88 夜の街を歩くだけ2
そして、彼女がそうやって上機嫌であることを隠そうとしないものだから、俺の態度やツッコミも、自然に軟化していく。
「まあ信号の待ち時間みたいに、なにもしてない時間ってワケじゃないから仕方ないか」
「そうそう。デメリットも全然ないしさ。今どきのJCはスマホ見るのかもだけど、私は今どきじゃないJCだから」
「今どきじゃないJC」
「流行のモノとか全然興味ないんだよね。たとえば……ほらなんだっけ、あの黒い玉で、女子中高生が大好きで、ツイッターとかによくネタにされてる……」
「『GANTZ』?」
「もネタにされてるけど違って」
「だよね。自分で言っておいてアレだけど、『GANTZ』が女子中高生に人気なワケないもんね。『GANTZ』はイジメられっ子の陰キャ男子に人気のマンガだもんね」
「それもちょっと偏見のバイアス強いと思うけど……あの魚の卵みたいな……」
「もしかしてタピオカ?」
「そう! それとか、全然興味なくて。学校の子たち、よく放課後に買って飲んでて、一回だけ付き合いで買ったことあるんだけど、これならラノベかマンガ買いたいなって」
「マジで興味ないんだね……」
そうわかるような、トーンの低い表情だった。タピオカという4文字が出るだけで20秒くらいかかっているし。
「ふふっ」
しかし、俺が若干呆れた感じで指摘すると、またしてもあの笑い声、いや清楚な吐息を吐いて笑顔に戻る。
「でも90年代アニメ好きって時点で今どきのJCじゃないでしょ?」
「それはそうかもしれない。いやそうだ」
俺の意見を尋ねるというより、すでに答えを彼女のなかに持っていて、同じ意見であることを確認するかのような問いかけだった。
なので、期待通りに返すと、彼女は満足げに鼻を鳴らす。
「あと懐古厨であると同時に原典原理主義者だから私。好きな作品が出来ると、それが影響を受けた作品も知りたくなるんだよね。例えば『魔法少女まどか☆マギカ』にハマったら、魔法少女モノをたくさん観たり……魔法少女が戦う理由とか分析してくと、結構時代ごと作品ごとで違って面白いんだ」
「あ、でもそういう感覚わかるかも」
「え、ホントに?」
「俺、ここ1年でラブコメがスゴい好きになったんだけど、『カレカノ』を知ったのもそっからだもん。『友崎くん』とか『チラムネ』とか読んでると、やっぱり『俺ガイル』読み返したくなるし、『じゃあもっと昔のラブコメはどんな感じだったんだ?』って考えるというかさ」
「そう! まさにそれ! そういうふうに見比べてくのが私、とても好きでさ」
そんなふうに語る彼女はとても楽しそうで、月並みな表現なのだが、
(この子は、すっごくオタクなんだろうな……)
と俺は思った。
さっきも思ったけどこの子、第一印象で抱いたイメージとはちょっと、いやかなり違う感じらしい。見た目より全然とっつきやすいし、てか俺がわりと普通に喋れてるくらいコミュ力も高いっぽいし、あとちょっと、いやかなり変わってる……と思った。
そんなこんなの会話をしているうちに、信号が青に変わり、俺たちはゆっくりと歩き始める。
そして、俺は自分たちが根本的なことをあまり話していないことに気づいた。
「何年生?」
「3年。君は?」
「あ、俺は2年、です……」
「ちょっと! 急に敬語になんないでよ!」
そう言うと、彼女は俺の肩を軽くぱしっと叩いた。
いい音が出るが、俺より20センチくらい小柄なのと、微笑みを浮かべながら殴ってきているので、痛みはまったくない。
「わかった。じゃ、じゃあ、タメ口で」
「うん、そうして……てか、さっき言った門限なんだけどさ」
「うん」
「じつはウソで」
「えっ……じゃあ門限ないの?」
「というより、今も有効なのかわかんないというか……」
「へ……?」
有効かわからないってどういうことだろう? 門限の有効期間なんか聞いたことないけど、年齢を重ねたことで帰るのが遅くなっても良くなった……みたいな話だろうか。
意味がわからずにキョトンとしてしまうが、直後に彼女が放った言葉で、そんなものは吹き飛んでしまった。
「だからさ……良かったらもうちょっとお散歩しない?」
○○○
そして、俺たちは駅から離れ、大さん橋を歩いていた。
ここは横浜でも屈指の夜景スポットであり、同時にデートスポットでもある。冬の横浜なので、本来ならとても寒いはずなのだが、周りにアツアツなカップルがいっぱいいるせいか、それとも美少女とふたりきりでデートスポットにいるという異常事態に俺の思考がショートしているせいか、不思議とあまり寒さは感じない。
(たしかに「あの子と話せないかな」って思ってたけど、まさかその1時間後にこうやって並んで歩いてるとはな……)
人生、なにが起こるかわからないものだ。
と、俺がそんな気分に浸っている間。
彼女はと言うと、相変わらず微笑みを頬や目に浮かべたまま、一歩一歩踏みしめるように、コツコツと音を立てて歩いていた。なにもしないでいるのが楽しいかのような様子で、その光景はなんというか一枚の絵画のように完成していたが、黙っているのも俺としては居心地が悪かった。
「しかし、大変そうだったね。ずっと絡まれてて」
海風に乗って、柔らかい音色が俺の耳に届く。
急に話が変わったのと、彼女の声に同情の色がにじみ出ていたこと、そして若干の恥ずかしさをごまかすように、俺は苦笑を浮かべた。
「見てたんだ……」
「うん、ばっちり」
「見てたなら助けてよ……」
「えー、ヤだよそんなのー。巻き込まれるだけだし私には関係ないことだったワケだし」
「そりゃそうだけど……」
「ふふっ」
吐息を漏らして笑っているが、俺としては笑い事じゃなくなりかけてたので、正直複雑だ。思いの外、薄情なところもあるらしい。
「オフ会自体はどうだった?」
「楽しかった。楽しかったけど……俺には違うかな、みたいな」
「どの辺が?」
「んと、やっぱ大勢で話すとこかな。好きなことについて話すって楽しいことなんだなあって思ったけど……でも、少ない人数ならいいんだけど、みんなで楽しむってのが得意じゃないというか。結果、好きなことについて話せないんだなって」
「なるほどね……ま、その辺は適性あるよね」
ニヨリとしながら彼女が笑う。
「はっきり言われちゃった」
「ふふ。でも、私もそっち側の人間だからさ」
「あ、そうなんだ」
「まあ私はコミュ力じゃなく、話す内容がマニアックすぎるって理由だけど」
「なにその俺がコミュ力ないみたいな言い方。まあそうだけど。マニアックって例えばどういうの?」
彼女のイジリにノリツッコミしつつ、受け入れると、彼女が顎に手を当てる。
「うーん……今パッと思いついたのだと、ラブコメってやたら主人公とヒロインが狭い場所に閉じ込められるけど、その起源はどこなのか、狭い場所は時代によってどう変わっていってるかの変遷……みたいな?」
最初こそ明るくかわいく言っていたものの、途中から表情・口調ともに、完全にオタクのそれになっていた。手とかコナンくんが推理するときみたいに口元に添えられていたし、目も細められていたし、なんていうか、「あ、うん」という感じ。
つまり、言葉に詰まったワケだが、楽しそうに話してくれているので会話を続けてあげなきゃ……と、俺は謎の使命感に駆られていた。
「面白いねそれ」
「面白いでしょ!」
「で、驚くほどマニアック。話し合う人いる?」
「……クラスには、いない……」
「そりゃクラスにはいないでしょ。もっと母数を広げないと……東京都とか、最低でも杉並区、とか」
「うわ、なぐさめる体で意地悪言ってくる……」
「そんなシュンとしないで」
「シュンとさせたのはそっちでしょー」
思いの外いじけてしまったのでフォローを入れるが、彼女は唇をとがらせ、なじってきた。ゆえに俺はもう少しフォローすることにする。
「いや、でも俺は面白いって思ってるから! たしかに『とらドラ!』でも『氷菓』でもそういうの出てくるし、海外ドラマの『フレンズ』なんかはたしか停電でATMに綴じ困られるんだよな、テレビで観てたモデルさんと」
「あ、それ覚えてる!!」
「いろんな作家が使うってことは、ストーリーを進めるのにちょうどいいのかもね。たぶんキャラ同士の肉体的距離感を近づけるのとともに、一緒になにかをさせることで関係性を深くさせるためか」
「そう! それなの! てかまさにそういう感じのことを考えるのが好きで」
「なるほど。いい趣味だ」
「ふふっ。いい趣味でしょ」
機嫌を直してくれたのか、清楚な笑い声が復活した。




