32 先輩声優と後輩声優1
俺たちは本屋を出ると、高田馬場駅へと戻った。
高田馬場は、学生街として有名な街だ。早稲田大学をはじめ、徒歩圏内に多くの大学、専門学校、予備校があり、学生らしき人の姿も多い。
交通の便も良く、JR山手線、東京メトロ東西線、そして西武新宿線の3線を利用することができる。中野がスタスタと階段を登っていったのは、3つめの西武新宿線だった。
ホームで少し待つと、電車がやって来る。神奈川県民の俺にとって、なにげに西武線に乗るのは初めてだった。この線は埼玉県内と西武新宿を結ぶ路線であり、生活圏内にまったく被っていないのだ。
なお、西武新宿線の起点となっている駅は西武新宿駅だが、新宿に行っても基本的にJRしか利用しないので、そちらにも行ったことはない。
「へー、東京なのに田舎だね。全然違う」
そんなふうに言いながら、高寺は後ろ向きに座って窓の外を眺めていた。中野はその向かい側の席に座っている。並んで座ることができず、分かれたのだ。
なお、俺は中野の前に立っているが、さっきからずっとKindleでなにかを読んでいた。これもオーディション対策なのだろうか。わからないが、俺と話す気はなさそう、ということだけはわかる。相変わらずつれないぜ。
なので仕方なく、俺もリュックから小説を取り出した。すると、中野がKindleから視線を上げる。
「若宮くん、なにげに読書家よね」
「ああ……まあ、そこまででもないけど。それはオーディションの?」
「そう。のちのちメルカリで売ること考えると紙の本で集めたいのだけど、時間がないときはこれで買うの」
「そのメルカリ発言、声優みんなやってるように聞こえるからやめといたら?」
そんなふうにツッコミを入れつつ、俺は内心焦っていた。なぜなら、中野の私服姿がかわいすぎたからだ。
本屋では(本屋でも?)焦っていてそれどころじゃなかったが、よく考えると中野の私服姿を見るのはこれが初めてだった。
春らしいベージュのトレンチコートに、内側にはシンプルな白いブラウス。下に履いたプリーツスカートは花柄だが、黒×ベージュという色合いのため、全体のバランス感はしっかり取れている。華やかかつ上品でありながら、落ち着いた雰囲気もあるコーディネートである。
(てか高校生の私服じゃないよな、どう考えても……明らかに高そうだし……)
そんなことを思いながら、本を読むフリして彼女のことを見ていた。もはや読書に全然集中できてない。
そして数分後。
次の停車駅で中野の隣に座っていた人が立ち上がる。少し迷ったが、中野が目配せしてきた。横に座っていい、ということらしい。
なので着席すると、中野は一瞬だけ腰の片側を上げ、そして姿勢を戻した。隣に座ったので、軽く腕と腕が触れそうになり、俺はそれを隠すかのように目を逸らし、リュックを閉じる。
向かい側の高寺は居眠りし始めていた……同じ声優とは言え、電車のなかでの過ごし方ひとつでここまで違うんだな……。
「若宮くんは小説家になりたいの?」
高寺の寝顔を見ていたら、不意に中野が尋ねてきた。その質問に、俺は体がなぜか少し強ばるのを感じた。
「なんでそう聞くんだ?」
「とくに深い意味はないけど。本好きだからそうかなって」
「本好きなら司書かもしんないだろ」
「まあその可能性もあるけど」
そんな質問をしてくるということは、もしかしてもしかすると、なにかの拍子に例の感想ノートを見られたのか……と一瞬思ったりしたが、よく考えなくても心当たりはなかった。普通に『読書好き→小説家志望』的に思ったのだろう。まあ、学校では読書に意識的に時間を割いてるしな。Wi-Fiを使っていいとは言え、映画とか観るのにはやっぱ向かないから。
「俺、学校だと小説ばっか読んでるけど」
「そうね」
「家に帰るとわりとアニメとか映画も観てるんだよ」
「あ、そうなんだ……それはつまり、『小説はそこまで好きじゃない』ってこと?」
「ああ。より正確に言うと『小説もそこまで好きじゃない』かな。何回か言ったと思うけど、俺ってオタクじゃないんだよ。小説もラノベもアニメも映画も、なんでも俺より詳しい人たくさんいるなって思ってるから」
「そりゃたしかに上を見ればキリはないけれど」
中野はそこまで言うと、軽く首をかしげながら問いかけるような瞳で見てくる。
「でもオタクであれば仕事もうまくいくワケじゃないと思うけど」
「……えっと」
「そりゃ何事も詳しいほうがいいけど、知識があるからって楽しい小説が書けるワケではないでしょう? 声優だってアニメに詳しい順になるワケじゃないし、というか売れっ子って案外オタクじゃなかったりするのよ」
「へえ」
「ルックスやコミュニケーション能力も大事だからね……まあ、『忙しすぎて自分のキャラの名前を間違える』とか『絡みのないキャラの名前を全然覚えてない』とか、そういうの見てるとさすがにどうなのかしらって思ったりするけど」
「声優業界の闇だな……」
「まあ声優の話はいいとして、作家とかも同じじゃないかなって」
中野は澄んだ瞳で、覗き込むようにして俺を見ていた。そこにあるのは純粋な疑問で、煽ろうとかそんな意思はまったく感じられない。
……だからこそ、まっすぐ向くことができず、視線を逸らしてしまう。
「でも、俺なんかきっと才能ないし……」
「あら、まだ高校生なのに才能がないなんてよく言うわね」
「だって俺、普通の人間だし。全然ぶっ飛んでないし、色んな型にハマってる、そういう自信がある」
「変な方向に自信家なのね」
正直なところ。
俺は将来、出版関係の仕事に就けたらいいなと密かに思っている。小説とかラノベとかマンガの編集者だ。
きっと俺のような、オタクになりきれないレベルの人が憧れがちな職業だと思う。自力で面白い作品を生み出す才能があるとは思えないし、自信もないから「俺は小説家になる!」とは言えないけど、でもそれまで触れてきたものには携わっていたい……というか。
こんな話をすると、作家に嫉妬してるだけじゃないかと言われそうだが断じてそれは違う。たしかにそういう編集者もいるかもしれないけど、俺はすべてのクリエイターたちを尊敬しているし、だからこそ「たしかに自分は作家にはなれないけど、尊敬する作家の近くにいたい」という感じなのだ。
と、俺はそこで中野がなにか言いたそうな顔をしていることに気付く。見ると、その形の良い、薄い唇が開いた。
「でも、才能ある人がみんな変人とは限らないけどね。むしろ、長く声優として活躍している人はみんな常識的で気遣いもできるわ」
「そ、そうなんだ」
「それに、センスとか才能ってケーキにおける苺みたいなものでしょう。たしかに一番目につきやすいけど、土台に大きなスポンジケーキがあるから成り立ってるワケで。みんなあんまり見ないけどね」
「なるほど……」
「まあ、若宮くんがなにになりたいのかはわからないけど」
「うん」
「この世界には2種類の人間がいるの。『好きなことを仕事にすべき』と考える人と、『好きなことは趣味のままにしておくべき』と考える人ね。前者は『好きならずっとしていたほうが幸せ、ゆえに仕事にすべき』と思っているし、後者は『仕事にしたら好きなことでも嫌いになる可能性がある』と思っている。この2つの考えは決して相容れないわ。例えるなら、きのこの山派かたけのこの里派かってくらい」
「マジか、それめっちゃ相容れないなそれ」
「私はどちらの考えも否定しない。好きなことを仕事にして幸せな人もいるし、逆に苦労して後悔してる人もたくさん見てきたから……でもね。好きなことを仕事にしたことのない人が『好きなことは仕事にすべきじゃない』って言うのはおかしいと思うのよね」
幼少期から芸能界で活躍する、彼女ならではの説得力のある言葉。
と同時に、添えるように言った後半に背筋がヒヤッとする。そんなことを知った顔で言う人は、高校生や大学生に少なからずいそうだからだ。
(この子の前では、わかったような口を利かないほうがいいのかもな……)
だが、俺がそんなふうに思っていることは知らないまま、なぜか中野の顔に少し弱気な影が差し込むのを感じた。
そして、整った唇が動く。
「でもまあ、実際のところ天才っているけどね」
そう言いながら、中野は押し黙る。そのせいで、向かい側の席にある、高寺の寝顔をじっと見つめるような体勢になった……ってかすっかり寝てるじゃないかこの子……。
「どうかしたか?」
「いやなんでも。ただ、よく寝るなって」
呆れたような、それでいてなぜだか羨ましそうな口ぶりでそう言うと、中野はなにも言葉を発しなくなった。自然消滅的に会話は終了。俺たちは互いの読書タイムに戻ったのだった。
余談です。
声優さんも様々で、演じたキャラや関わった作品の思い入れが異常に強い人もいれば、文中でひよりがチラっと話したように、キャラの名前が混ざったり、絡みのないキャラの名前を覚えてない、みたいな人もいるようです。
オタクな人からすれば悲しいことかなと思いますが、演技力とオタク気質は関係ないですし、人気商売なので人気のある人に演じてほしいと制作側が考えるのも自然なことでしょう。
とはいえ、もちろん、キャラや作品に深い愛着を持つこと自体はとても尊いことだと思いますし、筆者も好きだったりします。作品のファンだったらシンプルに嬉しいですよね。(キャラ愛作品愛強い声優さんの例を出そうと思ったがパッと出ない…本渡楓さんとか小原好美さんとか? 誰かいますかね?)