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76 桜木町のババア2

「そうよ。あんた、親が両方ともいないんだろ?」


 ババアの言葉に、一瞬、5人の間の空気がシーンとなった。


「……お、親がいないって、そんなわけないじゃないですかっ!!」


 沈んだ空気を壊すかのように、声をあげたのは高寺だった。いきなり何を言うんだと、俺もふっと笑って、石神井と本天沼さんにその笑いは波及した。ほんと、意味不明な占いのあとで、よくそんなこと言えたもんだ。


 しかし、ババアはそんな俺たちの言葉は聞こえていないのか、中野に話しかけ続ける。


「いなくなったのはもう5年くらい前かの。そこで一度、人生が大きく動いてるね。その後は……あんた、人前に出る仕事、声を使う仕事をしているね?」

「……はい」


 ババアの問いに、中野が小さく同意する。思わぬタイミングで思わぬ部分を当てられたせいで、俺と高寺は思わず止まってしまう。それを見て、本天沼さんが「声を使う仕事……?」と小さくつぶやいた。


「いい仕事だね。内省的なくせ、表現することが好きなあんたに合ってる。でも、演じている自分が好きってわけじゃないね。ひとつの役を突き詰める、その過程に魅力を感じる職人的な部分が根底にあるようだね。違うかい??」

「……」

「親が死んだあとも家庭運はあまり良くないようだね。あ、なにも仲が悪いという意味じゃないよ? うまくいってないこともあるという意味ね。自分のことじゃないようだけど、あるんだろ、色々と??」

「……」


 中野はなにも言い返さない。それは、ババアの言葉が当たっていると示していた。


「仕事運はすこぶるいいね。今まで順調だったろうけど、今後も順調だろう。信頼できる女性との出会いが大きいようだね!! 彼女はあんたよりちょうど一回り年上か?? 昔は親代わりなとこもあったようだね。今は親友、いや戦友って感じかな??」

「……」

「でも、ババアから見れば、あんたは生き急ぎすぎ、働きすぎだわね。このペースだと、近い将来に壊れるかもしれないよ……まあでも、私生活で支えてくれる人がいないと仕様がないか。残った家族に対しても、あんたは強がりすぎてるからね。違うか??」

「……」


 ババアの言葉を、中野は黙って聞いている。よく見ると、その肩は小さく震えていて、視線は所在なげに机の上に落とされていた。まるで、ババアのことを直視できないかのようだった。


「りんりん……」


 ふたたび、沈黙を破ったのは高寺だった。


 そして、おそるおそるといった感じで、中野に質問を投げかける。


「もしかして……当たってるのかな」


 10秒近い間ののち、どこか諦めたかのような表情で。


 中野は力なくうなずいた。



   ○○○



 みなとみらいに戻る途中の、海沿いのベンチに俺たちは座っていた。


 朝早くに始まった遠足も、残りわずか。横浜の海はすっかり夕焼けに染まっており、野方先生に周知された集合時刻まで、あと1時間を切っている状況だった。


 隣にいるのは石神井、高寺、そして本天沼さん。一台のベンチに詰めて座っているため、俺たちの距離感は近く、少しでも体を動かせば、腕と腕が触れてしまうような距離感にあった。


 しかし、さっきから10分近く会話はなかった。


 その理由は、俺たちの視線の先にいる中野だ。彼女はひとり、ベンチに座っている俺たちから離れ、海の間際の手すりに手をかけて、ぼんやりと立っていた。


 平日の夕方といえ、横浜は若いカップルや親子連れ、犬の散歩をする人など、それなりに人が行き交っている。そのまま視線を足下にうつすと、隣から声が聞こえる。


「びっくりだったねえ」


 占いの館に続き、ここでも沈黙を破ったのは高寺だった。もちろん、中野を除いた4人の間の沈黙だが。


「桜木町のババア、そんなに当てなくていいってくらい当てちゃうんだもん。困ったよね、ほんと。空気読んで、ちょっとくらい外せってゆーかさ」


 その声は一見明るいが、一方で悲しみに満ちていることがわかる声だった。まさか、自分がゴリ押しした占いで、こんな展開になるとは思わなかったのだろう。


「……そうだな」


 しかし、そんな彼女に対し、俺はなにも言い返せない。なにか気の利いたことを言おうとしても、頭のなかになにも浮かんでこなかった。


 いつもはお喋りな石神井も、今は後ろで組んだ両手のひらに頭をもたらさすようにして、夕方に変わりつつある空を見上げていた。


 本天沼さんは放心という感じで、ぼーっと中野の背中を見つめている。自分が踏み込もうとしていたところが、想像以上に込み入った事情をはらんでいたことを知り、今も整理がつかない感じなのだろうか。好奇心が暴走しているときの彼女ははっきり言って異様だが、今の放心感は、ちょっと心配になるレベルだった。


「あたし、りんりんのパパママが亡くなってるなんて、全然知らなかったよ」


 自分の無力さを痛感するように、高寺がぽつりとつぶやく。


 桜木町のババアは、恐るべきことに中野の過去、そして現在を驚くほどの勢いで言い当てていった。


 中野が芸能の仕事をしていること。


 芸能のなかでも、声を使う仕事であるということ。


 12年前、5歳になる頃に始めたということ。


 今から5年前、小学校6年生のときに両親が亡くなっているということ。


 一回り年上の女性(美祐子氏)が、中野にとってもっとも信頼している人物であるということ。


 親が亡くなっているというのは、4人のなかでは接する時間も多かった俺と高寺にとっても初耳で、すぐには信じられないことだった。


 ……だが、一度頭を冷やして冷静になってみると、納得のいくことも多かった。


 たとえば、中野の極端な金へのがめつさ。


 高校生とは思えないほどシビアな金銭感覚を持っていることは、声優という職業ゆえなのだと思っていた。渋谷のロフトで確定申告を自分でしていると聞いたときも、俺は「そういうのを手伝ってくれない、スパルタな親なんだな」と思ったし、実際そう考えるのが自然だっただろう。


 だが、実際は「保護者がいないから稼ぐしかなかった」「お金周りの計算も、自分でするしかなかった」のであり、そう考えると金への異様ながめつさも、少しは理解できる。


「あたし、しくったかなあ。なんで占い行きたいとか言い出しちゃったんだろ……」


 高寺を見ると、彼女はベンチに体育座りしており、膝を抱え込むようにそこに顎を乗せていた。


 短いスカートから細いながらも健康的に引き締まった脚が見えているが、そんなことは気にしていない様子。なので俺も頑張って気にしないでいることにしつつ、俺はなるだけ優しい声でフォローを入れる。


「仕方ないよ。ああいうことになるなんて誰も予想できなかったワケだし」

「それはそうだけど……でも、これで友情にヒビが入ったりしたらヤだし」

「そんな心配するなって。そんなことで友情は壊れない。なぜなら、ふたりの間にもともと友情なんかないからな」

「そうだよね、壊れないよねあたしたちの友情……って若ちゃん!!! フォローになってない!!!」


 もちろん俺としては冗談で言ったつもりだったのだが、高寺は真に受けたのか半泣きに。なので、そのおでこを、人差し指でデコピンした。


「うっ」


 ババアに痛めつけられた部位なせいか、思いの外痛かったようで、高寺は恨めしげに俺を見上げる。なので、今度は本当に優しい口調で伝える。


「さすがに冗談だよ。そんなことを根に持つほど中野は性格悪くないし、まあ性格いいとは言わないけど、でも根に持つタイプでもないだろ」

「……そだよね。あたしも自分で言ってて、そんなことないよなあって」

「私も大丈夫だと思うよ、円ちゃん」


 そして、口を挟んできたのが本天沼さんだった。自分をあざ笑うかのような。複雑な笑みを浮かべていた。


「問題なのは私のほうだよ。中野さんがちょっと不思議な子だからって、3番勝負まで申し込んで秘密を解き明かそうとするなんて」

「だから言ったじゃないか。人のことに首を突っ込むのはやめたほうがいいって」

「いやいや石神井、絶対そんなこと言ってないだろ」


 本天沼さんが真面目なトーンで言っているにも関わらず、石神井はいつものノリで軽くボケてきた。なので俺は注意しつつ、本天沼さんにフォローを入れる。


「まあでもさ、一言も声発しない、遅刻早退繰り返す女子はたしかに不思議だし、それに親のことがわかったのは全部、桜木町のババアが原因だから」

「それはそうだけど……」

「だから今はひとまず、中野と話してみないと。どういうふうに話しかけていいのかはわからないんだけどさ」


 俺の言葉に、本天沼さんは小さくうなだれた。

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