49 ひよりと絵里子の邂逅1
と、そんなふうに席に座って絵里子と話をしていると。
レジの方向から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ホットゆずレモネードと、あと大根たっぷりのしゃきしゃきサンドイッチで。あ、サンドイッチは調理まだだったら具を挟まずに横に添えてもらえますか? 自分で程よく挟むので」
サンドイッチなのに挟まないでくれという注文の仕方をするのは、日本中を探してもたぶんこの女子しかいないだろう。非常にめんどくさい注文だが、普段自分が作っているのに慣れているせいだろう。きっと、具の一部があぶれていないと不安になるのだ。
そして、外見的な話をすれば、大きなマスクが顔を覆っていて……いや、本人いわく普通の女性用サイズのマスクらしいのだが、顔が小さいせいでマスクが大きく見えているその女子は、今日も静謐な存在感を漂わせている。
しかし、この後学校に直行できるように制服を着ている俺と違い、スウェット生地のトップスにスキニーデニム、スニーカーというラフな私服姿だった。長い黒髪は後ろにまとめており、変装なのかそれに加えて薄い桜色のキャップをかぶっている。
「あいつ、パンツとか履くんだな」
初めて見る服装だったので思わずつぶやくと、そんな中野に対し、背を向けて座っていた絵里子が、ブッとカフェオレを吹き出しそうになる。
「えっ、パンツ!?」
「違う、パンツ。イントネーションが違うだろ」
「あ、そっちね。最近の若い子の言葉はややこしくて……」
「べつに若い子の言葉でもないと思うけど」
「え、でなに急に?」
「いや、なにって」
俺の視線を追うように絵里子は後ろを振り向くと、そこに俺と同年代の女子の姿があることを確認。そして、バッと身を翻すと、テーブルの上に身を乗り出し、妙に真面目な表情で質問、いや詰問してくる。
「もしかしてあのキレイな子、知り合い?」
「キレイな子?」
「キレイでしょ? 違うの?」
「いや否定したわけじゃなく相づちみたいな」
「あー、やっぱキレイなんだ」
「揚げ足取るなって。てか、マスクしてんのにわかる?」
「わかんないけど」
「わかんないのかよ」
流れのせいで俺が中野がタイプが聞かれている感じになってしまい、思わずツッコミを入れたが、絵里子の表情は真剣なままだ。
「でも雰囲気ってゆーの? オーラがかわいいから」
「あ、なるほど」
「え、で、どういう関係なの」
吟味するような視線をレジに送る絵里子に対し、俺は関係性を説明する。
「どういう関係っていうか、同じクラスの」
「同じクラス……卑猥だ」
「なんでそうなる。友達……ではなくて、知り合い的な?」
「知り合い、ね……卑猥だ」
「だからなんでそうなる」
俺が呆れてツッコミを入れると、絵里子は眉を八の字にし、不安げな表情でテーブルの上をいそいそと片付け始める。
「そうちゃん、帰る? いや帰ろ?」
「え?」
「だって同じクラスの子とバッタリとか気まずいもん」
「いやそれ俺のセリフ……べつに気まずくないから俺のセリフでもないけど」
しかし、絵里子はにじりにじりとテーブルの上で寄ってきて、小声で俺に訴える。
「同じクラスの子に学校の外で、しかも朝のパン屋さんで会うなんて気まずい以外の何物でもないじゃん!」
「いや、気まずい以外の何物だろ。同級生に学校の外で会うことくらい普通にあるし、むしろ遭遇する上で朝のパン屋ほど健全な場所はないわ」
「いやでも、健全だからこそ、一周回って不健全とゆーか」
「健全すぎて不健全とかないから」
「夜のお店とか、メイドカフェでこっそり働いてるとこに遭遇するより気まずいよ」
「どう捉えたらそうなるんだよ」
ツッコミを入れながら、俺の頭には中野がメイドカフェで隠れてバイトしている光景が浮かんだ。
たぶん、大人気ラブコメ作品にそういう展開があった気がする。たしか妹の同級生の男子の依頼を受けて、そいつの姉貴がバイトしてるとこに行く……みたいな流れで、候補のひとつだったメイドカフェに行くんだよな。そしてなぜか奉仕部の女子メンバーふたりがムダにメイド衣装着て、読者および視聴者にわかりやすく媚びてくるんだけどかわいいからいいや……ってこれもう特定の作品名言ってるのと同じだわ。
いやしかし、中野が「いらっしゃいませ、ご主人さま」とか言うのは、まったく想像できない。まあ、衣装自体は似合いそうだから、若干見てみたくはあるのだが。
そんな想像できない想像を俺が膨らませている間も、絵里子は……
「えーっ、だってーっ……」
と、駄々をこね、テーブルの上で手をごにょごにょさせていた。そして、俺は絵里子が妙に真面目な表情で中野のことを見ていた理由に気づく。
簡単に説明すると、絵里子は単純に、中野に対して強烈な人見知り&コミュ障を発揮しているのだ。
こういうとき、世の中の母親という生き物は息子に向かって「かわいいね」と言って反応を見てみたり、「もしかして彼女?」と言って茶化してみたりすると聞く。そうでなくとも、「はっはーん」という顔をして、上の立場から黙って息子の様子をニヤニヤと観察するものだろう。逆に、「あなたにはまだはやいわよ?」的な反応をするケースもあるかもしれない。
しかし、絵里子は違う。家の中では横暴極まる性格で、絵に描いたような内弁慶であるにも関わらず、息子のクラスメートの女子に対しては、臆病な小型犬のような反応になるのだ。
○○○
こんなふうになってしまうのには、絵里子のこれまでの人生が影響している。
簡単におさらいすると、絵里子は大学在学中の世間知らずののほほんとした頃に親父と知り合い、卒業後、程なくして結婚。のほほんとしたまま25歳で俺を産んだのだが、その後もともと弱かった体を本格的に壊して、心も不安定になって家にこもりがちになった。 その結果と言うべきか、彼女は母親として積むべき経験を、ぶっちゃけあまり積んでいないのである。
たとえばその1。
公園デビューをすると決めた日の前日。
それまで近所のお母さんたちと交流がなかった絵里子は、緊張のあまり晩ご飯を盛大にオロロと戻してしまい、それを見て気を遣った当時2歳の俺が「ママ、ぼく、ほんがおともだちだから」と発言したという。
自分より他者を優先する性格、そこそこ暇さえあれば読書している今に繋がる逸話だが、そんなふうにして結果的に公園デビューは回避。俺に友達もできないままだった。
たとえばその2。
小学校2年生のとき、初めて友達が家に遊びに来た日。
来たのはそのとき仲良かった太郎くんで、ゲーム好きの彼は、俺がゲームをしたことがないのを知って、「持っていくよ」と言ってくれたのだ。
俺にとって彼は、実質初めてできた友達らしき存在だったこともあり、その申し出に内心超喜んでいたのだが、絵里子は違った。息子の初めての友達が家に来ることに対し、喜びよりも動揺が勝ったのだ。
その結果、太郎くんが家に来ている間、絵里子は夫婦の寝室に引きこもって布団をかぶって身を隠す……という、なんとも母親らしくない行動に打って出た。
べつに某大人気ラブコメアニメの海岸系ヒロインの母親みたいに、お盆にジュースとかお菓子を載せて出て来てほしい……とかは言わないが、さすがの俺もジュース以前に、母親本人が出てこないとは思わなかった。なんというか、行動的に思春期の異性の兄弟みたいな感じである。妹の友達が遊びにきた結果、部屋にこもっていないフリをする兄貴、というか。
と、そんな気まずさは太郎くんにも伝わったようで、30分経つ頃には「若宮くんって、お母さんいるよね?」という直球な質問を投げてくることになった。当然、俺は「いるけど、今は買い物でさ」とごまかすに至ったわけだが、そんな状況でゲームを楽しめるわけもなく、太郎くんとはそれ以降、だんだん疎遠になってしまった。
……って俺、絵里子のせいで友達できる機会、結構失ってるな。
しかし、それからもう10年近く経っている。絵里子も昔に比べれば心も体もかなり元気になったはずだし、多少は成長していると思っていたのだが……。
母親の成長を静かに、温かい目線で日々見守っている息子の立場としては、正直なかなかに複雑である。
でも。
そんなふうに思いつつ、実際どう行動するべきか俺は悩んでいた。絵里子の気持ちを汲んで、リアルに店を出るのもひとつの案だと思う。実際、一瞬それも考えた。
しかし、それだと絵里子の存在を自分が隠そうとしているみたいで、なんだか違和感を覚える。俺はべつに、自ら言ったりしてないだけで、絵里子のことを隠したいワケではないのだ。
○○○
と、そんなふうに悩み、どうすべきか考えてるうちに、中野は会計を終え、お盆を持ってカフェスペースに向かって歩いてきた。
皿の上にはサンドイッチになってないサンドイッチが、つまり重ねられた状態の半枚サイズのパン2枚と、大根のしゃきしゃきとしたサラダがのってある。その様子を見て、彼女がサンドイッチを注文したとはどんな名探偵でも推理できないだろう。どう見ても普通に焼いたパンとサラダのセットだが、この店にそんな朝食メニューはない。
そんな彼女の一歩一歩ごとに、絵里子の体が硬直していく。店を出るには、少しタイミングが遅かったらしい。
と、中野が俺たちの存在に気づき、すっと歩みを止める。もともと大きな瞳がさらに大きく開かれ、驚いたことが伝わる。
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