30 貞操の危機1
そして、その週の日曜日。
『声優グラ○プリ』『声優パラ○イス』『声優アニ○ディア』……本棚に並んだいくつもの声優雑誌を見ながら、俺はなんとも言えない気持ちになっていた。
俺が今いるのは、JR山手線・高田馬場駅から歩いて1分のところにある本屋。待ち合わせ時刻より20分はやく着いてしまったので時間を潰しに来たのだ。
俺はオタクではないものの、本屋に足を運ぶ機会は少なくない。それなりに大きな本屋に行けば、マンガ・ラノベ・小説と幅広いジャンルの新刊・新作をチェックすることができる、というのがその最大の理由だ。本屋はスマホ画面と違って物理的に奥まで見渡せるから、逆に効率がいい、というのが俺の持論なのだ。
棚に並んでいるものを見ると、最近どんなジャンルが流行っているのかもわかるし。ラノベコーナーなんか、少し前までは異世界一辺倒だったけど、最近は妙にラブコメ作品が増えている。きっと、『弱キャラ友崎くん』が主導したブームに便乗した作家たちが多かったんだろう。
あと、俺の住む市では段ボールの回収がない、というのもリアル書店を好む一因だったりもする。川崎市はどういうワケか段ボールが資源ゴミとして回収されないので、町内会が業者に依頼している日にまとめて出す必要があるのだが、それが月イチと少ないのだ。
小さくちぎったら普通ゴミで捨ててもいいのだが、かなり大変だし、俺の神経質な性格上、家の中に段ボールが積み重なっているのがまず無理なので、ゆえにア○ゾンで書籍を注文するのは、書店で取り寄せを待てない場合だけにしている。
ちなみにだが、川崎市にはア○ゾンの巨大な物流センターが存在する。多摩川沿いを川崎とは反対方向に少し進んだところにあり、都心への集配拠点のひとつになっているのだが、ネットでよく指摘されているとおり、この企業は法人税をほとんど払っていない。
そういう理由で、川崎市は段ボールを回収しないのではないかと俺は睨んでいる。要するに、市のア○ゾンに対する当てつけというかさ。
とまあ、そんな感じで定期的に本屋に足を運ぶ俺だが、雑誌コーナーを見ることはあまりなかった。だが、今日はなぜかそちらが妙に気になり、歩み寄ってみると、そこにあったのが声優雑誌というワケだ。
(ここ2週間ほどやたらと「声優」というワードを聞いているせいか、視界の端に入ってきて過敏に反応してしまったようだな……)
棚に並べられた雑誌たちは、予想していた以上に美男美女と言って良さそうな声優さんたちが表紙を飾っていた。将来のため、あるいは教養のため、アニメ自体はそこそこ観てきたものの、中の人には一切興味を抱いてこなかった俺だが、なるほど声優ファン的にはアイドル的な存在らしい。
そして、である。
そんな声優雑誌の一冊に、見慣れた顔があった。
上目遣いでこちらを見つめているその表情には、10代後半のあどけなさと、大人っぽさが同居した絶妙なバランス感があった。その黒く、大きな瞳はこちらになにかを訴えかけてきているかのようであり、見る者の庇護欲をくすぐる感じ。
手にとってページをめくると、巻頭十数ページにわたってカラーグラビアが続いていた。どこかの撮影スタジオの庭で撮ったような写真では、ショートパンツ姿の彼女が写っていた。すっとまっすぐ伸びた脚が印象的で、足首に至っては折れそうなほど細いが、顔の小ささや体全体の線の細さもあって、絶妙なバランス感で成立している。
まっすぐ伸びた黒髪はとても美しく、カラー写真でさえもそのつややかさを表現しきれていないのでは? と思えてしまうほどだった。
また、室内の写真では、彼女の顔のアップが数ページにわたって続いていた。じっとこちらを見つめる蠱惑的な表情、小首をかしげてこちらを挑発するかのようなイタズラっぽい表情、唇をとがらせ拗ねたような表情、そして最後には満開の笑顔……。
そんなふうに、もはやその辺のアイドルなんかよりよっぽど清純で、かわいく、魅力的な姿を見せていた声優の名前はそう……鷺ノ宮ひよりであった。
(あいつ、表紙とかやるレベルだったんだな……事務所の稼ぎ頭のひとりとは聞いてたけども……)
グラビアの最後のほうには、数千文字におよぶインタビューが掲載されており、そこに現在演じている役への想いが書かれていた。
(しかも、インタビューも受けてるのか……まだ16とかなのに、そんなの答えられるものなのか……)
そして、俺は気付く。別の声優雑誌にも、また別の声優雑誌にも、鷺ノ宮ひよりの名前が載っていたのだ。
手にとって開くと、またしてもカラーグラビアが、インタビューとともに掲載されていた。笑顔や憂いを帯びた表情など、さまざまな顔を見せる中野の写真が、この雑誌でも20ページ近くにわたって続いている。
また別の雑誌では、年の離れた女性声優との対談コーナーもあった。出会った頃のエピソードから、お互いの最初の印象、声優として影響を受けたと鷺ノ宮ひよりが語るくだり、逆に先輩の声優さんから見た声優・鷺ノ宮ひよりのスゴさ……などなど、写真を交えつつ4ページにわたって続いている。
グラビア、インタビュー、対談……そのどれもが、俺がいつも見ている中野とは、まるで別人のようだった。
「こんな顔するんだな、あいつ……」
学校では決して見ることのできない、ショートパンツ姿で壁に背中を預けてあぐらをかいて座る構図の写真にまんまと視線を奪われて、そんな声を漏らしてしまう。写真のなかの彼女はとにかく清楚なので、いやらしさはもちろん皆無なのだが、あぐらによって太もも内側が盛り上がり、柔らかそうな肉感をこちらに感じさせるのだ。
(正直、ちょっとエロいかも……)
いやらしさは皆無とさっき説明したが、困った、俺自身がエロいのでエロく見えてしまうではないか……もしかすると、エロスというのは見られる側ではなく、見る側に宿るモノなのかもしれない。エロスは未来だ。その人次第で、如何様にも変わる。そんな無限の可能性を有しているのだ。って俺は一体なにを言っているんだ。
(でも、こんな色っぽい表情してたら、覗き込まないほうが無理だろ……)
と、そんなふうに、すっかり彼女のグラビアに魅了されてしまった俺だが。
右側から急に、別の視線を感じた。
と同時に、全身が急激に悪寒に包まれていくのを感じる。
俺の知っている中で、視線ひとつでここまで人の体温を奪う人間はひとりしかいない。視線の方向に振り向きながら、俺は言った。
「中野、違うんだこれは」
振り向いた先にあったのは、考えられないほど冷ややかな視線をこちらに向ける中野の姿だった。写真グラビアで様々な表情を見せていた彼女だが、どうやら放出していないレパートリーがまだあったらしい。
「違う? なにが違うの? 私はまだなにも発していないのだけれど」
なにも発していない。
中野としては「なにも言葉を発していない」という意味だったのだろうが、中野の顔からは最大級の嫌悪、軽蔑、侮蔑……そういった類いの感情が、これでもかと言うほど発せられていた。
そして、声だけはいつものとおりの低いトーンで、それが逆に怖さを増幅させている。
「これには深いワケがあってだな」
「不快なワケ?」
「じゃなくて」
「不可避なワケ?」
「なにを避けられないんだよ」
「そんなことより、はやく本置いたら? あなたが焦れば焦るほど、私があなたの腕の中で抱かれているように錯覚してしまうのだけど……」
「だ、抱かれてっ!?」
テンパりながら、俺は本を置き、すぐに中野に向き合う。
向き合う……のだが、彼女の視線は相変わらず冷たい。
余談です。
筆者は本業がライターでして、芸能人の方にインタビューすることがよくあります。
ときには著名な俳優さん、お笑い芸人さん、アーティストさんにお会いすることもあるのですが、そこで感じるのは「売れっ子は見出しになるようなことを言ってくれる」ということ。キラーフレーズと言うか、胸に響く言葉を言ってくれるんですね。頭がめちゃくちゃいいんだと思います。
だから売れっ子ほど、インタビュー時間が短かったりします。話した内容全部面白いから、丸々使えるんです。
これは完全にライター的な視点ですが、たとえば悠木碧さんは、どのインタビューでも面白く、知性を感じさせるお話をされている印象です。
気になった方はlivedoorニュースの「声優は天職――悠木 碧は、ちゃんと傷ついて、ちゃんと喜んで生きていく」というインタビューを読んでみてください。もちろん筆者は現場にいたワケじゃないですが、悠木さんがあまりにキレキレの返答をしまくるので、ライターの方の筆が乗りまくっているのがわかります。笑
声優を目指されている方がもしいれば、そういう視点でインタビューを読んでみてもいいかもです。
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