35 暗がりで笑顔は輝く2
「どうして声優になろうと思ったんだ?」
「あたし?」
「そりゃそうだ。今ふたりなのに、それで俺以外だったら誰に対して言ってるんだってなるだろ」
「そ、それはわかってるけど」
そんなふうに話しつつ、俺と高寺は鏡に挟まれた道を進みながら、回転式のドアになっている場所を探していた。と、右手に押され、鏡が少し動く。
「あったここだ」
満足そうに、高寺は鼻の下をのばす。鏡を半分回転させると、俺たちは向こう側に用意された道を発見。道に沿って、一歩一歩歩みを進める。
「そう。熊本のど田舎に住んでた女の子が、高校で家を出て、声優になった経緯」
「ちょっとど田舎言わないで! あたし、一応市内だしっ!」
「ごめんその辺はわかんねえ」
「まー、今の時点で声優って言っていいのかわかんないけど」
「ん、なんで?」
「事務所に所属してる人を声優と呼ぶのか、声優のお仕事だけで食べていけてる人を声優と呼ぶのかには、それはもう果てのない議論がありましてねえ」
「あー、なんか闇の深そうな話……」
「うちは違うんだけど他の事務所だと正所属のほかに準所属、さらにその下に預かり所属ってのもあって、預かりだとオーディションもなかなか回ってこないとかこないとか」
「普通に怖いなそれ。しかも今、『こないとかこないとか』って言ってたけど言い間違いだよな?」
「そしてさらーに、うちは違うけど事務所によっては正所属、準所属、預かり所属でギャラの配分率が違う場合も……うちは違うけど、うちは違うけど……」
「それ以上聞かないでおくわ」
おどろおどろしく語る高寺に若干げんなりする俺だが、しかし、当の彼女はくすっと笑っていつもの明るい表情に戻る。
「あたし、もともと中学校のとき、ソフト部入ってたのね」
急な昔話。話の方向転換がスゴいが、高寺なのでそんなものだと受け止める。
「へえなんか意外。ポジションは?」
「キャッチャー」
「女房役か。なおさら意外」
「でもリードとか上手かったんだよ? 頭脳を生かした巧みなリードが持ち味の」
「なるほど、性格が明るくて声が大きかったからキャッチャーになったと」
「話聞いてる? あたし、性格の話してないよね?」
「続けてくれ」
ぷんと怒った素振りを見せる高寺に、俺は話をうながす。
道が二手に分かれる場所に差し掛かり、高寺は右側を指さして進んだ……のだが、行き止まりになってしまったので、俺たちはもと来た道を戻ることにする。
「それで、キャッチャーってかけ声するでしょ? 『ボールみっつー』とか『しまってこー!』とか」
「うん」
「でもあたし、生まれつきこういう声だから全然しまらなくてさ。むしろ、私がかけ声するとチームメイトは笑っちゃうわけ」
「なるほど」
「だからもうずっと、この声がコンプレックスで」
くぐもった、少し鼻にかかった感じの声で高寺は言う。普段、中野の透明感のありすぎる声を聞いている俺としてはそこまで特異に感じたことはなかったが、でも改めて本人の口からそう聞くと、たしかにいわゆる「アニメ声」なのは否定できない。
俺は頭の中で、ソフトのユニフォームを着た高寺が「しまってこー!」と言うのを想像してみるが……うん、たしかに全然しまらなさそう。むしろお前が一番ゆるい雰囲気出ちゃってる的な。
なんなら攻撃のとき、ベンチから「ピッチャーびびってるっ! ヘイヘイヘイ!」とか言ってると、審判から「そこ、あんま煽らないように!」って注意されそうだもんな。
そんなことを思っている間も、彼女の話は続いていく。
「そんな感じで過ごしてたんだけど、チームメイトで声優に興味がある子がいたんだ。でもその子はオーディション受けるか迷ってて、あたしは背中押す意味もあって『ひとりで不安ならあたしも受けるよ』って言ったの。それでなぜか私が一次審査通過しちゃって」
「声優志望じゃなかったのに受かったんだ」
「で、そこまでいくと受けるしかないじゃん? その子も『絶対に受けて』って言うし。で、東京での審査が、偶然みんなで行くこと決まってた東京旅行とかぶってたんだよね。で、それで、受けられるしって思って受けたら……」
「受かって、声優になったと」
「そーゆー感じ」
「……なんかすごい話だな」
「自分でも信じらんなかったもん。『え、このあたし受かったんですか!?』って。お芝居なんか、幼稚園のお遊戯会でしかしたことなかったのに」
高寺はどこか他人事のように笑う。前を歩く彼女の表情は見えないが、その声色はどこか自嘲するかのようだった。
「それで高校からこっちに来て、1年間養成所に通って、4月から所属になったの。だから声優歴はまだ1ヶ月」
人差し指を立てて笑う横で高寺に、俺は尋ねる。
「養成所ってなんだ?」
「あー、んとね。声優になるには声優事務所に所属する必要があるんだけど、だいたい付属の養成所があってそこでいい結果を残せば事務所に入れるって仕組みなんだ」
「じゃあ、養成所オーディションに合格しても、1年後にやっぱダメ、みたいなこともあるってことか」
「そうそう。あたしは運良く、養成所のときにデビューできて。ゲームだったんだけど名前あるやつでさ」
「……高寺、こう見えてじつはエリートなんだな」
「そうそう、こう見えてじつはエリート……ってこう見えてってなに!」
高寺はわざとらしくノリツッコミするが、よくよく考えると実際スゴいんじゃないかと思った。まず、養成所に入るだけでも難しいだろうに、演技経験がないなかで合格し、在学中にデビューしているのだから。
しかし、当の本人はそんなふうに思っていない様子で……
「でもエリートなんかじゃないから。まだ駆け出しも駆け出しだし、レギュラーも……まあうん」
尻すぼみで、声が途切れる。どこか言葉を濁すような言い方だった。なにを言おうとして止めたのかは不明だが、わかることは、喋るうちに彼女の声から元気が失われていっていることだった。
「業界に入ると、やっぱみんなスゴいんだよ。お芝居もだし、人間的にも素敵な人たくさんいるし、めっちゃ詳しいし。あたし、深夜アニメとかは好きだったけどハマったの中学時代からで遅かったからさ」
「うん」
「最初は声優になれるかもってことが嬉しくて、『オーディション受けた! 受かった!』『養成所! 頑張る! 事務所入れた!』って感じだったんだけど、最近は『あれ、これもしかしてあたし、自分の人生を決定づけちゃってるんじゃない?』って思えてきてて。中学の頃はわかんなかったんだよね。例えるなら、帰りの電車あるかわかんないのに、終着駅まで降りられない特急電車に乗っちゃった感覚、みたいな」
明るい声で高寺が言う。が、無理に明るい声を出しているのは、付き合いの浅い俺にも十分伝わってきた。
「贅沢な話だと思うんだけど、でもしょーじき、あたしなんかがいていい世界なのかなって思うんだよね……」
「……」
「もちろん、努力はしてるよ? ソフトしてたときも手を抜いたことはなかったし、あたし体育会系だから……でも、オーディションに落ちたりするたび落ち込むし、自信はなくなるし。この仕事で生きていけるのかなって怖くなるの」
高寺のような立ち位置に俺は置かれたことはない。だが、彼女が不安を感じるのもわかる気がした。
だって、高校2年生ですでに仕事を始めているのだから。人生はたしかにやり直せるかもしれないが、過去に戻れるワケではない。やり直すとしても、今その瞬間が一番はやいワケで、過去に戻れるワケじゃない。
そして、俺は薄々感じていたことを、ここにきて強く確信していた。高寺はぱっと見、明るくて外向的な女の子だ。それ自体は間違っていないだろう。
(でも、それと同じくらい弱気で、自分に自信がないんだ……)
なんとか励ましてやりたい……俺はいつの間にか、自然とそう思っていた。そう思わせるなにかが彼女にはあったのだ。
そんな感情を胸に抱いていると、自然と言葉になって出た。
「俺には声優業界の厳しさはわからないけどさ。でも、まだ事務所に入って一ヶ月なのに考えすぎじゃないかな?」
高寺が顔をあげる。
誰より頭でっかちで考えすぎな性格の自分がそんなことを言っているというのは、正直かなりシュールだと思ったが、だからこそ彼女が欲している言葉がわかる気がした。
「まあそういう性格なのかもだけど、でも事務所に入れたってことは絶対なんか魅力があると思うし」
「そうかな? あたし、魅力あるのかな?」
「俺には事務所とか、業界の人の見方はできないけど……でも実際、俺はもう高寺のこと、応援したくなってる……から」
それは事実だった。正直、この十数分で過去の話や悩みを知って、感情移入してしまっていたのだ。
そして、俺の言葉を受け、高寺の表情がぱーっと明るくなった。瞳に光が一気にともり、俺を見つめると、座ったまま手を伸ばし、俺の片手をギュッと握ってくる。
「おい高寺」
「若ちゃん……ありがと。若ちゃんの言うとおりだ。まだ全然頑張ってないのに、レギュラーって言葉聞くだけでお腹痛くなったりするの、ダメだよね」
「いやそこまでだったのか」
「あたし、頑張る。若ちゃんの期待に応えられるように」
「……ああ」
俺は力強く、高寺にうなずく。
幾十にも反射した鏡のなかの俺が視界のなかでうなずくのが見え、なんだか自分が万華鏡のなかにいるような気がして、ひょっとすると自分は目の前にいる女の子に心をすっかり掴まれてしまったのかもな……などと思ったのだった。
○○○
その後、少し雑談をしたのち、俺たちは立ち上がってゴールを探して歩き始めた。
と言っても、子供向けのアトラクションなので、そもそも距離は長くない。程なくして
迷路の出口が見えてきた。
「ドラゴンの卵は……あ、あった」
出口の側に、大きな卵型のモニュメントがあることに高寺が気付く。中がライトになっており、明るくなったり暗くなったりしていている。
「りんりん待たせちゃってるし、出ようか」
「そうだな……その呼び名、今のうちに直しておけよ?」
「うっ……だ、だいじょーぶだしっ!!」
そんなふうに俺に反論しつつ、高寺がドラゴンの卵に触れた瞬間。
突然、フロア内の電気がすべて消えて、真っ暗になった。
余談です。
ひよりちゃんが遊園地の妖精の声を担当しているという今回のエピソードですが、「CVを担当していることは、世間には公開されていない」という裏設定があります。
仕事内容によっては、名前を出さないほうが好ましいと判断されることも普通にあり、実際、声優さんの中には名前を出していない仕事のほうが多いという方もたくさんいらっしゃいます。
ファンの方の中にはwikiを見て「最近全然仕事してないんじゃ…?」と心配になる人もいるようですが、これは言われるとかなり嫌なことのようなので、ファンレターやインスタコメントなどで書くのはやめたほうがよいでしょう。
追記
短編書きました!ちょっとエッチでエモな百合会話劇です!
『三度目のエッチの後、彼女の腕にハンコ注射の痕があることに気付いた。』
一番上のユーザネーム「ラッコ」のところからぜひ!