46 高寺円、引っ越しの巻3
「私だって、声優だとありがちな声質だしね」
その透明感を日々感じている身としては、決してありがちだなんて思えなかったが、中野は至って真剣な表情。冗談で言ってるワケではないのがわかる。プロの世界はそういうものなのだろうか。
しかし、高寺は納得しつつも、納得できてない様子だった。
「わかるんだけどさ。でも一個のレギュラー獲るために何十回もオーディション受けるってやっぱキツいよ。ソフトでもそこまでじゃなかったのに……」
「仕方ないわ。今は声優が余りまくってる時代だからね」
「余りまくりなんてもんじゃないよ。余りまくりまくりだよ」
「でも、競争って生きてるうえでは避けられないことだと思うけど。声優業界に限らずね。たとえば学校でも成績をみんな競ってる」
そう言うと、中野が思い出したように俺のほうを見てくる。成績1位だからなのかもしれないし、その行動に深い意味がないのもわかるが、なんだか自分が頑張って競争に勝った人間にされてるみたいでちょっと居心地が悪い。べつに俺に、誰かと競争しようという意思などないのだから。
しかし、もちろんそんな俺の感情を知る由もなく、中野は俺のほうを向いてこう続ける。
「みんな勘違いしがちだけど、『比べない』のと『競わない』のって全然違うからね。若宮くんもわかるでしょう? かけっこ早い子と勉強が得意な子に優劣をつけないのが『比べない』だとしたら、『競わない』は『運動会、みんなで走ってわいわいわーい』だから」
「ちょっとバカにしたみたいな言い方だな?」
「バカになんかしてないわ。ただ、現実的にそこを取り違えている人が多いし、そう言う人を見ていると『お気楽だな』って思っちゃうってだけ」
表向きは訂正した感じで言っているが、現実的な指摘なだけに、俺は反論できない。し、個人的にはなるほど納得できる指摘だと思った。
「つまり、どこの世界でも『比べられない』のは無理ってことか。もしクラスで一番勉強ができたとしても、勉強が得意な子がたくさんいる世界に進んで比べられる。運動が得意な子もまたしかり」
「そういうこと。価値って言うのは『人より秀でている』ってことだから」
中野がまとめるように言うと、俺たちは高寺が静かにしていることに気付いた。
見ると、はわわ……という感じで、口を動かしていた。言葉は出てきていないが、中野に対する尊敬の感情はこれでもかと放出されているのがわかる。
「りんりんすごい……同い年なのにそんなふうに思えるなんて尊敬しかない……あたし、自分がいかに甘々かってわかったよ」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、そんなふうに自分を低く言うのはやめたほうがいいわ。値引きしてるのと同じだからね」
「たしかに……」
「それに、高寺さんさっき『当然落ちて』って言ってたけど、もうすでにゲームのオーディションとかいろいろ受かってるでしょう?」
「やー、それはそうなんだけど……うん」
「養成所にいるときにデビューして、所属してすぐ仕事が何本か決まるんだから、すごく順調だと思うけど」
先輩からの指摘に対し、高寺は困ったような笑顔で、黙ったままうなずく。
前にも少し感じたが、どうやらこの高寺円という女の子は、自分への評価が極端に低いだけで、実際はかなり順調なようだ。明るく、テンションが高く、少しアホっぽいノリゆえ、スゴさとかは感じにくいけど。
「とにかく」
そして、中野がまとめるように言う。
「私だってオーディションに落ちれば悔しい。落ちた役を誰がやってるのか確認するのがイヤじゃないってだけだから。高寺さんもすぐに感じられるようになる気持ちだから」
「うん……」
もはや、高寺の目は少しうるんでいた。
普段、金のことばっか言ってるし、天然でツッコミどころも多い中野だけど、やっぱ声優としてのキャリアは本物なんだな……と後輩と接している姿を見ていると、思わざるを得なかった。
そんなふうにちょっといい感じの先輩後輩コミュニケーションののち、中野はリモコンを押して、アニメを再生。なぜか早送りし始めるが……エンドロールの手前で再生させると、
「って私が落ちた役、また桃井さんがやってるじゃない!!!」
立ち上がり、声に怒りを滲ませて叫んだ。
○○○
立ち上がった結果、中野の膝のうえに置いていたクッションは勢いよく、それなりに遠いところまで転がっていった。あのクッションは……野球をしてる少年のクッションだ。床に転がり、寂しそうにこちらを見ている。
「ってりんりん!」
「おい中野……」
「あ」
俺と高寺の非難めいた視線を受け、さすがにバツの悪い表情になった中野。静かにソファーに腰をおろすと、なぜか吹っ切れたように強気な口調になった。
「これは仕方ないの。だって彼女、最近私とやたらとかち合うのよ。前のクールだって私が落ちた役やってたし」
「高寺、しっかり見ておくんだ。声優として生き残るにはこの図太さが必要なんだ……」
「若ちゃん、あたしそれ今めっちゃ感じてる……てっきり弁解するのかと思ったら開き直ったし……」
「ふたりとも、ひそひそ話するなら小声でしてもらえるかしら?」
そう中野が苦言を呈す。俺と高寺は手で口元を隠しつつも、普通のボリュームで中野をディスっていたのだ。
「この作品で私が落ちた役の声をやってるのが、マリスプロモーションの桃井さん。愛称はももたそ。たしか2年目で、年もそう変わらなかったはず」
「若いんだな」
「若いだけなら良かったんだけど。この人、役への理解がスゴく深いのよね……」
「それでライバル視していると」
「ライバル視なんかしてないわ。ただ、まだ作品一緒になったことないし、もし一緒になれば盗めるものは盗んでいきたいな的な」
「りんりん、それもうライバル視してるのと同じだよ……」
高寺が呆れながら言うと、中野は顔を縦にも横にも振れないまま、悔しそうな表情を浮かべたのだった。
○○○
その後、俺たちは解散。
マンションの一階まで高寺に見送ってもらったのち、中野と一緒に駅まで歩いて行くことにする。
「高寺さん、結構お金持ちみたいね」
ふと、中野がそんなことを述べる。どこか、羨ましそうな口調だった。
もうすでに日は沈んでいるせいか、マスクもつけていない……いやもしかすると忘れているだけかもしれないので、注意したほうがいいのかと思ったが、その横顔があまりに美しいのでその考えは吹っ飛んでしまう。
「あれで一人暮らしだもんな」
結果、普通に会話が始まった。
「こっちに越してくる前に通ってた学校もあったはずだし、それに養成所にも1年通ってたワケだし」
「そっか、その費用もかかるのか」
実家が太いのは、否定できない事実なのだろう。
親が会社やってるって言ってたけど、もしかして九州では有名な企業だったりして……。
「でも、実家が太いってのは声優を目指すうえで大事なことよ」
「そうなのか」
「高寺さんは養成所にそのまま入ったパターンだけど、一般的には専門学校を経由するからね」
「そんなんあるんだな」
「決して安くないし、自分で学費を稼ぐ必要があって、いつの間にか授業よりバイトを優先してしまう……みたいなケースもよくあるらしいし」
本末転倒だけど、仕方ないことなのかもしれない。俺の家は幸い、オヤジの収入でなんとかやれているが、もし俺が私大医学部とか海外の大学に行きたいって人間だったら、自分がバイトするしかないもんな。
「そう考えると、よくビジネス本で『人は話し方が9割』とか『ビジネスマンは表情が9割』みたいなのがあるけれど、芸能の世界では『実家の太さが9割』ってとこもあるのかもね」
「夢のない本だな……」
「ま、それは冗談として。いずれにせよ、親が助けてくれるなら助けてもらうに越したことはないわ。『親のスネとリンゴはかじれるうちにかじっておけ』ってことわざもあるくらいだしね。時間を重ねすぎると、どっちもシワシワになっちゃうから」
「ないけどな、そんなことわざ」
ひどく乱暴なことわざだと思ったが、中野は自分ひとりで確定申告している系女子だ。普通は親が手伝いそうなものだが、してもらえないということはそれだけスパルタなのだろう。スネをかじる期間が短かったからこそ、高寺に対して羨ましさを感じているのだろうか。
でも、実家が裕福な人が得ってのは他でも当てはまることだろう。高学歴の人の親は高収入ってデータもあるくらいだしな。そこは声優だからという話でもないと俺は感じる。
そんなことを思いつつ、話しつつしていると、溝の口駅にたどり着く。俺は電車に乗って2駅だが、中野はどこに住んでいるのだろう?
そんな気持ちが歩みに出たのか、俺は改札へとつながる階段近くで踏みとどまる。すると、中野はそれを気にせず、向こう側へと進んでいった。
「歩きなのか?」
「そう。歩いて帰れるところなの」
「そっか……じゃあここで」
「うん。またね」
手を胸元にあげ小さくひらひらさせ、サラッと言うと、中野はクルリと背を向けて去って行った。
なにげない仕草だが、上品でかわいくて、そして以前感じていた警戒心はもうそこにはないようで……胸のなかに心地よい温もりが広がるのを感じながら、駅へと繋がる階段を勢いよく駆け上がっていったのだった