81 「好き」という気持ち1
その日の放課後。俺は石神井と、河川敷の坂道に並んで腰掛けていた。
べつになにかをしに、この多摩川に来たというワケではない。ただ今日は予定がなかったし、誘われたので時間を潰しに来たのだ。
俺はひとり読書をし、石神井はそんな光景をボーッと眺めていた。お互いの行動に口を出さない、男子同士の気楽な関係という感じだ。
周囲には犬の散歩する人、ランニングをする人、練習に精を出す野球少年たち、ボール遊びをする小さな子供たち、自転車の練習をする子供とパパママ……等々の姿が見え、平和な光景がそれらによって形成されている。
「散歩にランニング、野球、サッカー……」
石神井が不意に喋り始めた。
「若宮、俺、花火の資料館に行きたい」
「ちょっと待て今のどういう関係性があった」
「ふと思いついただけだ」
「良かった、てっきり花火で爆殺するのかと……」
「花火資料館ってのが、両国にあるみたいでさ」
会話が始まったので、俺は本を綴じる。
「また妙なことに関心持ったんだな。いつだ?」
「文化祭で打ち上げるだろ。そのために下調べしておきたくてな」
「なるほどな……うちは文化祭派手だからな」
「日程は未定だが、若宮が望むなら今からでもいいぞ」
「今から以外でお願いしよう」
以前軽く述べたと思うが、石神井は文化祭実行委員会のメンバーだ。1年のときから入っており、2年になっても参加継続をすぐに決めていた。
彼のことなのでそこに深い理由なんてものはないだろうし、正直ただ騒ぐのが好きなんだろうとも思うけど、それは抜きにしても、うちの高校は文化祭が結構盛んだったりする。とくに後夜祭では花火が打ち上げられ、間近で見られるので結構壮観だったりするのだ。
そして、同時に石神井は風変わりな場所に行くのが好きでもある。1年の頃はなにかとつるんでいて、色んなところへ俺を連れて行っていたが、よくよく考えると2年になってからは一度もお出かけしていなかった。思えば1年のときはよくこんな過ごし方をしていて、彼に誘われるままに色んな場所に足を運んでいたが、最近はめっきり少なくなってしまっている気がする。他に友人ができたのもあるが、そもそも石神井が誘わなくなったような……。
そんなことを思っていると、石神井が口を開く。
「じゃあ来週再来週あたりで。そろそろ若宮のトラウマも癒えてきただろうしな」
「トラウマ?」
「ほら、メイドカフェの」
「あー……いやあれはトラウマというか」
石神井がなにを言っているのかすぐわかった。
1年の冬に訪れた、秋葉原のメイドカフェでの出来事だ。
そこで俺は、若干辛い……というか切ない気持ちになる経験をしているのだ。
○○○
俺と石神井とメイドカフェを訪れたのは、3学期も終わろうとしている頃だった。その手の店を訪れるのは最初で、今のところ最後だが、ごくごく一般的なメイドカフェと言って差し支えないと思う。
だが、そこで繰り広げられた会話が、俺にとっては思いっきり差し支えがあったのだ。
ここまで読んでくれた人は薄々感じていたかもしれないが、俺は……
『自分のことをオタクだとは思えない病』
に罹患している。
一般文芸小説、ラノベ、マンガ、アニメ、映画、海外ドラマ……と自分で言うのもなんだが、俺は年の割には比較的多様なジャンルに触れている人間と言える。と思うし、周囲からもそう言われる。実際、石神井からは常々そう言われてきたし、今年になってからは中野、高寺にオタクだと言われた。
だが、正直言ってその評価は甘いと言わざるを得ない。だって俺にはなんていうのか、『胸を張って好き! と言えるジャンルとか、これだけは誰にも負けない! と言えることがなんにもない』のだ。
話を戻そう。
アキバのメイドカフェで俺たちの席についたのは、長い黒髪をツインテールにした童顔の、ちょっと眠そうな目をした、やや小柄の体躯の女性だった。
メイド界隈で言えば、全体の3割くらい該当してそうな、王道なビジュアルだが、当時、クラスの女子と一切話していなかった俺には、十分に刺激的だったのは言うまでもない。
そして、アニメ好きだと言う彼女と、その話をすることになったのだ……と、ここまではまあありそうな展開だが、予想外なことがあった。彼女が想像を絶するほど「深いオタク」だったのだ。
話題の中心は、彼女がずっと好きだという『物語』シリーズについて。西尾維新先生原作の大人気シリーズで、一応俺もアニメ版は全部観てる。小説も家に置いてある。たしか5冊くらいまでは読んだ。
しかし、ついていけたのはそこまでだった。彼女は俺を「結構話せる」相手だと勘違いしたのか『めだかボックス』『戯れ言』シリーズ、『人間』『最強』シリーズ、『刀』シリーズ、『忘却探偵』シリーズ……などなど、そのほかの膨大な作品群に関する話をし始めたのだ。
話はすぐに深い内容に至って、先生の作品がいかに素晴らしいか、言葉遊びの秀逸さ、好きなセリフ、好きなキャラ、キャラソンのmeg rockさんの歌詞が最高な件について、そうそう彼女は『カードキャプターさくら』の歌を……とか、そういう、濃いファンにしか通じない次元に及んでいった。
こうなってしまっては、「西尾維新作品の名前はだいたい知っているものの、内容をきちんと把握できているのは『物語』シリーズ、『戯れ言』シリーズ、『めだかボックス』のみ」「『忘却探偵』シリーズはドラマでしか観てない」という、「西尾維新登山道」的なものがあれば五合目程度な感じの俺はまったく太刀打ちできず。
どうにか話を合わせようと実写化ドラマの感想を述べたところ、「ガ○キーはかわいいけどあれは違う」と、ばっさり切ったワケではないが峰打ちレベルの痛みはある口撃を受けることになった。
そして、それ以降は完全に聞き手となり、オタク特有の早口で放出される彼女の知識量、愛、情熱に圧倒され、最終的には「へー」「なるほど」「そうなんだ」を交互に繰り出すだけのロボットと化すことになった。客なのに。
しかも、聞くところによると彼女は同人活動もしており激烈にハードなものを云々かんぬん……。 好きなものについて語る彼女の姿は本当に楽しそうで、だからこそ俺は自分の無知を突きつけられた気になり、自分のちっぽけさを感じ、言いようのない不安に包まれたのだった。客なのに。