38 独り言のふり1
ようやく第4話って感じです。(区切りは設けてない)
普段、学校では小説・ラノベ、家ではアニメ・映画・海外ドラマと触れる時間を分けている俺だが、そんな自分なりの仕切りがなくなる時期も存在する。具体的に言うと、長期休暇だ。
日々の家事、母親の面倒、学校の宿題を除けば、あとは自由時間なのでたっぷりとコンテンツ摂取の時間を費やすことができる。どの種類のコンテンツに触れるかはその日の気分で、朝からアニメを観続ける日もあれば(一番好きなアニメである『僕だけがいない街』を観直したり)、海外ドラマを1シーズンぶっ続けで観たり(もちろん20話以上あるようなものは1日では不可能なのだが)することもある。
そういう過ごし方に飽きれば二子玉川のカフェに出向く。小説を何冊もカバンに詰め、一気に読み進めるのだ。だんだん目がシバシバしてくるので、そのときは眼科で処方された疲れ目用の目薬をさす。肉体に鞭は打たないけど、眼球には鞭打つのが俺の生き方だ。
そんなふうに過ごした結果、長期休暇明けには心身ともにリフレッシュ……できるはずもなく、ボロボロになっている……というのが俺の常だった。学校に行ってれば読書や映画鑑賞の時間が自然と制限されるが、長期休暇はそれがない。
もちろん、そんなふうに過ごしつつも楽しければなんの問題もないのだが、正直なところここ3年ほどはそうでもなくなっていた。なんというか、「好き」とか「楽しい」という気持ちより、「まだまだ知らないコンテンツが山程ある……」という謎の切迫感から摂取に勤しんでいるだけなのだ。
我ながら色々本末転倒だなと思うが、でも同時に思う。あんな経験をすれば、こじらせ素質のある男子なら、大なり小なりこんなふうになる……と。
○○○
そんなこんなで、GWが明け、最初の登校の日。
いつものごとく読書しながら駅から学校へ向かって歩いていると、見慣れた後ろ姿が、少し先の赤信号で立ち止まっていることに気付いた。
小さな頭に長めの首、細い手足に高い位置にある腰。背筋はピンと伸びており、黒くてつややかな長い髪は今日も魅力的だ。彼女の立っている場所の手前までが日陰になっていることで、意図せず朝の光を受け、輝いているように見えた。
近くに同じ制服を着た女子たちが何人もいるなかで、彼女だけはひとり別の服を着ているかのような、そんな雰囲気が醸し出されている。
黒縁眼鏡とかで最初は気付かなかったけど、こう、知った上で見ると造りとかが全然違うもんなんだな……。
そんなことを内心思いながら隣に到達しても、手元に集中しているせいで、その女子は俺には気付かない。背筋をピンと伸ばし、首を折り曲げ、のぞき込むようにして本を見ているのは、仕事での姿勢が影響しているのだろうか。
「provide……encourage……claim……even……」
文庫本サイズの英単語の参考書を片手に持ち、真横にいる俺にしか気づけないであろう、ほんの小さな声で英語の音読をしている。
その声はとてもなめらかで、発音のひとつひとつが非常にクリア。大人びた声が非常によく合っており、まるで付属の音声CDを聞いているかのようで、正直、朝に聞くにはすごく心地よい。
普段はポンコツ気味な中野だが、こういう何気ない瞬間に声優なんだなと感じる。
そして、声優を生業としている影響なのか、少し腕を伸ばして参考書を持っていた。スッと伸びた背筋は美しく、勇ましさすら感じてしまう。
十数秒ほど聞き惚れてしまったが、ふと、黙って聞いていたことがバレると面倒だなと思った。そして、俺は目線は合わせないまま、独り言を言うようにして話しかけた。
「ターゲットいいよな。とくに工夫とかなくてシンプルだけど、オーソドックスで実用的というか」
その数秒後、持ち前の集中力から開放され、ふっと顔を上げる。
そこからこちらに注意を向けさせるため、俺はもう一言添える。
「俺はアプリ版も持ってるけど、でもやっぱ本がいいよな。赤の下敷きで文字が消えるのが楽しいというか」
ここまで言って初めて、深い集中から帰還した中野が、ようやく俺の存在に気付く。
そしてチラッと周囲を見渡した後、身を前に後ろに乗りだし、目を細めて遠くまで視線を赴かせる。クラスメートや自分のことを知っている人がいないか確認しているのだろう。警戒心の強い中野なだけに、その作業も長い。
そして、誰も知り合いがいないことを確信したのか、視線が手元のターゲットに戻ると、口元が動いてやっとこさ返事が聞こえてくる。
「observe……temperature……」
訂正。返事じゃなかった。ただ音読を続けているだけだった。
要するにしっかり十数秒もかけて無視された俺は、横目で中野のことを見ながら、クレームを入れた。
「おい、今の周りにクラスメートいないか確認したんじゃないのか。それでいないから俺に返事する流れじゃなかったのか」
すると中野がターゲットに視線を落としたまま、英語から日本語に言語を変えて答える。
「あら若宮くん。いたのね。気付かなかったわ」
「どう考えてもさっき気付いてたし、それに気付いてたからこそ俺はこうして悲しんでるんだろ」
「私、こう見えても目が悪いのよ。だからかしら。ちなみにこれはダテ眼鏡で、視力両目とも2.0」
「言った次の瞬間に自分の発言を否定するスタイルやめてもらっていい? 傷つけ方として結構高度だからねそれ?」
すると中野は、ターゲットをパタンと閉じ、しかし目線は決してこっちに向けないまま、乾いた言葉を放り出す。
「クラスメートが近くにいないとして、こんなところで話しかけてもいいと思ってるのかしら」
「べつに大丈夫だろ。教室じゃないんだし、みんな周りなんか見てないもんさ」
「楽観的な性格なのね……」
中野がため息をついて、かくっと少しばかり頭を落とす。
「まあでも、組の人だって歌舞伎町の公園のベンチに背中合わせに座って会話したりするというしね」
「どこで仕入れた情報だよ……どうせ『ウシジマくん』とかだろうけど」
「はずれ。正解は『ウロボロス』よ。プロの声優たるもの、いつオーディションが……」
「それもういいから。単純に好きだって認めろよいい加減」
そんなふうに独り言を交わしていると、信号が青に変わり、周りの人たちが歩き始めた。 一瞬チラッと中野の顔を見るが、べつにそこまでイヤそうな雰囲気は感じない……ので前に進み始めると、一歩遅れて中野が歩きだす。
俺の横ではあるものの、一緒に歩いているというには少し遠めの、1メートル弱くらいの距離のところを維持し続ける。
それを中野なりの”話し続けてOK”の合図だと判断し、俺は言葉を続ける。
「てかさっきクラスメートがいないか確認してたけど」
「それがなにか?」
「いや、単純に見てわかんのかなって。交流とか全然ないし」
すると中野は自慢げにフッと笑った。
「若宮くん、甘いわね。顔、名前、交友関係、住所、休日の過ごし方に至るまで、むしろ私は学年で一番他の生徒のことを熟知していると言っても過言ではないわ」
声優さんは日常生活で音読する癖がついてるそうで、小説を読んだときとか、街中で看板を見たときとかにも声に出して読んでしまうそう。あと、アクセント辞典というのを持っている方も多いそうです。