77 桜木町のババア3
そんなふうに中野抜きで話していたら、気づけば集合時間まであと30分を切っていた。 海沿いの横浜はいよいよ夕方に近づき、世界がオレンジ色を帯び始めている。
気付くと中野は俺たちの座るベンチの、隣のベンチにひとりで座っていた。立つのに疲れたのかもしれないし、俺たちの座るベンチはもうスペースがないが、それでもなにも言わずに別のベンチに行かれると……である。
だが、そんななか、立ち上がった者がひとりいた。高寺だ。
ゆっくりと歩いて行くと、中野の横で立ち止まった。それに気づき、中野が顔をあげる。
「りんりん、隣座ってもいい?」
「……」
高寺の真意をうかがうように、中野がじっと見上げる。だが、高寺は目を逸らさず、見つめ返していた。
「ダメ……と言ったらどうするの? 座らないの?」
「んー、座る、かな……べつにこのベンチ、りんりんのものじゃないし」
「そうね。横浜市のものね」
その言葉を聞くと、高寺はベンチに腰をおろした。
「じつはさ、りんりんに謝りたいことがあって」
「謝りたいこと?」
「引っ越しの日、あたしさ、親に対して『過保護』って言っちゃって、りんりんに叱られたことあったでしょ? あれ、単純に先輩として言ってくれたのかと思ってたんだけど、もしかしたらそれだけじゃなかったのかもって」
「……そんなつもりはなかったけど」
「でも、結果的にりんりんをイヤな気持ちにさせちゃったのは事実だと思うんだよね。だから……ごめん」
そう言うと、高寺は小さく頭を下げた。
すると、中野は慌ててその肩に触れ、上体を起こさせる。
「やめて高寺さん。あなたが謝ることじゃないわ」
「でも言ってたじゃんりんりん。『声優としてまったく稼げていないなか、学費や生活費をすべて出してもらっていて、そういう言い方はどうなのかしら。あなたは今、存在そのものが赤字なのよ』って。怒ってないとああいう言い方はできないと思うけど……」
「たしかにそう言ったけど、あれは勢いと言うか……ちょっと待って高寺さん、今あなた私のモノマネした?」
中野がやっと気付く。そっか、ファミレスのときは聞いてなかったもんな。
結果、変な流れで自分のモノマネを初めて聞くことになった中野だったが、
「あ、ごめんりんりん、今真面目な話してるとこだから」
「そ、それはそうだけど……え、私が叱られてるのなぜ。そしてならなんでモノマネ挟んだの……まあいいけどさ、今は」
なにかのゾーンに入っているのか、マイペースに話を続ける高寺に勢い負けした。
そして、高寺はこう続ける。
「じつはあたしもね、親いないんだ」
「……えっ」
突然の告白に、中野は驚くが、その表情を見て今度は高寺が小さくハッとなる。
「あ、ごめち。今のだと語弊がある、あった。正しく言えば半分いない、半分家にいない、って感じかな」
「半分家にいない……それってつまり、片親ってこと?」
「そう。うち、ママとパパが離婚してるんだよね」
中野に比べれば驚き度は少ないが、それでも軽んじていい内容でないのは俺にもわかる。
「離婚なんて珍しい話じゃないと思うんだけど、子供としてはやっぱ生活は変わるんだ」
「そうなんだ」
「あたしのママ、九州でそこそこ有名な会社の一人娘で、社長継いでバリバリ仕事してたから離婚してもお金面では全然平気だったんだけど、家事あたしがやんなきゃだし、ソフトの合宿あっても自分で準備したりとか」
「へぇ」
「それに、決まりでパパに3ヶ月に1回会わないとで、でも性格合わないから会うのが苦痛……とか言ったらダメだったね、ごめん」
「ううん、いいのよ。私が口出ししていいことでもないし、それにさ、親孝行したいときに親はなしって言うけど、反抗も同じだと思うのよね」
「反抗……」
「私、反抗期迎える前にお別れしちゃったから。だから、ご両親のこと悪く言うあなたのことが、ちょっとうらやましかったのかもしれない」
そう言うと、高寺は静かにコクンとうなずく。
そして、中野をピュアな瞳でじっと見つめ、こう頼んだのだった。
「あたしにはりんりんの辛さはわからない。でも、そういうのバカにしたりしないし、言い触らしたりもしない。だから、これからも私たちと仲良くしてほしいの」
そして、中野はしばらく考える素振りを見せたのち、折れるように、コクンとうなずいたのだった。
○○○
その後、俺たちは集合場所である、みなとみらい駅へ向かった。
夕陽はすでに沈みかけで、海は夜の黒さを帯び始めていた。海沿いということもあり、風はなかなか冷たく、足取りを不安定なモノにしようとしてくる。
少し先では中野、石神井、本天沼さんの3人が並んで歩いている。どうやら中野に対して謝罪を入れているようだ。さすがの本天沼さんも、中野の抱える事情を知った今、好奇心のままに動くのは難しくなったはずだ。
というワケで、俺の隣には高寺が歩いている。一仕事終えたせいか、眠そうな表情をしていた。
「疲れたか?」
「や、そんなことないよ。心配してくれてありがと」
話しかけると、すぐにいつもの元気な笑顔が戻る。
その屈託のない笑顔を見ていると、さっきしたばかりの静かにしておいてやろうという決意が、はやくも揺らぐのを感じる。
「社長やってるの、お母さんのほうだったんだな」
「そうだけど、あれ言ってなかったっけ?」
高寺はキョトンと首をかしげる。その表情を見るに、俺たちの間に明確な認識のズレが生じていたのは間違いない。
「言ってないけど、でもほら、『頑固とか昭和気質ってワケじゃないけどわりとオラオラ系』とか言ってただろ?」
「言ったけど、でもパパとも言ってなくない?」
「言ってないけど、だとしても全部女性に使う表現じゃないと言うか……」
「しまったぜ、あたしとしたことが意図せず叙述トリックを使ってしまったぜ……」
冗談っぽく言うが、俺以外が聞いても普通に勘違いすると思う。
「でもうちのママ、そういう性格で」
「オラオラ系なんだな」
「とにかく強い女の人なの。『ガンガンいこうぜ!』って感じで、だからあたしが声優目指して上京するのも応援してくれたし」
「そうだったんだな」
「仕事できて美人で格好いいんだよ? 若ちゃんも会ったときよろしくね!」
会うのは確定なんだな、と思うが、それを口にするのはなんだか恥ずかしい気がしたので、俺は黙っていることにした。
「……パパは、正直あんまり好きくないんだ」
「話したくないなら話さなくていいんだぞ。べつに誘導したいワケじゃない」
「ふふ、気遣いありがと。でもただ性格が合わないってだけだから。冗談が死ぬほど通じなくて、考え方も古くて保守的なんだよね。あたしが声優なったの、今でも反対してるっぽいし……」
そこまで言うと、高寺の口が止まる。
そして、その顔に陰が生まれた。高寺の親なのに冗談が通じないとか保守的とか、いろいろ信じにくい感じだが……。
俺たちは黙ったまま、みなとみらいへ歩いて行った。たどり着くまでの間、高寺が親の話をすることはなかったし、父親に関しては「会ったときよろしくね!」と言うこともなかった。
でも。
いや、だからこそと言うべきか。
俺のなかには、不思議な確信が生まれていた。
(きっといつの日か、高寺の母親にも父親にも会うことになるんだろうな……)
という確信である。