが影響は無いと聞いている。

 この戦いが原因で起きていると言う事は無いはず。


 部屋に戻れば、あの心地好さげな、幼く可愛らしい寝顔が待っている。

 想像して、ダンは少しだけ口元を緩めた。


 さぁ、さっさとディンガーレオにトドメを刺してくれる誰かを探しに行こう。

 そう視線を上げると、ちょうど視線の先の曲がり角からすぃ~っと空を滑ってこちらに向かってくる黒翼の少女――イヅナマルの姿が見えた。


「あ、ダンだ。やっほ~。何か笑ってるけど良い事でもあった~?」

「ン? ああ、まぁ笑っていタのは別件ダが……ちょうど良い。手間が省けタ。すまナいが、下で沈んでいル男にトドメを刺すか、適当に喰い散ラかしてくれそうナ船員の所に転送してくレナいか? キョンシーは殺シができナいんダ」

「おっけ~。じゃあルジナの所にでも転送しておくよ~」

「助かル。ありがとう」

「どいたま~」


 黒い羽毛を散らしながら羽ばたいて、イヅナマルが床の穴から階下へ降りて行く……途中で、ふと、何かを思い出したように止まった。


「そう言えば~、ダン。前からキミにひとつ訊きたい事があったんだけど~。今、大丈夫?」

「ン? ああ、大丈夫ダ」


 ダンの目的は達成されたし、ネネやキャルメラたちに応援が必要だとも思えない。

 もう後はゴーストシップに帰るだけなのだから、ちょっとした会話をする時間を惜しむ理由も無いだろう。


「さっきも何か笑っていたみたいだけど~……今、生きてて楽しい?」

「……はぁ?」


 ダンは思わず怪訝な声を漏らす。

 質問の意図が不明なのもそうだが、何より、


「オレはキョンシーだかラ、もう死んでいルんダが」

「あ~、そっか~……じゃあ訊き方を変えるね~。今、楽しい?」

「楽しい……と訊かれてもナ……」


 ダンはキョンシー、使い魔だ。

 楽しいとか嬉しいとか、その手の感情を求めたり噛み締めたりするようにはできていない。


 だが……ふと、ダンは自らの口元に手をやる。

 イヅナマルも言及していたように、御嬢様の呑気な寝顔を想像して緩んだ口角を指で撫ぜる。


「……そうダナ。楽しい、カどうかはともかく。使い魔の分際にシては、笑う機会が多いナ。大半は苦笑か呆れ笑いのような気もすルが」

「そっか~。うん。それは、楽しいって事で良いと思うよ~。良かったね~」

「ン? ああ、応。ありがとう?」

「どいたま~」


 そう言って、今度こそイヅナマルは階下へと降りて行った。


「……何ダったんだ、今の質問」


 相変わらずマイペースと言うか、掴みどころが無いと言うか……。

 まぁ、見た目は少女でもあのゴーストシップで大幹部と呼ばれる呪術師だ。

 あれこれ考えたって理解が及ぶ相手でも無いだろう。


 とりあえずディンガーレオの処理は任せて……ダンはメリアメリーの待つゴーストシップへ戻る事にした。


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