79 『反省文の天才』2
「その、先週はごめんね。私、めちゃくちゃ暴走してたけど……迷惑じゃなかった?」
なるほど、真面目なトーンになるのもわかる話題だ。
なので、俺も真面目なトーンに戻ることにする。表情筋に力を入れる。
「いや俺はべつに……あのあと中野と話してたね」
「うん。ちゃんと話せて良かった」
「仲良くなれた?」
「仲良くはなれてないと思う……てか仲良くなれなくていいかな。でも距離は縮めたい」
本天沼さんはクスッと笑う。仲良くはなれないが、距離は縮めるというのは面白い。
「でも、そのほうが中野は受け入れやすそうな気がする」
「でしょ? なんていうか、中野さんって心の天井があるタイプな気がするんだ」
「心の天井? 心の壁じゃなく?」
「壁は横の話なら、天井は上下。『あの人は心の壁が~』とか言うけどさ。みんなが同じ階の住人っておかしい気がするんだよね。中野さんは人間としての水準があんまりにも異なってる人は、そもそも寄せ付けないんじゃないかなって……頭が悪いとか、育ちが違いすぎるとか、真面目はいいけど冗談が通じない生真面目はダメとか」
「なるほど」
「壁がある人は、同じレベルの人でもなかなか受け入れない。それに加えて天井がある人は、違うレベルの人には侵入も許さない……のかなって」
容赦のない例えだが、正直、俺は言い得て妙だと思った。
中野は高校生とは思えないほど色々考えているし、向上心や自分に課すハードルも高い。仕事への向き合い方もプロフェッショナルで、すでに社会人になって何年何十年も経つ大人の人でも、舌を巻く人は少なくないんじゃないか。
だからこそ、心を許す相手も選んでいそうな気がする……とか言うと、プライドが高そうなニュアンスを感じる人がいるかもしれないが、どちらかと言えば彼女の場合は「自衛」でそうしていると、俺は感じている。きっと色々あったという中学時代に、イヤなことを多く経験してきたせいなんだろう。
「心の天井か。一種のセキュリティって言うのかな」
「部屋に入る鍵があるだけじゃなく、その階に入るのも限られた人だけ、ってマンション……みたいな」
「高級マンションのなかには、カードキーがないとその階にあがれないってとこもあるらしいよね」
「だからね。仲良くなるんじゃなく、認めてもらいたいなって……その方法が何なのかは、まだわかんないんだけど」
「そっか」
「だから今は、彼女が出たアニメをたくさん観てる。やっぱリサーチは基本だからさ」
なんの基本なんだろう、という疑問が浮かぶが、掘り下げると怖い気持ちになりそうなので掘り下げないことにする。
「若宮くんは、『反省文の天才』って知ってる?」
そして、本天沼さんは尋ねてきた。
もちろん、その作品の名前は知っていた。
中野が今から3年前に出演した作品で、放送は冬クール。彼女が所属する声優事務所・アイアムプロモーションにポスターが貼られていたのも覚えている。イケメンな少年と少しくたびれた眼鏡の中年男性が笑顔で並んでいるという、アニメのポスターとしては少し風変わりなビジュアルだった。
「中野が出てたやつだよね」
「そう。中2のときにヒロインをやったアニメなんだけど。私ね、知らなくて観てみたんだけど……すごく感動的なお話でさ」
「そうなんだ……どんな作品?」
「えっとね、青春モノのテイストもあって、恋とか友情とかもテーマではあるんだけど……でも、根本は家族のお話、かな……?」
「家族の話?」
「うん。でも詳しくは観てほしいから言わないけどね」
そう言って、本天沼さんは説明を取りやめる。
あのビジュアルで家族の話というのは、どういうことだろう。主人公っぽい少年の親っぽいキャラは描かれてなかったはずだが。
「けどさ」
だが、本題はそこからだった。
「私的には作品そのものより、もっと気を引かれた……って言うのは不謹慎なのかもしれないけど……びっくりしたことがあって」
「不謹慎?」
「その作品の監督がね……放送中に亡くなってるの」
○○○
「えっ……」
想像していない言葉が返ってきたことで、俺の思考は一時停止。
「まだ40代だったんだけど、すごく人気の若手監督で、日本のアニメ界を背負う存在になるって言われてた人なんだって。でもその作品でずっと会社に寝泊まりしてて……最終話を完成させた日の朝亡くなっちゃって……って感じだったらしい」
「そう、なんだ……」
「作品自体は最後まで放送されたんだけど、事情が事情、でしょ? イベントとかたくさん予定されてたのに、なくなっちゃったりしたんだって」
「まあ、そうなる……か」
「しかも、監督には中学生の一人娘がいて。あ、『反省文の天才』は中学生の話なんだけどさ……そういうのもあって、たんに面白いだけのアニメじゃなくなったというか。一部のファンの間では、神格化されてるみたい。中野さんがあの年で声優として認められたのも、その作品のおかげらしいんだよね」
本天沼さんは、言いにくそうに、しかし必死に伝えようと言葉をつないでいく。
でも、彼女の言いたいことはよくわかった。実際、監督が夭折した結果、神格化されてる作品って結構あるからな。俺のなかではジブリの『耳をすませば』とか、そういう感じの作品だし……。
と同時に、俺は自分の知識不足を情けなく感じていた。
日頃からいろんなコンテンツに触れようと意識している俺だが、中の人や制作者の背景にそこまで興味を持ってこなかったため、『反省文の天才』にそんな事情があったとは知らなかったのだ。
(……でも、中2のときだもんな)
しかし、すぐにそんな心の声が出てきて、浮かんだ感情を否定していく。思えば『反省文の天才』を思い出すたび、あの一連の出来事についても思い出している気がする。
「中野さんって、私たちと全然違う人生送ってる感じだよね」
「そうだね。とくに俺とは全然違う」
「これ、中野さんのインタビューなんだけど」
そう言って、本天沼さんはカバンからスマホを取り出す。話が変わったらしい。
本天沼さんが差し出したスマホを見ると、それは『ガリレオニュース』というサイトだった。書籍に関する情報をメインに発信しているサイトで、雑誌が大本。そっちはさすがに把握しているので、結果、WEBサイトに詳しいワケではない俺にも見覚えがあった。
表示されていたのは『声優辞典』というインタビューの連載企画で、私服のワンピース姿の中野が写っている。薄い青色のワンピースで、初夏を先取りしたような爽やかな出で立ちだった。そして、表情も俺には決して見せないような、爽やかなアイドルスマイル。「すごい笑顔だよね、中野さん」
「こんな顔、学校で見たことないよな」
「今日配信された記事なんだけど」
「配信日に読むなんてファンみたいだね」
「えっと、若宮くん?」
「なんだい、本天沼くん」
「今さらなに言ってるの? 私は、1年生のときから中野さんのファンで、ずっと話したいなあって思ってたんだけど……?」
冗談で言ったつもりが、本天沼さんは不思議そうに述べてくる。笑顔で述べているのだが、内容が内容なだけに圧を感じてしまう。
「あ、そ、そうだね……」
「それで、ここなんだけど……」
本天沼さんが指さした辺りに視線を送ると、そこにはこんな記述があった。
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--休日はどんなふうに過ごしていますか?
鷺ノ宮:イベントがない日はゆっくり休んだり、マンガ・ラノベを読んだり、映画を観たり。あと、最近はじめて占いに行ったんですけど、想像以上に面白くてハマっちゃって。1週間で3回も行ってしまったんです……。
--1週間で3回は多いですね。
鷺ノ宮:占い師のおばあちゃんにも「前代未聞だよ!」と言われました(笑) 手相って日々の過ごし方で変わるらしいんですけど、1週間では変わるワケがないと。でも、「金払うなら来ていいけどね。手相見なくて済むから楽でいいわ』って占い師さんは言ってくれて。このお仕事は運の要素も強いので、もしかするとその影響もあるかもしれません。今までも、偶然が重なって環境が変化してきたりしていたので。
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「えっ、1週間に3回!? これって桜木町のババアのことだよね?」
「だと思う」
「行く前、占いなんか、とか言ってなかった?」
「言ってた言ってた」
驚きつつ尋ねていくと、本天沼さんがコクコクとうなずいてくる。
女子は男子に比べて占いが好き、というのはよく聞く話だ。テレビなんかを観ているとよく目にするし。
でも、十代の少女が1週間で3回行くのは明らかに異様だ。
「それでね、私、思ったんだけど……桜木町のババアに聞けば、例の一回り年上の人のこと、教えてもらえるんじゃないかなって」
桜木町のババアによると、中野には心から信頼している、一回り年上の女性がいるという話だった。かつては親代わりな面もあって……と話していたけど、本天沼さんはそこに好奇心を刺激されたようだ。
「君は本当に懲りないな……修羅場になりかけたのに」
「でも、ババアを攻めるのは理にかなってるでしょ?」
「ババアを攻めるってすごい日本語だ……いや間違ってないんだけどさ」
「試してみる価値はあるかなって」
「本来自分のことを知るために行く占いに、他人のことを知るために行く……うーむ、極端だな」
しかし、そんなふうに内心呆れている俺をよそに、本天沼さんは楽しそうなまま。
「私的にね、このインタビューのこの部分、12歳年上の人のことじゃないかなって思ってて」
そう言われ、俺はふたたびインタビューに目をやる。
ガリレオニュースは本好きにはおなじみなあのサイトのパロディです。そして声優辞典というのも某声優インタビュー連載のパロディです。
筆者は本業がライターなんですが、この連載は毎回ライターさんの力量が発揮されていて、写真もとても素敵です。気になった方は「こえずか」とかで検索してみてください!