39 独り言のふり2
中野は自信満々の表情で言う。
ので、俺は思わず、反射的に尋ねた。
「え、なんで」
「決まってるでしょう? 街で偶然すれ違いそうになったりしたとき、とっさに気付いて逃げ……いや、その場を離れるためよ」
「べつに言い直さなくてもいいぞ。むしろ言い直すと泣けてくるから」
しかし、泣けてくるのは俺だけだったのか、むしろ中野はどこか誇らしげな表情のまま、俺の忠告を受け流す。
「一度、新宿のルミネ1に服を買いに行ったとき、偶然クラスの女子3人がお目当てのお店にいたことがあって」
「へえ。そんなことあるんだな」
「私も思ったわ。お小遣い暮らしの女子高生がルミネ1なんて。せいぜいミロードかエストかと」
「そういうこと言いたかったんじゃないぞ。そんな人の多い場所でよく遭遇したなって」
「ああ、そっちね」
「むしろそう考えるのが普通だろ」
何気ない瞬間の勘違いで、人間性や価値観、趣味嗜好は浮き出るものだ。見た目清楚な中野さんだが、中身は全然清楚じゃない。ただの銭ゲバだ。
「てか、それ結構なピンチだな」
「でも、50メートル離れた地点で気付いたから難を逃れたわ」
「ごじゅう? そんな遠くからどうやって」
「次のお店に入る前に、マネキンとマネキンの間から確認して、顔見知りがいないかチェックするのよ」
2体のマネキンの間から、ぎろっと遠くを確認……。人気声優とは思えない、中野のそんな姿を想像して、俺がなんとも言えない気持ちになったのは言うまでもない。
「その、なんていうか、警戒心すごいな」
「エスカレーターですれ違いそうになったときも、距離10メートルのところで声で気付いて、ぱっとその場に伏せたかしら」
エスカレーターで急に伏せる中野の姿を想像し、俺は少し頭が痛くなる。
「えっと、どこの特殊部隊出身?」
「それくらい、学校の人との交流は避けているということよ」
「服も買えないとか、大変だな」
「でも今は大丈夫よ。最近は全部ZOZOで済ませてるから」
「まあ、そうすれば問題ないよな」
「ただ、大事なイベントの衣装は試着したいから、伊勢丹に行くことになるのよね……」
「伊勢丹って高いんだろ? ほんとに高校生かよ」
「安全をお金で買えるなら安いものよ」
そこまで話すと、中野は少しだけ俺のほうをチラッと見る。澄んだ黒い瞳は、深海のような静謐さをたずさえており、ずっと見ているとなんだかその中に飲み込まれそうな気持ちになる。
本音を言えば正直すごくドキッとして、照れを隠そうと俺は声を荒げる。
「な、なんだよ」
「……」
中野は顔を斜めにして俺を見たまま、なにも答えない。
「目合わせてたら、もし誰かに見られたらマズいんじゃねーのか」
すると中野は視線を逸らし、まっすぐ前を見つめながらつぶやくように言った。
「この間は、ありがとうね。色々と」
その言葉を言い終わった後、心なしか中野の首筋が赤くなっているような気がした。
そして、俺は彼女がなんのことを話しているのか、すぐに理解する。
GWが始まる前のあの日。
後でわかったことだが、その日、関東地方では局所的に季節外れの大雨が降り、一部の地域では停電が発生した。
そして、俺たちはちょうどその時間帯に、某遊園地の迷路のアトラクション内に閉じ込められたわけだが、中野はそこで「自分が声をあてているキャラとして降臨し、子供たちを出口まで誘導させる」という、声優ならではの臨機応変の対応を見せた。
あの後の遊園地のスタッフさんたちの感謝っぷりを見る限り、中野はよほど彼らにとって嬉しいことをやったんだろう。
この子、いつもは態度も喋る内容も顔つきもすべてが尊大で、一緒にいると自分が世話役のような召使いのような、もっとはっきり言えば奴隷のような気持ちになることもあるけど……でも、じつは誰かに頼るのが苦手だったり、迷惑をかけるのが嫌だったり、それでいて恩義を感じている相手にはちゃんとお礼したり、生真面目な部分もあるんだよな。
他の部分が色々と残念すぎるせいで決して「他を補って余る」とは言わないが、でも、正直同い年とは思えない、責任感とかプロ意識をあの瞬間は感じずにいられなかった。
そして今。
中野は俺に対しても、きちんとお礼を伝えようとしているらしい。首を赤く染めながら、俺にお礼を言う不器用なところを見ていると、俺は妙にむずがゆい気持ちになった。
そして、頭をかきながら、胸の奥の気持ちに蓋をするかのように言葉を絞り出す。
「……いや俺、べつにたいしたことしてねーし。大きなトラブルが起きなかったのも、ほとんどがお前の功績ってかさ」
「そうね、ほとんど私の功績ね」
訂正。やっぱこの子尊大だわ。謙虚も遠慮も知らない。
俺が照れそうになるのを必死で隠して放った言葉に、中野は一秒も間を置かずに答えたのである。
「そして今日、寒いわね。私の首、赤くなってない?」
「功績って、自分で認めるものなのかよ」
どうでもよさそうな表情でいる中野を見て、自分の勘違いを知った俺は、そんなふうに
なかば呆れながら述べたのだが、中野はさも当然といった目で俺を一瞥。ふっとため息をついた。
「当たり前じゃない。私があのとき、とてつもない四肢粉砕の活躍をしたのは自他共に認めることでしょう?」
「四肢粉砕じゃなく獅子奮迅だ。活躍して四肢が粉砕するのは傭兵か特殊部隊の隊員だけだ。死後昇進的なな」
「私が偶然あの場に居合わせなかったら、少なくとも十数人の子供たちの心にトラウマを植え付けたことでしょうし。それに私、自分のしたことをたいしたことじゃないみたいに言うの、好きじゃないの」
「あの中野さん、人間にはこう謙遜という概念がありまして……」
「むしろ、人に情けをかけたり恩を与えた場合は、自分からどんどんアピールするべきなのよ。『情けは人のためならず。結局自分のためになるなら、じゃ最初からアピールしてもいいよね?』ってね」
「……」
俺がため息も出ないレベルで困惑していると、中野は1ミリも顔色や表情を変えないまま、生徒になにかを教える教師のような調子で言う。
「ときに若宮惣太郎くん」
「なんですか中野ひよりさん」
「あなたは恩を売るという言葉の意味、知ってる?」
「おいおい誰に聞いてんだ? 国語の成績、学年1位だぞ俺」
「それは知ってるわ。そして、言葉の表面的な意味をあなたが理解してることも」
「どういうことだ?」
「働いてるとね、恩を恩と思わない人っているのよ。むしろ、途中から図に乗って『これくらいしてもらっても当然。だから感謝する必要はない』と思うような人もいたり。だからいくら相手にとって嬉しいことをしてあげても、こちらにリターンはない。ここまで理解できる?」
「なんとなく」
「そういう意味で、じつは『恩を売る』っていう行為は、相手に恩を与えただけで成り立つわけではないの。むしろ、『恩は売り物なんだ』って認識させるところまでが、プロの仕事と言えるのよね」
「なんか難しいな……」
「もちろん、あの遊園地の方々はそんな人たちではないわ。でも、常にそういうマインドでいるのはプロとして、大切なことなのよ」
中野のありがたいお言葉。ぜひ俺じゃなく、事務所の養成所に通う声優志望たちに聞かせてやってほしいところ。
「高寺さんの遊び相手もしてくれて、助かったわ」
話題が変わったらしい。
「ああ、そんなやつもいたな」
やけに元気で明るい、赤茶色の髪をした女子のことを思い出しながら答える。正直そんなに得意なタイプではないが、プロフェッショナル論を話されるよりマシだ。
「私ひとりじゃ、あの子の相手は体力が、もたないからね」
「たしかに。声も大きいし」
「それなのよね」
中野は視線を上にあげると、お手上げといった表情を見せる。
「声優って基本声が大きくて、打ち上げとかがあると店の人に注意されることがよくあるのだけれど」
「よく通るしな」
「それに加えてじゃないけど、高寺さんはソフト部でしょう? 抜群に声大きいのよね」
「なるほどな……まあでもあいつの場合、デリカシーとか常識とかに原因があるかもしれないけど」
俺がそう言うと、中野は黙ってコクりとうなずいたあと、こう続けた。
「でも若宮くんが心配する必要はないわ。だって、もう会うこともないでしょうし」
その言葉に対し、俺は小さく「そうだな」と返した。気がつけば、すでに校門はすぐそこに見えており、俺たちのひとり言を装った会話も、自然と終わりを告げた。
本作、なぜか深夜に一気に読んでくださる方多いようなんです。なんででしょうね?
あんまり無理せず、ブクマして翌朝からまた読んでもらってもいいんですよ…?笑




