43 生活指導室での折檻2
高寺が体の震えを堪えながらそう告げた瞬間、中野が小さくため息をつく。散々脱線したが、やっと本題に戻るようだ。
「まったく……まあ美祐子らしいといえばらしいのだけれど」
「だから自己紹介のとき、りんりんのこと探したというか……転校してきたのだって、少しでも一緒にいられたらいいなって思ったからだし」
高寺がそう続けると、中野は呆れた顔を見せる。
「一緒にいたいからってわざわざ転校までしてくるなんて……一歩間違えたら、いや半歩……いや0.1歩間違えたらストーカーよ?」
「それもうストーカーだろ。遠慮するタイミングが謎だぞ」
「ちょっと若ちゃん! あたしストーカーじゃないもん!」
「あと0.1歩間違えたらとか、そんな表現しねーよ」
すると、威厳を見せるかのようにコホンと空咳をつくと、中野は再び高寺のほうを見る。
「高寺さん、先輩として言わせてもらうけど、あなたは人と接するうえで距離感がなさすぎるのよ」
「距離感……ん? んん?」
「そのあたり、どう考えてるのかしら」
「どう…? やー、とくに考えたことないけど……でも、とりあえず好きな人とはずっと一緒にいたいよねっ!」
「か、考えたことがないって……」
笑顔でなんの迷いもなく言い放つ高寺に、中野は「どんな人生を歩んできたのよ……」と、崩れ落ちそうになるの堪えながらつぶやく。
「え、好きだとずっと一緒にいたくない?」
「えっと、大前提として、あなたが相手を好きでも、相手があなたを好きとは限らないでしょう?」
「……!! たしかに! そのパターンがあったか!」
すっかり頭から抜け落ちていたかのように話す高寺に、中野はこう続ける。
「仕事で出会った人だと、初対面で苦手だなって思われたらリスクでしょう。相性のいい人でも、声優はひとつの作品で一緒に仕事できる期間なんて限られてるし、ファーストコンタクトで誤解を与えると挽回できないかもしれない。となると、知り合ったばかりの頃は無理に距離を縮めようとせず、少し離れてたほうがお互い都合がいい……という可能性もあるでしょう?」
「……えっ、それってもしやもしや、りんりんがあたしと距離置きたいって意味?」
「距離を置くもなにも、もともと近かった瞬間なんか」
「そんないことないっ! ないないっ!」
高寺が愕然とした表情で悲しみをあらわにする。
「そ、そうね。まあ今はそういうことにしておきましょう……」
なかなか前に進まない話に苦慮しているのか、中野は苦い顔になって続ける。
「みんながあなたみたいに誰に対しても、すぐに心を開けるわけじゃないの。仮に、相性が悪くなかったとしても、急に近づいてこられると、その、困ってしまうのよ……」
中野は少し言いにくそうに、目線を逸らす。
「そういう意味で、あなたは適切な距離感じゃない。キテレツな距離感なの」
「きっ、キテレツっ!?」
「そうよ、キテレツよ。キテレツ大百科よあなたは」
「そっ、そんなことない、ナリっ!」
と、流れでコロ助風に否定する高寺だが、中野がふうっとため息をつくと、根の性格が顔を出してきたのか次第に表情に勢いがなくなっていく。
そして、中野は諭すように話し始める。
「ほとんど話したことがないのにスタジオの外で待ち伏せしていたり、自分だけのあだ名で呼ぼうとしてきたり、その2週間後には『一緒にいたいから』って引っ越してきたり……この距離感のどこがキテレツじゃないの?」
その言葉に、俺は黙って何度も頷いた。同性かつ会社の先輩後輩だからなんとなく許されてるものの、そうでなければもう十分ストーカーの域だ。
「聞いた話だけど、あなた他の声優さんにも同じ感じらしいじゃない」
追い打ちをかけるかのように続けた中野の言葉に、なぜか高寺は声を弾ませる。
「えっ、誰かとあたしのこと話したの?」
「まあちょっとね」
「あたしの話題で盛り上がったなんて。いやー照れる照れる」
「なにを勘違いしているの。その子は、あなたに『ドン引きした』って言ってたわ」
「えっ……」
てっきりポジティブな言われ方をしたと勘違いしたらしい。
そんな高寺の思い上がりをぶった切るように、中野はぴしゃっと言い放った。
「その子、初めて会った日に体を触られたって話してたわよ」
「そ、それはっ……」
いくら女同士って言っても、体触るって。
誰にも求められていないにも関わらず、自分の中のユーモアを体現するためにビジネスホモキャラを演じている石神井でも、さすがに初日は触ってこなかったぞ。いや、今もべつに体は触ってはこないか。触ってきたらビジネスとかじゃなくなるな。石神井は友人として好きなので、なんとか今の関係性を維持したい。
とそんなことはさておき、中野の追求は続く。
「どんなふうに触ったの?」
「いやー、あのねりんりん、それには深いワケが」
「高寺さん、これは先輩として聞いてるのだけど。答えないと私に対する、しいては事務所に対する反逆と見なすわよ?」
「大原事務所の新人声優、山野早由利さんのお尻を触りました」
冷えっ冷えの声で脅す中野に、高寺は観念したかのように、棒読み状態になって答える。 ちなみにだが、しいてはじゃなくてひいては、だ。漢字で書くと「延いて」。訂正する空気じゃないから言わなかったけど。
「山野さんのお尻をね……でも、それだけじゃないでしょう?」
「おっぱいもちょっとだけ揉みました」
「ちょっとだけってどういう意味? 回数? それとも揉むときの角度?」
「回数です。深めにいく流派なのであたし。あでもお尻は浅めの流派ですけど」
「聞いてないこと答えないでもらえるかしら?」
「はいすみません」
中野がぴしゃりと言う。
「あなたがどんな流派でも信仰でも、たとえば黒ランジェリーの眼鏡三つ編み優等生の方向を向いて1日5回頭を下げていたとしても今は関係ないの」
「その宗教入りた……いえなんでもないです、すみません」
「で、具体的に何回くらい揉んだの?」
「もみもみ、なんで2回です。あ、でも両手だったんで4回とも言えます」
「2回とみなします。揉んだのは前から? それとも後ろから?」
「前からです。あたしは紳士的なので正々堂々と前からとゆーか、そもそも初対面で後ろからはさすがに痴漢とゆ」
「前からでも初対面だと痴漢です……いや、初対面じゃなくても痴漢です」
高寺と話しているうちに、中野の倫理観もちょっとおかしくなってきた模様。
「他におっぱいやお尻を触ったり揉んだりした声優さんは?」
「やー、うちの事務所だと……」
そう言うと高寺はぶつぶつ言いながら両手で数え始めるが、すぐに手だけでは足りなくなり、しかし正座なので足が使えず、困ったように中野を見上げる。
「足の指も使ってもいいですか?」
「どれだけ揉みまくってるのよっ!」
思わず吠えた後、がくっと肩を落としながら、中野は諦めたように返す。
「うちの話はいいわ、とりあえず。いや、揉んでいいって話ではないけど、迷惑のかけ具合って意味でね」
「他の事務所さんだと、エイムの中島有紀子さんと、ヴォムスの岡田海美さんです」
「全部で3人か……」
「黙って聞いていれば……ひどいな」
俺がつぶやくと、珍しく中野がうなずいて同意を示す。
そんなふうにして一通り質問、いや尋問が終わると、中野はため息をつく。安堵と呆れが入り交じったようなため息だった。
「あなたがまだ新人声優で、現場経験がほとんどないのが幸いした感じかしら」
「幸い……えっと、揉まないほうがいいの?」
「当たり前なこと言わないでよ……」
「自慢じゃないけどあたし、たぶん熊本で一番女の子のおっぱいを、会った日に揉んできたから」
「呆れた……」
「しかも、それでずっと許されてきた人生だったってゆーか。なんなら、『熊本に高寺あり』って自分で勝手に豪語してたみたいな」
「自分で豪語すんなよ……」
「意味不明ね」
初対面で胸を揉んで許される人生。高寺は自慢じゃないと謙遜したが、きっと多くの男子が「自慢と言っていい、もはや自慢でしかない」と言うだろう。正直俺もちょっとうらやましくなってきている。これから頑張って女性声優になろうかな……??
そして、中野は諭すようにまとめる。
「あなたのそのキテレツな距離感は、すぐには治らないと思う。けれど、仲良くなる前に胸を揉んだり、お尻を触ったりしないこと。とくに他の事務所の人は。わかった?」
「はいっ、りんりん先輩っ!」
「あと、お願いだから学校では目立たないようにしてね。声優ってバレたら、ややこしいことになるから。私、中学のとき、それで色々と嫌な思いをしたのよ」
中野は思い出したように付け加えた。本人としてはこっちが最重要事項だったはずだが、高寺のキテレツっぷりのせいで話し忘れそうになったらしい。
そんなことはおそらくつゆ知らず、高寺が笑顔でうなずく。
「うん。もちろん言わないよ」
「それと、学校では話しかけないでね」
「それは……さみしい……」
一気にシュンとした表情になると、高寺は上目遣いを中野に向けた。
「けど、放課後はいいってことだよねっ?」
身を乗り出し、のぞき込むようにして尋ねる高寺は、作為的ではないかわいさが多分にあった。これだけ『アホの子』感を爆発させながらも、見た目がいい分、嫌いになれないというかさ……
そして、中野もそんなふうに感じているのか、両目をつむりながら、諦めたようにうなずく。
「……仕方ないわね。いいわ。交換条件としましょう」
「やったー!」
そう叫ぶと、高寺が中野に向かって飛びつき、抱き締めた。
○○○
と、そんなふうに騒動が一応の一件落着を見せたところで、2時間目の授業の開始を告げるチャイムが鳴る。
「あら、もうそんな時間」
「やっばーい、行かないと」
「あー、せっかくの休み時間が……」
中野がそそくさと出て行き、それを追うように高寺も駆けていく。俺も立ち上がって出て行こうとしていいると、背後から声が聞こえる。
「あっ、僕も授業行かなきゃ……」
そこには冷や汗でもはやシャツ全体が湿り、なんなら床まで濡れている我らが担任こと野方先生の姿があった。存在感なさすぎてすっかり忘れてたけど、よく考えなくともここは生活指導室。野方先生の部屋である。
「あ、先生そういやいたんすね……」
「うん、一言も喋らなかったけどね、うん」
「担任の先生に対してこんなこと言うのもどうかなんですけど、正直存在感ゼロでした」
「うん。自分でもそう思うよ。ここ僕の部屋なのにね、うん」
たった10分の休み時間の間に軽く2~3キロ痩せてそうな野方先生を見て、俺は改めて「強く生きよう」という決心を固めたのだった。
エイムもヴォムスももちろん架空の事務所です。実際には存在しないので悪しからず。




