34 暗がりで笑顔は輝く1
入り口のドアを抜けると、そこは3メートル四方の小さな鏡の部屋だった。
その中央には、背中に緑色の羽が生えた、外国人風の女の子の人形が置かれている。形状からして、妖精なのだろう。
近づくと、センサーが反応したのか妖精の口が動いた。
『ようこそ鏡の森の国へ! 会えて嬉しいわ』
あどけなく、幼い感じの声だが、それが中野のものであることはすぐわかった。いつものクールで涼しげな印象と違う、舌足らずな喋り口調だったが、結果的にそれが妖精っぽさにつながっていた。
『あなたはどこから来たの?』
「すごいな。本当に中野の声だ」
「うん、ホントにすごい……」
思わず漏れた本音に、高寺がこくりとうなずく。
このアトラクションでナレーションを担当しているというのは事前に聞いていたことだが、それでも知っている人の声がこうやって人形から出てくるというのは、なかなか不思議な感覚だった。例えるなら、知らない一面を間接的に知った、とでも言うのか。
しかも、『会えて嬉しいわ』なんていう、普段の中野からは絶対に聞かれない台詞だったのも、不思議な感覚に拍車をかけていて……プロとしての姿を目の当たりにし、正直な話、俺はちょっと感動すらしかけていた。
しかし、である。
俺は自分に言い聞かせる。この妖精の正体は中野なのだと。
表面的な容姿の良さとは対照的な守銭奴な内面の持ち主だし、さらに言えば人を平気で誘拐する組織の一員である。だからかわいい声にグッときてはいけないんだ。なにを言われても、簡単に心を動かされてはいけないんだ……。
などと、変な感慨を経て変な決意に俺が至っていると、人形がふたたび口を開く。
『私はルシア! 鏡の森の妖精よ!』
「……いや違う、お前は中野ひよりだ」
「に、人形にツッコんだっ!?」
「この妖精の中の人は、それはもう恐ろしい人間だ」
「きゅ、急にどうしたのっ!?」
「だから簡単に心を許してはいけないんだ」
「今、近くに子供いないよねっ?」
高寺は周囲をキョロキョロ確認すると、自分たちしかいないのを確認してほっと肩をなで下ろす。
「良かった……もー若ちゃん、世界観台無しっ!」
「だって中野は『会えて嬉しいわ』なんて絶対言わないし」
「そ、そこっ!? しーぶいしーぶい!」
高寺はそうツッコみながらも、妖精の人形の頭をなでなでして言う。
「ま~気持ちはわかるけど」
「わかるって?」
「知ってる人の声が聞こえてくるって不思議な感じだよねってこと」
「ああ」
「あたしも少し前までそんな感じだったし」
「そんな感じだったんだ」
「でも、演じてるときは別人でしょっ」
高寺はそう言うと、しかめっ面をしながら「めっ!」としてきた。
妖精がそんな俺たちの掛け合いに反応することはもちろんなく、変わらぬテンションでガイドを続ける。
『この森の反対側には、見つけるとどんな願い事でも叶うというドラゴンの卵があるの。あなたには、そのドラゴンの卵を見つけてほしいの。私の代わりに行ってもらえないかなぁ……?』
妖精がとてもとても甘ったるい声で懇願すると、高寺は「はわわ……」と焦った様子になり、手を合わせてうなずいた。もともと丸い目がさらに大きく開かれ、頬は蒸気し、やる気に満ちた表情に変わる。
「りんりんのためなら……あたし、頑張っちゃうよ!」
「っておい、CVじゃなかったか?」
「あ、そうだった」
高寺はえへへと、照れくさそうに笑った。
と、俺らがそんなことを話してる間に、妖精の説明は終了。
『じゃあ、お願いね! 行ってらっしゃい!』
その言葉を合図に、奥の扉がゴゴゴ……と開いた。
○○○
次の部屋に進むと、そこは一面の鏡の世界だった。
妖精の説明通り、このアトラクションは「鏡の森の迷路」というコンセプト。鏡の迷路の中、木の障害物や行き止まりを避けながら正しい道を進み、隠されたドラゴンの卵のところに到達する……という流れだ。
推測だが、建物の外観からして所要時間はせいぜい5分というところだろう。子供でも無理なくゴールできる距離だが、一組前に入った親子連れの進みが遅いのか、フロアに入った時点ですでに背中が見えていた。
2歳児くらいの男の子がとぼとぼと歩き、鏡の中の自分にタッチしようとして頭から勢い良くごっつんこ。その場に倒れると、一瞬なにが起こったか理解できない様子だったが、嬉しそうに笑っているパパママを見て「ひゃーっ^^!」と笑い出した。
あまりに平和な光景で、つい俺たちの頬も緩む。
「……ゆっくり行くか」
「そうだね」
男の子たちの姿が見えなくなると、俺たちはゆっくり歩き始めた。辺り一面が鏡であり、当然前にも右にも左にも自分たちの姿が写っている。鏡が鏡を写すせいで見える景色が何重にもなっており、だんだんどれが鏡かわからなくなってくる感じ。うん、これなら2歳児がごっつんこするのもやむなし。
また、足下がライトアップされているものの、鏡沿いにライトが張り巡らされてるワケではなく、そこをあえて踏み越えていく必要がある場所もあり、よく考えると意外と精巧に作られていることがわかる。
そして、ライトアップの加減はいい感じで、微妙にロマンチック。冬のイルミネーションが人気ってさっき中野が言ってたけど、そこで培ったものをこのアトラクションで出しているのかもな……隣を見ると、高寺は目をキラキラとさせ、なんだかとても楽しそうだった。
「あたし、イルミネーション好きなんだ。冬になると毎年、ハウステンボスのイルミネーション行ってて」
「あそこスゴいらしいもんな」
「スゴいなんてもんじゃないよ! ホントきれいで、もっともっとキラキラ輝いてて、ロマンチックで! もう、めっちゃスゴいの!」
興奮気味に説明する高寺に、思わず笑みがこぼれる。スゴいなんてもんじゃないと言いつつ、最終的な感想がスゴいに着地したのはなんというか彼女らしい。
しかし、意外とこういう感じなんだな、この子。私服的に性格もボーイッシュなのかと思ったけど、夜景とかも好きなのかもしれない。
「ん、なんで笑うの?」
「いやべつに」
「あっもしかして行ってみたくなったとか?」
「いや遠い。断る」
「誘ったワケじゃないんだけど、そこまではっきり断られるとショックー!」
不満を表すかのように、頬を膨らませる高寺。なので、サービスの意味もあって言ってやる。
「なんていうか、意外と女子なんだなって」
「はあっ? それどーゆう意味?」
しかし、逆効果だったようで高寺はムッとすると、左肩を俺の右腕にぶつけて抗議の意をあらわした。
「いや深い意味はないけど」
「ないのかよっ!」
「なんとなく言っただけ」
「なんとなく言ったてことは、本音ってことでしょ。てことは、あたしが余計女の子に見られてないってことだから……余計にムカつくっ!!」
そして、高寺がさらに肩をぶつけてくる。さっきよりも力が強く、さっきよりよろけた。
「いや、なんてゆーか元気だからさ。そういう意味で意外とってゆーか」
「意外と、じゃなく普通に女子ですー!」
口先を丸めながら言うせいで、高寺は自然とキス顔に。ぷるっとした唇が、暗闇の中で照らされ、俺は思わず目を逸らした。
(あれ……これ、なんか思ったより恥ずかしいぞ……ちょっとデートっぽいし、しかも向こうは全然意識してないから天然でかわいいし……)
すると、そんな余裕のない俺をよそに、高寺はクスッと笑うと。
「うそうそごめん、じょーだんだから」
あどけなく微笑んだ。怒ってみせたが、ふざけてやっていただけだったらしい。
そしてふたたび歩き始めると、興味深そうに辺りを見回しながら先を進むが……
「へぶっ!!」
ゴツン! という大きな音を響かせながら、高寺は変なうめき声を出してその場に尻餅をついた。近寄ると、おでこを押さえながら、顔を歪ませている。
「いったー! 頭打ったー!」
「だから早足で行くなと」
「だって鏡もう少し先にある気がしたんだもん!」
「そういうアトラクションだろ。頭、大丈夫か?」
「うん、痛くはない」
「さっきの子と同じぶつかり方をするあたり、知能も幼児レベルか?」
「ってそっち!? 心配してくれたんじゃなくてっ!?」
「冗談だよ。ほら、立てるか?」
そう言うと、俺は無意識に手を差し出す。高寺も無意識に手を差し出し、俺は彼女を立たせる……と、自然な流れで手をつないでいたことに気付いた。
「「あっ……」」
ふたりの声が自然に重なり、お互いにぱっと手を離した。
ヤバい、さっきデートみたいだとか思ってたくせに何も考えず手を出しちゃった……一気にかーっと頬が赤くなるのがわかるが、横目で高寺のほうを見ると……彼女もまた、俺と同じくらい頬を赤くしていた。
見つめ合ったまま、どちらも口を開かない時間が流れる。
つまり、沈黙。
1秒、2秒、3秒……。
「ご、ごめんっ! なんか、その……」
沈黙に耐えきれず、声を発したのは俺だった。
「……」
が、それに対し、高寺はなぜか少し不満そうに口をとんがらせている。さっきふざけて怒ったフリをしていた彼女だが、気のせいか今回は少し本気にも見える。
「あやまんないでいいけど……べつに悪いことしたワケじゃないんだし」
「そうかな」
「ほ、ほら! なんていうか、外国の映画とかであるじゃん。レディーファスト的なやつ。私、ああいうのにも少し憧れあるから結果オーライってゆーか……」
「えっと。それを言うならレディーファーストだろ」
「あっ、そっちか!」
「レディーファストだと女は早くって意味になるぞ」
「そ、そっか。あちゃー、バカなのバレちった??」
高寺は照れると、はははと笑い始める。それを見て俺も、自然と笑い始めた。
彼女の英語力のなさのおかげで、ふたりの間の緊張も少しやわらいだ。
「んじゃ行くか」
「うん!」
光を反射して輝く鏡よりずっとずっと輝いた笑顔で、彼女はそう答えたのだった。
声優と言えば最近はアニメの印象が強いですが、実際には幅広い仕事をされていたりします。ひよりちゃんも、名前を出してない仕事をたくさんしてるという設定です。