00,幽霊船の愉快な海賊団
――【樹舟の付喪妖精】が宿った船は沈まない。
港の場所を忘れ、幾百年の時が経とうとも……その船は進み続ける。
風の意思など気にもとめない。凪の海で帆がしなびたままでも止まらない。
夜霧に包まれた静かな海原を、漆黒の城めいた巨船が泳ぐように往く。
元の船名は何だったか……もう誰も呼ぶ者はいない。ただの幽霊船。
だから呼び名はそのまま、ゴーストシップ。
「ヒハハハ……まん丸でっぷり、月が太ってやがる」
ゴーストシップの甲板に立ち、薄霧でボヤける満月を見上げる者がいた。
黒いフロックコートを羽織り、頭には大きな飾り羽を刺した三角帽子。腰にはサッシュベルトと、揺れる船上での取り回しを重視した小ぶりな湾曲剣、いわゆる舶刀。年季の入ったブーツで甲板を踏み鳴らす姿は「海の極道、海賊の衣装と言えば?」で誰もが最初に思い浮かべるような装い。
霧を抜けて注ぐ微かな月明りに照らされたその貌は――髑髏。
皮も肉も削ぎ落された白骨が、諸手を広げて夜の到来を歓迎している。
「霧の向こうだってのに随分と明るいじゃあねぇか。こうも月が喧しいと、星を見失って航路から外れちまう獲物が出るモンさ」
海賊衣装の白骨に続いて、ぞろぞろと甲板に集う影……それは、人の形をしているが人ではない者たち、そして人の形ですらない者たちも混ざった群れ。
ふよふよと虚空を漂う幽霊の類。
意思を持って動く腐乱死体・付喪屍。
首から上を失くした亡霊武者。
上半身は美女のそれだが下半身が蜘蛛八本脚の絡新婦。
鳥だの虎だの蠍だの様々な動物をツギハギしたような異形の人面獣・雷獣夜鳥。
身体に鱗やエラなど魚の特徴を持つ人魚。
美しい容姿で老若男女を誑かす桂男。
人の顔と胴に鳥の翼と脚を持つ鳥仙。
コウモリのような飛膜の翼をパタパタさせて浮遊する飛縁魔――などなど。
元の住処が海でも陸でも空でも関係無し。
雑多混合な怪物どもが揃い踏み。
海賊衣装の白骨はコートを翻しながらくるりと回り、集まった怪物どもと向かい合う。
「さぁさぁさぁ、親愛なる我らがファミリー。ゴキゲンいかがよ? 俺様はいつだってサイコーさ!!」
海賊衣装の白骨――キャプテンと名乗った怪物が、陽気な声を張り上げる。
喉も腹も空洞だけだのに、どこから捻り出しているのやら。その声は夜霧の海によく響く。
「さて、諸君に質問だぁ。ご存知の通り、霧の海は俺らの領海。それじゃあよぉ……そこに入ってきちまった迷子ちゃんは、神サマから俺たちへの贈りモンって事で良いよなぁ?」
キャプテンの問いかけへの答えは、げらげらと下品な笑い声。
人ならざる船員たちがそうだそうだと手を打って、やんややんやと無意味に喚く。
ある怪物は血染みや落書きに塗れたボロボロの聖書を掲げて踊り出し、ある怪物は隣の怪物に「カミサマって美味ぇの?」等と茶化すように訊く。
ただただ騒がしい。
とても統率が取れているとは思えない。
まるで酔っ払いどもの乱痴気騒ぎ。
「ヒハハハハ、良いぞクソッたれの怪物ども。お行儀が悪くてサイコーだ!!」
大いに笑い、キャプテンが腰から舶刀を抜いた。
錆びだらけの刃には呪いが施されており、黒い瘴気がじゅわじゅわと湯立つ。
薄い月光を浴びたってちっとも輝かない、ただただ禍々しいひと振り。
「自由に奪ろうぜ、楽しく殺ろうぜ! ここはそう言う海なんだからよぉ!!」
キャプテンは舶刀を振り下ろして、船首の方、その更に霧の向こうを指す。
「聞こえる聞こえるゥ……海の底に沈んでやがる【御同類】の声が。こっちに美味そうな獲物がいるぜぇ、ってなァ!!」
霧の向こうに、今は何も見えない。
だが、その先に何かが在るとキャプテンは確信しているようだった。
「獲物発見! 追え、拿め、殺せ、奪え!!」
キャプテンの雄叫びを受けてか、黒い巨船が加速する。
獲物を見つけた猟犬が疾駆するように、真っ直ぐ真っ直ぐ突き進む。
吠える代わりか、船鐘がゴーンゴーンと慌ただしく鳴り響く。
「さぁヤロウども、舵を取――あ、やっぱイイわ。どぉせこの船はキマグレな妖精ちゃん任せにしか進まねぇ。船員どころか船まで自由で大変サイコー!!」
風を切り裂いて進む船上、ゴキゲンなキャプテンは躍るように船首へ飛び出して、歌うように笑う。
「いつだって宜候、こんな海賊船がずぅっと欲しかった!! ヒハハハハハハ!!」
爆発する笑い声の群れを乗せて、怪物たちの船が往く。
――そこは、海洋国家ジャパランティスの東方領海にある海域。
誰が呼んだか、イけば戻れぬ夜霧の魔海【海上他界】。
夜になれば薄霧と共に幽霊船が彷徨い始める。
常世の秩序なぞ夜闇に溺れてそこらの藻屑。
さぁさ今宵も始まる怪物たちの海賊ごっこ。
目を付けられたらご愁傷様。
死んでアノ世に行けりゃあ運が良い。
幽霊や付喪屍になっちまったら……もう戻れない。
素敵なファミリーの仲間入りだ。