96 マネージャーの悪巧み2
「美祐子さんって車運転できたんですね」
本天沼さんがそんな感じなので、俺は空気を読んで自分から声をかけることにする。
「なにを言ってるんだ若宮くん? 君がこの車に乗るのは初めてじゃないだろ」
「えっ、いや初めてですよ……あ、そうか。最初のあれのことですか」
俺が顔をゆがめながら言うと、美祐子氏は満足げに「そうだ」とつぶやく。中野が声優の鷺ノ宮ひよりであることに気づいた日、俺は誘拐され、この車で事務所まで運ばれたのだ。あの日は意識を失った状態で運ばれたため、美祐子氏の運転は初めてと重きや、じつは二度目だったらしい。
すると、隣にいる本天沼さんが俺の膝をとんとんと叩く。
「ねえ、どういうこと……? 前にも乗ったことあるの?」
「うん、まあ」
その瞳が、好奇心で輝きを増すのがわかる。
でも、中野と美祐子氏に話していいと言われたわけでもないし、どうするべきか……視線を感じて後ろを見ると、高寺はスマホで顔の筋肉のストレッチ方法を検索、実践していた。気のせいだったようだ。てか自由だなこの子……。
「で、本天沼舞さんだったかな。君は、なぜ私について探ってるのかね?」
その問いを受け、車内が少しシンとする。
じっと見つめる美祐子氏の大きな瞳に、ミラー越しに本天沼さんが逆に問いかけた。
「……その前に聞きたいんですけど。その、どこまで知ってますか?」
「今日のことかい? そうだな、円が合流したところから全部、かな?」
それを受け、本天沼さんがばっと高寺のほうを見る。
しかし、高寺はまったく心当たりがないようで、「えっ、あたしっ!?」と小さく慌てていた。
「円は君たち的には容疑者だが、じつは被害者でもある。スマホに『盗聴アプリ』がダウンロードしてあって、リアルタイムで私のスマホでそちらの声を聞き取れるようにしていたんだよ」
「いっ、いつの間にっ!?」
「なるほど、だから首かけを……」
驚きを隠せない高寺をよそに、俺と本天沼さんは顔を見合わせて納得する。その反応を見て、美祐子氏は満足そうにうなずく。
「いくら盗聴アプリを入れてても、カバンの中に入れてあれば音も聞こえないだろう? だから首にかけるタイプのケースを、ひより経由で渡させたのだよ」
「っててててことは、このスマホケースは……」
高寺がブリキ人形にようにギシギシと首をまわすと、中野は後ろを振り向いて、さも当然といった感じの顔を見せる。
「あら、私のプレゼントなわけないでしょう?」
「り、りんりん……」
「スマホをスタジオに忘れるのは高寺さんのせいだし、むしろスマホを一度なくして後悔したほうが、あなたのためにもなりそうだわ」
「り、りんりん……」
中野の非情な返答を受け、高寺がぶわっと涙を流し始める。俺はハンカチを渡すが、状況が状況なので高寺の相手ばかりしていられない。
横にいる本天沼さんを見ると……
「なるほど。つまり、私のことも……全部伝わっている、ということですか……」
そうつぶやきながら、本天沼さんは頬に手をあてて苦しい笑みを浮かべる。
「手のひらの上で転がされる、ってこういう気持ちなのかもしれないですね」
彼女にとっては敗北って感じなのだろうが、正直、俺にとってはありがたいなと思う。今後、こうやって中野の情報を探り続けるのはそれなりに労力のかかる行為だし、他人のことを知りたいという本天沼さんの気持ちは、否定も協力もしないけど、気分のいいものでもないからだ。あと、単純に会うたびに中野のことを聞かれるのもしんどい。
そう考えると、俺も少し楽になるのかもしれない。そうなれば、本天沼さんとは利害関係なんて皆無な、純粋な友達だな……そんなふうに思っていると。
「本天沼さん」
美祐子氏が沈黙を破るように、厳しい声色でつぶやく。
「はい」
本天沼さんの表情が、悲痛なものに変わっていく。好奇心を無理矢理押さえつけられることは、彼女にとってそれだけ苦しいことのようだ。
「これ以上、ひよりに近づいて、情報を探ろうとしないでほしい」
「……」
その言葉に、本天沼さんがぐっと黙る。沈黙が、事実上の敗北宣言のようだ。
「ひよりはまだ若いが、うちの事務所では稼ぎで10本の指に入るんだ。だから会社としても、ひよりに近づき、情報を探ろうとする週刊誌記者的な人間は、寄せ付けるわけにはいかない」
美祐子氏が、反応を探るように本天沼さんを見る。
「……」
本天沼さんは無表情だった。さすがに、諦めがついたのだろう。
しかし、美祐子氏の言葉はまだ続いていた。
「……ってな感じでマネージャーとしては言うべきなんだろうが、私はそうは思わない。むしろ、一定のルールさえ守ってくれれば、どんどんひよりのことを探っていい」
「……はいっ?」
思わぬ答えに、本天沼さんが顔をあげる。驚いたのは中野も同じだったようで、すぐに美祐子氏の腕をつかんだ。
「ちょ、ちょっと美祐子なに言ってるの? 調べていいって、なんでそんなことを……」
「単純なことさ。彼女に害意はない。あるのは純粋な好奇心だけで、だから彼女がなにを知ろうと、それ以上広まることはない。だったら自由にさせておけばいい。違うか?」
「でも、自由にさせるのはおかしいでしょ? お墨付きを与えるってことよ?」
「それにもう、ひよりには円と若宮くんがいるじゃないか」
「えっ」
美祐子氏の言葉に、中野が思わず聞き返す。
「中学生のとき、ひよりが人間関係で苦労したのは、声優であることがバレて、居場所がなくなったからだろ?」
「そ、そうだけど……」
「ひとりになって、常に好奇の目にさらされて、トラブルに巻き込まれそうになっても誰からも守ってもらえることもなく」
「……」
美祐子氏の言葉に、中野の表情に陰が生まれる。詳しくは聞いていないが、中野にとって中学時代の経験は、今も胸にしこりを残すほどのものだったらしい。
「だが、今は円も若宮くんもいる。過ごしていられないほどになることはないはずだ」
数秒間の逡巡ののち……中野は、完全にとは言わないまでも、ある程度納得したことがわかる表情を浮かべる。
物事を合理的かつ論理的に判断し、自分の感情をそれほど優先しない彼女なだけに、美祐子氏の発言はそれなりに納得できるものだったらしい。
しかし、それでも理性に感情が追いついていないせいか、不安はぬぐいきれない声色で、こうぶつやく。
「……でも、高校はまだ来年もあるし、別のクラスになる可能性もあるでしょう?」
「そこは私がどうにでもするじゃないか。野方くんを脅せ……野方くんに言えば問題ないだろう」
「今、完全に脅せばって言いましたよね? なんで言い直したんですか?」
美祐子氏の本音のチラ見せに、俺は思わずツッコミを入れる。担任への無茶ぶりは、めぐりめぐって俺に影響してくることをここ最近痛感しているので、決して他人事でもない。 すると、隣の本天沼さんが俺の肘をツンツンし、顔を寄せて小声で尋ねてくる。
「ねえ、なんで野方先生が?」
「ああ。んと、じつはこの美祐子さんって方と、野方先生は大学の同級生で、色々協力させられてんだよ」
「な、なるほど。そんなのもあったんだ……」
これは調べ甲斐がある、とでも言いたげな表情で、本天沼さんがぐっと拳を握りしめる。美祐子氏という思わぬ後ろ盾を得て、一気に活力が戻ってきたのだろう。目に好奇心のキラメキが戻っている。
すると、美祐子氏が口を開き、中野に思わぬ提案を行なった。
「そういうふうに、ひよりがもうひとりっきりではないことを踏まえたうえでの提案なんだが……ひより、先生をやってみないか?」
「先生……?」
中野の瞳に「?」が浮かぶ。それまでに話していたことなのかと思いきや、ここが初解禁だったようで、中野の困惑の色が広がる。
しかし、それでも美祐子氏は不敵な笑みを浮かべたままだった。