84 中2の冬2
「それまでの価値観とか考え方が大きく変わった出来事とかある? 石神井くんと仲良くなったときの、中3の私……みたいに」
ストレートに問われて俺の頭の中には当然、『中2の冬』をめぐる一連の想い出が浮かび上がってきた。そう、それまで自分をオタクと思えないどころか、自分の知識量、作品への理解、分析力に自信を持っていた俺が、一気に打ちのめされた日のことを……。
「……いや。俺にはそんな経験ないよ」
しかし、俺は笑顔を作ると、明るい声色を取り繕ってそう返した。
「……そっか。じゃあこれからかもね」
俺の作り笑顔に不審さを感じなかったのか、本天沼さんはそう笑顔で返す。
その間、俺の胸のなかでは、中2のときのあの一連の想い出が暴走しているとは、気付いていない様子だった。
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これまで何度かさらっと、いや何度もじとっと触れてきたが、俺は中2冬に、当時としてはとても悲しい経験をしている。
このときの一連の出来事は、当時の俺にとって非常にインパクトが大きく、例えるならアキバのメイドカフェで感じた辛さの100倍、いや軽く1万倍は打撃があり……
いや、そんな例えは今はいい。
今はもったいぶらずに、あのときの話をしよう。
俺が自分のことを「オタク」と思えなくなった、直接的なきっかけは中2の冬に参加した『ツイッターのオフ会』だった。
○○○
今でも比較的そうだが、当時の俺はラブコメ作品をよく読んでいて、ツイッターにいるラブコメアニメ・ラノベ好きの人たちと交流していた。
そこには色んな人がいた。新しい作品を買って来ると、表紙の写真を投稿する人。自分の推しキャラへの愛を語る人。自作のイラストで想いを表現する人。作家のツイートにひたすらリプライを送り、返信が来るとRTはするのにそれに対するリプライはなぜかしない人……などなど、「同じ趣味」という共通項が作り上げる、ネット上でのあたたかく、和やかな空気感が好きだった。
当時の俺は絵里子の世話に追われていたこともあり、今思うと正直ちょっと精神的に病んでいたと思う。当時、彼女は今よりずっと体調および心調が優れず、頭痛、謎の発熱、倦怠感、猛烈な眠気、不整脈などなど、毎日のように違う症状でベッドに伏せっていて、病院にも同行することが多かった……と言えば、なんとなくイメージできるだろうか?
今でこそ、石神井が色んな場所に連れて行ってくれていることもあり、気分転換もできているが、部活もやっておらず、家にいる時間が長かった中学時代は、絵里子と接している時間が長かったのだ。
ゆえに正直、他人に対してあまり興味を持てず、同じクラスの人の顔すら覚えていなかったのだが、趣味嗜好が合うというのは大きかったらしく、オンライン上とはいえ打ち解けられたのだ。
だから、交流していたなかのひとりが「オフ会をしませんか?」と言ってきたときは、一瞬迷いはしたものの、結局、参加することにしたのである。
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その日、オフ会が行なわれたのは横浜の桜木町だった。
より正確に言えばそこから歩いた先にある飲み屋街。最奥の雑居ビルの最上階にあるお店で、幹事のおじさん(30代)がチョイスした場所だった。なんでも同業者の飲み会で使ったことがあるらしい。
開始時間ギリギリに行き、幹事のおじさんの名前を告げると、奥の座敷に通された。そこには、すでに十数人ほどの人が集まっていて、結構多いなと軽く気圧される。もしかすると、俺が普段、交流していない人もいるのかもしれない。
年代は10代から30代まで。男女比は男性が7割というところ。最年少は当然俺で、そのせいか、特別に会費は俺だけ1000円にしてもらえた。もちろん、アルコール類は厳禁である。
正しい意味での子供扱いをされたんだと安心する反面、それがどこか対等に見られていないような気もする。そんな感じだ。
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と、そんなふうにして俺が到着して10分ほど経った頃、ひとりの女の子が部屋に入って来た。
150センチほどの小柄な体格で、透き通った銀色の髪をしている。だけど、染めている感じでもないので、ハーフとかクォーターとか、きっとそういう感じ。
顔立ちはその髪髪に負けず劣らず華やか。猫を思わせるアーモンド型の目はキリッとしていて、そのなかにある青みがかった瞳は聡明な雰囲気を宿していた。眉は眉間からすっと斜め上に向かって伸びており、意思の強さとか自分を持っている雰囲気を感じさせる。
おまけに肌は雪のように白く、手足は折れそうなほど細い。
見た目的にはロリ系統に分類されるのかもしれないが、一方でどこかすでに老成しているような雰囲気もあり、内側とそれを入れる箱のギャップを感じさせる。
こんな簡単な言葉で表現すると、彼女の存在感を矮小化してしまう可能性もあるが、でも当時の俺はこんなふうに思ったのだ。
(この子、妖精みたいだな……)
一応服装の解説もしておくと、かなり甘め。首元と袖周りにフリルのついたギンガムチェックのピンク色のトップスに、白い膝丈のスカートを合わせていた。そのうえ、焦げ茶色のベレー帽をかぶっていて、上品な雰囲気がトッピングされている感じ。手には、先程まで着ていたらしき、白色のコートを持っている。
要するに、普通に女の子らしい服装で、なにより彼女の雰囲気に合っていて、彼女は端的に言って紛れもない美少女だった。
それくらい、不思議な雰囲気の女の子だったのだった。
そんな不思議な空気感をまとった美少女が、こんなオタクな会に来るというのは俺にとって予想外……。
いや違う。俺らにとって予想外だったらしい。
そう思ったのは俺だけではなかったのか、彼女の存在に気づいた人が、次第にその姿に見とれ、ひとり、またひとりと言葉を失っていく。賑やかだったはずの部屋が、どんどん静かになっていく。彼女が来たことに気づいていなかった人も異変に気づき、異変の発生源を見てまた沈黙する。
しかし、部屋が完全に沈黙に包まれる直前に、
「お、来たか! こっちこっち!」
デカくて、野太い声が響いた。
声の主は幹事のおじさん。ここではっきりそのビジュアルを確認したが(「なぜすでに挨拶も済ませていてこのタイミングで顔を認識した?」と思った人もいるかもしれないが、当時の俺は人の顔を覚えるのが苦手だったからだ。一時は『相貌失認ってやつ?』と思ったことすらあったが、今思うと単純に他者に対して興味がなかたっと言うことだろう)、短髪の小太りな推定年齢40歳程度のおじさんで、冬だというのに半袖のポロシャツを着ていた。
そんな季節感のない彼が、入り口付近にいる美少女に手を振る。
どうやら、知り合いらしい。
彼女は安心したようにくしゃっと笑って、その笑顔を維持したまま、幹事のおじさんの元へ駆け寄る。皆の視線が自分に向いていることに気づいているのかいないのか、彼女はマイペースに愛らしい笑顔を見せたままだ。
彼女が幹事おじさんの隣に着席すると、自分がいつの間にか沈黙していたことに気づいた者たちが、思い出したように、どこか気まずさを含んだテンションでお喋りを再開。5秒もかからず元の雰囲気に戻った。
周りの人たちが話しているなか、俺はひとり、彼女へと視線を向ける。
今も、彼女は愛嬌のある笑顔を見せていた。
(もっと近づきがたい感じなのかと思ったけど違うんだな……)
だが、そう思ったのは俺だけではなかったのか(2度目)、近い場所にいる人たちが彼女に話しかけ始める。それに対し、彼女は人懐っこい笑顔で接した。
俺は彼女にいる入り口付近から一番遠い場所にいたのと、彼女があまり大きな声を出さなかったのとで、その声を聞き取ることはできなかったが、彼女と話した人の反応を見るかぎり、愛想のいい対応をしているのは間違いなさそうだ。
結論。
(めっちゃかわいいなこの子……)
でも、そう思うのも無理ないと思う。当時恋愛経験皆無な……まあ今もないんだけど……中2の俺が、そんな不思議な雰囲気の美少女と出会ったのだから。
しかも、圧倒的な美少女でありながら、親しみやすくて笑顔がかわいかったのだから。
人は誰しも大なり小なりギャップのある生き物だが、不思議な雰囲気の美少女は、ただ笑うだけでも心に避けようのないインパクトを与えたのだ。
「なに飲む?」
「あっでもソフトドリンクだよね」
「当たり前だろ未成年なんだから
だがそう思ったのは俺だけではなかったのか(3度目)、当然のように彼女の周りに参加者が群がり始めた。男性だけでなく、女性も群がっているというのが、そのかわいさを証明していると言える。
「俺も……話せたらいいな……」
そんなことを胸のなかでつぶやくが、当時、俺は中2。
今より女子と話した経験が少なく、また話しかけ見知りな俺に、反対側にいる彼女に話しかけることは難しいように思えた……。
のだが。
ずっと、ぼんやりと見続けていると、不意に彼女がこちらの方向を見る。あまりにも急だったので、不意打ちだったので、俺は頭を動かすことができず、多くの人を間に挟んで見つめ合うことになった。
その瞬間、世界から音が消える。騒がしかったはずの居酒屋が、急に静かになった。心臓が急に鼓動をはやくし、それだけでは足りなかったのか手首に脈を感じる。
そして、彼女は視線を外さないまま、ニコリと微笑んだ。
秒数にすればきっと1、2秒だっただろうし、実際、彼女は笑顔を見せたあと、すぐに視線を逸らして目の前の会話に戻った。
だが、俺の心をわし掴みするには十二分の時間であった。
簡単に言うと。
簡潔に言うと。
俺はあっけなく、恋に落ちたのだった。
新キャラ登場しました! ひより、円とはまた違うタイプの女の子です。筆者はこじらせクソ文化系野郎なのでこの子が一番好きだったり。