37 中の人2
結論から言えば、俺たちの行動は遊園地の社員さん、スタッフさんたちに非常に感謝されることになった。
ケガ人が出なかったのに加え、中野のアドリブで子供たちも泣かずに済み、保護者の方々からも好評。電気の復旧が遅れ、待たせることになったが、クレームはほとんど来なかったそうだ。
そんなふうにして今回の立役者となった中野は今、隣の高寺の肩に頭を預けてすやすやと眠っている。
ここは帰りの電車。
俺たちは座席に並んで腰をおろしていた。高寺と中野は隣同士、そこから少しだけ距離をあけて俺が座っている感じ。行きは混雑していた電車だが、夕方から都心に向かう人は少ないのか、俺たちのほか数人しか乗っていない。
夕日を頬に受けながら、高寺がしみじみとした顔で言う。
「あたし、今日改めて思ったよ。声優さんってスゴいなって」
「自分も声優だろ」
「そうだけど」
「それに今日のは声優の仕事の範疇を超えてるし」
「それもそうだけど」
高寺は少し不満げな顔になるが、中野のすーっという静かな寝息を聞き、穏やかな表情に戻る。
「そんでね、思った。一生懸命仕事してる人は格好良いんだなって」
「ま、たしかに今日の中野は、ちょっとしびれたな」
「あたし、りんりんみたいに格好良い声優さんになりたい。自分に才能とか実力とか運とかあるかわかんないし、レギュラー取るのも大変だろうけど、でも確かめてみたい」
そう話ながら中野の頭を撫でる高寺は、とても優しい表情をしていた。いつもは中野が大人びていて高寺が子供っぽいのに、今は逆転。高寺が妙に大人びた、というかお母さんっぽい雰囲気を醸し出していた。
そして中野の二の腕に手を伸ばすと、それを優しくむにっとする。
「細っいなあ……」
「おい、そんなことしてたら起きるぞ」
「お母さん、ちゃんと食べてるか心配じゃ」
「設定おかしいぞ設定が」
「でもこれだけかわいいと、つい食べちゃいたくなるのお……」
「おいオカンからエロオヤジに変わんな」
すると、高寺が「あっ」とつぶやき、思い出したように俺に尋ねる。
「そう言えば二の腕で思い出したんだけど、若ちゃんってどうやってりんりんと仲良くなったの?」
「なんで二の腕で思い出したのか詳しく聞かせてくれ……いや、べつに仲良くないんじゃないか?」
「じゃ訂正。どうやって話すようになったの?」
それを聞かれると仕方ない。正直に補講の話をするしかない……と言っても、痴漢被害にあったって話はしないけどさ。べつに隠したいってワケじゃないんだけど、話す必要がないし。
「今年になって同じクラスになったんだけど、補講で偶然一緒になったんだ」
「へー。若ちゃんって勉強苦手なんだ?」
「あー、えっと俺こう見えて成績学年1位なんだよな」
「へー、そうなんだ。学年成績1位……」
そこまで言うと高寺はハッとして、信じられないとでも言いたげな表情で黙った。
「おい、そんなふうには見えないって失礼だな」
「いやあたし、まだなんも言ってないけど」
「顔が十分そう言ってるから」
「言ってたか……私の顔め、勝手にバラしおって……」
「いや、顔というか意思の問題ね?」
自分の頬をむにーっと引っ張っている高寺に、俺は苦い顔で苦言を述べる。自分の顔にバツを与えているのだろうか。
「でもさ、それならなんで補講に?」
「え」
「だって勉強得意なら補講受けるのおかしいでしょ?」
「あ……」
そう言われ、俺は自分の説明が矛盾していることに気付く。たしかに、成績が学年1位なら補講を受けるのも変な話だ。なんとなくで話しすぎた。中野ほどではないにせよ、さっきので疲れているのかもしれない。
「もしかして言えないこと?」
「そんなこともないけど……」
「ほれほれ言いなって。それとも、君はあたしにだけ本音話させる気?」
「いやそれは高寺が進んで……」
「あー、聞こえない聞こえない」
これ見よがしに耳をふさいで、高寺があーと言う。電車内に人は少ないとは言え、ゼロではないので周囲が気になるが……でも言うしかないか。
「……ここからは美祐子さんにも話してないんだけど。じつはその日、電車で痴漢に遭遇してさ」
「ほうほうそうなのか……痴漢?」
高寺が中野を撫でる手を止めて、聞き返す。
「女の子が痴漢されてて、それを助けたみたいな?」
「あー、うんそれだと良かった……って良くはないけど。痴漢されたの俺なんだ」
「えっ、それマジで??」
高寺の目が見開かれる。
「うん驚くよな。俺も驚いたもん。こんな陰キャ男子のケツのどこがいいんだろって」
「あの電車のなかでそんなことが……」
「今なんか言った?」
「いやっ、なんでもない! 独り言独り言」
笑ってごまかすと、高寺が質問をしてくる。
「ちなみに相手は?」
「フツーの見た目のサラリーマンのオッサン。まさか痴漢なんかされるなんて思ってなくて、マジで怖くて電車途中で降りてトイレにこもって。で、そんなことしてたらテストに遅れてほとんど埋められなかったんだ」
「あー、そういうことだったのか」
高寺は妙に納得した様子だった。たしかに、それくらいのことが起きないと、学年1位が急に赤点取ったりはしないもんな。
「しかもノート落としたし。まああとで戻ってきたからそれはいいんだけど」
「あ、戻ってきたんだ」
「そうそう。読んだ本の感想とかつけるノートで。こういうのなんだけど」
そして、リュックからノートを取り出すと、高寺に差し出した。すると高寺はすんなりそれを受け取り、目を通し始める。視線を下に落としているせいで、どんな表情をしているか俺からは見えない。
「へー、こんなのつけてるんだ」
「ロフトで会った日に、じつは買ってたんだよ」
「あーあの日に! へーそうだったんだーってこういうの見せるの恥ずかしくないの?」
「ないな。どうせこんなの備忘録だし、自己満足だからさ」
「そっかー。すごいと思うんだけどな、あたしは」
「そんなことないって。べつに面白いこと書いてるワケじゃないし」
「まあたしかに内容は真面目だけど、でもこれ書いてることがすでに面白いよ?」
「……」
その観点はなかったので、思わず反応できなくなってしまう……いや違うな。過去に石神井にそういう趣旨の言葉をかけられたこともあったけど、変人のやつの言うことだし……という理由でスルーしたんだった。
すると、高寺は優しい微笑みを浮かべ、こう続ける。
「じゃ、自分で作品書いたりはない感じ?」
奇しくも、行きの電車で中野とした会話と重なってくる。当然ながらたった数時間で気持ちに変化など起きるはずもないので、こんな返事になる。
「……俺普通の人間だし、たぶん才能とかないから」
「才能ないって誰が言ったの?」
「誰も言ってないけど、俺の心がそう言ってる」
「俺の心が……知ってたけど、若ちゃんって後ろ向きだよねえ」
俺の考え方に疑問を呈してきた中野と違って、高寺は悲しそうな顔をするだけだった……とか書いてしまうと俺が彼女の反応を受け入れたと思われそうだが、そうではない。だって、才能がないというのは、べつに悲しそうな顔をされるようなことじゃないと思うから。世の中、才能のある人間なんてごく一部で、ほとんどは才能も特技も好きなこともないのだ。
だからこそ、こちらとしても反応が難しいワケで……。
すると、高寺はなにか考えるかのように、ぼんやりと窓の外に流れる景色を見つめ始めた。話が急に終わった感じで少し違和感を覚えるが、でも仕方ない。元気っ子とは言え、停電イベントのあとなのでさすがに疲れたのだろうか。
「……」
「……」
そして、次は俺が黙る番だった。
同じように、窓の外に流れる景色を見つめる。小さな川沿いを電車が通ると、少し前まで満開だったがずの桜の花はほとんど散り終えていた。遠くに見える山の木々は、すでに青く覆い繁り始めている。
季節はすでに、春の折り返し地点を通り過ぎてしまったようだ。
そしてその日。
電車を降り、別れる際になっても、高寺がいつもの明るさ、元気さを取り戻すことはなかったのだった。
ここで第3話が終了な感じです!全体のたぶん1割終わったくらいでしょうか。
この作品は実はかなり時間をかけて書いてます。具体的に言うと2年1ヶ月くらいです。その分、かける想いも強いんです。
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