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50 ひよりと絵里子の邂逅2

「……」

「……」


 朝のパン屋にて偶然遭遇し、見つめ合っている俺と中野。お互いに視線で会話しているが、俺はまだ言葉を発しない。


 すると、中野が周囲をキョロキョロ見回す。おそらく、クラスメートや知り合いが他にいないことを確認したのだろう。直後に、キンキンに冷えたラムネの中でビー玉が立てた音のような、清涼感に満ちた声が鼓膜に触れる。

「若宮くん、おはよう」

「おっす」

「どうしたの、こんなところで」

「中野と同じだよ。普通に朝メシ。炊飯器、壊れて」

「あら、私の家は炊飯器壊れてないけど……?」

「またわかりにくいボケを……それ、ツッコんだほうがいいのか?」

「流して頂戴」


 その会話の間も、絵里子は中野に背を向けたまま。世の母親は「人と話すときは目を見て話すこと」と子供に教えるそうだが、絵里子に関しては目を見てない以前に、顔も見てないし、なんなら中野のいる方向すら見ていない。


 すると、中野が困惑した面持ちで、「誰?」とでも尋ねるように首をかしげる。


「あ、俺の母親、なんだけど」

「あら、お母さん?」


 中野が目を見開いてそう答えると……


 絵里子は壊れかけのねじ式の人形のように、ぎしぎし振り向き、震えながら中野を見上げた。そして、声を震わせながら挨拶を試みる。


「は、はじ……」

「あ、はじめまして私、同じクラスの……」


 中野がマスクを取りながら挨拶しようとすると、絵里子は急に立ち上がり、俺に向かってこう言った。


「お母さん、急用思い出したから」

「えっ急用?」

「そう」

「朝なのに?」

「い、色々あるのっ! 先帰ってるっ!」


 そして、カバンを掴むと、逃げるように店から飛び出していった。


 は、はじ……という、人生初だったに違いない初対面の挨拶を受け、そして別れの言葉もないまま逃げ出され、さすがの中野もキョトンとした表情で、その場に突っ立ったままでいる。


「すまんな。うちの母親、ちょっと変わってて」

「なんていうか……マズかった?」


 中野は小さく首をかしげ、自分の行動になにか落ち度があったのか、という素振りを見せる。


「いや、謝らないでくれ」

「マズかったか聞いただけで謝ってないし、謝るつもりもないけど」

「自分で自分の心の黒さバラす必要はないんだぞ?」

「ってのは冗談として。大丈夫なの追いかけなくても」

「ああ。母親だからな一応」


 すると、中野は肩をすくめて再び周囲を見渡し、他に空いているテーブルがないことを確認。そして、絵里子がいなくなった席を見る。


「申し訳ないけどこの後、オーディションで」

「そうなんだ」

「ここで食べて行きたいのだけれど」


 絵里子がいなくなったイスを目で示し、中野が俺に対して首をかしげた。



   ○○○



 そんなワケで、中野が俺の前に座っている。さて、どうすべきか。


 学校の屋上で一緒に昼飯を食べることはあっても、外で一緒にいるというのは未だに慣れないものがある。


 そして、あの母親について、どこまで言うべきなのか? 非常に悩ましいところだが、冷静に考えてまったく触れないのは状況的におかしい気もしてくる。


 と、そんなことを思っているうちに、中野はフォークを使って目の前でサンドイッチを作っていた。普段食べてるサンドイッチがなかなか不器用な有様なので、手の動きもそういう感じなのかと思いきや、意外にもフォークを使ってうまく挟んでいく。


 しかし、具の一部は皿のうえに置かれたまま。結局、いつもと同じ食べ方だ。 


 マジでこの子、なんでこんな変な食べ方してるんだろ……。


「あの若宮くん」

「はいっ?」

「いくら仕事柄、見られることに慣れている私でも、そんなにジロジロ見られたら食べにくいのだけど」

「あ、いやこれはそのっ……」

「せっかく気を遣って席を外してくださったお母様にも悪いし、食べていいかしら」

「ああ」

「お母さんによろしくお伝えしておいてね。席を譲ってもらって助かったって」

「本人にそういうつもりはないと思うけど」

「私はそう受け取ったから。それでいいのよ」

「……うちの母親、コミュ障でさ」


 自然と絵里子の話になったので、俺は意を決し、当たり障りのない言い方で話し始めた。 すると、中野がもともと大きな目をほんの少し見開く。それは驚いたというよりも、こちらの話を真面目に聞こうという姿勢が現れているようだった。


「コミュ障……」

「コミュニケーション障害。人との交流が下手ってこと」

「意味くらいわかるのだけど」


 形のよい眉をひくっとさせながら、中野が俺を見る。


「すまん、日本語弱いイメージだから一応」

「シャイで控えめな方なのかしら、私と同じで」

「確認だが、それツッコんだほうがいいのか?」

「流して頂戴」


 涼しい表情で、中野はカップに入った飲み物に、ふーふーと息を吹きかける。その姿はいつも通りのマイペースさで、つまり俺に対して気を遣っている感じはまったくなく、絵里子のことを特別異質に感じている雰囲気もなかった。


 いや……むしろ落ち着いてすらいると言うべきか。 


 あんな初対面であんな逃げ方されたのに、やっぱ神経強いな中野……。


 ということで、俺は少しだけ絵里子のことを話してみることにする。


「シャイというか、昔から体弱くて家にこもりがちでさ」

「……引きこもりってこと?」


 驚いたように言う中野。そのキレイな二重の瞳が、今度は不思議そうに見開かれる。


「引きこもりって言うか……」

「じゃあ登校拒否?」

「どう見ても学校通ってる年齢じゃないだろ」

「それはわからないわ。大学なら何歳でも入れるでしょう?」

「あの年で大学入って登校拒否してたら頭おかしいだろ」

「まあその否定はできないかしら」

「……うちの母親、家族以外とあんまり話してこなかったんだ」

「家族以外と……」


 中野は、初めて耳にした言葉を言うかのように、復唱する。


「だから子供の友……クラスメートに会うのに慣れていないんだ」

「たしかにさっき、若宮くんのほうが親みたいだったわね」

「そうかもな。ほんと、子供みたいというか、幼稚園の男児みたいというか」


 ため息をつくと、俺は背もたれにどがっと上体を預ける。朝起こすところを含め、手がかかりすぎてて、登校前なのにすでに疲れている感じだ。


 一方、中野はカップの飲み物を吐息で冷まし続けるのをやめると、一旦カップに口をつけるが、熱いと判断したのかまた口を離す。


「お父さんは大阪に単身赴任中……ってことは若宮くんが色々お世話しているのかしら」

「料理も作らないし、ゴミもちゃんと分けないし、洗濯物も脱ぎっぱなし。もちろん授業参観とかに来ることもほぼなくて親らしいことはほぼしてない……そんな感じでほんと手のかかる母親だよ」


 そこまで言うと、中野がふっと小さく笑みを浮かべて下を向いた。


「えっ、どうした?」

「いや、なんでもないわ。ただ……」

「ただ?」

「あなたも苦労しているんだなって。私と同じで」


 私と同じで……どういうことだろう。


 ごくごく普通のどこにでもいる取るに足らない。


 かと言って自らを「一般人代表」と名乗るほど一般人を極めていない。


 要するに一般人のなかでもモブな俺と、子供の頃から声優として活躍している中野が似ている……だと?


 まったく、意味がわからない。


 一体、どういう意図で言っているのだろう。


 しかし、俺がなんて返すか悩んでいるうちに、中野はついに飲み物を飲み始め、こんなふうに別の話をし始める。


「ゆずとレモンはね、殺菌効果があって喉に優しいの。でも熱い飲み物は喉に優しくないから、冷ますようにしてる」


 急に話が変わったので戸惑うが、戻すのもおかしい……そんなことを思いつつ、俺はサンドイッチにも目を向ける。


「てことは、大根も喉にいい?」

「ご名答。大事なオーディションがある日は、この店で食べるようにしているのよ……昔、ここで食べてから行ったので合格したことがあって」

「験担ぎみたいな」

「まあ、そういうことね」


 なるほど、ジンクス的なか。


 現実主義者な面を見てきたせいで、彼女がこういう神頼みみたいなことを言うのは意外にも思えた。


「今日のはいつもお世話になってる監督さんのだからわりと自信があるのだけど」

「それは良かった」

「でも、油断はできないわ。なぜなら、今日のオーディションはきっと、ももたそこと桃井さんも来るからよ」

「ももたそ……」


 脳内で検索をかけてみるが、その単語でヒットする記憶がない。


「えっと、誰だっけそれ……」


 マジで誰のことかわからなかったので、俺が眉をひそめながら言うと、


「若宮くん、この前話したばかりでしょう?」

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