11,街陰のショッピング・ストリート
――翌朝、メリアメリーの部屋。
姿見の前で仁王立ちしながら、ダンはふぅと息を吐いた。
その息を受けて揺れる顔面御札――は、無い。
「……ふム、こんナものか」
簡素な白いブラウスシャツに、黒の長ズボン。
顔面御札はぺろりとまくり上げ、頭を覆う紅いバンダナの内側に納める形で隠してある。
本日ブルーの手伝いで赴くのは、ジャパランティスにある裏の市場。
種族を問わないお尋ね者たちが形成したコミュニティ。
ブルー曰く「ゴーストシップの陸地版、かな? まぁ、この船より集まってる連中の危険度は各段に低いけれど、れっきとした無法地帯だ。油断してると、身ぐるみ剥がす系の輩がすぐに食い付いてくるよ」との事。
そんな所に、大天華帝国からの持ち出しが堅く禁じられているレア使い魔なキョンシーがノコノコ出向けば、「金が服を着て歩いてやがるぜーっ!!」とハッスルしたゴロツキが絶え間なく襲いかかって来るだろう。
まぁ、ダンを拉致するなど容易な事ではないが……。
そんな輩に絡まれ続けていては、手伝いどころか邪魔になってしまう。
と言う訳で、顔面御札を隠蔽する変装。
ついでに長袍もジャパランティスでは目立つから、と極めて無難な服一式を提供してもらい現在に至る。
「クフフ。その装いも素敵よ、我が愛しの眷属」
「ぱみゅ、ぱみゅみゅい」
メリアメリーとパミュの反応も上々。
問題無しと確信し、ダンは軽く襟を整える。
「で、だ。御嬢様よ。ブルーが駄賃をくれルそうダが……何か、買ってきテ欲しいモノはあるカ?」
「アナタがお手伝いをして得る賃金でしょう? アナタに必要なものを買うために使いなさい。以上」
「あのナァ……キョンシー……と言うか、使い魔全般、そう言う注文が一番困るんダゾ」
使い魔とは基本的に主のために動く道具として設計されている。
主の利益・主の望みのために行動する代物なのだ。
だのに、その主の利益を無視して動く事が主の望みとか……性能の低い使い魔ならバグって永久フリーズ案件である。
「アナタはそこらの使い魔ではなくて、私と言う気高く素敵な飛縁魔の眷属。しかも常世の常識なんて通用しないこのゴーストシップの船員でしょう。有象無象の使い魔とは違うって所を見せて頂戴」
「ンな無茶ナ……」
「ぱみゅ」
ダンが「おいおい……」と呆れていると、ベッドの上に座っていたパミュがダンに飛び乗ろうと動き始めた。
それを見て、ダンは「ちょっと待っタ」と制止。
「オマエは連れて行けないゾ?」
「ぱみゅ!?」
「いや、考えてミロ。パンダを連レて歩けル訳が無いダろう?」
キョンシー以上にゴロツキ吸引機としての効果を発揮しかねない。
「ぱみゅう……みゅ!」
パミュとしては「ダンの傍が一番安全」と言う認識らしく、どうにかならないかと食い下がる。
しかしこればっかりは……とダンが唸っていると、
「そうね……では、こうしてみたら?」
そう言ってメリアメリーが翼をパタつかせて向かったのは、ベッドの脇に設置されていたゴミ箱。
その中から昨日イヅナマルの御土産でもらい美味しくいただいた乾燥饅頭の包み紙をサルベージ。「はい」とそれをパミュに被せる。
「これなら、どこからどう見ても美味しそうな御饅頭でしょう?」
「ぱみゅ……むぅ、みゅみゅう」
少々遺憾のようだが、これくらいは我慢してでもダンについて行きたいようだ。
パミュはがさがさと音を立てながら饅頭の包み紙にもぐり込み、見事な饅頭擬態を披露する。
「まぁ、こレなら問題は無いダろうが……余り鳴いたり動いたりするナよ?」
「ぱみゅ!」
包み紙からもちっと顔を出したパミュが元気良く応えた。
「可愛いお返事ね」
メリアメリーはパミュの顎下を指でこしょぐりながら、「さて、我が愛しの眷属」と話題を変える。
「楽しくお喋りをしていたら、少し喉が渇いてしまったわ。出かける前に、今日の分の血を採らせて頂戴」
「ああ、承知シタ」
ダンは袖口のボタンを外して袖をまくる。
そしてメリアメリーが無痛針の採血器を取り出したのを見て、ふと思う。
「ところで御嬢様よ。採血器で血を採るノは、直齧りダとはしたないと言う理由ダったナ」
「……ええ。それが、どうかしたのかしら?」
「少し思っタんだが……例えば酒の一気飲みノように、少々御行儀は悪いがその行為を楽シむ食事の仕方もあルだろう? 吸血にもそう言う風に『直齧りしてゴクゴクと吸い上げるのが爽快』的なものがあルのナら、誰も見テいイい所では――」
「……ふざけないで」
「!」
メリアメリーの眼が、ぎろりと鋭くなった。
その刺すような紅い視線を受けて、ダンは一瞬だけ寒気を覚える。
ダンの表情が僅かに強張ったのを見て、メリアメリーはハッとしたように目を見開いた。
「……ごめんなさい。アナタは好かれと思って提案したのでしょうに、強く当たり過ぎたわ」
「いや……軽率な発言ダった。こちラこソ申し訳無い」
確かに、ダンとしては「主が最大限の利益を得られるようにするための提案」だった。
しかし、冷静に考えれば今のは「誰も見ていない所でなら、少しくらい気を抜いて、御行儀を悪くしても良いんじゃあないか?」と言うお誘い……気品や高貴さを重んじる者なら気分を悪くしてしまうのも無理は無い。
ダンも当然メリアメリーの拘りを知らなかった訳ではないのだが、軽く見積もってしまっていた。
まさしく軽率、浅慮な発言だったとダンは反省。
互いに少し重い空気を感じながら、採血を行う。
「……はい、充分。腕に違和感は無い?」
「問題無い……ン?」
針を引き抜いたメリアメリーがちらりと、ダンの首筋に視線を向けた。
何か言いた気が雰囲気を感じ、ダンは「どうしたんダ?」と問うが、メリアメリーは少し沈黙した後、明らかに何かを隠すように視線を切りつつ、血で満たされた採血器を冷蔵保存用の呪術がかけられた小箱へとしまう。
そしてどうやら質問に答える気は無いらしく、パンと手を打って話を切り替えた。
「さ。ブルーとの待ち合わせ時間も近いでしょう。気を付けて、いってらっしゃい」
「………………」
ダンは釈然とせず、むっと口端を結ぶが……これ以上は何も訊けない。
主の命令・ご意向は絶対である。
唯一の例外は主の身の安全を確保する場合のみ。
今の回答拒否がメリアメリーの身を危険に晒すものであるとは断定できない以上、明らかに「答えたくない」と言う態度を示されては食い下がれない。
まぁ、メリアメリー曰く、相対的に長生きしてはいるが飛縁魔的には見た目通りの年齢。
他者には言いたくない事も多いお年頃……そう納得するしかないだろう。
「……分かっタ。いってきマス。我が麗しの御嬢様」
「ええ、ちゃんと帰ってきてね。我が愛しの眷属」
◆
呪術式便利扉。
呪術によって生み出された空間の歪み……そんな代物に飛び込むのは普通、ちょっとした勇気と冒険心が必要になる。
まぁ、産むが易しとはよく言ったもの。
いざ踏み込んでみれば大した事は無い。
瞬き程度の暗転の後、ダンの眼前には白い砂浜と翡翠色の浅瀬が広がっていた。
イヅナマルのポータルを使ってジャパランティスの人の気が無い海岸に降り立ったのは顔面御札隠蔽コーデのダンと、薄黒布のベールで鼻から上を隠したブルー、そしてダンが手に持った饅頭の包み紙からお尻を覗かせて疑似饅頭を演じるパミュの三名。
ポータルから顔だけ出したイヅナマルより不可視の呪術でポータルを隠しておくから場所を忘れないようにと言う旨の忠告を受けたので頷きを返しつつ、ダンは大きな籠を背負い上げる。
大柄な男性でも二・三人は詰め込めそうな巨大さだ。
中にはブルーが不要と断じた衣類や装飾品類がパンパン。
ダンのパワーを頼るだけあり、並の人間では持ち上げるどころか押して動かすのもしんどい重量だが、健康なキョンシーの手にかかれば赤子を背負う程度の負荷である。
イヅナマルが顔を引っ込めると、ポータルがすぅっと見えなくなった。
「よし、じゃあ行こうか」
ブルーの先導で移動開始。
ジャパランティスは海洋国家。
国領のほとんどが海であり、街の多くが人工的な浮島の上に築かれた水上都市だ。
街の至る所に海へ繋がる水路が走っている。
交通インフラとしてその水路を渡る渡舟が運航されており、無料で誰でも利用できる。
ジャパランティスでの主な移動手段だ。
しかしまぁ、ダンが背負っている荷物はかなりの重量。
この大荷物に加えて人を何人も乗せれる渡舟となるとかなり大きなものになるし、その大きさでは街中の水路を通れない。
よって、ダンたちの移動は徒歩である。
「ブルーだけデも渡舟に乗ったラどうダ? オレは陸地かラ並走すレば良いダけだろウ」
「お気遣いどうも。でも一応、僕は討伐手配犯だしね。前に話したろ? 処刑台の目の前まで言った事があるって。だから目立つのは好ましくないんだ」
バカでかい籠を背負った男が執拗に並走する渡舟なんて、バチクソ注目を集めるに決まっている。
その渡舟に瀟洒な雰囲気を醸し出すベールを被った男が乗っていたら余計に。
なので元から、主要路である水路を避けた内陸の道をダンたちと共に進むつもりだったそうだ。
「それにもし、一緒に美女が乗ってしまったら口説かずに済む自信が無くてね……前にそれで口説いたのが休暇中の軍人さんで、危うく恋の首輪じゃなくて普通の手錠をかけられる所だったよ」
「そノ経験の上でなお、ナンパを我慢すル気にはナラないのか……」
「ぱみゅう……」
これには饅頭擬態に徹していたパミュも呆れ声を零す。
そんな調子で他愛ない話をしながら歩き進める事しばらく。
じめっとしてカビ臭い路地裏ばかりを進み、少し開けた通りに出た。
それでもやはり日当たりはよろしくなく。
まだ昼前とは思えない雰囲気……なのは、どうやら日当たりの問題だけでは無さそうだ。
「ふむ……地上でも、こんな場所があルんダナ……」
建物の陰と陰を繋ぐように造られた露店通り。
行き交うのは鱗が傷だらけの蜥蜴丈郎、物騒な武具類を山ほど積んだ荷車を押す鈩場の妖精、人骨の飾りをじゃらじゃら鳴らして歩く蛇の女、とっぷりとした夜闇がそのまま人の形を取っているような夜行魍魎……そのほか雑多、陰の道にはよく馴染む人ならざる者たちが堂々と闊歩している。
さすがに死ねず骸や幽霊系はいないようだが……。
人類種が栄盛を誇るこの時勢においては充分、異質な光景だろう。
怪物たち御用達の闇市……ゴーストシップとはまた違った闇のコミュニティだ。
呆気に取られるダンとパミュを率いて、ブルーが服飾を扱う店へと向かう。
どうもこの闇市では古参らしく、露店ではなくしっかりとした店舗が構えられており、店主は鶴の羽毛を持つ鳥仙の老婆だった。
ブルー的にはまだ有効射程の年齢だったようで歯が浮くような言葉をちょいちょい投げかけていたが、老婆はそれを赤子のぐずり程度にも気にせずに持ち込まれた服飾品を査定。
さっさと買い取り作業を終えると、金を渡しながら「あたしを抱きたきゃ店ごと買ってみせな」と軽快な笑いと共にブルーをあしらう。
慣れた御様子……まぁ、いつもの事なのだろう。
ブルーも慣れているのか老婆に取り合ってもらえなかった事をこれっぽっちも気にしておらず。
ダンへの御礼として老婆からもらった金額の半分を強引に押し付けると「僕は少し出会いを探してくるよ。ここからは別行動としよう。じゃあ、夕暮れ頃にあの砂浜で」とだけ言ってスタスタと去って行った。
ナンパ男の足取りはとても軽やかである。
「ふむ、夕暮れマで砂浜で待機すルノも何だ……適当に回ルか」
ダンの言葉に、手元の紙袋の中でパミュがお尻を小さく振って賛同の意思を示した。