09,放浪呪術師の帰還
陽光で目立たないが、白昼でも極薄の霧が出ている海上他界。
穏やかな海原にて、漆黒の城めいた巨大船・ゴーストシップは静かに佇んでいた。
ゴーストシップは夜行性。昼はただただ大洋を漂うのみである。
そんな巨大船の船べりに腰かける男がひとり。
海風でぴらぴら揺れる顔面御札がトレードマーク、キョンシーのアンデッド・ダンだ。
煌めく海面をぼんやりと見下ろしながら、その手に握った釣り竿を時たま思い出したように揺らす。
彼の頭の上では子パンダのパミュがのんびりと日向ぼっこ中。
そして、傍らでは「くぁあ……」と可愛らしい欠伸を鋭い牙で噛み殺す寝間着姿の飛縁魔――メリアメリー御嬢様がコウモリ翼をパタパタさせて浮遊中。
「昨日の停泊場所では入れ食いだったらしいのだけれど……この辺りは、あまり魚がいないみたいね」
メリアメリーの言葉を証明するように、ダンの握る竿から垂らされた絡新婦謹製・超極長釣り糸は時おり風に揺れるばかり……。
すぐ側で同じく釣りに興じていたキャプテン・ヴォーンも「シケてらぁ。今日は昼寝組に混ざるかぁ」と呟いて超絶めちゃ長な釣り糸をぐるぐる引き上げ始めた。
大体いつもヴォーンの後ろに引っ付いている鳥仙の少女が「しけてら。てら」と残念そうに翼をバサつかせる。
反対側の船べりで釣りをしている付喪屍たちからも景気の良い声は聞こえない。
なお、船首付近で豪快に投網をしている人狼のケモ姉さんだけは「あはははは! 一匹も獲れてないんだけどー!!」とすごく楽し気に大笑いしていた。
あのケモの人は酒が入ってなくてもあんな感じなのか……とダンはちょっと引く。
夜の略奪や宴では喧しく騒々しい連中だが、昼間はあのよく分からないケモ以外は軒並み静か。
釣りをしたり、海に下りて泳いだり、剣を研ぐ者や読書に勤しむ者、昼寝をする者など様々だ。
ダンが釣り組なのは、メリアメリーが「私は基本的にお昼寝組よ。だから昼の時間はアナタの自由に過ごしなさい。まぁ、今日は気が向いているから付き合ってあげる」と言い出し、なんとなく甲板に出た所で遭遇したヴォーンに釣りへ誘われた、と言う流れ。
「ところデ、余りにも当然のヨうに平気ダから訊く機会を逸していタんだが……飛縁魔って太陽の下でも大丈夫なんダナ?」
「まぁ、日焼けするとヒリヒリしてしまうから、そう言う意味では苦手だけれど……人並みに平気ね」
「ふむ……そう言えば、十字架とか銀の弾丸、心臓に杭なんかも平気ナのカ?」
主を守る観点から、弱点については詳しく把握しておくべきだろう。
そう考えてダンが質問すると、メリアメリーは「あーはいはい、それね」とやや辟易したような溜息。
どうやら、他の怪物からも何度か質問された事があるらしい。
「十字架の話は、大昔に出版された小説が元になっているらしいわ。宗教家の人間が……禁術によって飛縁魔に転生する御話で、『神に合わせる顔が無い』と十字架を忌避する描写があるそうよ。銀の弾丸についても、別に銀製品アレルギーとか出た事が無いし、普通の弾丸と大差無いと思うわ。心臓に杭も、刺さればそれは痛いのでしょうけど。心臓を穿たれたくらいで死ぬのなら不死者なんて呼ばれないわよ」
キョンシーに収録されている知識は、基本的に人間視点。
飛縁魔などそう簡単に出会える怪物ではないし……どうやらデマや憶測が混ざっていたらしい。
まぁ、ウワサに聞くようなものがすべて本当に弱点なら、上位の不死者として恐れられるような事も無いか。
「あ、でもニンニクは苦手ね……食の好み的な意味では無くて、本当に弱点。特に焦がしたニンニクの香りは無理だわ。嗅いでいると意識が朦朧として、力が入らなくなってしまうの」
「そうナのか。気を付けルとシよう」
「ぱみゅう」
臭い、特に焦がしたものが効いてしまう……。
ニンニクに含まれる何らかの物質が飛縁魔に対して毒性作用を持っており、それが臭気に混ざって拡散しているのだろうか。
で、火で炙る事によって更にそれの揮発性が高まると。
そんな推測を重ねていると……ダンは不意に、背後に違和感を覚えた。
どうやらパミュも同じらしく「ぱみゅ……?」と警戒するように一鳴き。
「あら、この感じは……」
そしてどうやら、メリアメリーはこの違和感の正体を知っているらしい。
ダンたちを含め甲板に出ていた者たちの視線が、違和感の発生源、甲板の中心へと集まった。
途端、パキャッと小さな茶碗が割れるような軽い音と共に――虚空に亀裂が走る。
一瞬にして、その亀裂はバックりと大口を開けるように横方向へ裂け広がり、楕円の穴を形成した。
「空間が……裂けタ……!?」
「ぱみゅ……!?」
目を剥いて驚きの声を上げたのはダンとパミュだけ。
メリアメリーを含む他船員たちは反応こそしているものの「ああ、これか」程度の素気無いもの。
「安心しなさい、我が愛しの眷属。パミュちゃん。あれはこの船の大幹部のひとりが造る呪術式便利扉……簡単に言うと、空間を端折って移動できる便利な扉よ」
「大幹部……呪術……まサか……」
どっぷりとした闇に満たされた楕円の裂け目から、何者かが現れる。
少し傷んだ黒マントに身を包んだ、黒髪の……少女だ。
髪を短く切り揃えているのと、マントの襟で顔の下半分が隠れているので中性的に見えるが「少女だナ」とダンは思う。
ダンにも何故だかよく分からないのだが、あの少女が少女であると確信……と言うか、知っている気がするのだ。
外見的な年齢はメリアメリーより少しお姉ちゃんくらい。
何の変哲も無い人間……に見えたのも束の間。
少女の足がポータルから甲板へと降り立った瞬間、その背からカラスのような黒羽で形成された翼が三対・計六枚、ぶわっと飛び出した。
元から生えていたものを今まで引っ込めていたのだろう。
人間で言えば、自宅に帰りついて玄関に入った所でふぅ……と襟を緩めたような感じか。
「やっほ~、みんなおひさ~。ただいま~」
やたら間延びしたのんびり喋りで、黒翼の少女はニッコリ挨拶。
とても大幹部と言う肩書が似合うような怪物には見えないが……それはネネでも思った事。
「……あの小娘が、例の呪術師カ」
「ええ。【空統纏義】のイヅナマルよ」
ネネと同じく、当然のように三大妖である。
もしかしてこの船の大幹部と呼ばれる連中は全員、生ける伝説みたいな奴ばかりなのだろうか。
して、件の黒翼少女――イヅナマルは近場の付喪屍たちやマストに張った巣でダラダラしていた絡新婦のお姉さんなどに声をかけながら手を振り、遂にダンたちの方を見て――突然ぴたりと動きが止まった。
「……何ダ?」
「さぁ? マイペースが怪物になって歩いているような子だから」
「そレ、この船の奴らは大半が当てはまらナいか……?」
それはともかく……イヅナマルの星空のように煌めきが散った不思議な黒瞳は、じいっとダンの顔を見つめて動かない。
ダンがその理由を問おうかと口を開きかけたその時、ようやくイヅナマルの方が口を開いた。
「……なるほど~。そう言う感じかぁ~~~」
イヅナマルは口元が隠れていても分かるくらいにっぱぁ~~と満面の笑みを浮かべると、ぴょこぴょこと小動物が跳ねるような足取りでダンたちの方へと近付いて来た。
「やぁやぁ~、いつ見ても可愛いプリンセス・メリ~。久しぶり~。ボクがプレゼントしたベッドは使ってくれているかい?」
「ええ、久しぶりね。神出鬼没のドリフター・イヅナ。あのベッドの寝心地、キャプテン風に言うと非常にサイコーよ」
「それは良かった~。御土産、頑張って選んだ甲斐があるよ~。今回も期待してね~…………それで~」
メリアメリーに挨拶を済ませたイヅナマルが、くるりと方向転換。
星空の瞳でダンを真っ直ぐに見上げる。
「ふふ。お兄さんカッコイイね~。ほんと好みの顔~。キミの事、しっかり教えて欲しいなぁ~」
「オレはアンデッド・ダン。メリアメリー御嬢様の眷属ダ」
「ぱみゅ! ぱみゅぱみゅ!!」
「わぁ、そのパンダ本物なんだ~。パミュくんね。ボクはイヅナマルだよ~、よろしく。そんで、なるほどなるほど~」
うんうん、うんうんうんうんとイヅナマルはやたら頷きながら、ダンを頭の先から爪先までしげしげと眺める。
「メリーの眷属か~。うん、良いんじゃあないかな~。オッケ~。よろしくねぇ~、ダン。御札の調子が悪くなったら、いつでもボクに相談してね~。責任を持ってメンテっちゃうからさ~……と言っても、船にいる事はあんまりないんだけど~」
呪術師と言えば、かなりおどろおどろしいイメージ……しかも怪物の呪術師となればどんなのが出てくるかと思えば。
目の前でダブルピースをカニの如く閉じたり開いたりしている少女は、翼が生えている事と独特な間延びした喋り方以外はまるで普通の小娘である。
「………………」
それにしても、見れば見るほど中性的な容姿。
何故、この少女がすぐに女であると直感で、しかも断言できたのだろうか……。
ダンはそれがどうにも不思議で、イヅナマルを真っ直ぐ見つめたまま首を傾げる。
そんなダンの様子に、イヅナマルは「フフ」と小さな笑いを零す。
「そんなに真っ直ぐ見つめちゃって~。ボクに一目惚れでもしたのかい? だったら照れる~」
「ン……ああ、いや、すまナい。そう言う訳では……たダ……」
「初めて会った気がしない?」
「……! まさか本当にドこカで――」
「それ、ナンパの常套句じゃ~ん」
「……ああ、そう言ウ……」
イヅナマルの方も同じ感想を抱いていたのかと思ったが……単に、ナンパの常套句を先出しして茶化しただけらしい。
まぁ、考えてみれば有り得ない事だ。
ダンが起動したのは昨日の夜。
もしイヅナマルとどこかで出会っていたとしたら、それは生前の事になる。
通常、キョンシーは生前の記憶を完全に抹消されるのだ。
ほんのりとでも憶えている訳が無い。
完全に、気のせいと言う奴だろう。
「さて、甲板にいる子たちとは挨拶も済んだし~……御土産を配っていこうかな~」
まずは~、と言ってイヅナマルが虚空に手を差しだすと、その掌の上に小規模のポータルが開いた。
ポータルからポトリと落ちて来たのは、紅い小瓶。
何やら透明の液体が入っているようだが……。
「こノ匂いは……牡丹花の香水カ」
「お~、瓶を開けなくても分かるかい? やっぱり鋭いね~」
御名答~とダンを褒めながら、イヅナマルは紅い香水瓶をメリアメリーへ渡した。
「今回は東の大陸を中心に歴遊してきたのさ~。で、さっきダンが言った牡丹花は大天華帝国の北の方で採れる花でね~。花言葉は風格と高貴だって~。これはその花のエキスを混ぜた香水なんだ~。メリーにぴったりだよね~」
「クフフ、それはとても素敵ね。有り難く頂戴するわ」
「ダンとパミュには~……新入りさんが増えていた時用に調達しておいた無難なのをあげるね~」
そう言ってイヅナマルが次にポータルから取り出し、手渡して来たのは掌サイズの紙袋二つ。
中身は保存食らしい乾燥饅頭だった。
「あら、パミュちゃんは共食いになってしまうのではないかしら?」
「ぱみゅ!?」
「安心シろ。オマエはもっとふっくらしているゾ」
「ぱみゅ!?」
「『そう言う問題と違うよ!?』って感じのパンダ顔だね~」
イヅナマルは「それじゃ~また今度、ゆっくり色々と聞かせてね~」と大きく手を振って、他の船員にも御土産を配るべくぴょこぴょこと跳ねて行った。
「……こノ船の呪術師とはドんナものかと思っていたが、比較的まともそうデ少し安心シたゾ」
昨日の発言通りメリアメリーがダンを魔改造しようとしても、イヅナマルならどうにか無難な形で誤魔化してくれそうな安心感がある。
「あの子はあの子でとんでもないと思うけれど」
「……え」
「旅の資金や御土産の購入費用を稼ぐために、旅先で怪物を倒しまくって討伐報酬金をかっさらって行くから、クエスト荒らしとか言う異名で有名になってるらしいわ。やると決めたら絶対にやり過ぎる、いわゆる『手段は選ぶけど、加減をしない系』ね」
「……………………」
「ぱみゅう……」
下手すると、メリアメリーの魔改造案が更に狂化される可能性が出て来た。