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42 生活指導室での折檻1

 ひんやりした床の感覚が、制服のズボン越しに伝わってくる。


 普段あぐらか体育座りをすることの多い男子のひとりとしては、正座という姿勢も慣れず、落ち着かない。


 それは、俺と同じ姿勢でぐったり肩を落としてうなだれて、冷や汗をだらだらと流している野方先生も同じようだ。教師の彼が、なぜ俺の隣で正座しているのか。意味がわからないが、きっと野方先生が一番わかってないに違いない。


 そして、俺たちふたりの間には、今や半泣きになって鼻をすすり、真新しい制服を汚しそうになっている高寺が、体を小さくして、これまた正座で座っている。


 そんな俺たち3人を見下ろすようにしてイスに、女教師のように足を組んだ姿勢で座っているのは、中野だ。


 ここは生活指導室。


 1限の授業が終わった俺たちは、中野の命令でここに招集、そして今から折檻が加えられようとしていた。


 ちなみになぜ生活指導室かと言うと、ご存知のとおり野方先生が生活指導担当で、職員室の隣にあるここの部屋を拠点にしているからだ。


「じゃあ、ひとりひとり聞いていこうかしら。まずは……高寺さん」

「ひゃ、ひゃいっ……」


 ビクンと体を震わせると、高寺は中野のほうをおそるおそる見る。


「お、おこってるよね……?」

「あら、怒ってないわよ」

「ほ、ほんとにっ?」

「ええ。幸い、今回はクラスメートに私の秘密……私が声優だということはバレなかったからね」


 その言葉を聞き、高寺は一瞬ほっとした様子を見せるが、中野は「ただ……」と言葉を続ける。


「怒ってはいないけど、あなたの回答次第では今後私の対応も変わるかも……たとえば会っても徹底的に無視するとか、スタジオで会ったとき先輩の私がドア付近を陣取ってあなたが居心地悪いようにするとか、そういう可能性は十分あるかしら」

「めっちゃ怒ってるんだけど!? しかも冷静な分余計怖いしっ!!」


 水槽の中にいる熱帯魚のように口をパクパクさせながら、高寺はうろたえる。


「なんだその、ドア付近って」


 中野が指している行動のパワハラ度合いがいまいちわからず尋ねると、高寺は「そっか、若ちゃんわかんないよね」と、身振り手振りを交えて説明し始める。


「スタジオって人数分のマイクがあるわけじゃなくて、多くて4本とかなんだ」

「へえ」

「だから複数人で1本のマイク使う必要があって、喋るときだけマイクの前に出る、みたいな感じなの」

「なんで? めんどいな」

「わかんないけどそーなの。で、主演とかベテランさんが真ん中にいって、新人はドア側に行くのが暗黙の了解で」

「なんで? めんどいな」

「やー、たぶん上座下座的な? んでもって、新人はドア付近に立って、ドアの開け閉めをする風習? みたいなのがあるんだけど」

「なんで? めんどいな」

「わかんないけど、あるのーっ!」


 「なんでばっか言わないでっ!」と若干顔を赤くし、両手をぐっと握って上下させながら、高寺が自分が聞きたいといった素振りを見せる。その仕草は子供のようで、非常にあどけないが、一方で子供っぽくないお胸が制服の中で上下。俺が即座に目を逸らしたのは言うまでもない。


「だから先輩のりんりんにドア側に立たれちゃうと開け閉めできないから、あたしみたいな新人声優はひっじょーに困るとゆーか」

「べつに誰が開け閉めしてもいいと思うけどな」


 と俺は言ったが、自分の膝をぽかぽか叩いている高寺の姿を見ると、声優にとってそのマナーは結構重要なんだろう。どんな業界にも慣習とか謎のマナーはあるらしいしな。そして、それを知った上で脅しの材料に使う中野は、かなり陰湿である。


 すると、そんな陰湿極まる中野は、陶器のようにひんやりとした白い肌に、微笑とも冷笑とも言えぬ笑みを浮かべて「でも……」と口を開く。


「もし私が声優だってバレていたら損害賠償請求していたわけだし、それに比べたらマシでしょう」

「賠償って、ど、どんなっ?」

「学校を辞めるのにかかる費用100万円、転校先で新たに必要になる学費200万円、精神的苦痛の慰謝料700万円、合計で1000万円」

「いっ、いっせんまんえんっ!?」


 指折り数える中野を見て、高寺が目を回して「ひゅー」と言いながら、泡を吹いて卒倒した。指折り数える、その指の単価が1本100万円で、最後に一気に7本も追加されたのだから無理もない。


 青い顔で床にぐったり倒れている高寺。その姿を見ていると、俺はなんだかいたたまれない気持ちになり、そっと上体を起こして介抱しながら中野をぎっと睨む。


「どーすんだよ、後輩倒れちゃったぞ」

「先輩として社会の現実を教えたまでよ」

「慰謝料が一番高いとかどー考えてもぼったくってるだろ」

「わかってないわね。そこが一番の現実ポイントよ」


 どこか勝ち誇ったかのような表情で、中野はそう言う。


 俺は若干頭が痛くなりながら、言葉を絞り出す。


「ったく、自分らの事務所、マジでどーなってんだ……」

「アイアムプロモーションは金にシビアなことで有名なの。仕事、揉め事、辞めること、これらにはすべて金が絡むわ」

「おい、清純派声優を自称するならさすがに『お』をつけろ『お』を。ファンの人が聞いたら泣くぞ」

「ツッコむのそこなのね」


 中野は少し目を細めると、「ふーん」という感じの表情で、俺を値踏みするかのように眺める。


「てっきり揉め事とか、ゴシップ的な話題に食いつくかと思ったけど」

「いや俺そういうの全然興味ないから。むしろ、中野に関して言えば気になるのは主に日本語の乱れだ」

「老け顔なのに、マインドもすでに老害感を醸し出しているのね」

「16歳にして確定申告歴5年の、妖怪感マックスなやつに言われる筋合いないから」

「そこまで言われてしまうと、逆に爽快感すら覚えるから不思議ね」


 爽快感などみじんもにじませない表情で中野はつぶやく。


 しかし、俺とのにらみ合いにつかれたのか、はあと小さくため息をつくと、顎に手を当て、少し考えるような素振りを見せて……


「……そうね、でもファンのためなら仕方ないかしら」


 珍しく俺の提案にうなずくと、仕切り直すかのように、コホンと空咳をして言い直した。


「私たちが所属している声優事務所・アイアムプロモーションは、金にお・シ・ビ・ア。これでいいかしら?」

「いいわけないだろっ! 余計怖さが出てるわっ!」


 冗談なのか本気なのかわかりづらい発言に憤慨すると、床から振動が伝わったのか、俺の隣で伸びていた高寺が「ん~」と目を覚ました。


「お、高寺、気付いたか」


 しかし、俺が上から見下ろしていることに気付くと、高寺はその体勢のまま。


「……げっ」


 と、いつもの高い声より3オクターブくらい低い声を漏らすと、俊敏な動きで上体を起こし、俺から離れた。


「げってなんだよ。せっかく介抱してくれてた人への第一声がそれって、酷すぎない?」

「今あたし、記憶がないんだけど、変なことしてないし、されてないよねっ?」

「してないしてない。な、中野?」 


 助けを求めるように俺が見ると、中野は今日初めて見るようなにこやかな笑顔を向けてくる。


「ええ、若宮くんは何にもしてない。むしろ極めて紳士的だったわ。高寺さんが気を失った後、そっと背中の下に手をくぐらせ、敷いたハンカチの上に頭を優しく置き、髪についたホコリを落とし、でも胸の膨らみは意識的に見ようとせず……」


 その一言一言に高寺は反応し、「はわわっ」とか「ふぬっ?」とか「ふひょっ!」などの妙ちくりんな擬音を出しながら、背中、頭、髪、そして胸と順に触っていき、各所の無事を確認していく。


 その豊かな胸の無事を確認するときなどは、思わず目のやり場に困ってしまった。


 いくら安否確認とはいえ、自分の胸を、それも俺の目の前で揉むのだから、たとえそっちが無事でも俺の心臓とか、あえて詳しくは書かないが色んな場所が無事じゃなくなってしまう。

 

 ちょっとやそっとのえっちなことでは動じない、川崎市高津区で一番硬派な男を自称する俺でも、別の意味で硬派になりそうで、正直かなりドキッとしてしまった。もし誰か先生が見てたら、絶対に指導モノだな。


 ……などと思いながら、俺はやり場に困った視線を中野の胸元へと避難させていた。こちらは高寺とは違い、そして中野本人の内面とも違い、色んな意味で控えめであり、心を惑わされる心配もない。視線の緊急避難場所とでも言っていいだろう。きっと非常時の川崎市指定の場所だ。みんな地震のときはここへ。揺れることもなさそうだし。


 と、俺がそんな邪な思いを持っていることなどつゆ知らず、安否確認を終えた高寺がふうっと一息つくと、どこか夢うつつな顔を中野に向ける。


「でもホントに記憶ないや。あたし気絶してたんだね??」

「そうね。人が恋じゃなく、普通に落ちる瞬間を初めて見てしまったわ」

「あたし、美祐子さんからなにも聞いてなくて。ほんとになにも知らなかったんだ」


声優あるあるとして、声優を目指す方にはもう有名かもですが、スタジオでは新人がドア付近に位置し、出入りのときに開け閉めする慣習があるそうです。他には室温とかを調整したりも。


要は上座下座的なことなんでしょうが、体育会系の外で生きてきた筆者には正直なんの意味があるのか謎だなと感じています。笑


あとは、初回の収録では挨拶して回るのも慣習。新人や若手は緊張しながら売れっ子や大御所に挨拶しにいくワケですが、台本を読み直したい人の中には正直放っておいてほしい人もいるとかいないとか。

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