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89 夜の街を歩くだけ3

 そして、彼女はなにか含みを持った目でこちらを見てくる。


「ちなみにね、全青少年必読の名作『いちご100%』で真中とヒロインたちが狭い場所に閉じ込められた回数は……」

「え、数えたの?」

「うん」

「暇なの?」

「何回か知りたい?」

「そりゃもちろん……えっと」


 そこまで話しながら、俺は反応に困っていた。なぜかと言うと、彼女は小さく手招きしていたのだ。


 すでに近距離にいるにも関わらず、手招き……。


 言われるがまま、手招かれるまま俺は身をかがめるが、なぜか彼女はスッと横に逸れる。


「手首の運動」

「え」

「こ・れ! 手首の運動! あ、もしかしてホントだと思った感じ?」


 手首をクイクイさせながら、彼女は悪い笑みを浮かべていた。とても嬉しそうな顔で、してやったり、という感じ。アカン、完全に弄ばれている……。


「……おのれ、からかいおって」

「ふふっ。冗談だよちゃんと教えてあげる」


 次の瞬間、彼女は反対側に回り込み、精一杯背伸びして、俺が先程傾けたのと反対側の耳に、耳打ちしてきた。


 真中が閉じ込められた回数が明かされると、彼女のかかとが地面に戻る。突然の仕打ちに、正直会話どころではなかったが、続けるしかない。


「……閉じ込められまくりだな。保険何個か入るべきだわ」

「それ! 私もそれ思った」

「まあでもケガはしてないから保険金はおりないかもだけど」


 そんなふうに会話しつつも、俺は会話どころじゃなかった。


 彼女が耳打ちしてきたことで、一気に心臓の鼓動が激しく、早くなっていたからだ。



   ○○○



 最初に会ったときに感じた神聖な雰囲気はどこへやら。話せば話すほど、彼女はマニアックなオタクだった。


 懐古厨、原典主義者を名乗るだけあって、アニメもマンガもラノベも、すべて創生期から網羅的に押さえている。これで中学生なのだから驚くしかない。普通、TikTokとかやってキャーキャー楽しんでる年齢でしょ。わかんないけど。


 しかし、だ。


 そんなふうに、彼女の生活のすべてがそこ中心で回っているのがわかると、俺の心の中には違う感情が浮かんでいた。



――もしかすると、この子は『同志』なのかもしれない――


 ……という感情だ。


 いや、マジで今思うとちょっと尚早というか、「なに自分の理想の女の子像を押しつけてんだよ」って感じだし、『同志』って単語を使っちゃってる時点で痛いのもわかるし、素直に超恥ずかしい気持ち悪い感想でしかないんだけど……。


 でも初対面でアニソン聞いてるのがバレても全然引かれなくて。


 しかもいいねと言ってくれて。


 どうやら俺以上にオタクな日常を過ごしていて。


 しかも、見た目もとんでもなくかわいい。ちょっとあざといけど。


 そんな子がいると正直思ってなかったし、いても俺みたいな目の死んだザ・根暗って感じの子かと思っていた。失礼な言い方だけど。


 そして、自分自身を軽く傷つけてる言い方だけど。



   ○○○



 そんなことを思っているうちに、俺たちは駅に到着した。夜の散歩も長くなってきたので、解散することになったのだ。


 改札を入って進んでいくと、彼女があるところで立ち止まって、右手にある階段を視線で示す。


「私、こっちなんだ」

「そっか」

「ここでお別れだね」


 別れの時間が近づいている……そう思ったとき、俺はふとあることに気付いた。喋ってるのがあんまりにも楽しかったせいで、気付くのが遅れてしまったが……


(そう言えば俺、まだ彼女の名前聞いてない……)


 そう、まだ名前を聞いていなかったのだ。


 俺は基本、授業でも予習復習を欠かさないような真面目寄りな人間なので、今日の参加者のツイッターでの名前は把握していた……はずなのだが、よく考えると彼女に関してはそうではなかった。


 ということは、幹事の男性が個人的に誘ったとかそういうことなんだろうか。少なくとも、俺と彼女はツイッターで繋がっていないはずだ。


「家はここから近い?」

「ううん。私、都内だから」

「そうなんだ」

「ちなみに中央線」

「ってことは結構遠いな」

「だからこのあとしばらくひとりだから……もし良かったら、見送ってくんない?」

「べつに……いい、けど」

「ふふっ。ありがと。嬉しいな」


 語尾にかけて上がるイントネーションが、夜の駅のざわめいた空気のなか、俺の鼓膜を妙に蠱惑的に揺らす。おまけに夜道を歩いてきたので、まだ目が慣れておらず、駅の明かりが妙に眩しい。


 せめて、名前くらい聞いておきたい……眩しい駅の光を目の上に感じながら、エスカレーターの一段上にいる彼女に後光が差しているかのような幻覚を覚えながら、なけなしの勇気を振り絞って俺は言った。


「……またオフ会あるのかな」

「あったとして参加するの?」

「まあ、気が向いたら……」

「あんな感じで気が向いたらある意味スゴい」

「……そっちは?」

「私? そうだね……じつは私、今日飛び入りなんだよね。ほら、幹事のおじさんがお父さんの知り合いで。半分強引に誘われたんだ」

「そうだったんだ」

「ツイッターも鍵垢しかなくて、交流とかはしてないんだ」


 この数秒間で俺は、彼女について新たにいくつもの情報を得る。そしてそれは、俺と彼女がもう会わないことを強化する事実だった。


「そっか。それは残念……」

「残念?」


 自分でも驚くほど、自然と言葉が出て……彼女のアーモンド型の瞳がきらっと光った。心なしか口角が少しあがっており、悪い笑みが浮かんでいる。


「えっと、今のはなんていうか……」

「さては、素で言っちゃった感じだね」

「……悔しい認めるよ。今のは完全に素だ」

「ふふっ。意外と素直なんだね?」


 俺は黙る。つまり、彼女の言葉が正解であるというのを暗に示しているということだ。


 エスカレーターを降りると、すでにそこに電車が来ていた。ドアの近くに立ち、彼女は振り返る。


「ねえそうちゃん。来週の水曜日って暇だったりする?」

「えっ、そうちゃん?」

「来週水曜日の17時。じつはスマホの電池切れちゃってて、連絡先交換できないから、ここで待ち合わせできないかなって」

「待ち合わせ、か」


 銀髪美少女と夜の街を歩いたってだけで、俺にとってはかなりのハプニングだったのに、ここにきて「また会おう」だと……頭が理解できないまま、電車の発車を告げる音が鳴り始める。


「もし会えたら……そうだな、そのときは名前教えるよ」

「名前……」

「わざわざ遠出する対価にはならないって言うなら……そうだな。名前呼びする権利もあげちゃおうかな? 私女子校だから、男の子にちゃんと名前呼びされるの初めてかも……なんてね。ふふっ」


 そう言うと、彼女は電車に乗り、同時にドアが閉まった。ドア越しで、小さく口が動く。


『ま・た・ね』


 ドアが閉まり、彼女がどこか、俺の知らない街へと運ばれていくのを見送りながら。


 俺は自分に起こった、いや、正確に言えば現在進行形で起こっていることに、まだ実感が沸かないでいたのであった。



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